第2話 二日目 月曜日
脳が揺れていた。いや、頭が揺れていた。その揺れで目が覚めた。ぼくの頭を揺らしていたのは──リオナ。良かった。昨日の事は夢じゃなかったんだ。
「やめて、リオナ。もう、起きたから」
「本当?」半分怒りのこもった語調だった。「五分以上動かしていたから、疲れちゃった」そう言うと、リオナはその場に座り込んだ。ぼくは頭を少しずらして、彼女を見た。もう既にパジャマから着替えた彼女は、今日もリセ姿。ただし、今日はセーラー服ではなくて、ブレザー姿。胸元のエンジ色のリボンが可愛かった。
しかし、どうしてこう制服ばかりなんだろう? ぼくはこの手の服しか買ってこなかったのだろうか?
「蓮、早く起きて! で、ごーはーんー」リオナがぼくの目前三ミリに迫ってきた。
「お腹すいたの?」
「蓮とは、蓄えておける食べ物の量が圧倒的に違うんだもん。夜中からずーっと、お腹ペコペコだった!」
怒り半分な理由が分かった。
「ごめん、ちょっと待っててね。すぐにご飯作るから」
ぼくはベッドから起き上がり、顔を洗って、キッチンの前に立った。
「あ、蓮。トーストはやめてね」リオナが突然電子レンジの上に現れ、そう言った。短距離ジャンプをされると、さすがにまだビックリする。
「トースト以外だと、お米のご飯しかないよ。なんでトースト嫌なの?」
「飽きちゃった」当然とでもいうかのような顔をしていた。
「飽きたって、……早いねぇ」
「昨日、全食トーストだったもん。さすがに飽きちゃった」
「トーストが駄目なら、お米のご飯でいい?」
「……。うん」
リオナの返事はかなり微妙だった。お米一粒がリオナには大きすぎるもんね。ので。ぼくは一粒のお米を六つに分けるなどという、素晴しく肩の凝る作業をして、一食でっち上げた。
「ありがとう、蓮。おいしかった!」
「そう? 喜んでもらえて良かったよ」
しかし、これから毎食あんなちまちました作業をしなくてはいけないかと思うと、かなり面倒に感じた。食事については少し研究が必要かもしれない。
今日もバイトはお休みの予定だったのだけれど、どうしても朝のメンバーが足りないらしく、三時まででもいいから来てほしいと店長さんから電話でお願いされてしまった。こうなると、さすがに断るわけにもいかない。
「リオナ、一人でも……。大丈夫だよね?」
「うん。大丈夫」
と、いうわけで、エアコンを付けっぱなしにし、リオナのお昼ご飯代わりにポテトチップスの袋を開けて、ぼくはバイトに向かった。
バイト先の本屋さんまでは、電車で五区間の長距離。この辺りの中心的市街地にある。探せばもっとご近所でコンビニやらお弁当屋さんやらのアルバイトはあったけれど、本に囲まれた生活がしたくて、今のバイト先に決めた。本とレンタルDVDとセルCDの複合店だ。
本屋さんに到着した頃には、定時の十時を少しまわっていた。
「すみません。遅れました」
「あ、いいよ。それより、無理言ってごめんね。課題の方、大丈夫?」このお店の店長さんは、店長であるにもかかわらず腰が低いので、ぼくは好きだ。
「はい、なんとか進んでますから」一つ嘘をつくと、その嘘がさらに多くの嘘を呼ぶ……。チキンハートなぼくには、結構辛かった。
「そう、じゃあ、神崎(かんざき)さんが先に来てるから、一緒にレジに入ってくれる?」
「はい。分かりました」
ぼくはユニフォーム代わりのエプロンをつけながら、レジに向かった。
神崎さんは今年大学に入ったばかりの女の子。一浪しても大学に入れなかったぼくと違って、現役合格の優秀な子だ。ぼくと変わらないくらいの身長なので、女の子としては結構背の高い方だと思う。少し丸みがかった顔に、いかつい黒縁のメガネが似合っている。美人ではないけれど、愛らしい感じの子だ。彼女も夏休みに入っているため、最近バイトでよく顔を合わせる。
店の中には、他にパートさんが四人。皆さん、朝の商品出しで慌しく動いていた。
「おはよう」
「おはようございます。棚橋さん、遅刻ですよ」
ごめんごめん、実は、昨日から家にエイリアンさんが泊まりこみで調査に来ててね。っと、言いたかったけれどやめておいた。
平日朝の本屋さんというのは、商品出しが忙しい以外、実はかなり暇だ。とは言え、お客様がみえるかぎり、レジに最低二人いないといけないというジレンマ。今日はレジに本を持ってくるお客様もあまりいないため、ぼくと神崎さんは文庫本や新書にかけるカバーを折ったり、付録のついている月刊誌を紐で結んだりしながら話をしていた。
内容は──。
「そう言えば、棚橋さん、昨日の〝クライング・アップスター〟見ましたか?」
「ごめん、昨日はいろいろあって、深夜アニメ見てないんだ。録画はしてあるけれど」
「なら、絶対見た方がいいですよ!」
「なんで? そんなに面白かったの?」あのアニメ、かなり酷評していたのに。神展開でもあったのかな?
