第21話
赤岬たちが自分を迎えるために、日が変わると同時に待っていたことなど――桂葉が知る由もない。試合は午前中ということなので普通に7時起きだった。
そして現在の時刻は9時。
桂葉は、『繰間市民体育館』へと向かっていた。『繰間駅』より徒歩十分ほどの位置にある体育館。裏には大型のショッピングモールが有り、どこか体育館が小さく見えてしまう。
まだ、営業時間でないからか、駐車場には車が止まっていなかった。
そんな風景を後目に桂葉は『繰間市民体育館』に辿り着いた。
桂葉は運動とは、縁のない人生を生きていた。この場所に『繰間市民体育館』があることは知っていたが、来るのは初めて出会った。
思っていたよりもボロボロである。
体育館には多くの人が既に集まっていた。見知らぬ人の中に入るのは、桂葉にとっては勇気がいる。
「司ちゃんの、お、応援するんだから……」
だから、頑張らないと自分に言い聞かせて中に入った。正面の巨大なボードに簡単な施設案内が書かれていた。取りあえず全体像を把握しようと桂葉は目を通す。
一階には更衣室や事務室、トレーニング室が在り、競技場となるコートは二階にあるようだ。
「つ、司ちゃん。ど、どこにいるんだろ……」
どこに何があるのか分かったが、肝心の司がどこにいるのかは載っていない。司に到着したことを連絡したのだが、返事はなかった。
桂葉はこの入り口で15分ほどの時間を無駄にしたのだった。
ウロウロと体育館を出たり入ったりを繰り返す。本当は招待された人しか中に入れないのか。などという、想像まで始めてしまう。
大会に参加するという経験がないために、どのようなシステムで開催されているのが分からないようだ。
「や、やっぱ、私が応援だなんて迷惑だったのかな……。つ、司ちゃんは忙しいだろうし……」
部長である司にはやる事が沢山あるのだろう。自分みたいな人間を相手にする余裕はないだろうに。それでも、誘ってくれたことに感謝する。
そんな折に、右手に見える透明なガラスで区切られた事務室から、視線を感じた。中にいる眼鏡をかけた初老の男が、訝しむようにして、桂葉を見ていた。
中に入らずに、オロオロとスマホと案内板を見比べて、出入り口を跨ぐ桂葉を、迷子だとでも思ったのだろう。案内も仕事の内だと事務員は桂葉へと声をかけようとした。作業していたデスクから立ち上がると、窓口の方へと近づいてきた。
「……」
人の視線も嫌だが、知らない人と話すことはもっと嫌な桂葉は、自然さを装って体育館の外へと出る。 桂葉本人は、あくまで自然だと思っている。だが、急に背を向けて、小走りで外に出た桂葉は事務員からすれば怪しい人間にしか見えなかった。背中をじっと見ていたが、特に害はないと判断したのだろう。面倒くさそうに自身のデスクにへと戻っていた。
屋外に出た桂葉は『繰間市民体育館』を改めて見上げた。
横に細い長方形の建物。
随分と年季が入っているようで、屋上にある柵の周りには手入れしているのか、自然に生えてきたのか分からない草木が顔を覗かせていた。中の様子を外から観察するが、視界から手に入る情報は人の多さだけであった。
そんな桂葉の後ろを「ファイオっ、ファイオっ」と、ジャージを着た女子高生たちが通り過ぎて行った。
アップという行為だろうと桂葉。ただ、足並みをそろえてランニングしているだけなのに、妙にかっこよく見えた。全員が髪を短く揃え、中には坊主の生徒までいる。バスケに青春を駆けているであろう彼女たちの姿は――なにもしていない桂葉には毒でしかない。
憧れは自身の体を蝕んでいく。
「わ、私もあんな青春を送れたのかな……?」
格好いいと憧れはするが、内心は「無駄なのに」と冷めた視線を送る自分がいることを――桂葉は感じていた。
青春をバスケに駆けて意味があるのかと。将来プロになれるのかと――何も考えていない桂葉は自分を棚に上げて思ってしまう。
そんな頑張るなら、他の事頑張れば将来役に立つんじゃないの?
