第5話 五日目 木曜日 ―一―

 ぼくはかなり早起きをして、リオナを起こさないようにベッドから抜け出て、キッチンへ立った。

 河原では露店も無いので、しっかりとお弁当を作っていこうと思ったからだ。

 ぼくの分だけならコンビニでおにぎりでも買えば良いのだけれど、リオナの分を考えるとコンビニも無力だ。それに、彼女は食事の回数も多い。一回あたりの食事量は少ないけれど、せっかくだから毎食違った物を食べてもらいたい。

 うーん、完全にハイキングにでも行くような気分になってきた。

 一粒のご飯を六個に切り分け、それをいくつも作り、指の先だけでかるく握り、ミニスケールおにぎりを八個作った。もう、職人芸の域に達しつつある。さすがに中身は無しのただの塩むすびだけれど、そこは我慢してもらおう。こんなピンセットが欲しくなるような作業を続け、ミニパスタとミニサンドイッチも仕上げた。おかずも何品か作り、まずまずの出来だった。ただし、ミニオムレツはただのスクランブルエッグになってしまったけれど。まぁ、これはこういうものだとして、納得してもらおう。

 リオナの分を完成させて、ぼくの分を作っていたら、リオナが電子レンジの上に現れた。

「蓮、おはよう~」パジャマのまま、寝ぼけ眼で、髪も寝癖だらけだ。こういう無防備なところを見せられると、弱いなぁ。

「おはよう」

「何してるの? あ、お料理してるのは見て分かるよ」

「今日のお弁当を作ってます」

「今日のお弁当?」

「河原に行ったら、一緒に食べようと思って」

 リオナの両目が、パチリと開いた。

「本当ー! それで、私が起きる前から作ってくれてたの?」

「はい」

「蓮、ありがとうー!」

 リオナはそう言うとぼくの肩にジャンプし、頭にしがみついた。きっと、彼女的には抱きついたつもりなんだろう。



 時間をかけてぼくが料理を作り終え、朝食とお弁当を持ってテーブルに行くと、リオナが鏡に姿を写して、おしゃれチェックをしていた。

 上は鎖骨が覗くくらい大きく切れ込みが入ったVネックの、ホワイト&ブルーのボーダーシャツ。下はすそがフリルのボアなホワイトショートパンツ。ガーリーなすそから伸びる脚はどこまでも白く、長かった。ぱっと見た感じは、マリンルックのような印象だ

 髪はショートカットの中央をワックスで大きく三つ編みのようにまとめて後ろへ流し、サイドをその上にかかるよう流していた。露わになった耳と首筋が色っぽかったけれど、健康的な感じの方が強い。

 完全にアウトドア用の戦闘体制だ。河原へ行くのを、楽しみにしてくれていたのかな?

 あと、気になったのが――。

「あ、蓮。ヘアワックス少し借りたよ~」

「うん。それはいいけど、リオナ、なんとなく唇や目元が……」

「え! あ、う、うん。蓮が日曜日に買ってきてくれた物の中に、お化粧セットみたいなのがあってね。で、でね、気になって調べてみたら、人体に悪い影響を与えるような物も入ってなさそうだったから、アイラインとルージュだけ、ちょ、ちょっと……」リオナの顔が、お化粧以上に赤くなった。「ど、どうかな? ちゃんとした道具じゃないわりには、よくできたかな? って、自分では思ってるんだけれど……。変じゃないかな?」

「全然変じゃないよ。すっごく似合ってて、すっごく可愛いよ」

「え、いや、その……。そんなに褒められると、かえって恥ずかしいかなぁ」

 真っ赤なリオナはうつむいて、そのまま黙ってしまった。



 ゆっくりと、なるべく揺れないように気をつけながら自転車で三十分ほどかけ、河原まで行った。天気は上々。今日もかなり暑くなりそうだった。土手に面した車道に自転車を止め、鍵をして土手を登った。土手の上から河原を見下ろすと、川幅はかなり細くなり、普段川底であるはずの砂地が広がっていた。ここ数週間、あまり雨が降っていないせいだろう。それでも水量は川と呼ぶのに充分な量を保ち、砂地に下りて水飛沫を上げて遊んでいる人達や、その人達を恨めしそうに見ている釣り人が何人かいた。ぼくは土手を降り、比較的背の低い雑草がカーペットのように生えている場所で腰を下ろした。周りには全く人はいなかった。まだ午前中、普通に遊びに来た人達はアグレッシブに行動している時間だ。人目を気にする必要が無いのはありがたい。ぼくはワイヤレスヘッドセットを外し、鞄を開けた。

