第五章 伊東と近藤

江戸にて

 江戸で、藤堂は、かつての師と会っていた。

「伊東先生」

 と、師は呼ばれた。鈴木という家に生まれ伊東道場へ婿養子に入り姓を伊東と改め、大蔵という名を名乗っていたが、この後さらに名を変え、甲子太郎という名を名乗る。これは、この年の干支が甲子きのとねであったことに由来する。なんとも印象的で、覚え易く、芝居がかった名であるように感じるのは、筆者に限ったことではあるまい。

 眉目秀麗、と言われる通り、肌は白くきめが細やかで、細く切れ長の目の線と、尖った鼻とあごが美しい男であった。歳は、近藤や土方などと同世代である。

 幼いころから文武に秀で、見映えのするこの男は、それがゆえ、自己演出の術にも秀でていた。藤堂は、この沈着で才に溢れたかつての師が大好きであったし、門下生も皆、心から心服しているようであった。

 伊東は、自尊心が強い。それゆえ、ただ藤堂から会いに来ただけならば、伊東道場を裏切り、天然理心流などというわけの分からぬ三流剣法に鞍替えしおった。と苦々しく思っている藤堂のことを、門前で追い払ったに違いない。今、伊東が腹心の篠原という者と藤堂の三人で酒を酌み交わし、再会を喜びながらもてなしているのは、彼が、藤堂がいったいどのような用件で訪ねて来たのか勘づいていたからであった。

 彼は、藤堂そのものではなく、藤堂の持ち込んだに、興味があった。そのようなことを知りもせぬし気にもせぬ藤堂は、いや、懐かしい、懐かしいと笑顔で酒を食らっている。

「それでね、先生」

 と、藤堂が杯を伏せたとき、伊東は、来た、と思った。しかし決して色には出さず、

「なんだね」

 と鷹揚おうような笑顔を作って見せてやった。

ふみのことなんですが」

 前もって、藤堂は伊東に手紙を出している。所用があり、江戸へゆく。是非、世話になった先生に、挨拶を申し上げたい。そのとき、少々無理なお願いをするかもしれぬ。というものである。無論、そのことは近藤、土方、山南も知っている。そのため、藤堂だけが先に江戸に入ったのである。はじめは、江戸で隊士を募ろう。というだけの話であった。そこへ、たまたま居合わせた藤堂が、俺、昔世話になった伊東道場に、声をかけてみましょうか。と言った。伊東の人柄などを、やや誇張しながら語るものだから、それは是非にでも勧誘しろという具合になり、伊東が加入した際の処遇などもあれこれと論じられだしたから、藤堂は軽い思い付きが大事になっている、と苦笑せざるを得ない。

 伊東一人が加入するわけではない。人数は分からぬにしても、道場主が新撰組に加わるということは、道場を畳む、もしくは跡目を別の者に譲るということである。それ相応の処遇をもって、迎えねばならない。

「うむ、読んだ。何か、京で困ったことでもあるのかね。私にできることならば、何でもしよう」

「いや、言いにくいんですが」

「構わぬ。できるかできぬかは、聞かねば分からぬ。言いなさい」

 と、染み透るような微笑みを投げ掛けた。藤堂は、頭を掻きながら、

「新撰組に、加わってもらえませんかね」

 と言った。伊東は、雷に打たれたような顔をしてみせた。

「それは、私に、この道場を畳めということか」

「いや、そんな。でも、そういうことになりますかね。もし、先生がよければ、新撰組ではそれ相応の処遇をもって、お迎えするつもりです」

 伊東は、さも重大事であるように、黙り込み、顎に手を当て、考える素振りを作った。もともと、腹は決まっている。と言うよりも、水戸生まれの彼は、早くから過激な思想の洗礼を受け、国事に奔走することを夢見ていた。何をするにしても、数と力だ。と、そのための足掛かりとしてこの伊東道場の相続の話を受けた。

 だから、参加するとしたら、多くの門人を引き連れ、参加する。それが、予め組織の出来上がった新撰組ならば、なお話は早い。数の力をもって、組織ごと簒奪さんだつしてしまえばよいだけのことである。彼には、それができる自信も実力もあった。それゆえ、安くは買われたくはない。