ぼくがそう言うと、神崎さんは手を止め、こっちを向いた。
「いえ、すっごい、作画崩壊だったんですよ!」
「そんなに凄かったの?」
「ええ、近年まれに見る崩壊っぷりでしたよ。もう走ってるのか、空中を歩いてるのか分からないくらいのコマ落ちでしたもの。ツイッターも掲示板も大騒ぎで、軽い祭り状態になっちゃて。だから、絶対に見ておいた方がいいですよ。ヤシガニ再来か! ってくらいでしたから。そして、録画したやつは消さないこと! DVDやブルーレイでは修正されちゃうかもしれないですから」
「り、了解」
満面の笑みを浮かべた神崎さんがさらに続ける。「いやぁ、それにしても、あのアニメ凄いですよね。声優さんはみんな棒読みだし!」
「うん。そうだよね」
「原作には登場しない、いかにも萌え路線狙ったオリジナルキャラがわんさと出てくるし!」
「ほう」原作まで読んでいないから、よく分からりませんが。
「しかも、そのキャラがウザいこと、ウザいこと!」
「は、はぁ」
「エンドロールで原作者名が〝原作〟から〝原案〟に変わったアニメって、久々ですよ!」
「そ、そうなんです……か?」
「はい。久々の、やっちゃったアニメですよ」
といった感じの、アカデミックでオタク全開な話がメインだった。こういった話をする時、彼女のメガネがキラリと輝くような気がするのは──やっぱり、気のせいだよね。
しかし、なぜこれほどけなしているアニメを、神崎さんは嬉しそうに、楽しそうに、語るのだろう? こんなにけなすなら、見なければいいのに。
まぁ、見ないとけなせないってのもあるけれど。
「棚橋君、注文してあった本が、昨日入荷したよ」
と、パートさんが教えてくれた。
「ありがとうございます。えっと……」
「お客様注文の本の中に入ってるから、探して」
「はい。分かりました」
お客様が注文や予約をされた本は、売り場に並べられずに、レジ内のストッカーに置かれる。
ぼくはぼく名義で客注を出して、普通の書店では手に入りにくい洋書を買っていた。
「またアメコミですか~。棚橋さん好きですよね~」神崎さんが覗き込みながら言った。
「アメコミが好きと言うか、ヒーローものが好きなんだよね」
「なるほど。そう言えば、私でも舌を巻くくらい特撮ヒーロー物に詳しいですもんね」
神崎さん以上……。
そ、そうなのか。ぼくはそこまでマニアックだったのか。
自分がマイノリティーだと知ると、ちょっとショックだった。
店内からお客様がほとんどいなくなり、商品出しも終わったようだった。もしもお客様がいらっしゃても、パートの方々にヘルプしてもらえるので、ぼくは「ちょっと立ち読みしてきていい?」と、レジを神崎さんにまかせて実用書の棚へ向かった。
料理レシピの本は山ほどあるものの、当然というか、当たり前というか、六分の一スケールの人間用レシピが書かれている本などなかった。が、ヒントになりそうな本はあった。
〝お手軽・パスタ料理〟が、それだ。
エンゼルヘアーを使えば、リオナでもパスタ料理は食べられそうな気がした。もっとも、エンゼルヘアーが簡単に手に入る食材なのかも知らないし、食器をどうするかも問題だったけれど。
ぼくは本を持って、レジへ戻った。
「神崎さん、レジお願い。実用書の九百八十円。千円から」ぼくは千円札を彼女に渡した。
「棚橋さん、料理なんてするんですか?」
「料理は結構好きだよ。パスタはあまりした事ないけれど」
「それで、新たに料理研究ですか。なるほど。一人暮らしの男の人が料理上手って、なかなかの萌え要素ですね」
神崎さんは何かに納得したような表情で、そう言った。
「料理上手は萌え要素ですか?」
「萌え要素ですね。しかも実力を知られないよう、隠れて料理研究なんてかなりの上級者です」
相変わらず、納得したような表情だった。ぼくに言わせれば、どちらかと言うと〝萌え要素〟と言うより〝便利な男要素〟のような気がするけれど。そもそも〝上級者〟とは何をもって〝上級者〟なのか? 〝中級者〟と〝上級者〟の違いはどうなっているのだろう?
