『たとえ君がべつの人でも』

山本てつを

第1話 一日目 日曜日


 ある日曜の朝、ぼくが目を覚ますと、身長三十センチほどの裸の女の子がぼくの顔を覗き込み、

「おはよう。はじめまして」と、言った。

「……」

「……」

「うわああぁぁぁ!」ぼくは叫び声を上げて、ベッドから飛び起きた。



 ぼくは夢を見ているわけではないらしい。夢にしてはリアルすぎる。今年も猛暑だけれど、まだ七月のこの暑さに頭がやられたわけでもないだろう。

 実在する。

 今、ここに。

 ぼくのバンダナを体に巻きつけ、テーブルの上に座わっている、六分の一サイズのフィギアみたいな女の子。

 ショートカットの栗色の髪。大きくて、少し目じりの下がった茶色の目。本当に人形のような可愛らしさだ。

 そして、そのルックスはぼくの心の琴線、記憶に強い衝撃をあたえた。中学生時代、片思いのまま告白できなかった子──山崎さん──にそっくりだったから。

 あの子に告白できなかった、五年越しの後悔が産み出した幻覚? それとも一夜にして人間が縮小化するウィルスでも蔓延して、彼女がやってきたとか?

 いくら考えを巡らしたところで、答えなんて出てこない。何かの説明を求めて、テーブルの上の女の子を見ても──。愛らしい笑顔でニコニコしているだけだった。

「あ、あの……」ぼくは意を決して声をかけた。声が少しだけ裏返ってしまった。

「何?」彼女が答えた。姿に似合った、可愛らしい声だった。

「えっと、何て言えばいいんだろう? 君、何者? ぼくの想像が暴走して産まれた幻? それともアンドロイドとか? 魑魅魍魎の類とか?」

「あ! そうだったね。自己紹介がまだだったわね」彼女は姿勢を正した。「改めまして。リオナ=ローです。地球で言うところの、宇宙人よ。よろしくね」とびっきりの笑顔がこぼれた。

 少し、幸せな気持ちになった。

 いや、そうじゃない!

 宇宙人、宇宙人だって!

「な、何をするために、こ、ここに来たんだ! ぼ、ぼくを人体実験の標本にでもしようって事か! メ、メンイン・ブラックは何をしているんだ! ヘルプミー!」

「違う違う、そんな気全く無いよ。もし、標本なんかにするつもりなら、こんなに悠長にお話なんてしてないってば」

 そ、それもそうか。で、でも。

「でも、すぐに〝はい、そうですか〟とも言えないよ」おそらくぶっ叩けば、ぼくの方が強いだろうけれど。「気を許したとたん、軌道上に待機させている宇宙船に送りこまれたりするかもしれないし」

「宇宙船なんかで来てないから、安心して。のん気にそんな物に乗って、何万年もかけて来たりしないから」

 確かに、UFOで地球に来ている宇宙人さん方達って、そこが気にはなっていたんだよね。何千年や何万年もかけて、やっと地球にやって来たにしては『大した事やらないよなぁ』『もっと自分をアピールしないと、フリーメイスンにメインストリーム奪われちゃうぞ』。と。

「少しは、安心してもらえた?」彼女がクラクラしそうな笑顔で聞いてきた。

 安心しきってしまうのはまだ早いと、ぼくの理性が騒いでいた。けれど、ぼくの本能がそのガードを強烈な力で下げようとしていた。


 彼女──リオナ──の、ルックスに、ぼくは取り込まれてしまっていた。中学生時代の、切ない思いが蘇ってきてしまっていた。

 少し憂いを湛えた瞳。心持ち小さな鼻。可憐な唇。ぼくの記憶にある、あの時の山崎さんそのままだ。

 初めて人の事を思って、心が熱くなった。

 初めて人の事を思って、胸が潰れそうに苦しんだ。

 初めて人の事を思って眠れないまま、一つ多い朝を迎えた。

 初めて〝命をかけても守りたい〟と思った人。

 その山崎さんに、リオナは瓜二つだった。

 忘れていた、熱い思いが。

 忘れていた、胸の苦しみが。

 忘れていた、あの頃のときめきが。

 忘れていた、〝愛おしい〟という心が。

 ぼくの中で再び生きた感情として目覚めてしまった。

 好きだった人にそっくりな人を見て、その人を好きになってしまう事も〝一目惚れ〟と言うのだろうか?

 今のぼくに蘇った愛情は、〝一目惚れ〟と言うのだろうか?

