第6話 五日目 木曜日 ー二ー
ぼくの下に地球が見えた。頭上は今まで見たことの無いような美しい星の海だった。
重力はある。ぼくが何かの上に両足で立っているのは確実だ。
……何が、……おきたんだ……?
パニックになりそうだった。
何もかもが分からなかった。
理性も思考も吹き飛びそうだった。
このままでは──。
気が……おかしくなる──。
正気を保つため、ぼくの精神がついに大声を張りあげそうになった。
が、その時、後ろから声が聞こえた。
低い、きれいな声だった。
「どうした?」
振り向くと、そこにはマカトフがいた。
「どうした? 驚いているのかね?」
恐怖と錯乱が同時に去来した。
「『どうした』だって!? それはこっちの聞くことだ! どうなっているんだ! なんで宇宙空間に!」ぼくは叫んでいた。
「言っただろう? 転送されては厄介なので付き合ってもらうと。なので、私の宇宙船に転送させてもらったんだ。光学式遮蔽をおこなっているので、宇宙空間に浮いている様に感じるかもしれないが」
「こ、呼吸ができるのも……」
「宇宙船の中だからさ」
マカトフは紳士的な、落ち着いた話し方だった。
でも、ぼくはただただ恐怖していた。
「なんのつもりだ! どうしてぼくを! どうしてこんな所に!」
「大丈夫か? 様子がおかしいぞ? 宇宙空間に出たのが初めてというわけではないだろう?」
「は、初めてに決まってるだろう!」
「ほう……。タキオン技術を持っているのに、宇宙空間に出た事は無いのか」マカトフが少し驚いたように言った。
ぼくはマカトフから視線を離せないでいた。〝これから何をされるのか?〟その恐怖が全身を貫いていた。
「敵意むき出しの瞳だな。そんなに私が怖いかね?」
「あ、あたりまえだ。殺戮者め」
「殺戮者……そうだな、君にとって私は、そういう認識の存在だったな」マカトフが視線をそらせた。
「ぼくをどうするつもりだ? なんでお前の宇宙船になんか連れて来たんだ? 殺すならあの場所でもできただろう!」
「殺害するつもりなど無いと言ったはずだが」
確かに、そうは言っていた……。でも……。でも!
「いきなりナイフを投げて、ぼくを殺そうとしたじゃないか!」
「いや、殺害する気などは無かった。すまない。ある確認のため、君を命の危機的状況に追い込む必要があったんだ」
「危機的状況? なんのために……?」
「君が地球人か宇宙人かを確かめるためだ」
「ぼくが宇宙人だって?」
「君からはタキオン粒子の反応が出ていたからな」
リオナの……通信機の反応か……。
「ぼくが宇宙人だったらどうするつもりだったんだ? やっぱりあそこで殺したのか?」
「宇宙人だったならば、メンタルボルトでしばらく動けなくして、逃げただけさ」
これが……。これが、大量殺戮者のセリフか? ぼくをだまそうとしているのか? いや、ここまできてぼくをだます事に何のメリットがある? ……信じて……いいのか?
ぼくはマカトフが何を考えているのかを全く推し量る事もできず、黙っていた。するとマカトフが話を続けた。
「確かめさせてもらった結果、どうやら君は正真正銘の地球人のようだ」マカトフは微笑んだ。「だから、私の宇宙船へと来てもらったんだ」
何回目だろう。ぼくはまた、マカトフに同じ質問をした。
「ぼくが地球人だからって、どうして宇宙船に連れてきたん……だ?」ぼくは少しだけ落ち着きを取り戻していた。
「話をしたかった。ただそれだけだ。あの場所ではまた邪魔が入りそうだったのでね」
気のせいか、マカトフの瞳が優しく見えた。
「は、話? ぼくと?」
「そうだ」
「本当にそれだけなのか?」
「もちろんだ」
「なぜ、ぼくと話なんか……?」
「実のところ、誰でもよかったんだ。地球人と意思の疎通を交わせられればね」
「なら、なおさら、なんでぼくなんかを……。どこかの国の首脳や国連の職員とでもした方が良かっただろう?」
「いや、地球に来て、地球人を観測した結果、まだ地球人は宇宙人と接触するには早過ぎると私は思った。地球人はまだ種として幼すぎるんだ」
「幼い……」
「残念だったよ。せっかくここまで来たのに、ただ見守って去るしかできないと感じた時はね。しかし、思わぬチャンスが巡ってきた。私の後を付けまわる者達の中に、君が現れた。そして君は普通の地球人とは違った。だから話をしたかったんだ」
