帰還、そして探索
慶応元年の五月、五十名を越える新入隊士を引き連れて、土方らは戻った。それにより新撰組は始まって以来の大所帯となった。新たに入った者をそれぞれ、どこの組に入れ、どのような役割を与えるか、などと考えながら、土方は帰京する。
久二郎は、その傍らに落ち着いて従いながら、それでいて気さくに新入隊士に声をかけたりもした。後に、このときに加わった隊士が、
「組長の綾瀬は、落ち着いていて、それでいて親しみ易く、それを見て、京の中心で働く新撰組とは、このようなものか。と身の引き締まる思いであった」
と述懐したのか、どうか。
土方が江戸の様子、多摩の様子などを近藤に伝え、近藤は、
「
と笑った。その顔を、土方は見た。近藤は、土方がこうして自分の顔をじろじろと見てくると、うるさいことを知っている。
「笑ってもいられないぜ、近藤さん」
「わかっている」
近藤が京に残って何をしていたのかというと、もっぱら幕府による長州征伐の準備である。実は、昨年の元治元年に長州が京に攻め入り、街を焼いてから後に一度、長州征伐は行われている。その際は、長州がのちに禁門の変と言われるその騒ぎに直接荷担した三人の家老に腹を切らせ、恭順の姿勢を示したから戦闘行為はなく、すぐに治まったが、その後も幕府の軍事顧問であるフランスは強硬な態度を取るよう要請し続け、更に朝廷側の諸藩と幕閣のうちの、朝廷もまた諸藩に指示や命令をすることができるものであるとする立場の者と、公武合体派と言われる立場の者──たとえば会津藩主である
とにかく、長州の仕置きをどうするのかは具体的には決まらぬまま、政治的な思惑も含め、将軍は征伐のためとして江戸を発し、あちらこちらの思惑が交錯している京に入った。
政治のことは、久二郎には分からぬ。土方も、ある一定のところで線を引き、それ以上はあれこれ気を揉んでも仕方ないと割り切っている。戦うなら、勝つまでだ。といったところであろうか。それに引き換えて近藤は、立場上、幕閣や会津などとそういった話をせねばならない。土方にとって具合の悪いことに、そのような場合に限って伊東から与えられた知識が非常に役に立った。近藤の武骨な性格では、政局が会津有利となれば喜び、不利となれば慌てるくらいしかできぬわけだから仕方がない。しかも、それが日毎に変わるわけだから、伊東などは、江戸から戻り、すっかり憔悴しきっている近藤を見て、
新撰組が、単に力をもってして威を振るっていた、いわゆる「警察組織」でなかったということが、これらのことでも分かる。この時点で既に新撰組は、非常に政治的な意味合いを持った組織となっていたのである。
それにも関わらず、土方がある所で線を引いてしまっているのは、考えても仕方のないことを考えれば考えるほど、為すべきことが曇るのを恐れるからである。彼は考えなければならぬことを見誤ってしまうことを、最も恐れた。だから、土方が運んできた故郷の匂いに触れて、つい気弱さが出た近藤にも、笑ってる場合じゃねェ。と言うのである。
「近藤さん、分かるか。あんたは、新撰組の大黒柱だ。それが、今日はあちらに出向いてへらへら笑い、明日はこちらに出向いてしょんぼりしてもらっちゃ、困るんだ。俺たちが、今すべきことは、何だ」
「それは、時勢を見極め、然るべきときに──」
居住まいを正して発せられる近藤の言葉を、土方は遮る。
「違う。決まったことから、一つずつ、潰していく。まず、上様のご上洛だ。その警護を、あんたは新撰組の頭として命じられている。そうだな」
「そうだ」
「じゃあ、あんたは、江戸から隊士を連れて戻った俺に、その準備を命じなければならない」
言われて、近藤は嬉しそうに笑った。
「歳。それだ。やはり、お前がおらねば、どうも調子がおかしくなる」
近藤は、人柄が朴訥すぎて、なおかつ優しすぎる。それを、政治の中心にいつも必ずいる新撰組の局長に仕立て上げたのは、他ならぬ土方と、亡き山南である。仕立て上げられた本人が、そう言っていては世話はない。だが、それが近藤の魅力でもあった。
「局長ってな、自分の頭で考え、動くのが上手い奴のことじゃねェ。考え、動く奴を、使える奴のことだ。見てみろ。近藤さんの側には、あの人を
と、土方は、久二郎などの近しい者に常々言っている。