なんて、少しでも思ってしまう自分が恥ずかしいと桂葉は首を振る。毒に犯され続けた桂葉の思考は、酷く黒ずんでいるのかもしれない。
誰にも見せられない桂葉の黒い部分だった。もっとも、そんなことは誰でも思うだろう。一々反省している桂葉は、やはりいい人間なのだろうが。それでも――憧れを素直に認められなかった。
「だ、だから外に出たくない……」
見なければ何も知らなくて済むのだから。
他にも試合に参加するであろう学生が出てきた。そんな少女たちを見ない様にと膝を抱えて座り込む。
『繰間市民体育館』と掘られた看板の横。
存在感のある人より二回りほど大きな石に達筆な字で掘られていた。看板の横で顔を隠して体育座りをする桂葉を、何人かは不審そうに見ていた。
(心の弱い自分こそスポーツに青春を捧げるべきなんだ)
小さいころから気が弱くて、競争を避けてきた桂葉。友達になにか言われても断れない桂葉は次第に、「いい人」から「都合の良い奴」そして――「パシリ」にへと変わっていった。
結局、この時まで、ずっと「いい人」だと言って残ったのは司だけだ。
(やっぱ、私は司ちゃんにはなれないんだ……)
憧れは憧れでしかない。
分かり切っていたが、ここまで差があるとは。
体育館の中に入ることも出来ない臆病者は、世界中を探しても、自分だけなのではないかと、更に気を落としてしまう。
今日の為に、一週間気合を入れていたが、到着して三十分も持たずに桂葉の気合はマイナスにへと変わっていた。
そんな桂葉に近づく一人の女子高生。
「もう、なんでこんな所で蹲ってるのよ!」
蹲っている桂葉の脇を擽るようにして手を動かす声の主。
司だった。
聞きなれた声に桂葉は顔を上げる。
「つ、司ちゃん……」
「もしかして、連絡してくれてた……? ごめん。ちょっと、対戦相手の試合見たり、アップしたりして……忙しくてさ」
桂葉の潤む瞳に罰が悪そうに司が言う。
司たちも外を走っていたらしい。その証拠に、司の呼吸は少し早くなっていた。アップ終わりで中に戻ろうとした沖に桂葉を見つけた用だ。
故に、司の背後には、『繰間工業高校女子バスケ部』のチームメイト達がいた。
彼女たちは、どこか、皆、不機嫌そうな顔だった。
本当は司に甘えたい桂葉ではあるが、背後にいる視線を感じ取って堪えた。
「あ、あの……。わ、私は、ひ、一人でいいから、やることをゆ、優先して……」
「別に気を使わなくてもいいのに。みんな。もうすぐ、試合だから、身体冷やさないようにね」
主将としてチームメイト達に指示を出すが、司の指示にそって動くチームメイトはいなかった。部長である司がどうするのかと、一人の女子が聞いた。
「私は、ここと一緒にいるよ。試合には行くからさ」
試合までは桂葉と一緒にいるという司の言葉に、
「……分かりました」
と、明らかに分かっていないだろう表情を浮かべた。それでも、ここで文句を言うのはマズいと思ったのか、司を除いた4人の選手たちは、不満そうな足取りで、体育館の中へと入っていった。地面に蹲っていた桂葉とすれ違う際、一人の女子が、わざと桂葉に聞こえるよう呟いた。
「暗いくせに……。キモいんだよ」
大事な試合前に部長を取られて余程腹が立ったのだろう。
桂葉に向けられた邪険な言葉に、上げた顔を俯けてしまう。自分でも桂葉は、暗いのもキモいのも気付いている。
こんな体育館の前で、人目につく場所で、落ち込んなど、高校生のやることではない。言われなくても分かってる。
それでも……、桂葉は耐えられなかったのだ。
司がチームメイトの言葉を取り消すようにフォローする。
「御免ね。皆、試合前だから、殺気だってるんだ」
「……うん」
桂葉を侮辱する声は司にも聞こえていたようだ。
「わ、私が悪いんだよ。試合前だっていうのに、暗い空気振りまいて……」
「それは性格だから仕方ないじゃん。私が皆に予め言っとけば良かったんだ……ごめんね」
司は蹲る桂葉に手を差し出し、地面に立たせた。
そして手を握ったまま二人は並ぶ。
「わ、私はいいから、し、試合はいいの……?」
忙しいのにこんなことをしてていいのだろうか。司の優しさは嬉しいが、これで試合を見れなければ、目的が変わってしまう。桂葉は握る手を緩めて言った。
「大丈夫。と言いたいけど、あと10分くらいでコートに入らなければ行けないんだけどね」
「じ、10分って、そんなに、じ、時間ないよ。は、早く行って!」
「えー。でも、落ち込んでるここを、このまま置いていけないしー」
立たせた桂葉を細めで見る司。その視線は、桂葉が一人で応援に来るまで、ここでずっと一緒にいると言っているようであった。視線の意味にすぐ気付いた桂葉は、
「大丈夫。大丈夫だから行って!」
司の背中を押して体育館の中に入った。
さっきまでは、少し怖かった玄関も司が一緒にいることで、普通の体育館に感じていた。実際に普通の体育館なので、当たり前の感覚なのだが。
桂葉が、一人で入った時の怖がりようが異常なのだ。
「そ。じゃあ、応援席は三階からお願いね。私達は第二コート――真ん中のコートで試合するから、ちゃんと見ててよね!」
慣れた足取りで、司が階段を駆け上がっていった。
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