「ぼくが違う?」
「先程も言ったが、君からはタキオン反応があったからな」
「それは……」リオナの……。
「私は考えた。この地球でタキオンの技術を持っているのなら、宇宙人かまたは宇宙人と接触をもっている地球人だ。宇宙人とコンタクトを取ってる地球人ならば、話し合う事も可能だと。私と接触したことを大々的にマスコミに流し、売名を行う事も無いだろうと」
「ぼくを危機的状況に追い込んだのは……」
「取り敢えず接触を持っても大丈夫な人物か、追われている事に気がついていないフリをして様子を伺っていた。しばらく街中を歩いてタキオンの軌跡を追ってみたが、実際に見れば君は普通の地球人にしか見えなかった。しかし、タキオン通信の反応は確かにあった。君が地球人によく化けた宇宙人なのか、それとも宇宙人に協力している地球人なのか。どちらなのかを確認する必要があったんだ」
「それが攻撃してきた理由にはならないだろう」
「まだ話の途中だ。だから。君が地球人なのか、宇宙人なのかを確認するために、少し身の危険を感じてもらう必要があったんだ。生命が危機的状況へ追い込まれれば、宇宙人ならば地球人の偽装を解いて、宇宙人である本体を現すだろうからな。刃物はそもそも、当てるつもりなど無かった。最初から殺害する目的ならば、メンタルボルトで脳をフライにする事もできるからな」
脳をフライに……。そんなに強いテレパシー能力を持っているのか……。らうるるるるあのメンタルボルトとは桁外れの強さじゃないか……。
やっぱり、こいつは化け物だ。
今更ながら、ぼくの心を恐怖が襲った。
「それで、ぼくを攻撃したのか」
「おかげで君が地球人だという事が分かった。よく見てみれば、タキオン信号は鞄の中から出ていたしな。そうだ。これももう壊しておこう。わざわざ付けておく必要も無くなったしな」
マカトフは膝のあたりに手をやり、指先で何かを潰した。恐らく、カズナレルが取り付けたタキオン信号の発信機だ。
情けない……・
ぼくは完全に踊らされていた。
全部マカトフの掌の上じゃないか……。
「やっぱり、ぼくが後をつけていたのも何もかも、分かっていたのか……」
「まあな。私も長い間、非常に多くの星々を巡って来た身だ。注意力はかなり高くなっている。もっとも、転送の連続は、思っていた以上にキツかったがね」
マカトフはそう言うと、声を出して笑った。そして真面目な表情に戻ると「君が私を攻撃したのは、『大量殺戮者を倒す』という正義感からか? それとも、鞄の中の人物のためか?」と、聞いてきた。
「あの段階では……。鞄の中の人のためだったよ」
「そうか。大切な人なんだな。命をかけて私に挑むくらいに」
「うん……」
「その宇宙人が羨ましいよ。異星人同士でそこまで心通わせているだなんて。特に、地球人はまだまだエイリアンと友好関係を結ぶのが難しそうなのに」
マカトフは自分の額に手をやり、少し考え始めた。
「しかし、おかしいな。脳波は確かに二つあった。二つとも地球人の物だった。だが、いたのは君だけだ……。鞄の中の人物も脳波だけは地球人だったが、いったい……?」
リオナはそもそもが地球人だから……。この事をマカトフに伝えようかぼくは迷った。
「まあいいさ。さぁ、一通りは答えたつもりだが? まだ何か私に聞きたい事はあるかい? 一つ一つ物事を知る。そうすれば今より少しは分かり合えるだろう。それとも殺戮者などとは話す口を持っていないかい?」
聞きたい事……聞きたいことなら、もちろんある。
「どうして、お前は大量殺戮なんかをしたんだ?」
今までの会話と、〝大量殺戮者〟という言葉がぼくの中ではどうしてもリンクしなかった。
マカトフは少しだけ間を空け、寂しそうな表情をした。少なくとも、ぼくにはそう見えた。
「確かに私は、同胞を皆殺しにした。大量虐殺者だ……」
マカトフは、さらに間を空けた。
「君は、私の事。私達マカトフ人について、どこまで知っている?」
「マカトフ人は知的性質については劣っていた事……。遺伝子を選択的に取り入れる事ができる事……。星に住んでいた他の二種族から、マカトフ人が宗教的禁忌の存在とされていた……。そのくらいだ」
「そうか」マカトフは薄く笑った。「充分すぎるほどよく知っているな」
マカトフは眼下に広がる地球を見た。