マニアの世界の基準は分からない事が多いなぁ。
と、ここでぼくは気がついた。彼女ほどのマニアなら、立体物にも詳しいのではないだろうか?
「神崎さん、フィギュアとかって守備範囲内?」
「フィギュアもドールも守備範囲内です」
「小物を売ってるお店とか知ってる?」
「小物って、なんですか? サブマシンガンとか日本刀とかフライングユニットとかですか?」
「いや、もう少し一般生活から乖離してない、お皿とかコーヒーカップとかフォークとか」
「ジオラマでも作るんですか?」
「ま、まぁ、そんなとこかな」家にいらっしゃった宇宙人様用とは言えなかった。
「スケールは?」
「約六分の一」
「なら、扱ってるお店ありますよ。ただ……」
「ただ?」
「裏道の方だから、説明しづらいんですよね。棚橋さん、今日、何時までですか?」
「今日は三時まで」
「私、四時までだから、一緒に行きましょうか?」
「本当? いいの?」
「ええ。私も欲しい物あるし」
「お店は遠くない? 実はなるべく早く帰らないといけなくて」
「大丈夫、ここからならすぐですよ」
と、いう事でぼくはアルバイトが終わった後一時間、店の本を立ち読みしつつ神崎さんを待った。
超ドレッドノートクラスのオタク様である神崎さんに連れてこられたお店は、メインストリートの裏のそのまた奥、地下に続く階段を二階分下った先にあった。確かにこの場所は口でも地図でも伝えづらい。
そしてこの店の外観がまた……。なかなか入店するのに躊躇させられる外観だった。
例えるなら、リドリースコットが演出し、デザイン専門学生がそれをデッドコピーしたような感じ。
やたらと脚の長いフェイスハガー風クリーチャーや、写楽をスプレーペイントしたような浮世絵が浮き彫りになっていたり、描かれていたり。
不気味と言いましょうか、明らかにデッサンがおかしいと言いましょうか、いかにも〝表向きだけがんばりました!〟な感じの外観だった。
本当に、一人で来なくて良かった。絶対に入れないよ、こんなお店。
神崎さんが先に立ち、ドアを開けて中に入った。若干恐る恐るぼくも後に続いた。
外観こそ怪しげなアンダーグラウンドを醸し出す雰囲気だったけれど、お店の中は普通に明るく、狭いなりにきれいにまとまっていた。どちらかと言えば、感じのいいお店だ。
が。
「神崎さん」
「なんです?」
「レジの中に、見慣れたアニメキャラクターさんがいらっしゃるんですが」
「ああ、このお店の店員さんは、趣味でコスプレしたままレジに入るんですよ」
「お店が強要しているのではなくて、自主的なの?」
「そうですよ。着替え部屋には基本的なメイク道具もお店で用意してくれているから、ここのバイトは競争率高いんですよ」
「なるほど」
一地方都市のこんな所では、レイヤーさんなどという方にはめったにお目にかかることもないため、ぼくは思わず見入ってしまった。
「どうしたんですか? お気に入りのキャラなら、お願いすれば写真くらい撮らせてくれますよ。目線入りで。ローアングルは駄目ですけど」
「いや、そういうんじゃないんだ。ちょっと珍しくてね」
「ああ、確かに、お祭りに参加した事ない人には、珍しいかもしれませんね」
「神崎さんはここでバイトしないの? コスプレとか好きそうだけれど」
「コスプレは〝元〟が良くないと残念な事になりますからね。私はしないです。見るのは大好きですけれど」
〝元〟がって、神崎さんだって、充分可愛いと思うけれどもな。
ぼくがまだコスプレ店員さんに目を奪われていると、
「食器とかの小物は、こっちの棚ですよ」と、神崎さんが声をかけてきた。
コスプレ店員さんからなんとか視線を引き剥がし、ぼくは神崎さんの招く棚の前に行った。
食器と言っても、〝所詮は六分の一スケールだし〟と思っていたぼくの考えが愚かだった。お皿もカップもスプーンも、素晴らしく良く出来ていた。フォークにいたっては、もう匠の技と言っていいほどだ。しかし、これだけ精密な仕事のしてある一品となると、予想をしていた以上の金額で……。
「いくらなんでも、三千八百円は高すぎない?」ぼくはコーヒーカップとソーサーの入った小袋を指先で振りながら、神崎さんを見た。