 一つだけ確かな事は、完全にぼくはリオナに恋心を抱いてしまったと言う事だ。

 この数年ぼくを素通りしていっていた恋の瞬間ってやつが、ノックも無しに突然断りもなく訪れたという事だ。


 ぼくはもう少しリオナの事を知りたくなった。知る必要があった。

「えっと、安心するためにも、少し質問させてもらっていい?」

「ええ。どうぞ」

「地球に来た目的は?」

「地球の文化調査と、もう一つ、ある宇宙人の監視のためよ」

「ある宇宙人って?」

「マカトフと呼ばれている宇宙人」

「マカトフ?」

「ええ。私達が知る限りにおいて、この銀河系で最悪の大量殺戮者よ」

「大量殺戮者?」

「そう。マカトフは自分の星の全人類、九十五億人を虐殺して、宇宙へと飛び出したの」

「その宇宙人と、地球となんの関係があるの?」

「地球に、そのマカトフが現れたらしいの」

「大量殺戮者が! いったい、なんのために地球に来たの?」こんなファニーな存在が、いきなりハードな事を言い出した。

「地球人の調査のためだと思うけれど、まだ、詳しい事は……」

「分からないの?」

「〝確実に〟とは言えない段階よ」

「地球人を虐殺するために来たのかな?」

「いえ、少なくとも全面攻撃を仕掛けてくるなら、こんなに悠長にはしていないと思うわ。だから、虐殺しようという意図は今は無いはずよ。あくまでも地球人の調査だけだと思うわ」

「そうか。なら、安心なのか……な……?」

「私がここにいる事を許してくれるなら、明日・明後日中にも私達の〝ロード〟がここへやってくるわ。その時、彼からもっと詳しい話を聞かせてもらえるはずなんだけど……」

 リオナがここにいるくらいは、全然問題ない。むしろ嬉しい。けれども、問題は〝ロード〟だな。

「その〝ロード〟が、身長四十メートルくらいあるってオチはないよね?」しかも黒雄羊の姿でコウモリの翼が生えていて尻尾が蛇だったり。

「大丈夫よ。私より小さいから」

 そうか。それなら心配いらないかな……とりあえず、ハエ叩きとぬのの服とおなべのフタくらいは装備しておこうか。

「もう一ついいかな?」

「何?」

「なんでぼくの家に来たの? 他の所でも良かったように思うんだけど」

「この部屋が他の地区にいる連絡員とコンタクトするのに、第二候補として都合が良かったからなんだけれど……」

 なるほど。それで我が家が、異星人交差点に選ばれたのか。

「なんで第一候補に行かず、第二候補のこの部屋に来たの?」

「第一候補地は、ちょっと問題が発生してね……」

「どんな問題?」

「また、折を見て話すのじゃ駄目?」

「まぁ、いいけど……」

 第一候補で問題が無ければ、こうして出会う事も無かったのか……。なにか奇跡のような物を感じた。天が与えた運命の出会い──なのかな?

「あの……。私が現れたの、やっぱり迷惑だった?」

「いやいや、迷惑なんかじゃないよ」

 少なくとも、今のところは。

「そう? よかった」相変わらずのまぶしい笑顔が炸裂した。「どうかな? 少しは信用してもらえたかな?」

「うん。そこそこ」

 実は、〝なんで裸で現れたの?〟とも聞いてみたかったのだけれど、なんと言いましょうか、まぁ、止めておいた。宇宙人とは言え、相手は女性だし。

「ところで、私からも質問していい?」

「ん? はい、どうぞ」

「お名前は?」

 そうか、そう言えば、まだ名のっていなかったな。

「棚橋(たなはし)蓮(れん)といいます。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 ぼく達は二人とも、深々とおじぎをした。

「蓮はここに一人暮らしなの?」

「うん。そうだよ」

 親からの仕送りと、アルバイトで一人暮らしをしている、良いご身分です。

「どんなお仕事をしているの?」

「専門学校の学生だよ」

 一浪したすえ、大学には入れませんでした。

「そうなんだ。じゃあ、しっかり勉強しないとね」

「うん」

 なんとなくではあるけれど、意思の疎通がとれたような気がした。まだまだ分からない事の方が多くて、完全に信じてしまって良いものかどうか不安はあったけれども、それでも、疑いよりも信じる気持ちの方が、ぼくの中では大きくなっていた。

 どうにか気持ちの整理もつきはじめ、ぼくは昨夜作ってテーブルの上に置いたままになっていた飲み残しのカフェオレを一口すすった。すると、そんなぼくを見上げてリオナが、何か言いたそうな、微妙な表情をしていた。

「リオナ、のど渇いてるの? 何か飲む?」地球の物を摂取して大丈夫なのか分からないけれど。

「う、うん、と言うか、あのね……」

「何?」

「お腹がすいちゃって……」顔を真っ赤にして、恥ずかしそうにそう言った。

「あ、そうなんだ。え~と、地球の食べ物でも大丈夫なのかな? 何か特殊な処理をしなくちゃいけないとかある?」

「ううん。大丈夫。地球の環境は私の母星と似ているから、普通に地球人が食べられる物ならほぼ問題無いわ」

「分かった。じゃあ、ちょっと作ってくるね」

「……うん。ありがとう」リオナが遠慮がちに言った。正直、凄く可愛かった。


 ぼくは自分用も含め、すっぴんのトーストを焼き、スクランブルエッグを作った。リオナ用にトーストは十六分割。さすがに我が家には六分の一スケールの人に対応した食器は無いから、スクランブルエッグには爪楊枝を刺した。そして新しくアイスカフェオレを作り、ぼくのはタンブラーに。リオナ用にはペットボトルの蓋を使った。