「私はマカトフ。マカトフ人の一人だ。私達マカトフ人は弱い種族だったが、特殊な力を持っていたために恐れられていた。そのために他の二種族、グラダ人とウォフト人からむごい扱いを受けることなく、幸福にすごしていた。幸福にね……」
マカトフが顔を上げ、ぼくを見た。その表情はまた寂しそうなものに戻っていた。
「私が生まれるまではな」
「お前が生まれるまで……?」
「そうだ。私が生まれるまでだ。私は他のマカトフ人と違い、知恵を持って生まれてしまった。そして、知恵を持って生まれた事で得意になり『マカトフ人の謎を解く』という、最大の過ちを犯してしまったんだ……」
マカトフは目を閉じ、苦しげに続きを話した。
「私が悪かったんだ。自分の中に流れるマカトフ人の血、その謎を解いてしまったため、マカトフ人は他の二種族から禁忌の存在ではなくなってしまった!」
マカトフが強くこぶしを握った。
「グラダ人とウォフト人は、マカトフ人のその奇跡の力、選択的遺伝子獲得能力を我が物にしようと、マカトフ人の研究を始めた。何十万、何千万というマカトフ人が捕らえられ、実験動物のように……。いや、それ以下か……。まるで、ゴミのように扱われ、殺戮されていったんだ」
マカトフの目から、涙がこぼれた。それが、地球人と同じ涙なのかは分からなかったけれど。
「私がマカトフ人の謎を解明してしまったために! 私がそんな愚かな行為をしてしまったがために! ……私には、グラダ人とウォフト人の実験と称した殺戮を止める力が無かった。しかし、同胞のあのような扱いを黙って見ている事もできなかった。だから……。私は……」
「私は……?」
「私は……。グラダ人の宇宙船を奪取し、母星に反物質爆弾を打ち込んだんだ」
反物質を……。
量にもよるだろうけれど、それなら惑星を一つ破壊するくらいできるだろうな……。
「仲間のむごい仕打ちを救うため、それが、九十五億人を殺した理由……。か……? 仲間の尊厳を守るために、全てを破壊したのか……?」
「そうだ。母星には、まだ私の両親も、兄弟も、友も、愛する人もいたのだがな……」
後悔している……。マカトフは後悔している……。血も涙もない、大量虐殺者だと思っていたのに。
マカトフは中空に手をかかげ、何かを操作した。すると、眼下に広がっていた地球の像が消え、見たこともない星が現れた。
地球より遥かに大きい海洋。その海は地球のように深い青色の部分もあったけれど、大半はエメラルドグリーンに塗られていた。
「これは……」
「私が産まれ、育ち、そして破壊した星だ」
「これが一世代前の地球……」
「そうだ。まだ岩石を作る物質が少ないため、液体の海が星のほとんどを占めている」
「海が青くないのは?」
「光合成を行う葉緑素を持った生命が、海のほとんどを収めているためだ。地球の森林のような物だと思ってもらっていい」
「綺麗な……。星だな……」
地球と比べても見劣りのしない、美しい星だった。
「そうだろう? 私の故郷だからな……。本当は助けたかった、皆を助けたかった。宇宙船を奪い皆を乗せ、この星から逃げようと思ったんだ。だが、だが……」
「どうしたんだい?」
「皆は分かってくれなかった。自分たちが実験材料にされているとは考えられなかったんだ。あまりにも長い間、命の危機を知らずに過ごしてきたからな。戦争にも関係なく、テロも関係なく、殺人事件さえ無かった種族だからな。マカトフ人は。平和しか知らなかったんだよ」
「お前の身内も信じなかったのか?」
「ああ。せめて愛する人だけでも連れて行きたかったのだが……。彼女は彼女で、家族と別れることを嫌がってな。説得している間に、脱出計画を知られてしまい……。私一人だけが宇宙船に乗り込んだんだ。爆弾を撃ちこむ時、顔が浮かんだよ。愛しい笑顔が。それでも……。それでもやらなければならなかった。頭に電極を埋め込まれ、使い捨ての機械のように扱われるくらいなら、せめて〝この手で〟と思ったんだ。星が対消滅反応で消えていく中、贖罪の思いが心を覆ったよ。全ては……。全ては私の責任だったのに、私だけが生き残ってしまったのだからな。そして……。ろくな罪滅ぼしもできないまま、宇宙をさまよっているんだ。百億年もな」
マカトフはまた中空で何かを操作した。
眼下には再び地球が広がった。
これが……。
これが大量殺戮の理由か……。
仲間の、同胞の尊厳を守るため……。
こいつは……。
本当に、こいつは悪なのか?
