第7話 五日目 木曜日 ー三ー
もう一歩も動けないと悲鳴をあげる足をなんとか説得して動かしながら、ぼくとリオナは家へ帰ってきた。
途中、コンビニに寄って、食料と飲み物を大量に買い込んだ。もう料理をする元気なんて、完全に無くなっていた。
今夜はシャワーではなく、湯船につかりたい。それもできれば、温泉に。が、ぼくの部屋のユニットバスではそれは望めないか。
玄関の鍵を開け、靴を脱いで部屋に上がると同時に、リオナが入った鞄を置いて、床に寝転がった。
休息が必要だった。若さだけではなんともならないほど、疲れていた。
が、一息つこうと思っていたぼくの頭に声が響いた。
『レン君、すまないが、水を用意してもらいたい。これ以上水分が発散されてしまっては、私の体を維持する事が出来なくなる』テーブルの上に、らうるるるるあがちょこんと乗っていた。
「はい。分かりました」ぼくはなんとか起き上がり、キッチンへ向かった。
お椀にミネラルウォーターを汲み、テーブルの上へ置き、その中へらうるるるるあをそっと入れた。相変わらずプルプルしていて、おいしそうだった。
リオナも鞄の中から出してあげなくちゃと思っていたら、もう外に出て、テーブルの上に陣取っていた。短距離ジャンプをしたんだそうだ。こういう点では、便利だよね。短距離ジャンプも。
テーブルの前に座ろうと思ったけれど、座っているだけでもしんどかった。ぼくはその場で横になった。異星人二名様を前にした状況では、お行儀が悪かったけれど、ぼくの元気はリザーバータンクまで空になっていた。
「本当に大丈夫? 蓮?」リオナが優しく聞いてきてくれた。
「大丈夫だよ。疲れてるだけだから」アルバイトを休みにしておいて良かった。明日は満足に動けそうにない。
『ありがとう。レン君。改めて、お礼を言わせてもらう』らうるるるるあの優しい言葉は初めて聞いた気がした。
「気にしなくていいよ」半分は自分から積極的に参加した事だし。
リオナがテーブルの上から、ぼくを見下ろしていた。笑顔だった。可愛い笑顔だった。山崎さんは見せてくれなかった、ぼくだけに向けられた笑顔。彼女の笑顔を守れた。優しい笑顔を。これで満足しなくちゃ、罰が当たる。
ぼくは目をつむり、伸びをした。体中の間接がギシギシ音をたてた。
『マカトフの細胞を手に入れられたのは初めてだ。マカトフの情報がかなり得られるだろう。素晴らしい事だ』らうるるるるあの声が頭に響いた。『マカトフが使用していた宇宙船も同時に接収できた。科学分野でも、発展が見込まれる』なんだか嬉しくも、恥ずかしくなってきたな。
でも――。
「らうるるるるあ。マカトフは、本当に危険な存在だったのかな?」ぼくは聞いた。
『危険な存在? どういう事かね?』
「いや、だって、らうるるるるあはマカトフがこの宇宙において危険な存在だから、ぼくに捕まえるのを手伝ってくれって言ったじゃないか」
『マカトフを捕獲する事に協力依頼をしたのは確かだ。しかし、マカトフが宇宙において危険な存在などと言った覚えはない』
「え? らうるるるるあ達はマカトフを危険な存在だと思っていなかったの?」
『我々はマカトフをそのようには認識していないが?』
「マカトフを危険な存在だとは認識していない? 大量虐殺者だと言っておいて?」
『マカトフは大量虐殺者だ。それは事実だ。しかし、その事をもってして、マカトフが危険な存在だなどとは言った覚えは無い』
「あいつが地球人異能者の力を手に入れようとしているかもしれないとか言ったじゃないか! その危機を、君たちは阻止しようとしていたんだろう?」
『そんな事は全く考えていない。また、全く問題ではない。マカトフがどのような力を手に入れようと、我々には関係の無い事だ。我々にとって必要なのは、マカトフが手に入れた遺伝子構造の情報だけだからな』
マカトフがどんな力を手に入れようと、関係無いだって? もしかしたら、宇宙が、より大きな危機にさらされる可能性もあったのに? その危機より、遺伝子情報の方が大切って、どういう事なんだ?