 ぼくの作った料理はかなり好評をいただいて、何度も「美味しい。美味しい」と言ってもらえた。手を加えた料理なんて、ほとんど無かったけれど。


 今は夏休みなので、今日はしっかりバイトを入れていた。けれど、お休みする事を早々に店長に電話しておいた。〝どうしても課題を早く片付けなくてはならなくなった〟とかなんとか、それらしい理由をつけて。まさか、〝身長三十センチの美少女がいらしたので、今日はアルバイトをお休みさせてもらいます〟なんて言えないから。嘘をついた結果になってしまったけれども、この緊急事態だし、神様もきっと許してくれる──と思う。


 食事を済ませ、その後も、ぼくはリオナと話を続けた。

 彼女の母星、トスク星は、地球から数万光年先の星。

 地球までは〝タキオン通信転送機〟を使って、やってきた。

 光よりも早いタキオン粒子を通信転送波に設定し、転送元でスキャニングしたデータを、転送先で実体化させるのだそうだ。

 地球側の送受信機は衛星軌道上に七機。七機もの人工衛星を勝手に浮かべていたら、某アメリカ国とか某ロシア国に知られてしまいそうだけれど、一機あたりの大きさは一辺が五ミリの直方体だそうで、なるほど、その程度の大きさならスペースデブリみたいなものだから、気付かれる事はないか。

 地球側の送受信機で受け取ったデータを、地上にタキオンビームとして送り、そこでデータの再配置をして、実体化する。

 母星から地球までは約四時間。転送時にデータの混信が起こる可能性があるから、服を着ない裸の状態でやってきて、お腹の中も空っぽにしてからやって来る。裸で現れた理由を結局聞いてしまった、ぼくだった。

 ここまで聞いて、一つの疑問が生まれた。

 トスク星で転送をした後、地球に現れるまでの四時間、彼女は生きていると言えるのだろうか? この世界に存在しているのだろうか? タキオン粒子変換された信号が、肉体と精神の全てになってしまうのか? その信号がなんらかの事故で消失してしまった場合、彼女にとっての死になってしまうのだろうか?

「もし、私の信号がロストしてしまっても、何も問題ないから、大丈夫よ」あっさりとリオナは言った。

「どうして? 君は消えてしまうのに」

「私は、コピーなのよ」

「コピー?」

「ええ。さすがに本体を転送するのはあまりにも危険だから、本体をスキャンして、そのスキャンしたデータだけを通信転送するの。長距離転送をすると、転送体の原子間のつながりがどうしても弱くなってしまうって事もあってね」

「なら、今、ここにいる君と、他にもう一人、本体である君が母星にいるっていうこと?」

「そうよ。もっとも母星にいる私は、活動停止状態になっているけれど」

「え? なんで?」

「私達の脳には、超小型通信機が埋め込まれているから、記憶も思考も何もかも共有しているの。その状態で本体が普通に生活していると、二人分の情報が脳に入ってきてしまうから、精神が耐えられないのよ。だから、コピーの私が活動している間は、本体の方を活動停止にしておくの」

 そうなんだ。

 コピー体。

 コピー体か……。

 コピーに、脳の通信機。地球の倫理というか、日本の倫理で動いているぼくにはどちらも違和感があった。でも、これがトスク星の倫理なんだろうなぁ。


「え~と、それでね、蓮」

「何?」

「お願いがあるんだけど」リオナがテーブルの上に正座して、両手をつき、前屈みになった格好で言った。胸元が眩しかった。

「調査に協力する事?」

「も、あるんだけど、もっと火急な用件」

「火急な用件?」

「うん。あのね、服を買ってきてほしいの」

「服? 君のサイズに合う服なんて、地球には売ってないよ」

「大丈夫! あるある。ちゃんとリサーチしといたんだから。そこの、それ」リオナがぼくの左方向を指差した。その延長線上には新聞の折込チラシがあった。ぼくは新聞などほとんど読まないのだけれど、親が絶対に取れとうるさく言うので主に資源ごみとして配達してもらっている。チラシは昨日の物で、おもちゃ屋さんの夏休みセールのチラシだった。

 ぼくはそのチラシをテーブルの上、リオナの前に広げた。

「ん? 何の事?」

「ほらほら、これこれ。六割引でとってもお得だよ」

 リオナはチラシの一点に手を置いた。それはジェニーだのバービーだのの、女児玩具用着せ替え服だった。

「こ、これをどうしろと?」変な汗が体中から噴出してきた。……まさか、まさかねぇ。

「買ってきて」

 まさかだった。

「い、嫌だよ! 絶対! 二十歳の男がこんなもの買いに行ったら、変態丸出しじゃないか! 絶対に嫌だ! 服が欲しいなら、母星から服だけ転送すればいいだろ!」

 ぼくがそう言って抗議をすると、今までしおらしい表情をしていたリオナの表情が一変した。明らかに、攻撃モードに入った。

「この星で衣類が調達できるんだから、長距離転送は使えないわよ! 長距離転送は、そんな簡単に使えるものじゃないんだから!」リオナが怒りの表情で言い返してきた。「なに? なんなの? 蓮は、私をずっとこんなバンダナ一枚のセミヌード姿にしておきたいわけ? そういう事なの? 地球人の男って、そうなわけ? スケベ! 変態! 最低! 人間のクズ!」怒りに震えたリオナは、恐ろしい勢いでまくし立ててきた。