「真鍮から削り出しですからね。それくらいはしますよ」
「ここまで完成度が高くなくてもいいから、もう少し安く手に入らないかな?」
神崎さんはぼくから小袋を取り上げると、それを見つめながら考えていた。
「うーん、そうですねぇ。リアル志向からはかけ離れちゃいますけれど、シルバニアかなぁ」
あ、そうか、それがあったか。シルバニアは知っている。昔、近所の女の子が集めていたから。
「そうそう、それくらいのでよかったんだよ。ありがとう。気がつかなかった」
「お子様用ですけれど、なかなか良いですもんね。シルバニアの小物」
「うん」やっぱり神崎さんに聞いてみて良かった。
「あ、でも、シルバニアのフォークは、先が分かれてませんよ」
「そうなの?」
「はい。安全設計ですからね」
「それなら、フォークとスプーンだけは買っていこうかな」
ぼくはフォークとスプーンがセットになった袋を手に取った。
「そうだ。あと、食玩も良い物が沢山ありますよ」
「食玩? 食玩のおまけ?」
「おまけと言うか、既におもちゃの方がメインですけれどもね。食器のシリーズとか発売されていますから、探してみるといいですよ。ちょっと大きめのスーパーとかに売ってますから」
「うん。ありがとう。帰りに探してみるよ」
本当に、頼りになるなぁ。
それと、日用品ではありませんけれど、こんなのもありますよ。
と、神崎さんが渡してくれたアイテムは──。
「ア! アダマンチウムクロー!」
「こっち側の棚はこんなのばっかりですよ」と、逆サイドの棚を指さした。
アダマンチウムクローだけじゃない。ルビークウォーツバイザーやマークⅠの素体やクリプトナイトの結晶、外骨格フレームまである。
欲しい。たまらなく欲しい。しかし、これは女性キャラに付けるパーツじゃないしな。
かなりマニアックな路線のアイテムまで網羅してるっていうのに、なんで男性キャラのアイテムばっかりなのか──?
ってそうか、アメコミの女性キャラってあまり固定アイテム持っているキャラいないからか。テレパシーやサイコキネシスや気象コントロールや非実体化能力や魔力みたいな、身についている能力で戦うキャラばっかりだもんね。
欲しいのは山々なれど、リオナには似合わないだろうし、今回はあきらめよう。
アルバイト代が入ったらごっそり買ってしまいそうな自分が怖い。
神崎さんは自分の探し物があるとかで、ズンズン店の奥へ行ってしまった。
神崎さんが自分の買い物をしている間、ぼくは一人で店の中を見てまわった。
さすがはその手のマニアがやってくるお店だけあって、飾ってある服の種類が昨日行ったおもちゃ屋さんとは比べ物にならず、また、完成度も高かった。
しかし、この、総レース編みの下着なんて、買ってどうするのか? いや、人形に着せるのだろうけれど、いいのか? それで? 等々考えながら見ていた時、一着の服が目に留まり、ぼくはその服を棚から取り出して眺めていた。
それにしても、よくできてる。スケールダウンがあまり感じられないくらいだ。
「メイドさん衣装ですか?」神崎さんがぼくの肩越しに話しかけてきた。
「うん。よくできてると思って」
「気に入ったなら、買っちゃえ買っちゃえ!」
「うーん、ぼくはあんまりメイド萌えじゃないから、いいよ」
「そうですかー」
ぼくはメイド衣装を棚に戻し──別の服に目を奪われ、取り出してしまった。
「今度はゴスロリですか?」
なるほど。このフリフリレースの塊の服をゴスロリって言うんだ。
「ゴスロリは好きなんですか?」神崎さんが矢継ぎ早に質問してきた。
「うん。嫌いじゃないけれど──。できれば、こう、真っ黒なやつじゃなくて、もう少しポップな色味のあるやつがいいな」
「ああ、ならこれでどうです?」
神崎さんが棚の一番上から、一着の服を取り出した。それは、同じフリフリレースの塊だったが、白とピンクと赤という、有彩色に染められていた。
ぼくはその服を受け取り、「こんなのもあるんだ」とつぶやいた。
「普通ですよ。ごく普通の〝アマロリ〟」
「〝アマロリ〟とは?」テクニカルタームで攻めてくるなぁ。