「なぜ、トスク人がそんな遺伝子構造の情報を必要とするんだい?」
『我々の〝オーバーロード〟、又は、我々の〝ルーツ〟を探すためだ。マカトフが集めた遺伝子構造の中に、そのヒントがあれば、そこから我々のルーツ探しができるためだ』
自分達の、ルーツを探すため……。
『我々も自らルーツを追うための努力はしている。だが、マカトフの方が、より効率的に他生物の遺伝子を収集している。なので、マカトフの遺伝子情報を欲していたのだ』
「マカトフが、マカトフが、神様みたいな力を手に入れてしまったら、また、知的生命体の大量虐殺をしたかもしれないのに?」
『それは我々には関係の無い事だ。民族虐殺を防ぎたいのであれば、その星の住人が対抗するしかない。我々は宇宙の警察ではないのだから』
「マカトフが地球で異能者の遺伝子を取り込んで、その力で地球人の虐殺を始めたかもしれないのに?」
『それに対抗するのは、地球人自らが行うべきだ事だ。我々が救済する事でないと思わないかね?』
「地球人を見殺しにするのか? 君達は?」
『守らねばならない理由があれば、守る。例えば君のように、我々を補佐してくれり、協力関係にある人間の安全等はだ。それ以外の人間に関しては、我々には関係の無い事だ』
関係の無い事……。
トスク人には関係の無い事……。
民族の大量虐殺が起ころうが、トスク人達には関係の無い事。
……そうか。
そうか。
これが、マカトフの最後の言葉の意味か。
……ぼくは考え違いをしていたんだ。
九十五億もの知的生命体を殺した犯人を、罰するために捕まえる。
全人類を滅ぼすかもしれない、大量虐殺者が地球に現れたので、地球を守るため戦う。
……そんなつもりになっていた。宇宙の大悪人を捕まえる、スーパーヒーローになれと言われたような気になっていた。
誰も知らない宇宙の秘密を教えられ、地球を守るヒーローに選ばれたのかと思っていた。
自分が特別な人間に選ばれたのだと思っていた……。
でも、現実は違った。トスク人達はマカトフを捕まえるつもりも無ければ、罰する気も無かった。
自分達のルーツを探す、その目的のためにマカトフを利用している。マカトフの存在に有用性を感じて、利用しているだけ。元からマカトフを裁く事など考えてはいなかったんだ。
「マカトフは……。マカトフは、遺伝情報を収集するための、ただの道具……。トスク人にとっては、それだけの存在という事?」
『その通りだ。もっとも、我らに害をなそうというのであれば、全力で排除するが』
「事と次第においては、また大量殺戮をするかもしれなかったのに? 極悪人だったかもしれないのに?」
『リオナが君にどう伝えたかは知らないが、私はマカトフを悪だとは思っていない。これは、トスク人全員の総意と言ってもいい』
「マカトフが悪じゃない? どんな理由があるにせよ、九十五億もの人間を殺したマカトフが悪じゃないだって?」
『我々は殺人をそれほど大きな悪とはとらえていないからな。もちろん、好ましいとも思っていないが』
「殺人が大きな悪じゃないなんて事が、あるわけないだろう!? 最も大きな悪じゃないか!」
『君はなぜ、殺人が大きな罪だと思うのかね?』
「その人の存在を消してしまうんだから、当たり前じゃないか! この世界にたった一人しかいないその人が、いなくなってしまうんだから!」
『その考え方の差だな』
「なにが?」
『我々トスク人は、一人が全てであり、全てで一人なのだ。我々は個々の存在として動いてはいるが、全てのトスク人はほぼ同じ思考をしている、単一の存在だ。私、らうるるるるあが、今、この場で死んだとしても、我々トスク人の総体には何の影響も無い。私と全く同じ固体が、母星にはいくらでも存在するからだ』
「同じ個体が存在する……?」
『そうだ。我々には、そもそも個人という概念が存在しない。そのため、誰が死んで誰が生きようが関係はない。全体としてのトスク人が残っていればそれでいいのだ』
「だから、人殺しも悪ではないと……?」
『ああ』
「でも、地球人は違う! 人間はたった一人のオリジナルな存在だ! 代わりはいないし、死んでしまったら全ては終わりだ。殺人は悪だ!」
『本当にそうかね? 君が死んだとして、その代わりの存在は本当に無いと思うかね? 君の存在が無くなったとして、この星の世界に大きな影響があるのかね?』
「そ、それは……」
『恐らく、何も変わりはしないだろう。君の死に涙する者もいるだろうが、涙はすぐに乾く。一年もすればほとんどの人間の記憶から君の思い出も無くなる。かつて頬を伝った涙のように。君達や我々は知的生命体として大きな顔をしているが、所詮はその程度の存在でしかない』
「でも、殺人が悪ではないなんて、ぼくは受け入れない! 道徳的にも間違っている!」
『それは、君たちの道徳だろう? 地球人の道徳など、地球人が作った物ではないのかね? その道徳は、我々、異星の者には適用できないのではないのかね?』