「大丈夫だった? リオナ?」

「うん。ちょっと揺れたけれど、我慢できた」

 リオナは鞄から頭を出し、ゆっくりと首を巡らし、景色に見入った。

 ぼくは鞄から水筒を二つ取り出し、コーヒーを入れてきた方からカップへ一杯注いだ。

「リオナも飲む?」

「うん。麦茶の方をちょうだい」

 ぼくは麦茶の入った水筒から、普段リオナが使っているカップへ、慎重に注いだ。

 二人して、カップを手に流れる水が作り出す模様と境界の向こうの青空、そして楽しそうにしている人達を眺めていた。日差しは強く暑かった。帽子をしてこなかった事を少し後悔した。セミが奏でる大音響は、リオナとの少しくらいの会話なら他人の耳に入る前に消してくれそうだ。川から流れてくる風は湿り気を帯び、程よい涼をもたらしてくれた。

 この川も下流へ行くほど都会の汚れを内包して、河原で遊ぼうなどとは考えられない汚れた物になってしまう。けれど比較的田舎の、比較的上流のこの辺りなら、まだまだ美しい姿をしている。

 もちろん、ここも完全な自然とは言えない。コンクリートで固められた部分もあれば、土手道も舗装されている。でも、昨日の公園に比べれば、かなり自然の姿を保っている。緑も人の手で植えた物より、勝手に生えてきた物の方が圧倒的に多い。なにより、川の流れは噴水とは大違いだ。この、本物に少しでも近い自然の姿を、リオナに見せたかった。

 川の水は太陽の光を眩しく反射していた。ぼくはコーヒーを飲み終わり、リオナを見た。リオナはカップを胸のあたりで両手で持ち、川の流れを眺めていた。リオナのカップも空になっていた。

「リオナ、おかわりは?」

「うん。ありがとう」リオナはそう言うと、カップをぼくに渡した。こぼれないように慎重に麦茶を注ぐ。

「どうかな? 昨日よりも、ずっと本来の自然に近いけど」

「うん。綺麗ね。とっても」リオナは川の方を見たままそう言った。「同じような環境の星にも行った事があるけれど……」

 リオナの言葉が詰まった。

「どうしたの?」

 リオナがぼくを見上げた。

「やっぱり違うね。とてもほっとする」

「故郷だものね」ぼくはカップをリオナに渡した。

 リオナは一口飲むとまたカップを胸のあたりに両手で持ち、川の方へ向きを変えた。そして一言、

「こうして、隣にいてくれる人のせいもあるかな」と、言った。


 周りの人達に気取られぬように注意しながら鞄共々リオナを川べりに連れて行き、その足で、その手で、流水を楽しんでもらった。

 リオナは今まで鞄の中に閉じこもっていた反動か、いきなりのマックスハイテンション状態で奇声を上げ、水飛沫を上げまくり、ぼくをずぶ濡れにした。ぼくも仕返ししたかったけれど、なんと言ってもリオナの大きさでは水流に持っていかれそうになる事が多々あり、救助隊役に専念するのでいっぱいいっぱいだった。

 しかし、この画、知らない人が見たら、若い男が一人で河原で水遊び……。かなり怪しいというか、寂しい人間に見えるのだろうなぁ。まぁ、リオナに楽しんでもらえれば、それで充分だからいいけれど。

 やっとの事、リオナは水から上がった。

「あ~あ、お化粧が全部落ちちゃった」

「元々おもちゃだし、あれだけ水の中で暴れれば落ちちゃうよ」

 リオナは自分の姿を見回し──。「かなり服が──」

「透けてるね」実は、結構、見ていてドキドキしていた。

 リオナは困った風も無く「仕方ないよね。今回はサービスにしておいてあげる」と、言った。

 はい。ありがとうございます。


 お昼になり、お弁当を食べる時には、少しの緊張を強いられた。せっかくのこんな景観。こんなシチュエーション。鞄の中でお弁当というのも可哀想というか興ざめだと思ったので、タオルを雑草の上に広げ、リオナにも外でお弁当を食べてもらう事にした。

 危険と言うか、他の人に見られたら完全にアウトな状況。絶対にリオナの姿を他の人から隠す! そんな強い覚悟を決めた。

 パラソルを広げてバーベキューの準備をしている学生風の人達は、自分達の作業に集中している事と、距離がかなり離れているので、とりあえず問題なさそう。

 お子様達は、自分達の家へ戻って昼食らしく、姿を消していた。

 と、なれば、問題は釣り人のみ。三人グループで釣りに来ているらしいおじさん達は、竿をたたみ、お弁当を広げ始めていた。おじさん達のいる場所から、ぼくのいる場所までに遮蔽物は無し。リオナが川を見づらくなってしまうけれど、ぼくの体でリオナを隠そうと座る位置を変えた。

 ぼくの右手には川。正面にリオナ。背後からかなり離れたところにおじさん三人組。その対岸のもっと向こうに、パラソルバーベキュー組というポジショニング。

 おじさん三人組もパラソルバーベキュー組の動向もぼくからは見えないので、ビクビクしながらお弁当を食べていた。

 三十分ほどもした頃だろうか、

「蓮。もう、隠さなくても大丈夫みたいよ」と、リオナが言った。

 ぼくは注意しながら後ろを振り返った。すると、そこには──。

 酒。酒。酒。酒の山。

 おじさん三人組の周りにはビールの空き缶の山。軽く見積もっても八リットル分はある。そして、おじさん三人組は遥かなる眠りの世界に誘われていた。

 その向こう、パラソルバーベキュー組も、ワインをラッパ飲みで浴びていた。もう、エチルでもメチルでも、アルコールならなんでもかかって来い! 俺はいつ何時、どんな酒でも受ける! という風情だ。