「〝ゴス〟じゃない、甘いロリータ衣装だから、〝アマロリ〟です」
「〝ゴス〟じゃない、ロリータ衣装なら、普通の〝ロリータ衣装〟なんじゃないの?」
「ま、言ってしまうとそうなんですけれどもね。ゴシック・ロリータを〝ゴスロリ〟って呼び出したから、今までのロリータ衣装を〝アマロリ〟って呼び出したんです。絶対領域を作るために、最近のアマロリはゴスロリと同じくらいミニスカートになってますけれど」
分からない。
マニアの世界の事は、分からない事だらけだ。
まぁ、名称は関係なく、この服はちょっと、いや、かなり気に入った。リオナが着たら、さぞかし可愛く……。
危険な道を進もうとしているな、ぼくは。
「気に入ったなら、買っちゃった方がいいですよ」
「でもね、九千六百円はちょっとなぁ」
「今買っておかないと、次に来た時には、もう無くなってますよ」
「……そうなの?」
「そんなもんです。このメーカー人気ありますしね。〝欲しい物はその時買え〟はコレクターの鉄則ですよ」
別にコレクターではないから、どうでもいいのだけれど、しかし、リオナがこれを着たらやっぱり可愛いだろうな──。いや待て、もうこれ以上お金を使うと、本気で洒落にならない事に──。でも、リオナがこれを着たらとんでもなく可愛い──。
と、ぼくの中の悪魔と堕天使が戦った結果、ぼくは服をその手に持ったまま、店の中の探索を続ける事になった。
もう貯金を崩してしまったんだ、一万円追い銭しようが、二万円追い銭しようが変わらないだろう。
……と、考えるといつの間にか借金地獄に落ちていくのだろうなぁ。
とにかく見るもの全部が珍しかった。そして、見つけてはいけないものをぼくは何点も見つけてしまった。
白地にピンクのストライプのニーソックスとか。
同じ母集合にカテゴライズされそうな下着とか。
最強アイテム猫耳のカチューシャとか。
それらを見つけ、見つけるそばから買ってしまった。完全に、いろんな意味で欲望に負けていた。もう、お金の事を考えるのは止めた。
そんなぼくに、神崎さんから鋭い突っ込みが入った。
「やたらと下着が多くありません?」
はい。多いと思います。女児玩具のビキニでは、せっかくのリオナ様のお胸様がおかわいそうで……。それで、トップスに合うインナーやらをいろいろ考えていたら、『買ってどうするのか?』とか思っていた商品を、結局買ってしまったりもした自分がいます……。
お店を出て、神崎さんと別れた。いつかフィギュア見せてくださいねと言われてしまったけれど、一生見せる事はできないだろう。
ぼくは表通りのショッピングセンターに行き、おもちゃ売り場、シルバニアの棚で物色を始めた。以前のぼくなら恥ずかしくてゆっくり見る事などできなかっただろうけれど、昨日と今日でぼくも随分と鍛えられた。そんなぼくにとって、シルバニアは全くもって、低いハードルだった。
コップにお皿、その他諸々の小物を、いもしない妹の誕生日プレゼントという名目で買った。もう、この手の嘘にあまり罪悪感を感じなくなっていた。
それと、食器セットの食玩をいくつか、これはプレゼント名目でなく購入。それにしても、こんなおもちゃを発売して需要はあるのだろうか? 何にでもコレクターはいるのかもしれないけれど。
ショッピングセンターの地下階にある食料品売り場で、食材を探した。エンゼルヘアーはなかなか見つからなかったけれど、店員さんに聞き、なんとか入手。さすがは巨大ショッピングセンター。品物の充実ぶりは家の近くのスーパーマーケットとは大違いだ。
その他料理に必要となる食材を購入して、ぼくは家路についた。
時間はもうすぐ夕方六時半。リオナがお腹をすかしていなければいいけれど。
部屋へ入ると、リオナはクッションで寝ていた。リセの格好ではなく、パジャマで。
クッションを揺らして、リオナを起こした。
「ただいま。リオナ」
「んー。蓮。おかえりなさい~」
テーブルの上には、空になったポテトチップスの袋と、濡れたブレザーの服があった。
「ポテトチップス、全部食べたの?」
「うん。美味しかったー!」
いったい、この小さな体のどこにこれだけの物が格納されたのか?
