第17話

「お、お邪魔します……」


 扉から顔を覗かせると、キョロキョロと中を観察する桂葉。

 連絡先を交換してからの週末。桂葉は、井伊工場の敷地内にある『機関』にへと、訪れたのだった。思えば工場に入るのも初めてだった。

 更に人の家に上がるもの久しくはない。

 こういう時に、どうしていいかと、玄関で立ち尽くしていると直登が現れた。


「よく来てくれたね……。『機関』は好きに使っていいから――はい、合鍵」


 玄関に立つ桂葉に対して、直登はいきなり鍵を手渡した。

 どうやら、桂葉が今いるこの場所――『機関』の鍵らしい。


「え……、え……?」


 まだ、なにも話していない。

 それなのに、信頼して鍵を渡す直登。桂葉は本当に受け取っていいものかと悩んでいた。掌を開いたまま、悩む桂葉。


「赤岬にも渡してるから、遠慮しないで。どっちにしても、渡しといた方がいいだろうからさ。別に受け取ったからって、一緒に戦えなんて強制はしないよ」


 直登の言葉に「それなら」と鍵を受け取った。

 玄関から中に入ると、如何にも高級そうなテーブルとソファが置かれていた。どうやら、赤岬が言っていた、次期社長のお金持ちというのは本当のようだった。


「取り敢えず、座ってよ」


「……は、はい」


 自分の生活民度とはあまりにレベルが違う。座るのを戸惑ってしまうが、柔らかな感触を自分の肌で感じてみたいという誘惑にかられ、桂葉は腰を下ろした。

 「ソファーぁ」と桂葉の腰を包む。


「……おお」


 あまりの感触に感嘆の吐息が漏れた。

 そんな桂葉を微笑ましそうに見ながら、コーヒーとクッキーを差し出した。


「あ、ありがとうございます」


 照れて頬を赤らめる桂葉。まぬけな姿を見られて恥ずかしかったのだろう。直登はそんな桂葉の横に、一人分の感覚を空けて座る。

 今までは赤岬と二人きりだったので、この大きさでも充分であったが、三人になると、間隔が狭くなってしまう。

 今度、新しいソファを購入しようと直登は、密かに決めた。


「で、今日は『魔法少女』について更に詳しく知ってもらいたいのだけど、いいかな?」


「は、はい。……お、お願いします」


 桂葉は姿勢を正して話を聞く。


「とは言っても、俺も聞いた話だし、全部を知ってる訳じゃないんだけどね」


 『魔女』と井伊家の関係は遥か昔に遡ると直登は話し始める。

 日本が他国と戦争を始める前に――井伊家の『先祖』が『魔女』と出会ったのだと。


「ま、魔女……ですか?」


 桂葉の頭に浮かぶのは、黒いローブに禍々しい林檎を持った老婆だった。

 桂葉の想像する魔女と、直登がいう『魔女』の差に大きくズレがあるようだ。


「まずは『魔女(そこ)』か……」


 『侵入者』と『魔法少女』の争いの根源には、『魔女』がいる。根本を理解しないと、先に進むにつれて混乱するだろう。

 とはいえ、直登も実際に『魔女』に会ったことはない。更には、直登に『魔女』の話をしてくれた人間は、利男だったので――信用はない。

 それでも、聞いたままの情報を桂葉へと告げる。


「『魔女』。それは『侵入者』と同じ世界から現れた存在。どんな姿をしていたのか知らないが、凄い美人だった――らしい」


 白い肌を持った麗しい美女だったと。


「び、美人ってことは……人だったんですか?」


 『侵入者』が醜い姿をしているので、人の姿をしているということに驚く。それは人が、別の世界に暮らしているということなのか。


「……少なくとも人に近かったんだろうね。『魔女』って名付けたくらいだしさ」


 詳しい事は知らないと肩を竦める直登。井伊家にすら、『魔女』の写真は残っていない。いや、写真だけではない。記録も残っていないのだ。

 伝達方法は、完全なる口伝。

 だからこそ、必要最低限の情報も怪しいのだった。


「そして――『魔女』と『先祖』は知り合い、恋に落ちた」


「……」


「ま、この辺はあまり関係ないから、詳しくは聞いてない。俺たちが重要視すべきは、『魔女』と曽祖父の恋によって起こった、三つの現象だけだ」


 それこそが、今日、桂葉に伝えたいことである。

 直登からしてみれば、『魔女』と『先祖』の恋愛など、恐ろしくどうでもいい。

 父や母の馴れ初めを聞きたくないのと同じように、『先祖』だろうと知りたくはない。結局、『魔女』じゃない人と結婚しているのだから。

 子供の時は、直登もなんで自分が『侵入者』と戦うのかと悩みもしたが、21年も生きればそんな悩みはどうでも良くなった。

 もはや、日常へと変わってしまったのだった。

 直登は三つの現象ついて説明する。


「まずは一つ。『魔女』に愛された『先祖』は、ある不思議な力を手に入れた。それがこないだ説明した『祝福』だ」


 『祝福』については先日、説明したので、簡単に話を終えて、二つ目に移る。この二つ目こそ、桂葉にとって最も重要な項目だろう。


「そして、二つ目が『魔女の証』……。ここちゃんが持ってるものだね」


「わ、わたしが……で、ですか?」


 『魔女の証』を持っていると言っても、良く分からない。何か変わってもいない。先日の赤岬の戦いを見て、さりげなく家で、試してみたが、運動能力もそのままだった。


「うん……。まだ、『覚醒』はしてないから、変化はないけどね」


「……はぁ」


「正直言うと、これまでに二人同時に『魔法少女』が現れたことがないから、どうなってるのか俺にも分からない。桂葉さんが、このままの状態で『覚醒』しないことも有り得るし、『魔法少女』になるかも知れない」


 どうなるか分からないからこそ、いつでも相談できるように、『機関』の鍵を渡したのだ。


「あ、ありがとう、ございます……」


『魔法少女』の話を聞いた桂葉。

 直登から話を聞いても考えるのは、やはり、『魔法少女』と『侵入者』は同じ存在なのではないかということだった。

 姿形が人に近いだけの差だ。

 つまり、自分もあんな化け物になるのかと桂葉が聞いた。

 