 ぼくは思わず苦笑して、川を正面に座りなおした。

「〝河原ではつぶれるまでお酒を飲む〟っていうのは、日本のしきたりや伝統じゃないから、勘違いしないでね」ぼくはリオナに言った。


 お昼過ぎ、お弁当を食べた後も水遊びをしたり、景色を眺めていた。しかし、やはり夏の日差しにぼくが負けてしまいそうになり、とりあえず一旦喫茶店にでも逃げ込む事にした。夕日で赤く染まった河原を帰りに見る約束をして。

 自転車の鍵を外し、そのまま土手横の車道を自転車を押しなが進む。まずはお店探し。どう見てもスターバックスは無さそうな普通の家並みだけれど、個人経営の半分趣味でやっているような喫茶店ならありそうな雰囲気だ。十分ほどそうしてお店がないか、辺りを伺いながら道を進んだ。歩いた事で汗が出てきた。もう少しリサーチしておくべきだったと、少し後悔をし始めた。

 その時。

「蓮!」リオナが大声で叫んだ。大音量で耳に痛みが走った。

「何? リオナ、いきなり叫ばないでよ」

「蓮、マカトフが近くにいるわ」

 え!

 マカトフ?

 マカトフが!

 しまった。リオナに地球の自然を満喫してもらいたいという思いで頭がいっぱいになっていて、マカトフの事を忘れていた。

 ぼくは歩を止めて、辺りを注意深く見た。相手は二百メートル以内にいる。土手の向こうの川の方か? どこかの家の中か? 道路には人影は無かった。

「どんどん、近づいて来てるわ」

 ここで辺りを見回すような事は出来ない。向こうからは、こっちが見えているかもしれないからだ。でも、どこだ、どこにいる?

 ぼくは自転車の後輪がパンクしたような演技をして、自転車のスタンドを立てた。自転車はここに置いていく。少しでも自分の特徴を無くすために。

 顔を上げ、今までの進行方向の後ろを見た。誰もいなかった。首を返して前を見た。その時、二つ先の曲がり角から、人が現れた。

 長身。

 黒の長髪。

 白装束。

 見た目は普通の人間の男だった。

 いや、普通より美しかった。

 形のいい鼻梁。冷たい瞳。均整のとれた、細い、顎へのライン。

 その男は少しだけこっちを見ると、ぼく達に背を向け、二十メートルほど手前を歩いて行った。

「リオナ……」小声でリオナに確認した。

「ええ。間違いないわ。あの男から信号が発信されてる」

 上手く化けたものだ。特徴を聞いていなかったら、絶対に分からなかった。どこからどう見ても、普通の人間だ。

 男の歩くスピードはかなり速かった。ぼくは急いで、その後を追おうとした。

「待って。蓮。らうるるるるあの到着を待ちましょう。追うのは危険だわ」リオナが冷静な声で言った。

「あのスピードじゃ、見失ってしまうかもしれない。とりあえず後を追わなくちゃ」

「こっちには何の装備も無いのよ。らうるるるるあに任せて、私達は早くここから逃げましょう」

「戦いはしない。ただ後を追うだけだ。逃げる必要なんて無いよ」

「……なら、ほんの少しだけ待って。らうるるるるあに連絡だけはしておかないと」

「分かった」

 十秒、二十秒。時間が途方もなく長く感じた。

「リオナ、まだ?」

「もういいわ」

 ぼくは男を追いかけ、歩き始めた。

「らうるるるるあは、何分くらいで来るの?」

「頭の通信機から緊急信号を発信しただけだから、向こうからの返事は無いの。すぐに来てくれるとは思うけれど……」

 ぼくは後を追った。男はこちらに気付いていないようだった。らうるるるるあがすぐにやって来てくれるなら、それでいい。それまで何とかしてマークを外さないようにするだけだ。

 男の歩は速い。ぼくが一定の距離をとって付いて行くには、かなりの早足で歩かなければいけなかった。暑さで、全身から汗が噴き出していた。いや、暑さ以外の要因でも、汗が噴き出していた。こんなに緊張しているのは、いつ以来だろう?