他の種族から仲間を守るために……。
そこに、正義や悪は有ったんだろうか……?
そしてこいつの旅。
苦しみと悲しみと贖罪の百億年……。
よく心が折れずにいられるものだ……。
ぼくには……。
ぼくには、こいつの言葉が大量虐殺者のものとは思えなくなってきていた。こいつはまるで、自分の罪を償って、その身を苦境に落としているようだ。
「自分の犯した罪をかかえて、百億年も生きてきたのか?」
「そうだ。私の罪は私だけの物だ。たとえそれがどれだけ辛い事であろうとも、自分の意思で決定し、実行した結果ならば、それを全て受け入れて生きなければならない。私は全てを受け入れ、そして自分を否定する事をやめて、今まで生きてきた。自殺はただの逃げでしかないからな」
「逃げ……。か……」
「自分の人生なんだ。〝運命〟という言葉をスケープゴートにしてはいけない」
何も……。言えなかった。
らうるるるるあが言うような、悪人なのか? マカトフは?
ぼくはマカトフと見つめあい、動けずにいた。恐怖からでも、猜疑心からでもなく、ぼくの思考がぼくを動けなくしていた
マカトフは後悔している……。
殺戮者であることの罪の償いをしたいと思っている。
なら、ならどうして……。
「どうして……お前は地球へ来たんだ……? 地球人を虐殺するためじゃないのか?」
マカトフはまだ涙を流していたが、その口には微笑みが浮かんだ。
「虐殺? まさか。この星は……。この星は、私の同胞、私の母星の塵とエネルギーから生まれた星だ。星だけではない。君達も。この星に生きる全ての生物が私の母星、その太陽系の塵とエネルギーから生まれた存在だ」
「……」
「いわば、私達の子孫と言える存在だ……。その子孫が、どんな進化をして、どんな文化を発展させているのか、知りたくなっただけだ。私のような間違いを犯していないだろうかと、心配になってな……」
マカトフは涙を拭いた。
「それと……。故郷を見たくなったんだ……。君達には迷惑な話かもしれないが、私の母星から生まれたこの星は、私にとって新しい故郷だからな」
マカトフの瞳に、優しさと辛さが写った気がした。
故郷……。
そうか。
リオナとはまた違うけれど、地球はこいつにとって故郷なのか。その故郷に新しい生物が生まれた。だからそれを確認するために……。
「美しい星だな。この星は」
「うん……」
「不思議な感覚だ。この星は私の故郷。私の子孫。そして……。愛しい人たちの墓標か……」
マカトフはそのまましばらく地球を眺めていたが、不意にぼくへ視線を動かした。
「君は……。鞄の中にいた人物を好きなのか?」
「な、何を突然」
「どうなんだ?」
「す、好きだよ……」
マカトフは笑顔を浮かべ「どうした? はっきりしないな? 照れているのか?」と聞いた。
「それもあるけれど……。それ以上に……」
「それ以上に?」
「彼女は宇宙人だ。本当に好きになってしまっていいのか……」ぼくはいったい、何を言っているんだ? ついさっきまで命の取り合いをしていた相手に。
……きっと、きっと、マカトフが本当の心を吐露してくれたから。本当の言葉を話してくれたからなんだろう。
「それで? 君はその程度の事で、諦められるのかい? 自分に嘘をつけるのかい?」
「う……。分からない……。でもその壁は本当にあるんだ」
「君は大量虐殺者の私とでもこのように壁を破って話をしてくれたじゃないか」
「それとこれとは違う……」
「同じさ。大切なのは君の気持ちだ。本当の思いを持っているなら、その程度の事は気にしなくていい。自分の中の本当の事はちゃんと見えているんだろう?」
「うん……」
「なら、そんなくだらない事は気にしないことだ。百億年も生きて数多の星を訪れ、多くの文化・文明に触れたが、愛している人に『愛している』と伝える事が悪だった種族はない」
「……本当に?」
「本当さ」
「そうか……」
マカトフの言葉には、何かとても大きな説得力があった。
そしてぼくは少し、救われたような気がした。
「さて。その大切な人をいつまでも心配させたまま待たせてはいけないな。地球へ送ろう」
と、マカトフが言って右手を差し出した。
ぼくはその手を取って
「ぼくの方が助けてもらってしまったね」と言った。
「いや、私の昔話を聞いてくれただけで充分だ。嬉しいよ。同胞はもういないが……。新しい星に、ここまで異星人と心通わせられる優しい心を持った子孫がいてくれると分かったしね」
マカトフがそう言い終わるかどうかの瞬間に、ぼくの両足は大地を踏みしめていた。頭上には、肌を焼く太陽が輝いていた。
マカトフと握手をした格好で、あの路地に立っていた。
「マカトフ……。もっと違う形で出会っていられたら……」
「違う形なら出会えていなかったさ」マカトフは笑った。
すると、突然、マカトフが膝を付いた。その顔は苦悶に満ちていた。
何だ?
