第25話

 目を閉じて、死を待つ桂葉だったが、いつまでも、痛みは襲ってこなかった。鎌を振り下ろす動作にこんなに時間は掛らないだろう。

 赤岬がまた、ベストなタイミングを見計らって、助けてくれたのかと桂葉は目を開ける。


「あ……」


 目に飛び込んでくる光景を見て、どうやら、桂葉は自分の予想が当たったようだと胸を撫で下ろす。目の前にいた『侵入者』が、遠く離れた場所にいた。


「あ、ありがとうございます」


 桂葉は、赤岬に礼を述べるつもりで声を出したが返事はない。赤岬ならばすぐに反応を示しそうなものなのに、言葉が返ってこなかった。

 赤岬がどこにいるのかと、桂葉は視線を周囲に走らせるが、その姿はどこにもなかった。

 体育館の中にいるのは、桂葉と『侵入者』のみで、赤岬も直登もどこにもいないし、誰もいない。


「……」


 誰も助けていないのに――何故、自分は助かったのか。

 桂葉は混乱する。

 しかし、そんな脳内状況でも、一つの事実にに気付くのに、時間は掛らなかった。

 それは――、


「わ、私が移動している?」


 自分から『侵入者』は離れたと考えてしまったが、それは間違いだった。

桂葉が『侵入者』から距離を取ったのだ。その証拠に今、自分が座っている場所は体育館の中心。入り口からは10メートルほどの距離がある。

『侵入者』が立っている場所こそ、さっきまで自分がいた場所だ。


「な、なんで……」


 しかし、状態は分かっても何が起こったのか現象は分からない。現象が分からなければ状況が変わったことにはならない。

 目の前から消えた桂葉を不審そうに『侵入者』がみる。

 一瞬で自身の背後に移動した桂葉を警戒はしたようだが、それでも桂葉の命を諦めようとはしなかった。

 今度はゆっくり近づくことなく、昆虫の如く脚力で、一足で桂葉との間合いを詰める。

 あと数歩の位置で身体がぶつかる。

 これでは、『侵入者』の鎌が届く範囲だ。

 一度避けられたからか、モーションを小さく、素早く、自身の腕を振り抜いた。


「きゃっ」


 考えが纏まる前に襲い掛かってきた『侵入者』に、頭を抱えてしゃがむ桂葉。

 だが――桂葉は無傷でステージの上にいた。


「何で……?」


 光る扉が現れたステージだ。

 体育館の中心からそのステージまではやはり10メートル以上はある。それだけの距離を一瞬で、『侵入者』の目を盗んで走り切る技術を桂葉は持っていない。

 いや、赤岬でも無理だろう。

 二回、攻撃を避けられた『侵入者』は、慎重になったのか、その場で桂葉を観察し始める。次の一手で必ず仕留めるための策を練っているのか。

 不気味な複眼に怯えながらも、桂葉はこの状況を利用しようとする。相手が変に警戒している今だからこそ、次の手を打たなければならない。

 マグレはいつまでも続かない。

この隙を使って、逃げ出そうとも思ったのだが、化け物に背を向ける勇気は桂葉にはなかった。顔を反らすことなく、何かないかと視線だけを動かした。


「これは……? この線だけ、テープの種類が違う?」


 ステージに立ったからか、桂葉はあることに気付いた。

 眼下に広がる体育館に、奇妙な形状をした区切りがあるのだ。

 『繰間工業高校』の体育館は、バスケやバレーといった競技に使われている。当然、バレーとバスケとでは使うコートの広さが違うために、ビニールシールで区切られていた。

 桂葉は、どれが、どの競技で使われる境界線なのか知らない。だが、それでもこの体育館にこんな線がなかったことは間違いない。

 これだけ綺麗に正方形が並んでいれば、一度見たならば忘れない。『体育館』をあまり使用しない桂葉ではあるが、一年も学校にいればある程度、学校の状態は記憶している。

 その正方形はステージの上にも何個か描かれていた。

 『侵入者』の動きに注意しながらゆっくりとしゃがむ桂葉。

 床に張られているビニールシールとは明らかに異質なその境界線を、桂葉は手を伸ばして触れる。見る限り滑らかそうではあるが、桂葉の手に伝わる感触は、只の体育館だった。

 つまり、この線に感触はない。

 表面に張り付けられているのだから、触れば凹凸が分かるのだがそれもない。試しにステージにあった中心を示す小さなテープに触れる。桂葉のイメージしていた、ザラリとわずかに膨れ上がる感触。


