旗と空と嫌われ者

 今回は、久二郎と彰介は登場はせぬことを予め断っておく。先日の騒ぎのことに、続いて触れておきたい。


 永倉らが近藤に物申すとして、結局分かり合った形になったので、近藤は安心して江戸へと向かった。朝廷と幕府の連絡役のような役割を持つ、武家伝奏という役職の要人を江戸まで護衛するよう要請があったのと、ついでに北辰一刀流、神道無念流などの大道場の集まる江戸での隊士募集のためである。あの事件以来、すっかり近藤との絆を取り戻した永倉も、是非にと言ってついて行った。他に、才気のある勘定方の尾形という者と、要人の護衛ならば容儀も必要だとして、ひときわ堂々とした口上が述べられ、人前でも物怖じしない神経の図太さをもった武田を土方が付けた。本来ならば山南が行くところであるが、やはり体が優れぬとして、断った。

 露払いとして、藤堂が先発している。なんでも、近藤の道場に入り浸るようになる前に通っていた道場の主を誘ってみるということであった。

 自然、土方、山南は、近藤不在の隊を任されることになった。だからといって、べつに普段からこの二人が実質上の運営をしているわけだから、何の不都合もない。


 ある隊士が、この間に腹を切った。先日の、永倉の一件に関わった、葛山かつらやまという隊士である。わりあい、古くからいる隊士ではあるが、特に剣が使えるわけでもなく、大した取り柄もないため、平隊士である。永倉が原田を勧誘しているとき、原田の隣にたまたまいたため、原田に絡まれ、巻き込まれるようにして参加する形で、意見書に署名をした。それを、咎められてのことである。

 その当日、話を聞いた山南が、血相を変えて土方の部屋に躍り込んできた。

「どうした、そんなに慌てて」

 土方は、句でも作るつもりであったのか、筆を持ち、帳面に向かっている。

「どうもこうも無い。葛山君のことだ」

 山南は細い眼で、立ったまま土方を見据えた。

「なぜだ」

「士道に叛いた、だ」

 土方は、また眼を紙に向けた。

「どういうことだ。彼が、何をした」

「近藤さんへの意見書に、署名したではないか」

「では、永倉君も原田君も斎藤君も、腹を切らせるのか」

「まさか」

 土方は、筆を置いた。

「まぁ、座れよ、山南さん」

 山南は、怒りを隠しきれぬ様子で、座った。

「まず、これは言っておく。副長の名において、葛山の切腹は申し付けた。これを今さら、もう一人の副長であるあんたが翻せば、隊は俺派、あんた派の二つに分かれるぜ。芹沢のときのような思いを、またしたくはないだろう」

 確かに、山南もまたこの時点では副長である。だが、実際の影響力は土方の方が圧倒的に上回っている。山南は、思想面での相談役程度にしかその職掌を持っていない。

「更に、近藤さんのいない時を狙った。これは、間違っても隊士の心が近藤さんから離れぬようにするためだ。あくまで、俺の独断で、行った」

「何故だ。そもそも、永倉君の一件は、落着したはずではないか」

 山南が畳を叩いた。永倉の一件は、近藤が詫び、永倉と和解をすることで、落着はしている。それを今さら蒸し返すことの方が、道理に合わない。

「永倉、原田、斎藤、島田とあそこに名を連ねた者は、心から新撰組のことを憂い、あのような挙に出た。だが、葛山はどうだ」

 土方の眼が、光った。

「それは」

「あいつだけが、自らの意思ではなく、流されて加わった」

 事後、ことの顛末に関しての聞き取りを行った。その際、葛山が、原田に強いられ、流されて参加したことが出た。原田にしてみれば、俺が無理矢理誘ったわけだから、葛山を責めないでやってほしいということが言いたかったわけであるが、土方は別のことを考えた。それが、今回の切腹の理由である。

「あいつは、自らの意思ではなく、流されてこのような大事に加わった。では、新撰組を裏切れと敵から強いられれば、流されて荷担すると考えられぬか」

「それは、穿ちすぎだ、土方君」

「あり得ぬことはないぜ。例えば、綾瀬なんぞは、誘われたその場で断りやがった。あの呆けた樋口でさえ、そうだ。たが、葛山はどうだ。ただ流された、という理由だけで、背反を許すことが出来るか」