五月の末ごろ、京に入る将軍徳川家茂を迎え、警護するため、新撰組は、三条蹴上まで迎えに出た。その隊列は、近藤に命じられた土方により整然と偉容をもって組まれ、京の治安を守り、情勢の中心に居ることを自他ともに認めさせるものであった。
「彰介。あれが、上様のおわす駕籠だ」
将軍の行列に平伏しながら、久二郎は言った。彰介は、何も言わない。だが、感慨深そうにしている。このところ、己も何かを為さねば、としきりに考えているらしい。それがため、伊東のもとに通い、時勢や思想のことをあれこれ学んでいる。彰介は彰介なりに、変わろうとしているのだ。久二郎は、それを嬉しく思った。
三条蹴上といえば、つい三月ほど前、沖田と共に山南を追い、この坂を上りながらあれこれ話をした。この坂を越え、山科の里で山南に行き合ったのである。久二郎は、号令に従って立ち上がり、定められた陣形を組みながら、なんとなく、そのようなことを思い出していた。今、将軍の行列がやってきたこの坂を、山南は、どのような顔をして歩いたのか。
考えても、仕方のないことである。
さらに、その三日後には、将軍は大坂へ向かう。それを、やはり新撰組は警護し、伏見まで従った。
ただ、悪い浪士を斬り、捕らえていればよい。というわけにはいかない。なにが悪くてなにが善いのかも、日ごとに変わる有り様である。そんなとき、久二郎は、新撰組として、瞬太郎と何度目かの対峙を果たす。
瞬太郎は、このところ、坂本に付き従い、あちこちに走り、忙しい。それこそ、江戸、京、下関、長崎などを飛び回っており、新撰組や所司代にも用意にその所在を偵知させない。
それが、どうも京に入っているらしいという。六月の頭のある日の夜、監察が、その報せをもたらしてきた。
「知らせてくれて、ありがとう」
監察方の隊士に礼を言うと、久二郎はすぐに十一番組を召集した。
「十一番組、すぐに出る。瀬尾瞬太郎が、京に入ったらしい。河原町の、近江屋という宿だ」
現在も、河原町蛸薬師下ルの近江屋跡には、それを示す碑が立っている。そこへ、十一番組は向かった。
夜の闇の中、近江屋と書かれた提灯が出ている。そこへ、滑り込むようにして入った。
「新撰組、御用によって改める」
そう呼ばわり、上がり込んだ。増改築でも繰り返したのか、内部の構造は、入り組んでいる。彰介に数人を付けて一階を任せ、二階は久二郎が数人を連れて見て回った。
商人などの一般客しかいない。二階の廊下を奥へ進むと、五段ほどの
やはり、瞬太郎は、いたのか。もう一人は、誰なのか。窓から外を見ると、下は裏の寺の塀である。これを伝って、裏寺町まで抜ければ、逃げられる。
隊士を促し、一階に降りた。
「組長」
と、彰介は、隊務の最中は、久二郎をそのように呼ぶ。これも、以前はなかったことである。
「彰介」
「一階には、怪しい者はおりませんでした」
「二階の奥の部屋が、怪しい。誰もおらず、灯りも入っていなかったが、座布団は暖かかった。裏寺町の方まで、逃げたかもしれぬ」
顔を強ばらせた宿の者に言い付け、宿帳を持って来させる。その部屋に泊まっているのは、
瀬尾と見て、間違いなかろう。そのまま、裏寺町通りに回り、四条、御池の間を探索し、その隣の寺町通りの暗がりも調べて回ったが、野良猫くらいしか見つからない。
「屯営に、戻る」
久二郎は残念そうに、そう命じた。もう、かなり夜が更けている。屯営の前まで注意深く探索しながら、引き上げた。そこから、猪熊通り松原上ルの自宅まで、歩いて帰ってゆく。急な出動であったので、春は心配しているだろう。
歩きながら、久二郎は、背後に気配を感じていた。堀川や五条は、深夜でも人通りが無いわけではないが、猪熊で北に折れると、人通りは全く無くなる。その闇を、提灯で照らしながら、久二郎は立ち止まった。
「何用だ」
そのまま、背後に、声をかけた。
「お前に、用がある」
久二郎は、現れた影に向かって、提灯をかざした。
「よく、逃げたな」
「お前たちが俺たちを探るように、俺たちも、お前たちを探っているのだ」
「そうか」
久二郎は、提灯を捨てた。地で、それが明るく燃えた。炎によって、闇が拓かれる。
瞬太郎の姿が、そこにあった。
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