試す

 久二郎は、実行者である沖田、斎藤、永倉の三人と、この秋に入隊してさっそく諸士調役兼監察しょししらべやくけんかんさつという役目を与えられた山崎丞やまざきすすむの話を聞いていた。山崎はこの諜報機関のような部署での仕事にたいそう向いているらしく、何をどう調べたのか、瞬太郎の人相などは勿論、その生国や生まれた家のこと、更には馴染みの女のところに十日と空けず通っていることや、その女の店の店主の知り合いの店の菓子屋の饅頭が好物であることなどまで探っていた。

「何が皆さんの足しになるか、分かりませんので」

 と山崎は、至って特徴のない笑顔を向けてきた。なるほど、この人相では警戒されようもないから、あちこちで情報を探るのも容易いであろう。また、普段は、いるのかいないのか分からぬほど存在感もないから、尾行などにもうってつけである。そこが絶妙で、例えば色が白くひ弱そうで、暗くてぼそぼそとしか喋らないような男のことをよく、人は「存在感がない」と評するが、山崎はそのような型の男ではない。仮に、そのような男であれば、この監察方という仕事は務まるまい。色が白くひ弱そうで暗い男というのは、それだけで「存在感がない」という確固たるアイデンティティを世に打ち出してしまう。その点、山崎は至って明るく、会話の応答も機敏で、冗談も上手い。全ての動作や、声色までが、自然で、それゆえ存在感がないという珍しい型の男で、これに目をつけ監察方を任じた土方はさすがと言っていい。

「何より、皆さんが気になさるのは、剣やと思います。土方さんから、多少は聞かれたと思いますが」

 山崎は、大坂の鍼医の息子である。自然な上方の訛りも、人の中に溶け込み、様々な情報を探るのに適しているのだろう。

「はっきり言うて、かなり危ないです」

 土方も、そう言っていた。

「これまで、瀬尾の携わった天誅騒ぎや闇討ちなどを色々調べました。そのどれも、相手が抜き合わせていようがいまいが、最初の一刀で終わっています」

「最初の、一刀」

 斎藤の目が光った。沖田は、退屈そうに足を投げ出し、爪を見ている。

「そいつは、危ない」

 永倉が、頭を掻いた。

「なぜ、最初の一刀で仕止めるのが、危ないのです」

 久二郎が、永倉に訊いた。

「いいか、綾瀬。斬り合いってのはな、普通、怖いもんだ。だから、必ず向かい合って、小手調べをするもんだ」

 おおっぴらに打ち合う前に、ちょっと竹刀や刀を合わせ、出方を窺う。いきなり踏み込んでは、危険だからである。この動作が、現代でも使う「小手調べ」という語の源である、という説がある。ほかに、探り調べることを指す「手調べ」の頭に、「小耳に挟む」のように「小」を付けることで、「ちょっと調べる」というニュアンスを表現したものである、とする説などもあるが。

「それをせず、前から後ろから構わず、一刀でばっさりやるなんざ、なかなかできるもんじゃない。普通じゃねぇよ、そいつは」

 久二郎は、あの飄々とした、開けっ広げな男の顔を思い出した。どうしても、血に狂った人斬りのそれとは結び付かない。だが、それを口に出して言うことはできない。

「通りで起きた天誅斬りを、たまたま、二階の寝床から覗いとった商家の者がおりました。その者の話では、後ろからいきなりばたばたとえらい勢いで駆けてきて、相手が振り向いたときには抜刀し、相手が応じようとして刀を半分まで抜いたときには、強烈な振り落としで頭を割っていて、そのまま駆け去ったそうです」

「それほどの早業なら、何故それが瀬尾と分かったのだ」

 斎藤が、口を開いた。

「勿論、店の者は、それが誰かまで知りません。ですが、今の京にいる者で、そんな真似ができるのは、多分瀬尾だけやないでしょうか」

 久二郎は、今の天誅斬りの話を聞いて、頭の中で描く、夜の闇の中で凶刃を振るう男の姿が、瞬太郎になった。恐るべき剣技を持っているには持っているのだろうが、今、この場の誰もがそう思っているように、血に狂い、心が壊れた殺人者なのではない。

 ただ、瞬太郎は非常にせっかちで、面倒くさがりであった。だから、さっさと仕事を終わらせ、金をもらい、飲みに行こう、とでも思っていたのであろう。

 瞬太郎が土佐勤王党に飼われる人斬りとして京の街で暗躍する者で間違いないと久二郎は確信した。


 沖田なら、斬れるであろう。この心の透き通りすぎた達人は、その透き通り様がはなはだしく、人を殺めても、

「だってこの人、新撰組の敵でしょ?」

 と、けろりとしてなんとも思わぬであろう。

 永倉は、どうか。彼の動作は俊敏ではないが、並外れた膂力と、確かな狙いを持っており、一度撃ち込めば、例え防がれたとしても瞬太郎の刀をそのまま押しきり、首を飛ばすであろう。

 斎藤も、斬れる。何を考えているのかはよく分からぬが、竹刀ですら、剣の軌跡を久二郎はその眼に捉えることができない。瀬尾が駆け寄ってきたとき、斎藤もまた、何のためらいもなく抜き打ちに切り上げ、屠ることであろう。

 また余談であるが、上に出た「抜き打ち」とは、こんにちでもよく言う「抜き打ちテスト」などの「抜き打ち」である。納刀したままの姿勢から、腰を落とし体を開き、腰の回転と踏み足と送り足の勢いでもって鞘の中で刀を走らせ、相手を斬ることを言う。剣を抜き、構えない状態からいきなり斬ることから、現代語において準備などを与えず何かをさせる、あるいはさせられる意味に転じた。

 斎藤は、その抜き打ちが上手い。最も得意としているのは抜いたまま弧を描くようにして袈裟懸けに振り下ろす斬り方であった。それを久二郎は見たことはないが、京に上る前、江戸で人を殺したときも、そのようにして斬ったらしい。

 久二郎ならば、どうか。瞬太郎と向き合い、斬れるか。技には、自信はない。瞬太郎を瞬太郎と思って向き合う以上、必ず迷いが生じる。瞬太郎をただの敵として目の前にすることができるか。思えば、ここにいるのは、皆一様に人を斬ったことのある者ばかりであった。沖田がここにいるということは、恐らく芹沢を斬ったのは沖田なのであろう。

 たぶん、生まれた村で賊を斬ったことを踏まえるなら、久二郎がいちばん斬った人数が多い。だから、この面子の中に混じっているのであろう。

 ふと、久二郎は、別の思案に行き当たった。山崎が、瞬太郎の好物の饅頭のことまで探り当てているなら、自分と瞬太郎が知己であることも、探り当てているのではないか、と。

 土方は、それを承知で、あえて、久二郎に声をかけてきたのだろうか。

「試されて、いる?」

 つい、無意識に口に出た。

「何をです、綾瀬さん」

 今まで、ずっと黙って足の指の爪を眺めていた沖田の背中から、明るい顔が振り向いて、久二郎の眼を覗き込んできた。一瞬、何故かその沖田の笑顔が恐ろしいもののように思えたが、色には出さず、

「我らの腕が、今こそ試されるときだと思ったのです」

 と、当たり障りのない答えと、微笑をもって返した。

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