「そんなことはない……。聞いたこともない」


 これまでの『魔法少女』が、『侵入者』と同じような化け物になったことなど聞いたこともない。


「で、でも……、ま、『魔女』は、し、『侵入者』……と、お、同じ世界から来たんですよね?」


 『魔女』が化け物じゃないと確証はない。むしろ、同じ存在だからこそ不思議な力を使えるんじゃないのかと桂葉は考えてしまっていた。

 読書家だからこその想像力だった。赤岬なんて、『侵入者』と戦えるからと無邪気に喜んでいたのだが……。

 直登は想定していなかった桂葉の問いに頭を掻く……。


「そうなんだけど……」


 どう説明したものかと悩む直登に助け舟を出す人間がいた。

 恐らく地下室前の扉で聞き耳を立てていたのだろう。『機関』の合鍵を持つ、もう一人の少女――赤岬であった。


「お前……。いつの間に……」


「ふふふ……。直登の目を盗んで忍び込むことなど容易いんだよ」


「…………」


 直登は赤岬に、今日、桂葉を呼び出したことを告げていなかった。どうやって日にちを知ったのか疑問ではあるが、直登が『機関』に入る前に、隠れていたようだ。


「だから、直登の携帯を除き見ることも余裕なのさ」


「なっ……。でも、指紋認証が――!」


 本人の指紋でなければロックは解除されない。寝ているときにでもない限り、黙って指紋を使うことなどできやしない。

 寝ている間に忍び込んだのかと、流石に直登は怒ろうとする。

 だが、


「はーっはっは。直登も意外に甘いんだよねー。ロック画面をちゃんと見なよ。毎日使ってるんでしょ?」


「……なに?」


 赤岬に言われて、直登は携帯を取り出して、スリープ状態から電源を入れる。光の付いた画面には、『指紋認証してください』と文字が書かれている。

 変わっているところはない……。


「はぁ……。まだ、分からないんだー。右下をみてみなよ?」


「……あっ」


 そこで初めて直登は気が付いた。

 ロック画面に、小さく、『暗証番号で解除する』という文字があることに。


「ふふふ……。直登はその存在を知らなかった。つまり――!」


 暗証番号は初期状態のまま。

 直登は『0000』を入力すると――ロックが解除された。


「…………なるほどな」


 徹底的な証拠を犯罪者に突きつけるように直登へと言う赤岬。

犯罪じみた行為をしているのも、証拠を突きつけられているのも自分だというのに。


「ふふふ……。因みに直登があんな画像保存してるとはねー。あれがバレたら、ここちゃんに嫌われるんじゃないの?」


「……あんな画像?」


「あー、いい。なにも言わなくていいよ。私だってあんなものを口にしたくないからねー!」


「……?」


 直登の携帯フォルダには、一つも写真や画像は保存していない。

 赤岬が何を言っているのかと、携帯を操作して確認する。


「……」


 保存されていたのは、女子高生のスカートの中身だった。

 下から撮ったアングルは盗撮と言われれば盗撮に見えなくもない。直登にその写真を撮った記憶はないが――スカートの下がスパッツなので被写体が誰なのかすぐに分かった。

 自作自演もいい所である。

 数枚同じような写真があったが、直登は全て削除した。


「で、桂葉さん。何の話をしてたんだっけ? 醜い画像を見たら話を忘れちゃったよ」


「醜いって言うなー!」


「……」


 やはり赤岬は犯人役には向いていないようだ。自分からバラしてしまうのだから。


「…………」


「と、ともかくさ、もしも『魔女』が『侵入者』と同じだからってなんになるのさ」


 直登に自作したのがバレると思ったのか話題を変える。

 まだ、ギリギリで直登が気付いていないと思っている赤岬であった。一目で感付かれたのだが……。


「とある仮面のライダーは、「敵と同じ力で戦う」って決まりがあるんだよ? つまり、『魔法少女』もそれと同じ。だから、私達は『魔法少女』じゃなくて――『ヒーロー』なんだよ」