 ついさっきまでは川の流れに見とれていただけだった。命の危機なんて、考えてもいなかった。

 でも……。

 心の準備が整っていたとしても、この緊張は変わらなかっただろう。この鼓動の早さは変わらなかっただろう。

 右手には土手。左には家並みが続く道を、男はずっと歩いていた。怪しい素振りは何も無かった。この普通さが、より、ぼくを恐怖させていた。こんな風に誰にも気付かれる事無く、太陽の下を堂々と歩く異星人。星を滅ぼした大量虐殺者。そんな奴が、何事も無く目の前にいる。普通の顔をして、地球人に紛れ込んでいる。その事実に、ぼくは恐怖していた。命の危機以上に恐怖していた。

 もう、どのくらいの時間追跡しているのだろう。時計を見た。まだほんの数分しかたっていなかった。が、ぼくには何時間にも感じられていた。時間の感覚がおかしくなっていた。ぼくは恐怖していた。

 男が、三つ先の角を曲がり、住宅街の方へ入った。男が完全に視界から消えたのを確認して、ぼくは走った。あの先の道がどうなっているか分からない。見失うわけにはいかない。

 曲がり角の手前で走るのを止め、怪しまれないよう、少し呼吸を整えて角を曲がった。

 曲がった道は住宅に挟まれた普通の道。幅は約八メートルほど。十メートルほど行った所に、路上駐車をしている赤い軽自動車がこちらを後ろ向きにして止まっていた。

 男は──。

 男は、曲がり角から三十メートルほど向こうに立っていた。こちらを向き、右手が振り上げられていた。その先に何かが光った。

「リオナ、あの車まで短距離ジャンプだ」ぼくはできるだけ小声で、できるだけ急いで言った。

 一瞬ブラックアウトを起こした。上下の感覚が無くなった。

 次の瞬間、ぼくの目の前には、車のリアガラスがあった。

 膝の力が抜け、ぼくはその場へしゃがみこんだ。

 何かを引っかくような軋む音がした。

 恐る恐る上体を起こし、リアガラスから向こう側を見た。フロントガラスにくもの巣が出来ていた。その中央に、ナイフが突き刺さり、太陽光で輝いていた。

 男は、同じ場所に立っていた。こちらを見ていた。ぼくはしばらく男の動向をうかがっていたが、男は小指の先さえピクリとも動かさず、こちらを凝視していた。

 ぼくは滝のような汗を流していた。体がひどく疲れていた。知らない間に、肩で息をしていた。

「ハァ、ハァ、リオナ?」男から視線を離さず、話かけた。

「何?」

「ひ、ひどく疲れているんだけれど、短距離ジャンプの副作用かな?」

「言ったでしょう? 短距離ジャンプは運動エネルギーを完全には補完してくれないから、蓮みたいな大質量の人は危険だって」

「ハァ、ハァ、もう少し、分かりやすく」

「要は、蓮はあの曲がり角からこの車の所まで、実際に動いたって事よ。それも瞬間的に。私も鞄も何もかもの質量を持って。だから、その分のエネルギーを、運動エネルギーではなく、熱エネルギーとして消費するの。最も大きい質量の、蓮自身が」

 動いた。瞬間的に。約十メートルほどを。

 なるほど。

 なるほど。そういう事か。

 ぼくはあの曲がり角から、この車の所まで、全力疾走したのと同じって事か。それもコンマ一秒もかからないくらいの超スピードで。

 その移動に必要な運動エネルギーのほとんどは転送機が補完してくれる。けれど、ぼくのように質量の大きな人種になってしまうと、どうしても補完できない分が発生する。その補完できなかったエネルギーは、ぼくが支払わなくてはいけない。

 熱エネルギーとして。

 エネルギー保存の法則ってやつだ。だから体が疲労しきっているんだ。まったく、中途半端な超能力だな。たったの十メートルほどテレポーテーションしただけでこの疲れ方って事は、ハワイにでもテレポーテーションをしたら、死んじゃうんじゃないか?

「ぼくが動きながら短距離ジャンプすれば、これほど疲れなかったかな?」

 運動エネルギーでまかなえないか、疑問に感じた。

「駄目よ。足りない分のエネルギーは、熱エネルギーでしかまかなえないから」

 まいったな。こっちの武器は短距離ジャンプくらいしかないっていうのに、何回もは使えないぞ、この能力は。


 作戦。作戦を立てなくては。


「リオナ、一つ疑問があるんだけど」ようやく呼吸が整ってきた。

「私に分かる事なら、答えられるけれど……」

「あいつは、なんで待ち伏せ出来たんだろう? どう考えても、ぼくが追いかけている事に気がついていなければ出来ない行動だ」

「それは……。私のせいだと思う」

「リオナの?」

「私から出ている、タキオン通信波を感じ取っていたんだと思うの」

「でも、それなら発信機にだって気がついているはずでしょ? カズナレルだって先に接触しているんだし」

「発信機の通信波は本当に微弱だから、感知できないんだと思うわ。カズナレルには、気がついていたかもしれない。でも、姿を見ることができないから、詳しく調べるのは後回しにしたんだと思う」

 そう言えば、曲がり角から出てきた時に、こっちを見ていた。地球人のテクノロジーでは絶対にありえない、タキオンのテクノロジーを自分の近くで感じた。タキオンの技術を使用する者を知覚した。そんな者が近くに現れたから、自分の目で何者なのか確認しに来たんだ。前は二次元生物のカズナレルだったから、姿の確認はできなかった。でも今度は、そのテクノロジーの使用者であるぼくを目視確認できた。そして、自分を追跡してきたのだから、自分の敵である事も決まった。

 ぼく達はマカトフを探して追い詰めるつもりが、逆手に取られて誘い出されたんだ!

 もしリオナが一人で追跡をしていたら、どうだったろう? マカトフの後をつけるのは難しかっただろうけれど、身を隠す場所は山ほどある。それに、人形のふりをしていればマカトフもそれほどには怪しまなかったかもしれない。

 失敗した。

 ぼくが後をつけた事が完全に裏目にでた。

 奴が姿を現したあの段階で、逃げ出すべきだったんだ。


 作戦を立てなくては。


「なんでマカトフは動かないのかしら」リオナが言った。

「向こうも、どう動くのが正しいのか、分からないんだよ」

「そうじゃなくて、なんで攻撃してこないのかしら? ナイフなんて使わずに、レーザーとかを使った光学式兵器で攻撃してくれば、車の後ろに隠れていたって関係ないのに」

「それは簡単だ。あいつはとにかく、自分の正体を他人に知られたくないんだ。自分の存在を他者に気付かれたくないんだよ」

「どういう事?」

「こんな住宅街で光学式兵器による殺人なんて犯したら、死体がみつかった時にどうなると思う? 〝地球の科学力では、まだかなり困難と思われる殺人事件が起こった〟って、世の中大騒ぎになるよ。そうなったら、あいつも行動しづらくなる」

「でも、殺人事件が起これば、それだけで大騒ぎになるわよ?」

「犯人が限定される特殊な殺人者になるより、ただのナイフによるありふれた殺人者になる方が、まだ隠れやすいからさ。まだ、自分が怪しまれにくいからさ」

 だから、あいつは特殊な科学兵器を使わない。いや、それどころか拳銃さえも使わない。

 こんな民家の並んでいる所で、拳銃による殺人事件なんて事がおこれば、それだけでも大騒ぎになるからだ。

 刃物による殺人なら、ただの通り魔の仕業にして、身を隠しやすい。今の時代、そんな事件は新聞でも小さな記事だ。テレビのニュースなら、放送されるかも怪しい。

 今は、そんな時代だ。

 路上で二十歳の男が一人、ナイフで殺されたところで、ほとんどの人は気にもとめない。

 そんな時代なんだ。

 そして、奴は普通の人間の顔をして、一般生活に戻って行く。刃物を使った殺人者として、奴にとっては少しだけ窮屈になった生活に。

 奴は、何食わぬ顔で一般の人達の生活の中へ紛れ込んで行く。


 作戦だ……。


「蓮、逃げましょう!」

「それは駄目だ」

 あいつは逃げ出さない。それは、あいつにとって、ぼく達を殺すより、逃げる方がリスキーだと分かっているからだ。人間世界にどれほど上手く溶け込もうと、ぼく達はあいつの正体を知っている。ぼく達に仲間がいるとして、その仲間に連絡をされたら、人間世界でのあいつの行動はかなり制限されてしまう。あいつはそれを恐れているんだ。

 だから、あいつの正体を知っているぼく達を、あいつは絶対に逃しはしない。

 必ず殺しに来る。

 立場は変わった。今度はぼく達が追われる側になってしまったんだ。今ここで決着をつけず逃げ出せば、不利になるのはこっちの方だ。夜中・早朝・入浴中・食事中。何時でも、何をしている時でも、気を抜く事ができない。先に憔悴してしまうのは、ぼく達の方だろう。

 よしんば逃げられて、あいつがぼく達を殺す事をあきらめたとしても問題がある。見失ったあいつを、もう一度追跡可能になるとは思えない。あいつは何があろうと絶対に、タキオン通信波の発生箇所に近付こうとはしないだろう。あいつはぼく達の存在を、自分を追う者がいるという確実な事実を知ってしまったのだから。今を逃してしまえば、それまでだ。人間社会に上手く紛れ込んだあいつは、人に気付かれぬよう自分の任務を進め、特異な遺伝子の収集を行う。もう、だれにもそれは止められず、神のような力を手に入れてしまう。


 奴は、今、ここで、倒すしかない。

 ぼくが奴より勝っているだろう能力は、何も無い。

 そして、武器も無い。

 でも、ついに覚悟を決める時が来た。

 命をかける時が来たんだ!