「一袋も食べたなら、のど渇かなかった?」
「カラカラになったよ。だから、短距離ジャンプでキッチンに行ったんだけど──」
「だけど?」
「蛇口はもう少しゆるく閉めておいてほしかったな。おかげで頭から水をかぶっちゃった」
なるほど。ずぶ濡れのブレザーは、激しい戦いの末の結果でしたか。
「ごめん。今度から気をつけるよ」ぼくは鞄から、マニアックなお店の黒い袋を取り出した。「お詫びと言ってはなんですが、新しい服を買ってきました」かなり趣味全開ですが。
リオナの目がキラリと光った──気がした。
「ほんと? どんなの? どんなの?」
ぼくは少し躊躇しながら、袋から服と小物を取り出した。この、マニア度が全開な服を見て『こんなの嫌。どういう趣味してるの?』とか言われたら、完全に心が折れてしまう。が、ぼくのそんな心配は無用だった。リオナはパステルカラーでフリルの塊の服を見ると、感嘆の声をあげて、「可愛い!」と、満面の笑みを浮かべた。
「私これ知ってる! 勉強してきたもん! 〝ゴスロリ〟って言うんだよね?」
「違います。これは〝アマロリ〟です」既に先生から学習済みです。
「アマロリ!」驚いたようにそう言うとリオナは、服を見つめた。そして「アマロリとゴスロリの違いは?」と聞いてきた。少しデジャブーを感じた。
「主に使用している色味みたいです」細かい違いはもっとあるのだろうけれども。
「なるほど」感心したようにリオナは言い、ぼくの手から服を受け取った。
「あと、小物です」ぼくはニーソックス等を取り出した。
「凄い! 一式揃えてきてくれたんだ!」
「うん。リオナに似合うかと思って」
「ありがとう。さっそく着てみていい?」
「もちろん。どうぞどうぞ。ぼくは夕食作るから、その間にでも」
「うん。……蓮?」
「何?」
「こっち覗かないでよ」
「はい、分かってます」出会った時に全裸を見られているのだから、今さら気にしても仕方がないような気もするけれど、これが乙女心なのでしょうか。
服と小物を全て床に置き、ぼくは食材とリオナ用の食器を持って、キッチンに向かった。このちんまい食器を洗うのは、少しコツがいりそうだ。
料理は──。思った以上に、難航を極めた。材料を六分の一サイズにダウンサイズするのにも苦労したし、味付けや時間もそれに応じて変えなければならなかったので、簡単にはいかなかった。
とにもかくにも、それっぽい料理に整えて、リオナの待つテーブルへ料理を運んだ。
テーブルの上ではリオナが、ヒラヒラスカートをひるがえし、ぼくのハンドミラーに姿を映していた。
その表情を見るかぎり、『こんな服イヤ!』とは真反対の表情だ。ショートカットのリオナには、もしかしたらあまり似合わないかもと思っていたけれど、そんな心配はいらなかった。むしろ、飾り気のないショートカットだからこそ、重たい見た目にならずにすんでいるようだ。
愛らしい笑顔も手伝って、リオナは素晴らしく可愛かった。ストライプのニーソックスと、絶対領域も眩しかった。
けれど、一つだけ付けてくれていないアイテムがあった。猫耳のカチューシャだ。
ぼくは料理をテーブルの上に置いて、猫耳カチューシャを手にとった。
「リオナ、これは気に入らなかった?」
リオナは一人ファッションショーをやめて、ぼくを見た。「ああ、それ、どこにつける物だか分からなくって」
異星人のデータベースには、猫耳の項目が無いんですね。
ぼくはカチューシャの端を広げ、リオナの頭にそれを付けた。
猫耳を付けたリオナの姿は……卑怯なほどによく似合って、可愛かった。最終兵器に使えそうなほどの威力だった。
リオナは鏡を見ながら、「こう付ける物なんだ」と言った。
「頭、痛くない?」
「うん。大丈夫。でも、この動物の耳を付けるのも、ファッションなの?」
「かなり、限定された趣味のファッションだけどね」
「ふぅん」
「……リオナ、もしかして、嫌?」
「そんなことないよ。ちょっと不思議だっただけ。こういう、ちょっとキマイラみたいな物も、可愛い範疇に入るのね」
「かなり限定された人間にだけだけれどね」
「ふぅん」
……。と、とりあえず、気に入らなかったようではないので、良かったとしよう。
リオナはその後も鏡を覗きながら眉毛を触ったり、髪を直したりしていた。そのたびに、表情が明るくなったり暗くなったり……。
「リオナ、何してるの?」
「え! え~とね」
「うん」