何がおこった?
見ると、マカトフの左肩にらうるるるるあが乗っていた。そのらうるるるるあを、マカトフが払いのけ、らうるるるるあは地面に落ちた。
『まさか、神経阻害剤を打ち込んで、まだ動けるとは』らうるるるるあの声が、脳に響いた。
「そうか。このタキオンの技術……。トスク人の物だったのか。しかし、せっかく開発した薬は、あまり役にたたなかったようだな」
『なぜ効かない? 我々が集めたデータに間違いは無かったはずだ』
「一番最後にお前たちと遭遇してから、もう七十年は経っている。それだけの時間があれば、私も己を進化させているさ」
『なるほどな。しかし、こんなチャンスはもう巡ってくる事はない。お前を殺してでも、データ収集はさせてもらう』
マカトフはゆっくり立ち上がった。しかしその顔は、まだ苦痛に歪んでいた。
「私のデータか……。欲しければ、持っていくがいい」
マカトフはそう言うと、額の部分にあった布――マカトフにとっては、おそらく皮膚だ――を、剥ぎ取り、らうるるるるあに投げつけた。
そしてぼくの方へ向き
「もう少し君と話をしたかったが、ここまでのようだ」と言った。
『お前の宇宙船は我々が拿捕した。帰る事はできんぞ』
「タキオン技術がトスク人の物だと分かれば、その技術を使わせてもらうだけだ」
マカトフがそう言い、ぼくの目を見て
「子孫であり、友である君に忠告する。トスク人とはあまり深く関わらない事だ。悲しみが増える結果になるぞ」と言った。
そしてその途端、光につつまれその姿は消えた。
ろくに別れの挨拶もできないまま、消えてしまった。
「らうるるるるあ、マカトフは? いったい、何がどうなったの?」
『奴は……。我々が地球の周回軌道に乗せている、タキオン転送機を乗っ取って自分を転送し、逃げ去った。どこかの宇宙空間に向かって』
「どこかの宇宙空間?」
『我々の転送機はネットワークを張っているからな。どのルートを使ったかは分からないが、他に用意してあった宇宙船かどこかの惑星に星間ジャンプしたんだろう』
「そうか……」
別れは、突然過ぎた……。
マカトフ……。
もう少しだけ話をしたかった。
君の苦しみを和らげてあげられるなら、そうしたかった。
そして……。
最後の言葉の意味を教えて欲しい……。
らうるるるるあは、後で君の家に行くと言い残して、マカトフの皮膚と共に消えてしまった。ぼくは鞄を拾い上げ、それを開けた。中では目を真っ赤にしたリオナが、涙を流しながら笑顔を作ってくれた。
「大丈夫? 大丈夫?」
と、何度も聞かれた。大丈夫。打ち身とすり傷くらいだから。でも、明日は体が動きそうにないから、毎食は作ってあげられそうにない。だから、ポテトチップスで我慢してくれる? と、聞いたら、また笑顔を作ってくれた。
ぼくはまだかなり疲労の残った体を引きずりながら、できるだけ足早にその場から離れた。
車のオーナーさん、ごめんなさい。今月は本当にピンチなので、とてもフロントガラスを弁償できるお金が無いんです。違法に路上駐車していた自分が悪かったと思って、あきらめて下さい。
……もう、神様も許してくれないだろうなぁ。
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