 全地球人の男子を代表してクズ呼ばわりされてしまったぼくは、その勢いと惚れた弱みに負けてしまい「わ、分かった。買ってくるよ」と、言ってしまった。

 つい二秒ほど前まで大魔神の怒りの形相だったリオナは天使の微笑をその顔に浮かべて、

「ありがとう。なるべく可愛いの買ってきてね」と言った。素晴らしい状況変化能力だ。

「可愛いのって、異星人の可愛さの基準なんて分からないよ」

「地球人の女の子が見て可愛いと思う服なら、とりあえずそれでいいわ」笑顔のリオナがそこにいた。


 ぼくは着替えると、財布の中身を確認し家を出た。リオナが「いってらっしゃい」と手をふってくれた。鞄を肩からたすきがけにし自転車にまたがり、いざ、おもちゃ屋さんへ! 周りから変態と呼ばれる一歩手前になるために。


 おもちゃ屋さんは家から自転車で十五分。郊外型の量販店だ。ぼくも何度かTVゲームを買うために利用したことがある。

 意を決して店に入った。正面に並んでいるのは、昔からおなじみのソフトビニール人形。

 その奥はロボットと超合金シリーズ。

 さて、ずいっと一番奥まで進むと、そこは慣れ親しんだゲームの棚。TVゲームとカードゲームが置かれている。ぼくはカードゲームはやらないためその棚はスルーだけれど、一枚数千円や数万円のカードを見ると利殖目的だけでやってみたくなる時もある。

 できればこのままゲームを探索し、プラモデルコーナーへ行って帰りたい。が、そうした時のリオナの顔を思い浮かべると、できない相談だった。店に来る途中、覚悟は決めたつもりでいた。しかし、ゲームの棚からプラモデルコーナーの途中にある、あの、少女趣味に彩られたコーナーへ足を運ぶのはなかなか容易ではなかった。

 ぼくがあの場所へ行くのに抵抗があると言うよりも、あの場所が全力でぼくの受け入れを拒否していた。まず、そこには男子を受け入れてくれる〝メカ〟が無かった。ドリルが、ミサイルが、ビームライフルが無かった。そしてその色の物を持っていれば自動的に性別が決定されてしまう、ジェンダーフリー論者の攻撃の的、男子の象徴〝寒色〟も無かった。有るのは日常品。有るのは平民ではそうそう手に入らないブランド物のフェイク。有るのは男子を寄せ付けない暖色の嵐だった。しかも今回のぼくの標的は、言い訳のきかないアイテムなのだ。ディズニーやサンリオといった、なんとかごまかしのきく物ではない。直球ど真ん中のロリロリアイテムだ。足を踏み入れるのに抵抗があるのは当然だろう。そう、ぼくは肉体的にも、精神的にも健康な二十歳男子なのだ。何が悲しくてこんな所に来なくちゃいけない? 着せ替え服を大量に買って帰るくらいなら、本屋でスケベ本を両脇に抱えるほど買って帰る方が、まだ健康的だ。まだ恥ずかしくない。

 ……。

 ま、そんな主張をリオナの前でできるわけもないのだけれど。

 せめてなんとか人が少なくなるのを待って行こうと、買う気も無いゲームを手に取りながら女児玩具コーナーの様子を伺っていた。が、チラシの入った日曜日に人が空くはずもなく、いつしか一時間もたってしまっていた。なんだかこうしてウロウロしている事の方が、よっぽど挙動不審な気がしてきた。……仕方が無い、突入するか……。マリオも『頑張れ』と、サムズアップをして応援してくれている。

 目に見えない圧倒的な壁を羞恥心を捨てることで突破し、ぼくはジェニーやバービー達が立ち並ぶ女児玩具の砦の前に立った。

 〝なるべく可愛いの〟と、リオナ様はのたまわっていらっしゃたけれど、とんでもない。こんな所で腰を落ち着かせ、どれがお気に召すか吟味する度胸も余裕もぼくには無かった。ぼくは平台の上に置かれていた着せ替え服を上から幾つかブリスターのまま鷲掴みにし、一目散にレジへ向かった。

 なぜかこういう時にかぎって、レジには若い女の子が二人。おそらくバイトの子だ。

 商品を包装台の上に置くと、ぼくは商品もバイトの子の顔もレジに表示されている金額も見られず、ずっとあさっての方向を見ていた。しばらくすると計算が終わったらしく、レジ担当の女の子から金額が告げられた。

「四万二千円になります」

 よんまんにせんえん! た、確かに勢いあまって十着、いや、それ以上持ってきてしまった気もするけど、そんなに高いのか! たかだか着せ替え服だと思ってなめていた。しかも、これで六割引。女児玩具って、恐ろしい……。

 ぼくは今月の生活費、手持ちの全財産七万円から五万円を渡した。

 〝私は変態です〟と宣言しているような状況に無理やりおかれ、その上生活費の大半をなくす羽目になるとは。なんだかもう、何が何やら分からなくなってきた。今なら、そこいら辺を歩いている人にいきなり襲いかかっても無罪になるような気がする。