「せっかく、こんな可愛い服を買ってもらったから、お化粧とかしたいなと思っただけなんだけど……」
「トスク星でも、やっぱりお化粧はするの?」
「トスク星ではしないけれど、地球人の女の子はするんでしょう? テレビでもよくその手の番組をやっているし」
「最近は男の子もするけれどね。確かに女の子で、すっぴんでがんばる子は少ないね」
「地球に来て、今までしていなかったんだから、急にこんな事言うと変かなと思って……」少し照れくさそうにリオナが言った。
そうか。お化粧か……。ぼくはリオナの顔に見入ってしまった。
「な、何? 蓮? じろじろ見ちゃって」
「いや、リオナって、すっぴんでそんなに可愛いんだから、さぞや綺麗になるんだろうなと思って」
リオナは真っ赤になって「そ、そんなふうに言って、からかわないでよ!」と、言った。
ぼくは思わず笑ってしまった。
そうだよね。お化粧道具も欲しいよね。せめて、乳液と化粧水くらい買ってくればよかった。
そして夕食。リオナはまず、自分用の食器に喜び、次に料理に大喜びしてくれた。思えば料理は好きだけれど、他人のためにメニューから考えて食材選びまでして作ったのは今回が初めてだ。「美味しい美味しい」と言って食べてくれるリオナを見ていたら、心の底から嬉しくなった。がんばってよかった。
「あのね、蓮」
「何?」
「明日もお仕事?」
「いや、明日からもしばらくお休みにしてもらってきたよ」
「じゃあ、よかった」
「なんで?」
「明日、お客さんが来るんだけど、いいかな?」
「お客さん? リオナの星の人?」
「ええ。昨日話した、ロードである、トスク人の監査官がやってくるの」
「ああ、そうか、そう言えば、そんな話もしたっけ。ぼくは全然かまわないよ」
「ありがとう。トスク人が来れば、きっと蓮の疑問の多くにも答えてもらえるから」
「うん。楽しみにしているよ。何か用意しておく物あるかな? 服とか食事とか」
「トスク人に服はいらないわ。食事も。ただ──」
「ただ?」
「お水を用意しておいて。水道水でもいいけれど」
「ん。まぁ、せっかくお出迎えするんだし、後でコンビニに行って、ミネラルウォーターを買ってくるよ」
「あ、じゃあ、ついでに、ポテトチップスも買ってきて」
「……気に入ったの? 飽きてない?」
「全然飽きてないよ! たまらなく美味しいもん~」リオナのうっとりとした表情からすると、よほど気にいったみたいだ。
「わかった。ミネラルウォーターとポテトチップス買ってくるよ」
「ありがとう」と言って、リオナはにっこり笑った。
ぼくはコンビニまで自転車を走らせ、ペリエのガス無しとポテトチップスを味違いで五袋ほど買って帰った。ポテトチップスを見たリオナは、大喜びしていた。
寝るにはまだ少し早い夜、テレビを見ていたら、学校の友達から電話がかかってきた。
「課題のプログラムなんだけど」友達のこの一言で、一気に現実世界に引き戻された。
「何? ハマってるの?」
「ううん。そうじゃなくて、GUIからのイベントメッセージの一覧表をパソの方にメールしておいたから、確認しておいて」
「了解。もう、かなり進んでる?」
「それが、あんまり……。とりあえずインターフェイスに必要な部分だけは作っておかないとと思ってね。そっちは?」
「実は、ぼくもあんまり……」
「制御部分がそれだと危なくない? リンクまであと三週間だけだし」
「うん。分かってる。できるだけ早く作って、オブジェクト送るよ」
「分かった。じゃあね」
「じゃ」
課題を片付けるという名目でアルバイトを休み、友達からもせっつかれては、少しでも終わらせておかないと、自分の心に嘘もつけない。
ぼくはノートパソコンをテーブルの上に置き、電源を入れた。
課題は、学校側から配られた仕様書を満たすプログラムの作成。
ぼく達はスクリーンテンキーの作成で、友達がGUI部分の作成。ぼくが制御部分担当。ちょっと、ぼくの方が作業が重たいかな。
C言語のパッケージエディターを立ち上げて、今までに完成させていたCソースファイルを開く。
う~ん、GUIから送られてきた信号によって、アスキーコード表を参照するだけの簡単な処理なんだけど、やっぱり要求仕様書だけでは無理かな? プログラム設計書まで作ろうか? と、いうよりもたったこれだけの処理のロジックなら、無理やりオブジェクト指向型でプログラムせずに、普通にストラクチャードプログラムでコーディングした方が楽なような気もするなぁ。