 仮面のライダーと全く隠す気がない。子供のヒーロを例えに出す赤岬。

 赤岬に取って『魔法少女』と言うより、『ヒーロー』と呼ばれたいとのことだ。小さいころからの理想が叶ったからこそ、赤岬は『侵入者』と戦いたいと本気で思っているのだろう。

 もっとも、赤岬は『正義の味方』の『戦い』に魅せられてしまっているのだが。

 子供が、ストーリーは見ずにアクションだけを楽しんでいると工場で話題になったことがある。最近の特撮は、話が難しいらしく、子供に理解はできないのではないかと。

 赤岬は子供と同じなのかも知れない……。


「呼び方の問題じゃないだろ……」


第一、赤岬の言うヒーローが始まったのは60年前。『魔女』が現れた後である。

その当時には『魔法少女』も『仮面のヒーロー』も生まれていない。だから、名付けたのはそれ以降の人間となる。

そう考えると怪しいのは祖父である利男なのだが……。

直登の分析は、熱く語る赤岬には届かなかった。


「宿命を持った私たちは、戦うしかないんだよ。正義の為に!」


 赤岬の演説が終わり、『機関』に沈黙が流れた。


「……まあ。来て貰って悪いんだけど、俺たちが知ってるのもそれくらいなんだ。だからこそ、落ち着いて話す機会を設けたかったんだ」


 混乱した頭で、何も知らないなどと言っても受け入れては貰えない。殆ど現象が分からなくても落ち着いて考えるために、こうして時間を空けたのだった。

 直登の気遣いは桂葉にとっては、有難かった。

 あの夜に聞いていたら、逃げ出していただろう。

 桂葉は考える。

 赤岬はきっと、もしも自分が『侵入者』と同じ姿になっても後悔はしないのだろう。桂葉にはそんな精神力はない。

 桂葉は自分の胸に手を当てる。

 『魔女の証』が心臓にあるのかも分からないけれど、自分の中にあるのならば、こうすれば感じられる気がしたのだ。

 だが、感じるのは一定のリズムを刻む心臓の音だけだ。

 空っぽの自分に音だけが響いているようだった。


「因みに、『魔女』が残したものの最後が『結界』だよー!」


 赤岬が『遺産(レガシー)』の最後を説明する。


「戦いで見たでしょ? 戦いで傷付いた地面や物が、元通りに戻るのを!」


「あ、はい……。あ、あれが『結界』なんですか?」


「ああ。『侵入者』が作った空間で傷付いた物は自然と修復される。ただし、それは無機物だけらしいがな……」


 直登の怪我は治らなかった。

 あくまでも物だけだった。その現象を直登の父は、「『魔女』が強すぎる故に、『怪我』という概念がなかったのだろう」と、解析していた。

 それが当たっているのかどうかは、『魔女』のみぞ知ることだ。

 


「『結界』の効果は、それだけじゃないんだけどね。『侵入者』をなるべく、『繰間市』に――しかも、人が少ない場所へと出現させるように、コントロールしてるんだ」


「……す、凄いですね」


「ああ。時代が変わっても、この精度で効果が引き継がれているんだ。『魔女』の力がどれだけ凄かったのかが分かるさ」


 そう言えば、父が『結界』について語るときに、こうも言っていた。「恐らく、この『結界』を考案したのは人間、つまりは、『先祖』である」と……。

 普段、直登と話をしない父ではあったが、『結界』や『魔女』に関しては、少しだけ話をしたので覚えていた。

 父との思い出は直登にはそれしかなかった。


「あ、あの……、ま、『魔法少女』――『魔女の証』を……う、受け継ぐ基準とかってあるんですか?」


 桂葉がここまで自分から質問できるとは思っていなかった。

 赤岬がいい人だからか、それとも『魔法少女』ということに心が躍っているのか。どちらにせよ、桂葉は自分の意志で話を続けた。

 桂葉の問いに、直登と赤岬は顔を合わせて同時に言う。


「ないな」


「ないよ」


 直登と赤岬の声が即答で重なった。

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