 お金を渡す時に目が合った、レジ担当の女の子の視線が痛かった。〝その歳でこういう趣味に逃げたわけ?〟という視線が激痛だった。

 なんだ、なんでこんな目にあわなくちゃいけないんだ。お金は貯金を崩せばなんとかなるにしても、この世間様からの異質なものを見る目を気にしながら、ぼくの青春は暗く悲しく過ぎて行くのか。

 相談は誰にもできない。

 この買い物の理由が、家に突如現れた六分の一スケールの美少女のためだなどと言えば、完全に電波な人間だ。美少女人形マニアでロリコンで電波。三冠王だ三冠王。

 ……母さん、未来が真っ黒になって行くのを感じます。

 ぼくが呆けていると、包装担当の子が、ほんの僅かな、そして大きな助け舟を出してくれた。

「プレゼント包装はどういたしますか?」

 そうか! その手があったか! プレゼントにすればいいんだ!

「すみません。妹の誕生日プレゼントなので、包装、お願いします。できたらリボンも付けていただけますか?」

 ぼくはまた嘘をついた。でも、このくらいの嘘なら神様も許してくれ──ますよね? 本日二回目だけれど。少なくとも、ぼくは許す。

「はい。少々お待ち下さい」そう言うと包装担当の子は、箱から値札を丁寧にはがし、慣れた手つきでてきぱきとナナメ包装を始めた。ぼくは心の中で、これ以上ないほどの感謝と賛辞とその他諸々の言葉をその子に捧げていた。

 綺麗にラッピングされた着せ替え服を受け取ると、それを鞄の中にしまい、ぼくはいそいそと店を出た。若い男子の威厳を少しは保てたような気がした。

 少なからず窮地を脱した気分になっていたけれど、帰る途中に寄った銀行のキャッシュディスペンサーで、経済的困窮に落とされた現実だけは痛感した。



 家に戻り、部屋へ入った。もしかして朝からの出来事は全て幻で、扉を開けたら彼女はもういないのではないか? 少しそんな心配をしたけれども、その必要はなかった。テーブルの横にあるクッションで、リオナが仰向けに寝ていた。危機感も緊張感も何も無い、のんびりした画だ。別の意味で少々緊張したのは、寝乱れてリオナのバンダナがはだけて胸元が少し見えていた事くらいだ。

 ぼくはリオナのバンダナを直してから、

「ただいま」と、リオナを揺り動かした。

 リオナは目をこすりながら「あ、おかえりー」と言った。

「顔洗う?」

「うぅん、いい。大丈夫」寝顔もだけれど、この寝起きすぐの顔もたまらなく可愛い。心の奥の方から、この状況を喜んでいるぼくがいた。そして同時に、そんな自分が少し危険な気がした。

「服買ってきたけど」

「ホントにー! ありがとうー! 可愛いの買ってきてくれた?」嬉しさからか、リオナは一発で目が覚めた。少なくとも低血圧ではなさそうだ。しかし、買ってきた服が全部気に入らなかったらどうしようか? 適当に上から持ってきただけだから、気に入らない可能性の方が高い。

「ま、まぁ、見てみてよ」こうなっては仕方がない、リオナのセンスと、タカラとマテルの技術力と、あとは奇跡に任せよう。

 ぼくは鞄から荷物を取り出し、リオナの前に置いた。

「えぇー。こんなちゃんとプレゼントしてくれるとは思ってなかったー。リボンまで付いてる!」

 成り行きでプレゼントの体をなしている事は、内緒にしておこう。

 ぼくはリボンと包装を引っぺがすと、小さな服が入ったそれぞれの箱を並べた。一着一着にリオナからの質問が来るとごまかしきれない気がしたので、コーヒーを淹れるためその場を立った。

 キッチンでノンシュガーのカフェオレを作っていると、

「あー! ねぇねぇ、これ、どういう意味?」とリオナの絶叫にも近い声が聞こえてきた。

 なんだ? ぼくはコーヒーカップを持って、リオナの所に戻った。

 リオナは箱から出した一着の服を自分の前に広げて、嬉しそうにぼくを見ながらニコニコしていた。

 その服、その服は、パールホワイトに近い光沢を出した、真っ白な、どこまでも真っ白なロングドレス。……ウェディングドレスだ! こんなものまで有るのか、女児玩具油断ならず! いや、やたらと金額が高いとは思ったけれど、これのせいか!