「これは、背反ではない」

「永倉らに、まっとうな理由があったのは、認める。だが、葛山にはまっとうな理由はなかった。背反であろう」

 だんだん、土方も熱を帯びてきた。怒鳴りあうようにして、互いの意見をぶつけた。

「葛山は、ふらふらしてやがる奴らを引き締め、新撰組がより大きく、より外に向かって渡り合えるようになるための血贄になるのだ」

「貴様、隊士を何だと」

 山南が、土方の胸ぐらを掴んだ。その手を素早く振りほどき、土方は扇子を山南の眼の前でぴたりと止めた。

「ひとり流されれば、他の者も流される。そうして、崩れてゆくのだ。人の集まりというものは。あんたの好きな、いにしえの書物には書いていないか」

 確かに、書いてある。そして、道理である。

「誰もが、自らの意思で、新撰組たる誇りを持たなければ、明日にでも俺達は無頼の輩に逆戻りだ。お前は、近藤さんを、また根無し草に戻したいのか」

「そのようなことは、言っていない」

 山南の語気から、荒さと棘が消えてゆく。円座に戻り、肩を落とした。

「だからよう、山南さんよ」

 と土方は、江戸の貧乏な道場にいた頃の語り口に戻った。

「俺が、新撰組の全ての憎しみの的になるっつってンだよ」

「なんだと」

「隊士には、嫌われ役が要る。誰かに対して悪口あっこうを言い合っているとき、その者らは一つになるのだ」

「土方君」

「今回のように、近藤さんへの不満を募らせちゃならねぇ。それは、同意してくれるな」

「無論だ」

「近藤さんは、立派だよ。ああして、噛み付いてきやがった永倉達に、頭ァ下げたんだからな。だけど、今後、事あるごとにあんなことをしてちゃ、近藤さんは侮られるばかりだ」

 土方は、立て膝をついた。先程山南に向けた扇子で、自らの膝をぴしぴしと叩いている。

「だからよ、隊士の不満は俺のところに集まればいいんだ。人でなしの土方の眼と法度を怖れ、自らの行動を律し、近藤さんやあんたを慕う。それで、はじめて新撰組は一つになる」

「それでは、君がつまい」

 山南は、憐れむような眼で、この純粋すぎる実行者を見た。ぱちりと合った眼と、口の端が、不敵に歪んだ。

「あんたと一緒にすンじゃねぇよ。俺は、鬼の副長様だぜ。隊士に嫌われるのなんざ、慣れっこだ」

「そこまで言うなら、もはや何も言うまい」

 山南は、立ち上がった。

「覚えておいてくれ、土方君」

 土方は、眼だけでぎょろりと山南を追った。

「近藤さんは勿論、私も、君を嫌ってなどいないということを」

 ふん、と鼻を鳴らしながら、知っている。とだけ土方は言い、そっぽを向いた。

「だから、もっと早くに君が考えていることを話し、今回のことも決める前に打ち明けて欲しかった。それだけだ」

「それに、何の意味がある。あんたに打ち明けたところで、何も変わらん」

「全くだ。私には、何をすることも、何を決めることもできない。ただ君の行うことに、あれこれとくちばしを挟むだけだ」

 明らかな自嘲の響きがあるのを、土方は敏感に感じた。

「広くなったな。しかし、狭くもある」

 土方は、この朋輩に、何か言葉をかけようとした。その言葉を引っ張り出す前に、

「なに、戯れ言だ。気にするな」

 と悲しげな微笑を落として、山南は出ていった。


 葛山の切腹は、滞りなく作法通りに行われた。誰もが、法度の恐ろしさと、土方の一辺の隙もない運用方法に戦慄した。原田などは自分のせいだと大層悲しみ、怒っているようで、切腹が終わったのを見届け、土方を睨み付けていたが、土方は気にも止めない。眠ったようにぼんやりとした顔で、葛山の亡骸の後ろ、「誠」の字を染め抜いた旗がはためいているのと、その後ろにある空に浮かぶ雲が、ゆっくりとその形を変えてゆくのを見ていた。心中、何を思っているのかは、分からない。

 彼も人であるから、自らの命令で隊士に腹を切らせ、気持ちのいいはずがない。

 また、隊士のことによく目を配り、その心の動きまで観察する繊細さと優しさ、そして並々ならぬ感情の多さをもっていることは分かる。それゆえ、自己を統べ、御することが上手すぎて、筆者は時折悲しくなる。完全に自らの思考や行動を制御することができるがゆえに、自らが実行した葛山の死にも眉一つ動かすことはなく、平然と嫌われ者になった。純粋すぎる者にしかできぬことを、これからも彼は行い続けてゆくのだろう。

 ──他に誰もやれねェもんでな、俺がやっているまでさ。

 そう無機質に言う彼の背中が、見えるような気がする。

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