ぼくがパソコンの前でうなっていると、いつの間にかリオナがディスプレイを覗き込んでいた。
そして、
「蓮。ここはif~elseで分けずに、初期値を先に入れておいた方がいいわよ」と、言った。
「ん? どういうこと?」
「最初に初期値を入れておくイニシャルのルーチンをイベントとは関係なく作っておいて、イベント内では送られてきたデータだけをスタックするようにするの。そうすれば、ポインターの制御だけで済むから処理速度が速くなるわよ」
「んんん? ああ~! そうか! なるほどね。イベントで降りてくるトリガーだけに気を取られてたよ。ありがとう」
ディスプレイを見ていたリオナが、ぼくの方へ振り向いた。
「いえいえ、どういたしまして」
「それにしても、リオナ、よくC言語が分かるね? トスク星でプログラマーさんでもやっていたの?」
「全然。私はコンピューターについては、さっぱりよ」
「え。でも、結構詳しいじゃない?」
「これくらいのアーキテクチャの、イベントドリブンタイプの処理ならさすがに分かるわよ」リオナが笑いながら言った。「異星文化を覚えるついでにね」
異星文化を覚えるついでか……。ついでに覚えたのに、専門で勉強しているぼくより詳しいとはなぁ。
そう言えば、ゴスロリを〝勉強してきた〟って言っていたけれど、それもついでかな?
「ねぇ、リオナ、リオナは日本語も上手だし、地球のいろんな事も知ってるよね? なんでそんなに詳しいの?」
「母星で勉強したのよ」
「どうやって?」
「地球軌道上に設置してあるタキオン通信機で、地球のテレビやラジオなんかの放送電波をトスク星に送って、その放送電波をデコードして勉強したの」
「そうか。なるほどね。リオナがこっちにやってきたのとは、逆の道程で電波を受信してたわけか」
「そうよ」
「それでも、地球には多くの言語があるのに、日本語の電波だけをよく選別できたね」
「していないわよ」
「していない……?」
「ええ。デコードできた電波については、全部勉強したの。勉強していた段階では、どの国に派遣されるか分からなかったし」
「全部勉強したって、英語も?」
「うん」
「フランス語も?」
「うん」
「ドイツ語や広東語やハングル語やロシア語も?」
「そうよ。全部覚えて、その国の文化形態も全て覚えたの。三か月くらいかかったかな」
「三か月で……全部覚えたの?」
「そうよ。なに驚いた顔してるの?」
「いや、そんな短期間に何もかも覚えたなんて、凄いなぁと思って」
「文化調査委員ですもの、当然よ!」リオナは胸を張って言った。
思い出してみれば、テレビ番組を見て笑ったりもしていたっけ。よく考えれば、全く違う言語・文明・文化の場所に来て、テレビを見て笑えるって凄い能力かもしれない。
しかし、リオナの記憶は若干怪しいところもあった。
それは、歌について話をしていた時だ。
「歌も覚えてきたわよ」リオナが言った。
「どんな歌が好みだった?」
「私が好きなのは~。〝大きな古時計〟とか」
それ、オリジナルはアメリカのポピュラーソングで、日本の歌ではないんだけど……。まあいいか。。
「良かったら、ちょっと歌ってみてよ」
「いいわよ。でも、間違えてても笑わないでよ~」
「人の歌を聞いて、笑うなんて失礼な事はしません」
「なら、歌うね」
「うん」
「お~お~きなのっぽのふるどけい~おじいさんのとけい~」
リオナの透き通った声は、とても綺麗だった。
「百年いつもうごい~てきた~ごじま~んのと~けいさ~」
リオナ、ナカナカ上手だな。流石は文化調査委員。
「おじい~さんの~産まれた朝に~かって~きたと~けいさ~」
うん、完璧じゃないか!
「今は、もう~、動かない~」
なんだか凄く微笑ましいな。
「おじい~さ~ん~」
「待った! リオナ!」
「え!?」
「〝今はもう動かない、おじいさん〟って、えらく物騒な歌に早変わりしてるんだけど?」
「や、やっぱり間違えてた?」
「いや、根本的なとこは間違えてないと言うか、本質は間違えてないんだけれど、歌詞は間違えてる」
「う~ん、日本語って難しいわねぇ」
日本語が難しいとかなんとか、そういう問題ではない気がするけれど。
ま、なんでも全部完璧とはいかないよね。
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