友という概念

「俺を、探していたのだろう」

 瞬太郎の声は、明るい。とても、今から斬り合いをするようには聴こえない。

「お前を、探していた」

 久二郎の声は、提灯が消えて、月だけが濡らす闇に染み込むようだった。その中にある瞬太郎の陰影が、少し動いた。

「尾けてきたのだろう」

 再び、久二郎。瞬太郎は、少し笑ったらしい。

「そうだ。たまたま行き合うものか」

「何故、尾ける」

「何故、俺を探す」

 瞬太郎は、天邪鬼あまのじゃくか、あるいは、禅問答をする僧のようである。

「お前が、お上の、そして新撰組の、敵だからだ」

「では、どうするのだ、綾瀬は」

「捕らえる。もしくは」

「斬る。そう言うのだな」

 久二郎は、答えの代わりに刀を抜いた。

「つまらんな。人斬りなど」

「面白くて、斬る者などいない」

「それでも、つまらんさ」

 久二郎が、ゆっくりと剣を正眼に置いた。瞬太郎はまだ抜刀しない。

「少しだけ、話をしないか」

「なんの話を」

 月にかかる雲が、二人を隠した。

「敵、と言ったが、お前は俺の敵ではない」

「いや、敵だ」

「それは、日ごと、変わる。合違あいたがう立場の者が敵であるなら、この国は一つの考えしか持たぬ者しかいなくなる」

「そうして、国をまとめ、守るのではないのか」

「思い上がるな、綾瀬。何人斬ったか知らぬが、剣では、人の心は治まらないんだ」

 月の隠れた闇の中、瞬太郎は、言葉に少し自嘲を含んだような響きを立てた。

「考えの異なる者を排し、立場の異なる者を圧し、この国は作られた。むかしは、それでよかった。しかし、太閤の頃や、家康──」

 と、瞬太郎は「大権現」などと言うべきところを、呼び捨てにした。

「──の頃とは、違うのだ。我らは、世界の中の日本ということを、考えてゆかなければならない」

 瞬太郎の言葉に諭すような響きがあることを、久二郎は不思議に思った。

「考えてもみろ。異国が、この国に目をつけている。幕府はメリケンをはじめ、エゲレスなど、なし崩しに埒もない条約を結ばされている。あるいは、フランスの軍の者が顧問として入って、その軍制を取り入れている。彼らが、それこそ蚕が葉を食うように、この国を分け取りにしようとしているとき、ここに暮らす俺とお前は、互いの考えの違いのために、殺し合うのか」

「そうしなければ、この国は守れぬ」

 瞬太郎が、はっきり笑った。

「馬鹿だなあ、綾瀬。剣を、俺に向けて、どうする」

「剣を、お前に向けずして、どうする」

「外が大変なときに、身内同士で争うのは、愚かだぜ」

 新撰組のことを言われているような気がした。隊を強くし、一つにまとめるため、身内の争いは絶えない。しかし、新撰組を一つの国として考えれば、外には長州や土佐などの過激な連中が今にも何かをしでかしそうにして、眼と剣を光らせているのに、考えが異なる、あるいは隊のためにならぬ、として仲間を斬るのは、愚かである。久二郎にも、それくらいの思考力はある。

「しかし、長州や土佐の連中は、考えが違うから、として幕府を無くそうとしているではないか」

「それも、良くない。俺は今、坂本さんの下で、戦いに依らない、世直しをしている」

「坂本龍馬か」

 瞬太郎よりも遅れて、捕殺令が出ている。しかし、会うと、なるほど人物ではあった。

「その国では、考えの違いや、立場の違いで戦うことはない。長州も土佐も、幕府も、皆同じ。才のある者が上に立ち、皆で、この国を守ってゆくのだ」

 月が、再び出てきた。暗かった分だけ、瞬太郎の姿が鮮やかに浮かび上がっているように、久二郎には見えた。

「どうやって、守る。どうやって、それを実現する」

「分からない。それを、坂本さんも探している」

「絵に描いた餅で、国は救えぬ」

「だが、思い描かずして、何かを変えることはできない」

 久二郎は、少し考えた。そのような道が、ほんとうにあるというのか。

「俺と共に来い、とは言わないさ。お前はお前で、信じるものがあるのだろう。それを否定もしない。俺たちの作る国は、お前も、新撰組も認める。皆が、国を作るのだ」

 嘘だ。久二郎は、そう思った。しかし、嘘でないならば。

「だから、俺をもう、探してくれるな」

 懇願するような表情である。月の下で見れば、別のもののようにも見える。

「それを、言いに?」

「そうだ」

 久二郎は、剣を納めた。

「では、俺の前に、二度と現れるな。現れれば、俺は斬る」

「分かってくれたのか」

「分からん。分かるようになる気もしない」

 風が、二人を通りすぎ、吹いていった。見えはしないが、それを目で追った。

「綾瀬」

 久二郎は、風のゆく先から、瞬太郎へと目を移した。

「その話し方の方が、いいな」

 久二郎は、気を許したわけではない。年上の先輩として瞬太郎を立て、これまでは丁寧な言葉遣いを自然にしていた。


 余談ではあるが、この当時、先輩、後輩という語や概念は既にあった。例えば黒船来航以来の活動家などは最も立てられ、敬われていたし、この後、薩摩の西郷と長州の桂(その時点では木戸)が会談をする席で、それを取り持った坂本龍馬は、桂に、西郷は黒船以来の先輩だから、と断りを入れた上で、自然と上座に座らせた。その人格や能力の如何に関わらず、先に生まれた者を敬う、先にその世界にいた者を敬う、というのは現代日本においても変わらない。例えば、会社員のそれよりも、大学のサークルの先輩後輩という感覚を当てはめて頂ければ、彼らの感覚に概ね近い。

 更に余談は続くが、「友達」という語はまだ無い。「朋輩」「ともがら」「気の置けない仲」というが、現代のそれとはほんのわずかに意味合いが違う。「友」という語はあったが、あまり用いない。したがって「友情」は無く、「友誼」はある。

 社会を形成するにあたり、同一のことを対等に為す者に対し、人はその感情を抱くことは古今東西変わらぬものではあるが、個人の心の繋がりが社会的に意味を持ち、しばしば立場を越え優先されだすのは日本においては明治以降で、時代が降るほどにそれが濃く、明治以前では、社会的に定義された感情とは言えない。

 だから、久二郎は瞬太郎の言うことが何となく分かっても、自分のものにはできず、瞬太郎との間に友情が芽生えることはなかった。友情とは、年齢や立場を越え成立し得うるものである。彼らの生きる社会とそれが生む概念においては、彼らは決して友達になることはない。

 瞬太郎は、今は新撰組の敵である。久二郎が対等の言葉使いをしているのは、瞬太郎の年下の後輩である以前に、敵と向き合う新撰組隊士であるためであるということは言うまでもない。しかし、それを瞬太郎は良いと言う。その意味が、久二郎にはよく分からない。

 実際、久二郎は、瞬太郎の言葉に、心動いたのかもしれない。しかし、彼には、

「俺の前に、現れるな」

 としか言えない。一度だけ、自らの意思で、久二郎は敵を見逃した。しかし、それは、一度だけである。

 次に二人が出会ったとき、どちらかが死ぬまでの死闘になることを予め言っておく。どちらが死に、どちらが生きるのかは、物語の進行に委ねることとする。

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