「にわかには、決められぬ。話し合う時間を、もらえるか」

 と言った。

「もちろんです。ということは、考えてもらえるんですね」

 と藤堂は無邪気に笑った。

「新撰組の働きは、この江戸にまで聞こえている。おかみのため、天子様のため働くのは、男子の誉れではないか」

 と、伊東も笑い返した。

「よかった」

 藤堂は肩の荷が降りたような心持ちであった。

「いや、実はね」

 と藤堂は身を乗り出す。

「もうすぐ、局長の近藤さんが、江戸に来ることになっているんです」

「ほう、それはまた、何故」

「武家伝奏のお役目の方を、お守りするためです」

 ちょっと誇らしげに言った。新撰組の活動の魅力を、彼なりに伊東に伝えたつもりであった。

「ほう。それは、また大きなお役目ではないか」

「ええ、それほど、新撰組は京において重んじられています」

 と胸を張った。

「そのお役目を終えられたあと、近藤局長が、私に会って下さるというのか」

「とても、気さくな人ですよ。誰とでも垣根なく、話す人です」

「どのようなお方なのだ、近藤局長は」

 伊東は、最も気になることを訊いた。それにより、どのようにして新撰組を我が物にするかが変わってくる。

 藤堂は、底抜けに明るい顔をした。

「とっても、いい人です。強くて優しくて頼り甲斐のある、誠の武士もののふです」

 伊東は、その言葉よりも、藤堂の表情に注目している。

「それほどの、お方かね」

「ええ、あんな人は、この国のどこを探したって、他にはいやしませんよ」

 それはすなわち、伊東の器量よりも勝っていると言っていることになる。それに気付いた藤堂は、目の前のかつての師を立て、

「それほど立派なお人ですから、伊東先生の、誰にも負けぬ知恵を、余すことなく活かしてくれますよ」

 と笑った。伊東は、その物言いに引っ掛かった。それでは、近藤に使われにゆくということではないか。自分が、近藤を使うのだ。そう思ったが、口には出さない。

「それは、働き甲斐がありそうだ」

 と、喜色を見せた。

 そして、近藤が役目を終え次第、藤堂が使いとなって、府内の料亭で、会談をすることとなった。伊東が近藤を訪ねるわけでも、近藤が伊東を訪ねるわけでもない。互いに、訪ね合うのだ。それは、京を出る前に、山南が藤堂に授けた策であった。

 その日が、来た。近藤は、永倉、尾形、武田を伴い、その料亭に入った。既に、伊東、藤堂、篠原、伊東の弟の鈴木三樹三郎みきさぶろうという者が下座に並んでいる。

 近藤らもまた、席についた。

「近藤です。お会いできて、光栄です」

 と笑顔を見せた。太い筆で書きなぐったような線を持つ頑強な容貌の割に、笑顔が子供のように優しい。それだけで、伊東は近藤を好きになりそうになったほどである。

「伊東と申します。音に聞こえた新撰組の近藤殿にお会いできるなど、恐悦の至りです」

 と伊東も応じた。近藤の脇にいる小柄な男が居丈高に何か言っているが、伊東は聞きもしていない。なお声を張り上げるそれの方に顔を向け、笑顔を作りながら、近藤の所作、振る舞いをいちいち観察した。

 なるほど、一見愚鈍なようにも見えるが、どっしりと構えたその姿は、なんとも言えぬ頼もしさがある。この場合、伊東はそれを重圧と捉えた。

 ひとしきりの挨拶が終わると、伊東によく分からぬ小柄な男とのみ捉えられた武田から、新撰組に加入する場合の条件、処遇を申し伝えてきた。やはり、高圧的な態度で、反吐を吹き掛けてやりたいような気持ちになったが、やはり穏やかに笑っているだけである。

 伊東は、新たに設けられた参謀という役職に就く。近藤の相談役といったところで、隊の序列でいうと二番手になる。更に、助勤という幹部職に、伊東の指名する者を就けるという。正式に加入が決まれば、それを踏まえ、隊を再編成すると言う。驚異的な好条件である。

 伊東は、感涙を堪え切れぬような顔で、頭を下げ、慎んで、お受けつかまつる。と言った。

 これで、伊東らの加入は、決まった。結局、道場の門人そのまま加入ということにはしなかった。万一、京でことが成らなかった際、江戸に戻れるように、彼が作ってきたは江戸に残したのである。その代わり、選りすぐりの精鋭七名(九名とも)と共に、京へ上ることを約束した。それを、人数だけ増やしても隊の迷惑になる。選りすぐりの者を決めてあるため、その者らのみの参加としたい。その代わり、彼らの全てを、何かしらの役職に就けてくれ。と要請し、あっさり近藤は受け入れた。伊東は、上手くやったものである。

 実際、最も伊東の加入を熱望したのは、近藤である。土方は、例のごとく、はじめは良い顔をしなかった。しかし、近藤はこのところ、会津や幕府の要人などと顔を合わせる機会も多く、自らの容儀を大きく見せるための腹心が欲しかった。これまでの付き合いで、武田が当てにならぬことは分かっている。土方は、俺には向かん、として、滅多に外付き合いをしない。頼みの綱の山南は、ずっと体調を崩している。

 そうなれば、眉目秀麗、学識も深く、「非常に、人物である」と人に評される伊東のような人材が必要になる。新撰組の活動のために必要であると、土方も最終的に同意した。

 だが、近藤は知らない。伊東が、新撰組に、近藤とは違う期待をかけていることを。恐らく、土方は伊東を見た瞬間、

「あいつは、狐だ」

 と断じるであろう。もしそうなれば、伊東の辿る運命は、近藤らを排除し、新撰組を我が物にするか、あるいは敗れ、その屍を京にさらすかの、二つに一つとなる。

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