「な、なんだろう……?」


  数えると縦に9つ、横に9つ並らんでいた。それはさながら巨大な将棋盤のようだ。全部を合わせると、一辺が20メートルほどの長さ。

 上から見てもかなりな大きさを持っていた。

 桂葉が記憶する限り、こんな枠を使って行う競技はない。結局謎が解けないままに時間が経過する。時間としては三分も経っていないだろう。

 しかし、そのわずかな時間で桂葉の観察を終えたのだろう。桂葉自身が一番困惑していることを『侵入者』は見抜いた。

 当然、その隙を狙ってくる。

 体育館の中心で威嚇するように構えていた『侵入者』が僅かに膝を曲げた。再び跳躍して桂葉のいるステージまで移動しようというのか。


「大丈夫か!? 桂葉さん!」


 『侵入者』が跳躍をする前に、一本の日本刀が体育館の中心に刺さった。何事かと威嚇の構えを取り、日本刀が飛んできた方を見る。

 体育館の入り口に、刀を投げたままの姿勢で動きを止めている男がいた。

 直登だ。

『侵入者』の『気配』を感じ取って、この体育館に来たのだろう。

 だが――もう一人の『魔法少女』の姿が見えなかった。相手は『羽化』を終えている。直登だけでは――戦況に変わりがない。

 それは助けに来た直登自身が一番分かっているの、申し訳なさそうに桂葉に謝る。


「悪いな……。ちょっとだけ、赤岬と揉めたんだ。それに――助けが遅れて悪かったな」


「き、来てくれたんだ……」


 桂葉は直登だけだろうと、助けに来てくれたことが嬉しかった。

 戦う決意はしても、そんなすぐには変われない。付け焼刃の決意が冷めるのは早いのだ。


「まあね。それにしても桂葉さん、『魔法少女』になったんだね」


「……え?」


 体育館の入り口とステージなので、声を張り上げての会話となる。それに『侵入者』も狙いを直登に変えたようだ。

 一直線に走ってくる『侵入者』に武器を投げた直登は対応できるのか。

 直登の言葉を聞き返そうとした桂葉だが、迷惑になるまいとその口を閉じる。


「ま、話は後だね……。とにかく今は――俺に触れてくれ!」


「え……、あ、わ、分かりました」


 直登の言葉に驚きはするが、この状況だからこその行為なのだろう。桂葉が男子に触れるのは何年かぶりだが、それでもステージを降りて直登の元にへと駆け寄る。

 先ほどのように一瞬で移動できればいいのだが、どう祈っても動かない。

 チョコチョコと桂葉が向かう間も、直登は一人で『侵入者』と対峙していた。

 武器を失った直登は、躊躇うことなく背を向けた。自分を殺すために迫る相手に対して、ましたや化け物に対して行うには、正気ではない。


「……はっ!」


 直登は小さく息を取ると、背後にある窓に右足をかけた。右足に力を込めて体を持ち上げると、空中で宙を返りながら、『侵入者』を飛び越えた。

 それはさながら曲芸師のようだった。

 『侵入者』が直登が使った窓を鎌で切り抜いた。攻撃の威力が強かったのか、体育館の窓が壁もろとも撃ち抜いた。

 窓枠を使ったことで想像以上に高く飛んでしまった直登は、微かにバランスを崩したものの、近寄ってくる桂葉に合流した。


「……す、すごいですね」


「全然。あれくらいは練習すれば誰だってできる。けど――これは桂葉さんにしかできないことだよ」


 直登は、そう言うとそっと桂葉の手に触れた。

あの気を衒った回避も何度も成功はしないだろう。人間との戦闘経験が少ない『侵入者』だからこそ通用するのだ。

 攻撃が躱されたことに激高した『侵入者』は速度を上げて二人に迫る。

 のんびり手を握っている場合ではない。

 だが、直登に手を握られたことで、『何者』かの声が聞こえてきた。それは桂葉が使った未知の力を説明する。

 時が止まったかのような感覚。

 桂葉の脳にへと、一気に流れてくる声。

 瞬時に多くの情報を得た桂葉は、吐き気を催すがそれを堪えて、声の言う通りに自身の『魔法』を発動した。

 透明な箱が直登を包む。


「え……? え?! これはなに?」


 見えない壁に閉じ込められた直登は困ったように、壁を叩くがビクともしない。


「こ、これが私の『魔法』……み、みたいです」


 桂葉は短くそう言うと、直登の入ったそのボックスを『侵入者』の目の前に瞬間移動させた。

 これこそが桂葉が『侵入者』の攻撃を避けることが出来た理由だった。

 桂葉の戦う意志に――『魔法』が反応したのだ。


「は、箱を……、す、好きなマスに、し、瞬間移動させられる『魔法』……」


「……なるほどね」


 勢いよくダッシュしている目の前に突如として『箱(ボックス)』が現れたのだ。どれほどの身体能力を持っていようとも、むしろ人間離れした脚力だからこそ、直登の入った『箱(ボックス)』を『侵入者』は回避することができなかった。

 直登の眼前に『侵入者』が衝突する。

 間近でぶつかる『侵入者』を見た直登は――そのグロテスクな顔に、眉を顰めるのだった。

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