「しゅ、宗教的にも殺人は悪行だと決まっているし……」
『宗教? 道徳の根幹をなす宗教こそ、人が作った物ではないのかね? 人間の弱い心が、死を恐れ、貧しさを恐れ、その中でも心の安息を得るために、人間が神を、宗教を作り、目の前の苦境から視線をそらし、現実の世界と戦う事を放棄して、逃げ出したのではないのかね?』
「そ、それは……」
悔しかった。
言い返せなかった。
理詰めで責められて、ぼくにはどうしようもなくなっていた。「でも、でも、やっぱりダメだ! その人が死んでしまったら、周りの人たちは悲しむ。もしかしたら、一生だ。代わりになる人間なんて、世界のどこにもいないんだ」
『典型的な、個体を尊重する種族の物の考え方だな。大局的に物を見るには、不向きな倫理観に支配されている』
「個体の尊重……」
らうるるるるあの冷たい声が、ただ頭に響いた。そして、ぼくの中、そのどこかに火がついた。〝怒り〟という名の火が。
どうしようもないほどの、熱い火が。
ぼくはらうるるるるあを見つめ、声を絞り出した。
「らうるるるるあ、たぶん……。君の言う事の中にも、正しさはあるんだろう……」
ぼくはここまで喋ると唾を飲み込み、そして言葉を続けた。
「でも! 納得はいかない!」ぼくは少し強い口調でらうるるるるあに言葉を投げつけた。
『なるほど。それは感情だな』
「そうだよ! 感情だよ! 悪いか!?」
『いや、多くの感情を持つ知的生命体は、理性より感情を優先させる事が多い。君が理性より感情を優先させるのは、君の個性だ。我々はその事を非難しようなどと思いはしない』
何も言い返せない。
口からは、何の言葉も出てこない。
返す言葉などどこにも無かった。
どこをどう探しても無かった。
ぼくの感情は納得するのを拒んでいたけれど。
ぼくの中の怒りは、まだ燃えていたけれど。
『私は知りたい。レン君、君にはマカトフが絶対悪に見えたのかね?』
「いや、それは……」
正直、ぼくには、マカトフが絶対悪などには見えなかった。
彼は彼なりの正義とけじめで、大量殺戮を行ったんだ。
そして、その罪も何もかもを受け入れて、苦しみながら今も生きている……。
決して正しい存在だとは言い切れないかもしれないけれど、絶対悪にも見えなかった。
「絶対悪には見えなかった……。でも、殺された人たちの事を思えば、あいつも褒められた存在ではない……。らうるるるるあの言う、個体の尊重ってやつがぼくには重要なんだ」
『個体の尊重か……。それがそれほど重要かね? 例えば.そこにいるリオナも、本体はトスク星にいる存在なのだがな。君が好意を抱いて、今、目にしているリオナは、ただのコピーだ』
!
リオナも、ただのコピー……。
ただのコピー……。
らうるるるるあの言葉が、ぼくの中で繰り返されていた。
沈黙だけが流れた。それが一時間だったのか十分だったのか、一分だったのかは分からない。
『マカトフの細胞を手に入れ、そして興味深い話も聞かせてもらえた。ありがとう、レン君。それではさようなら。何かの機会があれば、また会える日もくるかもしれない』らうるるるるあはそう言い残し、光となって消えた。
部屋の中に再び沈黙が流れた。ぼくはあぐらをかいて、うつむいていた。自分の中に生まれた多くの感情を、どう処理するべきか分からないでいた。
「……ごめんなさい、蓮。大丈夫?」優しい声で、リオナが聞いてきた。
「……ああ。大丈夫さ」ぼくはリオナを見ず、うつむいたまま答えた。
全然大丈夫なんかじゃなかった。
トスク人は正義の種族なんかじゃなかった。ただ、自分たちの利を求めている存在だった。
マカトフは強大な絶対悪なんかじゃなかった。ただの弱く、そして強い、ぼくらと同じような存在だった。
そして、リオナ……。
……。
ぼくは立ち上がり、洗面所へ行こうとした。ぼくの中の熱を、少しでも冷ましてやらなくては、やっていられなかった。怒りに後悔に脱力感。そんな熱を何とか冷ましたかった。
うつむいた視線の先、テーブルの上には、リオナがいた。ぼくを見上げていた。
「リオナ……。リオナの本体は母星にいる。ここにいるリオナはそのコピー……」
ぼくの言葉に、リオナが少し驚いた表情をした。
「え、ええ、でもタキオン通信機でつながっているから、私も母星のオリジナルも、全く同じ記憶を共有しているわ。だから、姿形も記憶も性格も、私と全く変わらないわよ」ぼくを見つめて、リオナが慌てて言った。
それで……。
それで。
(それで、魂もコピーできるのかい?)
ぼくはその言葉を飲み込んだ。
太陽が空を雲を建物をオレンジ色に染め出した。もう、すぐそこに夜がやってきていた。夕闇が、ぼくを包み込もうとしていた。ぼくの心の中に現れたような闇が。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます