第3話 三日目 火曜日

 ポテトチップスで夜中に飢えをしのいだせいか、今日はぼくの方がリオナより先に起きた。

 ぼくは横で寝ていたリオナを眺めた。

 リオナの寝顔は可愛かった。

 ぼくがほんの少し力を込めただけで、壊れてしまいそうなその小さな体。愛らしい頬。少し開かれた唇……。

 ……。もう少しで、越えてはならない一線を、越えてしまいそうになった。

 ぼくが本気の力を出せば、リオナの体の自由を奪う事など、簡単な事だろう。ぼくの思い通りにしてしまう事など、簡単な事だろう。

 絶対的な大きさこそ確かに小さいけれど、その姿は人間を単にスケールダウンしただけの存在。

 柔らかな体のラインに、長い脚に、パジャマ越しの胸のふくらみに、目が行ってしまった。

 リオナが女性であると、再度認識させられてしまった。

 彼女の自由を奪う事など、簡単な事……。

 簡単な事……。

 駄目だ。

 このまま寝姿を見ていたら、本当に一線を越えてしまう。

 もし、一線を越えてしまったら……。

 リオナに、嫌われるのが怖かった。

 リオナに、最低な人間だと思われるのが怖かった。

 リオナを、悲しませるのが怖かった。

 駄目だ。

 駄目だ、駄目だ。

 それだけは駄目だ。

 ぼくはリオナの体をゆすった。起きていてくれれば、ぼくの中の理性も力を復活する。なにより、抵抗するだろうリオナの剣幕に、絶対勝てない気がする。

「うー。なにー? まだ眠たい~」リオナは大きくあくびをした。

「もう、朝だから、起きなって」ぼくの理性を保つためにも。


「それで、トスク人さんは、いつごろいらっしゃるの?」朝食を食べ、コーヒーを飲みながらぼくが聞いた。

「あと二時間十三分十一秒後よ」シルバニアのカップでコーヒーを飲みながら、リオナが言った。制服ではない、シフォンピンクでペイズリー柄のワンピースという普通の姿が、かえって新鮮だった。

「ずいぶん具体的に分かるね?」

「タキオン通信で、到着予想時刻を受信してるから」そう言って、リオナは自分の頭を指差した。「もっとも、数分のずれは出てきちゃうけれどね」


 トスク人。リオナの上司。いや、ロードか。

 ぼくは新しい異星人に会える事の喜びや期待感と同じくらい、トスク人の来訪を恐れていた。恐怖とは違う……。嫉妬と虚無感からくる恐れだった。

 トスク人はリオナのロード、リオナにとって、絶対的な存在だ。彼女がその人物に恋心を抱いていても、なんの不思議もない。むしろ、自然な流れだ。ぼくがいくら背伸びをしたって、かなう相手じゃない。その頭脳、科学知識は、地球人の誰よりも優れているはず。ぼくなんて足元にも及ばない。しかも、リオナの仕事に対して、忠告もアドバイスも評価もできる存在なんだ。尊敬されて当然の存在だ。

 彼女がトスク人に恋愛感情を抱いていたとしたら……。

 トスク人が現れた時、彼女がする笑顔に。

 彼女の発する嬉しそうな声に。

 彼女の手と握り合う手に。

 ぼくは嫉妬するだろう。

 絶望的な気持ちで。

 ぼくは絶対にトスク人にはかなわないのだから。

 リオナがやってきてから、ぼくの中で何かが少しだけ変わっていた。

 リオナが来てくれたおかげで、ぼくは毎日新しい朝を感じていた。今までには無い、輝くような朝を。輝くような一日を。それは、彼女を愛おしく思う心。

 もちろん、それもある。

 でも、それ以外にも変わっていた。

 ぼくは、自分が、ちゃんとした一人前の男になったような、そんな気がしていた。

 自分に、少し自信がついていた。

 リオナから──他人から頼られているという実感。

 二十歳の、大人の男になれたという実感。

 けれど、リオナには既に好きな人がいるのだとしたら。

 心の底から本当に頼っている人がいるのだとしたら……。

 ぼくのこんな自信も、色を失ってしまうような気がした。

 ぼくのこんな自信が、ゴミ箱へ捨てられてしまうような気がした。


 そんな気持ちをなんとか胸の奥に押し込めて、ぼくは日常の雑務へ没頭する事にした。

 まだ見てもいないライバルに、今、心を痛めても何もはじまらない。

 今のぼくはリオナにとって、ただの便利なだけの男かもしれない。けれど、自分にしかできない事もせず、悔やみたくはなかった。

 少なくとも今、ぼくは彼女から頼られているんだ。その期待には応えよう。


 食器の後片付けはすぐに終了。メインイベントは二日間溜め込んだ、リオナの服の洗濯だ。洗濯は家事の中ではわりと簡単な部類に入るとはいえ、全自動洗濯機さんに入れてスイッチ一発──とは、いかないよなぁ。やっぱり。細かいパーツとか取れそうだし、アマロリ衣装に至ってはフリフリのフリルが全部駄目になりそうだ。神崎さんに聞けば良い方法を教えてくれそうだけれども、あいにくと彼女のスマホ番号もメールアドレスもぼくは知らない。どうしたものか……。やっぱり、手洗いかな。

 洗面台にぬるま湯を張り、その中へ服をそっと入れ、洗濯用液体洗剤を少し入れて手で軽くもみしだいた。炊事に洗濯、なんだか、本格的にオカンになってきたな。

 丁寧に洗い、よくすすぎ、手のひらで押す程度に絞って、一つ一つ洗濯ばさみでハンガーに干していった。セーラー服にブレザーの上着とシャツ。濃紺のプリーツスカートに、チェックのプリーツスカート。アマロリはフリルを広げ、後は下着とソックス関係。全て干し終わったぼくの室内は……。絶対に友達には見せられない有様になっていた。あぁ、もう、完全に変態ですね、この部屋の主は。交通事故にでもあったら、「荷物を燃やしてー」とか言っておかないと、親族がかわいそうだ。

 いろいろな意味で心に傷を負って、テーブルに戻ると

「蓮、そろそろ準備して」と、リオナが言った。

「いよいよやってくるの? トスク人さん」

「ええ」リオナの表情は真剣だった。

「準備って、何をすればいいの?」

「なにか入れ物に水を入れて、テーブルの上に置いて」ぼくの顔を見ながら、リオナが言った。

「入れ物の大きさは?」

「いつも蓮が使っている、食器くらいでいいわ」

 ぼくはキッチンへ行き、お椀を一つ取り、冷蔵庫からミネラルウォーターを出して、テーブルに戻った。そしてお椀をテーブルに置き、そこへミネラルウォーターを注いだ。

 緊張していた。ぼくの淡い恋心の何もかもが否定されてしまう瞬間が近づいているのかもしれなかった。今日までの楽しかった日々が、終わってしまうのかもしれなかった。

 が、そのまま待つこと五分ほど。一向にトスク人様はいらっしゃる様子がなかった。

「リオナ、まだ?」緊張を維持していられる時間はそうそう長くない。ぼくは普段の自分へ戻りかけていた。

「もうそろそろのはずなんだけれど。地球は干渉波が無いのに、こんなに遅れるなんて、何かあったのかしら」

 心配そうな顔つきになったリオナと一緒に、もう数分、水の張られたお椀を眺めていた。

 ぼくはその心配そうな顔つきに、不安と嫉妬を感じた。

 そんな事を考えながら、リオナの横顔を眺めていると、突然、お椀の水が輝き始めた。

「やっと来たわ」リオナが安心したように言った。

 お椀の中の光は輝きを増していった。

「リオナ」

「なに?」

「一つ確認しておかなくちゃいけないと思うんだけれど、この光、有害な放射線とかは出てないよね? 大丈夫だよね?」

「うん。大丈夫よ。いきなり病気とかにはならないから」

「〝いきなり〟って、将来的には病気になるかもしれないの?」

「大丈夫! ……だと思う」

「思うって!」

 恋心の心配の前に、身の危険を感じていると、光は徐々に弱くなっていった。光が弱まるにつれ、そこに何かがあるらしい事は分かった。けれど、それがどんな姿のヒューマノイドなのかは分からなかった。

 ついに光が完全に失われ、そこには……。

 そこには……。

 そこには、葛餅が水に浮いていた。

 え? トスク人さんは?

「リオナ、これは?」ぼくは葛餅を指差して聞いた。

「トスク人の、〝らうるるるるあ〟よ」

 トスク人? 中央にはあんこのような核。その周りを、半透明の白く濁った寒天質が覆っていた。これが、トスク人? どう見たって、ただの水菓子だ。美味しそうだけど、知的生命体にはさっぱり見えない。

『君は、私を捕食しようというのかね?』声が突然頭に響いた。

「なに!」ぼくは驚いて、声を出してしまった。と、言うより、パニックになりかけた。

「ごめん、言うのを忘れていたけれど、トスク人はテレパスなの」リオナが慌てて言った。

「テレパス?」

「うん。地球にはテレパスがいないって、忘れてた」

「テレパスって、人の心を読んだりしちゃう、あのテレパス?」

「まあ、大きいくくりで言うと、そのテレパス。トスク人は脳内電気信号を読み取ったり、操作したりして、知的生命体とコミュニケーションをとるのよ」

 テレパスか。これは本気で宇宙人っぽい。でも……。

「どう見ても水菓子なのに、よく他の生き物の思考が分かるよね」水に浮いている姿からは、知的生命体とはとても思えない。

「トスク人は本当は透明な体を持っているのだけれど、白く濁っているでしょう?」

「うん」

「それはね、目では見えないほど細い管が縦横無尽に走っているためなの」

「目で見えないって、どれくらいの太さなの?」

「電子二三個分くらい」

「電子で二個か三個? そんなに細いの?」

「ええ。その管の中を電子が行き来する事で、情報を蓄えたり論理を推論したりするの。だから私達の脳なんかより、ずっと記憶容量も大きいし理論的に思考もできるのよ」

 驚いた。ただの握り拳大の水菓子にしか見えないのに。

「でも、この体じゃ文字も何も残せないでしょ? よくそんなに高度な文明を発展させられたね?」

「トスク人は、基本的に体細胞分裂で増殖するの。その時、自分の細管も一緒にコピーするから、全く同じ個体がもう一つ増えるのよ」

「へえー」

「そして、自分の体がもうコピーに耐えられないほど劣化してしまったら、他の劣化していない個体と融合・分裂をして、新しい個体に生まれ変わるの。新しい個体は、オリジナルになった自分自身が獲得した知識と、融合した劣化していない個体が持っていた知識の両方を持って生まれ変わるのよ」

「なるほど」

「だから、文字で知識を共有する必要が無いの。重要な知識を得た時には、融合・分裂をすればいいから」

「一つの個体の学習が、他の個体にも同じ体験として共有されるのか……」

「そうよ」

「でも、融合した後の個体は、元のオリジナルと同じパーソナルを持っているの?」

「いいえ。全くの別人よ」

「知識を共有するたびに別人に生まれ変わるのか……。それはちょっと、ぼくは嫌だな」

「そうね、私も嫌かな」リオナが笑って言った。「あと、かなりの長寿のせいもあって、巨視的に物を考える習慣があるの。だから、司令役としては適任なのよ」

「トスク人は長寿なんだ?」話を聞くかぎり、地球の原生動物みたいだけれど。

「融合・分裂をした段階で体の衰えがある程度リセットされるから、ほぼ不死と言っていいほど長寿よ」

 そういうことか。リオナのコピーが転送されてくるとか、脳に通信機が埋め込まれているとかの倫理観が、どうやって形成されていったのか少し分かった気がした。彼女達の倫理の規範となる生命体が自分のコピーで増殖して、しかも不死となると、地球人のぼくにとって違和感があっても仕方がない。

「ただし、水が無いと十分くらいで干からびちゃうけれどね」リオナが言った。

 ぼくは思わず笑ってしまった。そのほとんどは、安心感から。頭の中で描いていた超美形男子が、水菓子に変わったんだ。安心してしまうのも、仕方のない事だろう。もちろん、人を外見で判断してはいけない事はよく分かっている。けれども相手が水菓子ではなぁ。水菓子対六倍の大きさの人間なら、いくらかでもぼくの方に分がある気がした。

 もっとも、彼女の母星では、本体の彼女に恋人がいるのかもしれないし、もしかしたら結婚している可能性だってある。でも、そんな事を心配するのは止めた。あれだけぼくを悩ませたトスク人が水菓子だったのだもの、いらない心配をしたところで、この先どう転ぶか分からないのだから。

『もうそろそろ本題に入らせてもらってもいいかね?』再びぼくの頭に声が響いた。

「ああ、ごめんなさい。らうるるるるあ。あんまりにも蓮がショックを受けていたみたいだったから」リオナが言った。

 確かに、水菓子がロードだという事実も、テレパスとの遭遇も、かなりのショックだった。

『では。リオナ、既に情報は聞いていると思うが、やはりこの近辺にマカトフが潜伏しているらしい』

「確かなの?」

『クアウラ人の調査委員が接触し、発信機を取り付けた。ただし、気付かれる可能性が高いため、発信電波は最弱だ』

「受信可能域は?」

『約六ラーンだ』

「この星でそれだけしか受信可能域がないのは、難しいわね」

 リオナが腕組みをして、何かを考え出した。

『しかし、それ以上をカバーするには、電波に気づかれてしまう危険が高い』

「あの、ちょっといい?」ぼくは会話に割って入った「マカトフについて詳しく教えてほしいんだけど? いいかな?」

 ぼくが質問をすると、らうるるるるあが答えてくれた。

 マカトフは、ある惑星に住んでいた知的生命体、マカトフ人の一人。

 超高速宇宙船を強奪し、自分の母星の人類、九十五億人を虐殺し宇宙へと飛び出した者。

 マカトフ人の母星には、他に二種類の知的生命体がいた。マカトフ人は他の知的生命体より知能の面で劣っていたが、しかし、攻撃される事も奴隷化される事も無かった。それは、『マカトフ人は〝奇跡〟を起こす力がある』と信じられ、宗教上禁忌の存在とされていたためだった。

 そして、ある時、マカトフ人の中に突然変異体・ミュータントが生まれる。それまでの個体とは比較にならないほど知能の高い、天才が。

 個体を識別する名前を持っていなかったマカトフ人の中、天才は民族として始めて自分の名を名乗った「我はマカトフである」と。

 マカトフと名乗った天才は、自分の中にあった〝奇跡〟を起こす力の謎を解き、そして宇宙船を強奪して宇宙へ旅立った。

 自らの星の住人を、同胞共々皆殺しにして。

「マカトフ人の奇跡の力がどんな物なのかは、分かっているの?」

「ええ。マカトフ人は他の生命体の遺伝子情報を、選択的に吸収して、自分の力にできる能力を持っていたの。百パーセント完璧に自分の力にはできないみたいだけれど」リオナが答えてくれた。

「遺伝子情報を選択的に吸収? よく分からないんだけど」

「例えで言うと、蓮は空が飛べたらいいなって思ったことはない?」

「何回もあるよ」

「私達ではそれを実現するには科学の力に頼るか、想像で補うしかないけれど、マカトフ人がそう思ったのなら、鳥を一匹捕まえてきて、食べればいいのよ」

「鳥を食べる──だけ?」

「ええ。そして、鳥が空を飛べるように体を構築している遺伝情報だけを吸収すればいいの。その情報をフィードバックして、自分の肉体を変えてしまうのよ。もちろん、そうそう簡単に人が飛べるようには変異しないけれど」

「食べるだけって、そんなに簡単な事で肉体を変えられるの? それって、かえって困る能力だよね? 空を飛ぼうという気が無くても、鳥を毎日食べていたらそのうち空を飛べるようになっちゃうんでしょ? 毎日野菜を食べていたら、光合成できるようになっちゃうんでしょ? その星の生物の獲得形質を全部手に入れちゃうなんて、便利と言えば便利かもしれないけれど、姿を変えたくない人は困るんじゃない? 下手をすれば、すぐにも絶滅してしまうかもしれない能力のような気もするし」

「〝選択的〟に吸収できるのよ。望まなければ、遺伝情報を吸収しないの」

「そうか。でも、誰でも望むんじゃないの? 使い方によっては、確かに便利な能力だし」

「マカトフ人は、その能力を有効に活用できるほどには、知能の面で恵まれていなかったの」

「あ……」

『恐らく、千年以上はその力をどのマカトフ人も使用しなかったと思われる。そうでなければ、宗教上の禁忌となるとは思えない』

「マカトフは、その能力を自由に使えるのか……」

『そうだ。そして、今も宇宙のどこかの星で、我々にとって未知の生命体の特殊能力を吸収しているはずなのだ』

「……。マカトフは、なんで母星の人達を皆殺しにしたんだろう?」

「憶測でしかないのだけれど……」

「うん」

「第二の自分が誕生するのを恐れたのだと思うわ」

 そうか。第二の自分の誕生は、つまり、最大の敵の誕生になるからか。

「マカトフはなんで地球になんか来たんだろう?」

「有用な遺伝子があるかを調べるためよ」

「有用な遺伝子か……。地球なんかじゃ、そんな有用な遺伝子があるとは思えないけれども」

「んーとね。蓮はイエス=キリストって知ってる?」

「もちろん」

「もし、イエスが本当に神のような奇跡を起こせる人だったとしたら?」

 イエスが本当に奇跡を起こせたなら、その遺伝子情報を手に入れれば──マカトフは神になるかもしれないのか!

「でも、現代にはいないよ。遺伝子情報を手に入れる方法が無い」

「イエスが磔刑に架けられた時、その血を受けた聖杯の伝説があるでしょう? その聖杯が実在して、今も存在し、そこにイエスの血液が付いていたとしたら?」

「そんな伝説も確かにあるよ。でも、二千年も前の血液から、遺伝子情報を手に入れる事なんてできるの?」

「完璧には無理かもしれない。でも、マカトフの能力なら可能だとしたら?」

 可能だとしたら──最悪だ。大量虐殺者に、神の奇跡を起こす力が宿るだなんて……。

「で、でも、でも、それなら、なんでこんな日本の片田舎に現れたの? ヴァチカンかどこかに行くはずじゃないの?」

「落ち着いて、蓮。イエスはあくまで、例えの話よ」

「ああ……。そうか。そうだったね」思わず、熱くなってしまっていた。

『恐らくこの地に現れたのは、転送機の都合だと思われる。ここから、目的地へ移動するつもりなのだろう。真の目的が何かは分かっていないが』

「最終目標が分かっていないから、待ち伏せはできないし……。となると、やっぱり見つけ出すところからね。発信機の信号をすぐに拾えればいいけれど」腕を組んだリオナが、ため息混じりに言った。

「ちょ、ちょっと待って。見つけ出した後は、いったい、どうするの?」そこが肝心なところだ。

『理想は、生きたまま捕獲する。不可能であれば殺害し、回収する』

「殺す……の?」

「殺害は、最悪の場合よ。目標は生きたままの捕獲」リオナが真剣な顔でぼくに言った。

『レン君、君も協力してもらえないか? リオナ一人では移動にもかなりの制限がある。無論、危険な任務なので、無理にとは言わないが』

「協力か……」

 ぼくは迷った。いくら相手が悪人でも、ぼくなんかに人殺しができるはずもない。でも、リオナの力にはなりたかった。彼女にいいところを見せたかった。頼れる男だと思われたかった。マカトフを捕まえられれば、きっとリオナから尊敬されるだろう。

「〝殺害は無し〟っていう条件付きでもいいなら、ぜひ協力させて」

「本当にいいの? 蓮? とても危険な目にあうかもしれないわよ?」

「覚悟の上だよ」

「ありがとう、蓮」リオナが満面の笑みでそう言った。これだけでも、ぼくにとってはかなりの報酬だ

『ありがとう、レン君』

「いえいえ、どういたしまして」

『他に質問はあるかね?』

「マカトフもリオナ達みたいに、小さいの? 見た目ですぐにマカトフだと分かるの?」

『クアウラ人の情報では、地球人と大差無い大きさだそうだ』

「それはまた、凄い偶然だね」

『マカトフの使用している転送機は、個体の大きさを変更する事ができる。そう言った面では、我々の転送機よりも優秀だ』

「見た目は?」

『マカトフ人は体の構成も外観も、地球人によく似ている。一見して識別するのは不可能だろう』

「そんなに似ているの?」

『四つある眼のうち、二つを隠せば、見分けはつかない。あとは骨格も内臓の働きや位置もほとんど地球人と変わらない』

「そんなに似ているんだ。偶然、似たのかな?」

『偶然とは言えないかもしれないが、確信は持てない』

「どういうこと?」

『君は、星がどうやって生まれるか知っているかね?』

 え? え? いきなりなにを言い出すんだ?

『知らないのかね?』

「一応、知ってるよ。宇宙空間に漂っていたガスや塵が集まって、大きな重力を生み出して、星は誕生する──。んだよね?」

『そうだ。そして、その星が超新星爆発をおこし、再びガスや塵を宇宙空間にばら撒き、また、新しい星の燃料になる。地球が所属する恒星──。太陽も、そうして生まれた』

「うん。学校でもそう習ったよ」

『現在この星系にある太陽は、三世代目の恒星になる』

「そうなの?」

『ああ。そして、マカトフが誕生した惑星は、この星系で第二世代目として誕生した恒星を中心太陽とする、惑星だったのだ』

「え? どういうこと?」

『つまり、マカトフは先代の太陽系にあった惑星に存在していた知的生命体なのだ。地球や現在の太陽は、その星々が砕け、爆発した残滓から作られた星になる』

「地球の元になった星……」

『だから、地球人とマカトフ人が似た姿になったのも、偶然とは言えない理由があるのかもしれない』

「待った! 先代の恒星があった頃から生きているとすると、マカトフの年齢って──」

『少なく見積もっても、百億歳近くになるだろう』

「百億歳って……」

『亜光速で移動することによる、相対性効果によるものか、超寿命生命体の遺伝子によるものかは分からないが、マカトフがそれだけの時間を生きているのは事実だ』

 なんだか、ぼくの頭で理解できる範疇を、完全に超えてしまった気がする──。

『詳しい報告は、明日、クアウラ人の調査委員がやってくる。彼に聞いてくれたまえ』この言葉はぼくではなく、リオナに対して告げられた言葉のようだ。

「了解したわ。緊急信号発信許可は取ってくれた?」

『許可取得済だ』

「そう。ありがとう」

『それでは、後の事は頼む』

 らうるるるるあはそう言うと、再び光に包まれ、消え去ってしまった。

「母星に帰ったの?」リオナに聞いた。

「他の調査委員の所へジャンプしたのよ。通信傍受されるかもしれないから、らうるるるるあが直接情報展開しているの。たぶん、明日来るクアウラ人の所か、隣のエリアの調査委員の所へ行ったんだと思うわ。長距離ジャンプの応用編みたいなものよ」リオナがぼくの方を向いて答えた。

 リオナの顔を見つめた。マカトフは恐ろしいけれど、君がいてくれるならぼくはきっと勇気を振り絞れる気がする。

「虐殺者を捕獲か……」ぼくは思わずつぶやいていた。

「本当によかった? 蓮? 迷惑じゃなかった?」

「全然迷惑じゃないよ。それより、やる気の方が出てきたかもしれない」

 そんなぼくを見て、リオナは不安そうな顔をして「あのね……。蓮、勘違いしていなければいいんだけれど……」と、言った。

「何を勘違いするの?」

「これは、地球人や他の星の人にとっては全く関係無い事なのよ。トスク人がサンプルを欲しがっているだけなんだから」

 リオナが何を言いたいのか、ぼくにはよく分からなかった。地球人や他の星の人間に関係ないだって? いや、充分関係あるよ。何しろ相手は宇宙を又にかける大悪人で、そいつが、地球にやってきているのだから。しかも、地球人の誰かが持っているかもしれない、特殊能力の遺伝子情報を求めて。

 そして、ぼくは、それを食い止めるため、戦う。立派なヒロイックストーリーだ。

 このぼくが、世界を、いや、銀河を守るヒーローになれるかもしれないんだ。

 あれほど憧れていたヒーローに!

 しかも、リオナからの尊敬も受けられるかもしれない。

 ここは引き受けるしかないだろう!

「大丈夫。心配しないで」きっと、ぼくが怪我をしたりするのを心配してくれているんだろう。

「本当? なら良いんだけれど」

 心配そうにしているリオナに向かって、ぼくはサムズアップをして返した。

「ところで、らうるるるるあと話していた時に言っていた、〝六ラーン〟って、なんの単位なの?」

「距離の単位よ。メートル法だと、だいたい二百メートル」

「と、言うことは、マカトフがこの街にいるとしても、二百メートル以内に入らないと分からないって事?」

「そうよ」

「簡単には見つけられなさそうだね」

「ええ。それに、もうこの街からは移動してしまっているかもしれないし」

「……。もしも、マカトフがこの街から移動してしまっていたら、リオナもマカトフの後を追って行くの?」

「それは……。まだ分からないわ。隣のエリアに別の調査委員も待機しているし。後を追うのか、ここで待機かは、らうるるるるあの指示次第よ」

「そうか……」

 ぼくのヒロイックストーリーも、マカトフがこの街にいなければ全て終わり。いや、そんな事より、リオナとお別れになってしまうかもしれない。今のぼくには、それが一番厳しかった。リオナとはいつかお別れしなくてはいけないと、心の中では分かっていた。けれど、感情がその事実を拒もうとしていた。いつまでも一緒にいられるわけはない。でも、もう少しだけでいいから、ぼくはリオナと一緒にいたかった。たとえ彼女がコピーの転送体であったとしても。ぼくの知っている彼女は、目の前にいるこの子だけなんだ。ぼくが淡い思いを抱いているのは、数万光年も離れた所にいる彼女じゃない。今、ここにいる彼女なんだ。

 マカトフは宇宙を駆け巡る悪しき宇宙人らしいけれど、なんとかこの街に長居してもらいたいと、不謹慎にもぼくは思った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る