 ぼくの汗はひいていた。体の疲労も少しは回復した。立って走ってくらいなら、できそうだ。そして何より、ぼくの中から恐怖が消えていた。逃げる事が叶わないのなら、あきらめるか、戦うかだ。これは勇気と言うのだろうか? それとも、無謀と言うのだろうか? その答えはぼくなんかには分からなかった。けれど、もしこれが勇気と言う物なら、それを与えてくれたのはリオナ、君の存在だ。君だけは、君だけはぼくが守ってみせる。地球や宇宙を虐殺者から守るなんて大きな責任は、今のところぼくになんの感情ももたらしてくれない。けれど、君はぼくに勇気をくれた。君だけだ。だから、ぼくは君を守る。それだけだ。

「リオナ。君の目で見えていれば、誰でも短距離ジャンプをさせられるの?」

「ええ。私の目で見える物なら、大丈夫よ」

「あいつもジャンプさせられる?」

「マカトフ単体では無理……。特殊で不安定な遺伝子構造だから、ガイドになるような安定した物体と一緒じゃないと」

「ガイド?」

「私がマカトフに取り付ければ、私をガイドにしてジャンプされられるわ」

「それは……。却下だな」

「なんで?」

「リオナがジャンプしてしまったら、追い討ちをかける事ができない」それに、君を守ることもできなくなってしまう。

「なら……。どうするの?」

「ガイドは、ぼくでも大丈夫かな?」

「蓮なら大丈夫だけれど……。一人で行くつもりなの?」

 ぼくはたすきがけにした鞄を外すと、静かに地面へ置いた。

「ああ」

「そんな、蓮、一人でい──」

「もう、決めたんだ」リオナの言葉を遮りぼくは言った。

 ぼくはボタンを留めずに羽織っていたシャツを脱ぎ、Tシャツ一枚になった。そして、ズボンのベルトを外し、両方を左腕に巻きつけた。

「それで何をするの?」

「あいつの手足を、これで縛り上げるんだ」フロントガラスに投げナイフを突き立てるだけの筋力を、この程度の物で拘束できるか分からないけれど。「それに、まだナイフを持っているかもしれない。そうだとしたら、これで少しは防げる」

「私にできる事は……。無いの……?」

「もちろんあるよ。リオナにかかっていると言っていい」

「何をすればいいの?」

 ぼくはリオナに作戦――二つの事をお願いした。

「あまりにも危険すぎない?」

「確かに、賭けの要素が多いけれど、そのくらいしないとあいつは倒せないよ」

「でも、蓮にそこまで――」

「できるね?」ぼくはまた言葉を遮り、確認をした。

「……」

「できるね? リオナ?」

「……ええ。できるわ」

 確認を取るとぼくは鞄を持って立ち上がり、ゆっくりとした歩調で車の陰から出た。マカトフと向かい合う。マカトフは瞬きもせずぼくを見ていた。

 冷たい瞳だ。本当に生きて息をしている生物なのか?

 この暑さの中、焼ける太陽の下にじっと立っていたというのに、汗もかいていない。

 他所の星で多くの特殊遺伝子を取り入れたその身体。ぼくなどとは、絶対的な頑丈さが違うのだろう。

 ぼくは鞄を車のタイヤの横へ置いた。視線はマカトフから外さなかった。

「リオナ、視界は?」

「大丈夫。見えているわ」

 マカトフはぼくの動きを目で追っていた。アクションは何も起こさない。

 決着をつける時は来た。恐れは無かった。けれど、鼓動は早くなっていた。緊張しては駄目だ。せっかく立てた作戦が、全くの無駄になってしまう。

 ぼくは鞄から──リオナから──なるべく離れるよう、横へ移動して行った。

 そのぼくの動きを、マカトフが目で追う。まだ、アクションは何も起こさない。

 心臓が破裂しそうだった。

 落ち着かなければ駄目だ。

 マカトフが何のアクションも起こさないのは、あいつもぼくらの出方が分からず、慎重になっているんだ。こっちはタキオン技術をあいつに見せつけている。あいつはぼくらが超科学兵器でも持っているのではと考えて、用心しているんだ。敵に見せるハッタリなら、ぼくらの方が勝っている。


 落ち着け。マカトフだって、ぼくを恐怖しているのかもしれない。


 リオナから充分に離れると、ぼくは移動を止めた。マカトフをにらむ。


 よし。


 よし、行くぞ。


 ぼくは少し姿勢を低くし、そして──。

 マカトフへ向かって走り出した。

 とにかく、奴に取り付く。そうしなければ、作戦も何もない。

 マカトフは動かなかった。まさか、もうナイフが無いのか? それともぼくの相手など、素手で充分という事か?

 考えて足を止めるわけにはいかない。今は、全速力でマカトフにタックルをして、取り付かなければ。

 ほぼトップスピード。ぼくは低い姿勢のまま、マカトフにタックルをした。ここでマカトフがタックルに吹っ飛ぶ程度の人種なら、肉弾戦に持ち込める。

 が。

 マカトフは微動だにしなかった。フロントガラスに投げナイフを突き立てられるだけの筋力があるんだ、当然だろう。

 でも、そんな事は承知の上での作戦だ!