「ねぇねぇ、これってばあれ? プロポーズの代わりとか?」世界一の笑顔でリオナが聞いてきた。

「え、いや、それはまぁ、なんと言うか……」

 ぼくが返答に困っていると、リオナは何やら自分の中で解決したようで、

「うんうん、分かった、分かった。いきなり口に出しては言いにくい事もあるものね」と、うなずきながら言った。

 何か誤解をされているような気もするけれども、少なくとも拒否されなかったし……。ま、いいか。

 これ以上突っ込まれるのは心の安定に悪いので、ぼくはキッチンへ戻った。お昼ご飯でも作ろう。メニューは今月の生活費の残り残高を考慮に入れた結果、百円均一のお店で買い込んだ超豪華レトルトカレーで決定。なんだけど……。リオナのメニューが決まらなかった。あの大きさとなると、お米メインのメニューは厳しそうだ。

 ぼくはリオナの方を振り返り「リオナー」と呼んだ。テーブルの近くにいたリオナがこっちを向くと、次の瞬間いなくなり、キッチンの電子レンジの上に光と共に現れた。

「何? 呼んだ?」リオナは唖然としているぼくなど気にも留めていなかった。

「リ、リオナ、テレポーテーション出来るの?」これはごっつい超能力だ。

「テレポーテーションじゃなくて、転送。短距離ジャンプよ」

「転送って、恒星間でしか出来ないんじゃないの?」ぼくの心臓はまだバクバク言っていた。

「メインは短距離よ。私達の星の交通は基本が短距離ジャンプだし。恒星間の長距離ジャンプが特殊な使われ方なのよ」

「でも、服着たままというか、バンダナ巻いたままだよ?」

「短距離ジャンプは原子間のつながりが強くて、めったな事じゃノイズが乗らないから、服を着たままでも、お腹がカラッポじゃなくてもできるの。もちろん、コピーではなくて本体を転送するのよ」

「そうなんだ。凄いなぁ」

 ん? そうだ、テレポーテーション能力があるなら……。「リオナ、本体をテレポートできるなら、ぼくもテレポートできるかな?」

「ええ、もちろん出来るわよ」

 よし! なら!

「リオナ、ぼくを銀行の金庫の中にテレポートしてくれない? お願い!」ぼくはリオナに手を合わせた。

「残念だけど、それは無理」軽く返された。

「倫理的に問題があるのは分かってるよ。だから、君に買ってあげた服代だけでいいから。今月、本当にピンチなんだ」

「倫理的な問題じゃなくて、転送装置の問題なのよ。短距離ジャンプをするには、転送装置に三次元座標を送らなくちゃいけないの。それで、私の場合は私の目で見た場所を座標として送っているのよ。だから無理なの」

「もう少し噛み砕いて説明して」

「要は、私の目で見える所にしかジャンプできないの」

「と、いう事は、今からハワイに行きたいなと思っても?」

「見えないから無理」

「銀行の金庫の中も?」

「見えないから無理」

「お醤油が切れたから、コンビニに行きたいなと思っても?」

「見えないから無理」

 そうか、そうなのか、なるほどね。残念と言うか、犯罪に手を染めずにすんで良かったと言うか。それにしてもまた限定的な能力だなぁ。

「それに、短距離ジャンプは長距離ジャンプと違って運動エネルギーを完全には補完してくれないの。だから、蓮みたいな質量の大きな人種は少し危険よ」

「何を言いたいのかよく分からないけど、もうあまりジャンプしたいと思わなくなったから、いいよ」

「そう? ならいいけど。ところで、何かの用で呼んだんじゃないの?」

 そうだった。お昼ごはんだった。

「何食べたい? やっぱりお米は難しいよね?」こうやってリオナを近くで見ると、お米一粒がほぼリオナの口いっぱいくらいの大きさだ。

「うん~。やっぱりお米はちょっと厳しいかなぁ」

「となると、朝と同じで、トーストに卵くらいしかないけれどいいかな?」

「うん。充分よ。ありがとう」

「了解」

 ぼくがそう言うと、リオナはまた短距離ジャンプをして、服の元へ戻った。


 料理が終わり、ご飯を持ってテーブルに戻ると、眩しいセーラー服の少女がカーテンから差し込む日差しに照らされて、たたずんでいた。

「リオナ、なんでまたその服なの?」

「買ってきてもらった中に入ってたから、蓮がこういう趣味なのかと思って」

 確かに制服は嫌いじゃない。それにこれがまた、リオナが似合ってるし。二本線の入った夏服のオーソドックスなセーラー服に、どこまで短くしとんのじゃいと突っ込みを入れたくなるほど短いフリフリのプリーツスカート。うん、どこからどう見ても立派なリセだ。唯一、髪の色が校則違反かな。

 しかし、二十歳男子がセラコンと思われるのもなんだか……。いいか、この際これはこれで。

「でも、これちょっと胸がきつい」リオナが少し不満そうに言った。

 確かに、リオナって結構出てるトコは出てたものなぁ。でもこればっかりは仕方がない。基本は女の子用の着せ替え人形の服なのだから。がまんしてもらうしか。


 食事が終わり、ぼくは宇宙についての事をたくさん聞かせてもらった。

 植物群が異常進化をしてしまい、海水さえ干上がらせてしまった、植物による環境破壊の星。

 とても小さな星に、とても大きな大気層ができあがり、多くの浮遊生命体が進化して、その文化を発展させていった星。

 性別が五つあり、自分で性別の選択ができる知的生命体の文化。

 星の終わりの時に見せる、幻想的で美しいガスのジェットと拡散の放射。

 星の終わりに抗い、自分達の子孫を残そうとする人達の力強さ。

 星の終わりと共に絶滅を受け入れた人達の儚い美しさ。


 残念ながらオリオンの肩で燃え上がる宇宙船や、タンホイザーゲートから伸びるCビームとかは見たことは無いらしい。

 もちろん、リオナも知らない事の方が多かったけれども。

 この宇宙の外側には、どんな世界が広がっているのか?