 ぼくはマカトフの体に手を回し、服を掴んだ。繊維を握った感触ではなかった。明らかにそれは生き物の皮膚を掴んだ感触だった。

「ぐっ!」

 マカトフの腕がぼくの背に打ち下ろされた。背骨が折れそうなほどの衝撃だった。

 瞬間。ブラックアウト。感覚の消失。

 ぼくはマカトフと共に転送され、車の真横に現れた。

 そして、再びのブラックアウト。今度は曲がり角まで転送された。また、ブラックアウト。ぼくがマカトフにタックルをした場所に転送された。

 そこで、マカトフの膝がぼくの腹を蹴り上げた。

 一瞬呼吸が止まった。

 苦痛で手を離してしまったぼくの顔に、追い討ちのようにマカトフの拳が突き刺さり、ぼくは逃げるように距離をとった。

 背中と腹、それと頬が鈍くも激しい痛みに襲われた。

 しかし、疲労はほとんど無かった。合計で約六十メートルほども短距離ジャンプを行ったのに。

 マカトフの身長はぼくより二十センチ近くも高い。加えて、あの筋力。予想通りマカトフの方が、ぼくより質量が大きかった!

 ぼくがリオナにお願いした事の一つ。作戦の一つ。

〝ぼくがマカトフに取り付いたら、ぼくごとマカトフを連続転送してほしい〟

 もしもぼくの方がマカトフより大きな質量だったら、この作戦は自殺行為だ。でも、その賭けにぼくは勝った!

 殴られてぼくもダメージを負ったけれど、二人分の質量を持って運動エネルギーの補完をさせられたマカトフの方が、明らかに消耗は激しいはずだ!

 十五メートルほど離れた所に、マカトフは立っていた。少し前屈みになり、憎悪のこもった視線をぼくに向けていた。確実に消耗している。でも、立っていた。立ったまま、ぼくをにらんでいた。ぼくなら、絶対に起き上がることなどできないほどの大質量転送だったというのに。

 できることなら、もう一回。もう一回取り付いて、短距離ジャンプをしたい。

 ぼくがそう思っていると、マカトフの右手が輝き、その手にナイフが現れた。見ると、車のフロントガラスに突き刺さっていたナイフが無くなっていた。

 まずい。今度取り付けば、いや、取り付こうとすれば、ナイフの餌食だ。マカトフのあの筋力。胸や頭を狙われたら、肋骨や頭蓋骨など簡単に突き抜け、心臓や脳に刺さるだろう。

 取り付くのは諦めるしかない。

 次の作戦だ。

 ぼくは再びマカトフへ向かって走り出した。

 早く、できるだけ早くトップスピードへ持って行かなければ。

 マカトフとの距離は約十五メートルしかない。その間に、できるだけ加速しなくては!

 踏み出す足の一歩一歩に力を込める。

 マカトフもやっと行動に移る。右手を振りかぶる。ナイフを投擲するつもりだ。

 あのナイフを投げさせては、ぼくは即死だ。

 限界だ。

 ここが限界だ。

 トップスピードではないけれど、ここまでだ。

 ぼくは右膝を高く上げ、そのまま跳躍した。


 ──リオナ、転送のタイミングだ!──


 一瞬のブラックアウト。感覚の喪失。


 次の瞬間、ぼくの膝はマカトフの下あごに食い込んでいた。

 リオナが高さを誤った!

 しかし、この方が良い!

 ベストだ!

 マカトフの右手はまだ振りかぶったまま。それはマカトフがぼくの突然の転送で、戸惑った証し。

 ぼくはバランスを崩し、地面に落ちた。

 マカトフは膝から崩れ落ち、地面へうつ伏せに倒れた。

 ここまでは作戦通り。早く、早く立ち上がって、こいつの自由を奪わなくては。

 ぼくは左腕に巻きつけたシャツとベルトを解いた。その腕が震えて、顔から地面に崩れた。

 マカトフに近づこうとしたけれど、足が動かなかった。立つことも、四つんばいになることもできなかった。

 早く、早く動かなければ、作戦が台無しだ。

 ぼくがリオナにお願いしたもう一つの作戦。

〝ぼくが跳躍をしたら、ぼくをあいつの鼻先三センチの所に転送してほしい〟

 短距離ジャンプが運動エネルギーを完全には補完せず、その代償も熱エネルギーとしての支払いしかないというのなら、それならそれでいい。

 マカトフに突進した運動エネルギーも、跳躍のベクトルも、そのエネルギーが転送で相殺されはしないという事だ。

 体重五十五キロのぼくが全力疾走したエネルギー、その衝撃をそのままマカトフのあごに炸裂させられた。

 鼻を狙ったのがあごに変わってしまったけれど、ここまではほぼ作戦通り。むしろ良い方向へ転がった。

 マカトフは地球人とほとんど変わらない体の構成をしている。それはマカトフに、地球人と見分けがつきにくいという利点を与えている。しかし、地球人の弱点とマカトフの弱点が共通する可能性が高いという事でもある。