 宇宙ができるその前には、ビッグバンの前には、何があったのか?

 光を追い越して移動できるリオナ達でも、その答えは知らなかった。タキオンは光より早いけれど、無限のスピードを持つエネルギーゼロのタキオンを利用できるほどには、まだ彼女達の科学力も達してはいなかった。彼女達が使用しているタキオンは、かなりの高エネルギータキオンなのだそうだ。そのため、彼女達の移動スピードにも限界があり、宇宙の果ての動向を探るまではできないらしい。

 光速以上のスピードがもたらしてくれる世界について理解が進んでいないもう一つの理由は、彼女達の〝ロード〟であるトスク星の先住民族、トスク人のためという事もある。トスク人はそういった、宇宙の果てや宇宙の始まりという事にはほとんど関心が無いため、その分野の調査・研究があまりされていないのだ。

 トスク人が、最も関心を持って調査・研究をしている事は、〝自分達のルーツを探る〟事。

 トスク人が知能を持ち、文明と文化を花開かせ、科学技術分野での研究を始めた時に、彼らはある問題に突き当たった。いや、見つけ出したと言った方がいいかもしれない。

 トスク星の植物・海洋生物・陸上生物、全ての生命体は、どこかに同じような遺伝子塩基配列を持っていた。トスク星での生命発生と進化が、地球と同じような工程で進んだとすれば、遺伝子塩基配列に類似部分があるのは、当然の事と言える。そこに問題は全く無かった。問題があったのは、トスク人自身の遺伝子だった。彼らの遺伝子塩基配列には、トスク星に住むどの生命体にも類似した部分が無かったのだ。

 彼らはトスク星で、完全にユニークな存在だった。

 この事実を、彼らは科学的に、哲学的に何年、何十年、何百年、何千年に渡って研究・議論をした。そして、一つの結論を導き出した。

 〝我らは、この星で誕生した生命体ではない〟と。

 彼らの生命の種となった物体は別の星で生まれ、その種がトスク星で花を咲かせたのが、自分達だと結論した。

 自分達が本当は、どの星で生まれたのか?

 どうやってトスク星にやってきたのか? 隕石に張り付いた生命の種が、たまたまトスク星に落ち、そこから進化・発展していったのか? それとも別の宇宙人〝オーバーロード〟とでも言える、彼らを凌駕する知的生命体によってトスク星に持ち込まれたのか?

 彼らトスク人の宇宙への研究は、その自分達のルーツを探る事が最優先事項であって、深宇宙への研究はほとんどされていなかった。


 リオナがサイズこそ小さいけれど、地球人にそっくりなのも、トスク人のこの研究のためだった。

 トスク人は今から数千年前に、一度地球へやって来ていた。その時七機の衛星を軌道上に浮かべ、地球人の遺伝子サンプルの細胞片を持ち帰った。持ち帰った地球人の遺伝子サンプルからは、彼らのルーツに関する事は何も発見できなかったけれども、彼らはその細胞片をクローニングして、リオナ達のご先祖様達を誕生させたのだ。

 クローンを作った理由。それは、オーバーロードと考える知的生命体の存在を確認するためだった。オーバーロードの子孫が、他の星で生きているとしたら──。また、自分達のように、オーバーロードに作られた人種がいたとしたら──。トスク人はその可能性を検証するため、クローン宇宙人を生み出したのだった。

「でも、ずいぶん小さくなってない?」不思議に思ってぼくは聞いた。

「トスク星には、私達以外にもクローニングされて発展してきた異星人が多くいるの。多種族が入り乱れる中で、個体の大きさにあまりに差があると不便でしょう? だから、皆がだいたいこのくらいの大きさになるように、クローニングする時にトスク人が遺伝子に調整を入れたのよ」

「リオナの星には、他にも異星人がたくさんいるの?」

「ええ。皆、トスク人がサンプルとして持ち帰った細胞片からのクローンがご先祖様だけどね」

 自分のご先祖様がクローンか。地球人とは倫理観が変わってくるのも、仕方がない気がしてきた。


 リオナとの会話は楽しかった。

 あまりにもその存在が非現実的過ぎるせいか、ぼくはリオナと会話をする時、素のままの自分でいられた。男友達でも、これだけ開けっ広げに話せる相手はそんなにいないかもしれない。

 リオナは時々、微妙に横柄な態度をとったりするけれども、決してぼくを〝自分より頭の悪い困った子〟のような態度をとらず、ぼくの(彼女にとっては初歩的だろう)質問にも、忍耐強く答えてくれた。

 もしも、今のリオナとのように、中学生時代、山崎さんと話ができていたなら──。

 それは無理な話かな。彼女はリオナのように、よく喋る子ではなかったから。

 そんな気持ちでリオナを眺めた。

 制服姿のリオナが、一層、山崎さんと重なった。

 なにか、形にして残しておきたい気持ちになった。山崎さんの写真など、卒業アルバムくらいしかないし……。リオナの写真……駄目かな? いくら地球人と同じ姿をしているとは言え、宇宙人が姿形を記録されるのは問題あるだろうから。

 でも……。う~ん、ダメもとで、一つお願いしてみようかな?

「リオナ」

「何?」

「お願いがあるんだけれど……。嫌なら、はっきり嫌と言ってくれていいから」

 リオナの表情が、一瞬、険しくなる。

「え? え? どんな……お願い?」

「写真を撮らせてもらっていいかな?」

 ぼくがそうお願いすると、一瞬驚いた表情になり、リオナはうつむいた。

「写真……。撮りたいの?」

「うん。でも、無理にとは言わないから──」

 リオナはうつむいたまま。そして、しばらく考えた後、何かの決心を固めたような力強さで、

「い、いいわよ」と言いながら立ち上がった。

「本当に? ありがとう!」

 ぼくはスマホのレンズを彼女に向け、その姿を画面に写した。ファインダーを通すと、普通の地球人の大きさの、普通の女の子に見えた。露出を補正しピントを合わせ、シャッターチャンスを見計らっていると、彼女は顔を伏せたまま、セーラー服の上着を脱ぎ始めた。

 え?

 服の下は、下着代わりに着ているライトブルーのビキニだけだった。細い首筋から鎖骨へ流麗なラインが描かれ、その肌はどこまでも白い。そして、そのラインは胸元へ続き、大きな二つの弧を形作っていた。女児玩具のビキニではその豊かな胸を抑えきる事ができず、すぐにでもその下に隠された膨らみを解放してしまいそうだった。

 ……ぼくの心拍数が、確実に上がった。

 ぼくが呆然としていると、その艶やかな指はスカートへ伸び、体側のホックを外し、プリーツスカートは足元に落ちた。

 そしてついに肩の紐に手をかけ──。

「ちょ、ちょっと、リオナ! 何やってるの!」

 下着姿というか、水着姿にソックスだけの姿になった彼女は耳まで真っ赤になった顔をこっちに向けた。

「だって、写真撮るって言ったじゃない!」

「誰も裸になれなんて言ってないだろ!」

 ……。

 しばらく、沈黙が部屋を支配した。

「え? 写真って、裸の事じゃなかったの? 嫌なら断っていいって言ったじゃない?」リオナが少し困惑したように言った。

「違うよ。普通に、服を着た状態で良かったんだよ。君の姿を記録してしまう結果になるから、調査委員として違反になるかと思ったんだ。だから、断っていいって言ったんだよ」

 ぼくがそう言うと、リオナは硬直し、たっぷり一分ほどたってからその場にしゃがみこんだ。そして落ちていたセーラー服の上下を掴み取り、

「こっち、見ないでー!」と、大声で叫んだ。

 リオナが服を着なおした後、なんとも言えないおかしな空気が流れた。

 そしてリオナは

「ごめんね」と、小さな声で言った。

 改めて写真を撮らせてほしいとは、とうとう言い出せなかった。

 しかし……。

 これで良かったような……。

 残念な事をしたような……。


 そんな事をしている間に、夕方、そして夜になり、ぼく達は眠る事にした。ぼくが買ってきた服の中に、ちゃんとパジャマもあり、リオナはパジャマに着替えて、ベッドの上、ぼくの頭の横で眠った。

 部屋の明かりを消し枕に頭を預けると、リオナが耳元で小さな声で話し始めた。

「蓮が優しい人で良かった……」

「え?」

「……私ね、四日前にも、一度地球に来ているの」

「そうなの? その時に何か問題でもあったの?」

「……私……」

「……」

「私、その時には、地球人にその場で殺されちゃったの」

「殺され──」

「その人、とても驚いてね。仕方がないけれど。いきなり、私みたいな存在が目の前に現れれば」

「……」

「でもね、コピー体が経験した事は、全部母星のオリジナルにも追体験としてフィードバックされるのよ。……辛かった。怖かった。苦しかった。殺されるのを追体験するのは、精神が崩壊してしまいそうだった」

「リオナ……」

「あの人の驚いた顔、憎しみのこもった表情、振り下ろされる拳、痛み、飛び散った血、全部覚えてる」リオナの声は少し震えていた。「もう、調査委員なんて辞めてしまおうとも思ったわ」

「大丈夫? リオナ?」

「でもね。辞めたくなかった。信じたかったの。地球人の事。私と同じ遺伝子を持った、私達のご先祖様なんだもの」

 リオナは大きく、息を吐き出した。

「だからね。蓮が優しい……人で……良かった……。地球人、信じられる……ように……なったから……」

 ぼくは頭をずらし、リオナを見た。リオナはもう、寝息をたてていた。そんな苦しい経験をしているなんて、とても見えないほど安心しきった表情だった。──とても、安らかで可愛らしい寝顔だった。

 今日はちょっと我がままだったけれど、彼女の望みを聞いてあげてよかった。少しでも、心の傷が癒えていればいいけれど。

 ぼくも目をつぶった。寝返りしないように気をつけなくちゃ。

 目が覚めた時、今日という一日が夢などで終わらないようにと、ぼくは祈って眠った。


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