 ぼくの体重が乗った右膝が、マカトフの下あごを捉えた。強烈な衝撃だっただろう。

〝脳震盪〟をおこしてお釣りがくるくらいの、衝撃だっただろう。

 マカトフはまだ動かない。まだ地面に寝そべったままだ。

 ほぼ全て、作戦通りだった。後は左腕に結んでいたシャツとベルトで、こいつを縛り上げるだけだ。

 しかし。

 ぼくの手足はほとんど動かなかった。呼吸が異常に激しかった。心臓がパンクしそうに鼓動を打っていた。流れる汗で、池でもできそうだった。

 全身が極度の疲労で動かなかった。

「た、短距離ジャンプで無茶をしすぎたか……」思わずつぶやいてしまった。

 ただでさえでもあれだけの疲労に襲われる短距離ジャンプ。そこへ更に補完に転用できない余剰エネルギーを与えて、転送したんだ、覚悟はしていたけれども、これほどまでに体にこたえるとは思っていなかった。

 まずい。ぼくが動けるようになる前に、マカトフが回復してしまうかもしれない。

 左腕を支点にして、右腕に力を込める。が、次の瞬間左腕が崩れてしまう。左膝を立てようと、引きずった。そのためにバランスを崩し、また顔から地面に突っ込んだ。

 体が、体が全く自分の言う事を聞かない。呼吸を整える事すら出来なかった。

 このままでは、マカトフの方が早く回復してしまう。このままでは、マカトフに殺される。いや、殺される覚悟はしていた。

 問題はリオナだ。

 マカトフはぼくを殺した後、ぼくの体からタキオン波が出ていない事にすぐ気が付くだろう。そして、タキオン波が鞄から発せられている事にも、気が付くだろう。

 ――鞄に近付き、鞄の中を見たマカトフは――。

 駄目だ。

 駄目だ!

 リオナを守れないのなら、なんの意味も無い!

 ぼくは右腕に渾身の力をこめた。が、指がほんの少し動いただけだった。

 動け!

 動け!

 動け!

 お願いだ、動いてくれ! なんで自分の体なのに、動かないんだ!

 マカトフを見た。マカトフは左腕で上体を起こそうとしていた。

 回復しかけている!

 どうする? どうすればいい? ここまでなのか、ぼくは?


 ぼくは全身に力をこめ、なんとか半身を起こした。

 灼熱のアスファルトに手をつき、筋肉に力をためた。

 いける!

 ぼくはまだ戦える!

 リオナをあのまま置いて、ここで倒れてはいられない!

 ボロボロの体を意思の力で動かした。

 もう作戦もない。

 有効な武器もない。

 効果的な攻撃も思いつかない。

 でも、まだ戦える!

 ぼくはマカトフと正対した。

 が、ぼくは膝から折れて、仰向けに倒れてしまった。

 突然、全身の力が抜けた。

 これは……。

 このショックは……。

 やられた!

 メンタルボルトだ!

 目の前が真っ暗になった。

 こ、ここまでなのか……

 ぼくはここまでなのか!。


 マカトフは立ち上がり、ぼくの方へ歩いてきた。

 もう、完全に回復しているようだ。

 ぼくの心に〝あきらめ〟という名の愚者の選択が染み出し始めた。

「まさか、地球人にここまで苦しめられるとはな」ぼくの顔を覗き込みながら、仁王立ちになったマカトフが言った。少し低い、きれいな声だった。

「ぼくを……。殺すのか……?」

「まさか。無力化しようとはしたが、殺害するつもりなど無いさ」

「そんな言葉……。九十五億もの人を殺した、大量殺戮者の言葉なんて、信用できるもんか」

「殺戮者か……。そのセリフといい、タキオンの技術を持っている事といい、事情はよく知っているようだな」マカトフはそう言うとぼくから視線を外し、車の方へ目をやった。「あの鞄に入っている人物と関係があるのか?」

 !

 リオナの事に、気がついている――!

「鞄なんて、何の関係も無い!」

 ぼくが大声で叫ぶと、マカトフは薄く笑った。


 ──だめだ。

 絶望的だ。

 どうする?

 どうすればいい?

 どうしたらこの危機から逃れられる?

 どうしたらここから逆転できる?

 どうしたら──。


 ぼくはまだはっきりとしていない頭をフル回転させた。

 しかし、最良の答えは出なかった。

 あきらめるしかないのか──。

 が、その時

「分かった。関係が無いのなら、関係無いのだろう」とマカトフが言った。

 あまりにも意外な、殺戮者のセリフとは思えない言葉が返ってきた。

「信じるのか……? ぼくの言うことを……?」

「信じる、信じない以前に、その事には触れられたくないのだろう?」

「あ、あぁ……」

「なら、鞄もその中の事についても触れはしない」

 これが、大量殺戮者のとる態度なのか……?

 ぼくを安心させて、騙そうとしているのか……?

「この場所でこのまま話をしてもいいが、また転送されると厄介だな。君には少し付き合ってもらうよ」

 マカトフはそう言うとしゃがみ込み、ぼくの頭に手を置いた。


 次の瞬間、体の重みが消えた感覚に襲われ、ぼくは宇宙空間に漂っていた。




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