第14話

「さてと……」

 

 直登が『気配』を辿って辿り着いた場所は、線路が近くにある、小さな土木関係の事務所であった。事務所とはいえ、空き地に小さなクレーン車が数台と、コンテナを重ねて作られた簡易的な事務作業ができるだけだ。

 既に仕事を終えているのか、事務所内の電気は消えていた。


「問題は俺が勝てるかってところだな」


 微妙な『気配』の強さである。

 倉庫で戦った『侵入者』よりも強いが、だからと言って、今までで戦った中で、上位かと言われれば、そこまでは強くない。

 さしずめ『羽化』の一歩手前という所か。


「まぁ、時間稼ぎくらいは出来るだろ……」


 相手がどうであろうと、すぐに殺されることはない。

 直登は刀を取り出して、脇に構える。

 夜の風が草木を揺らす。


「……来たか」


 視界が歪み、光の扉が現れた。ノイズの入った視界で目を細める。

 光る扉の中から現れる『侵入者』。

 それは倉庫内で戦った姿と同じで、烏を頭に被せたような姿だった。ただ、黒い羽根は同じだが、その下にある人間より少し厚い四肢の色が違っていた。今、目の前にいる『侵入者』の色は赤だった。

 色が違くても大きな差はないので、気にすることはない。

 それよりも――、 


「『羽化』はしてないか……」


 扉から現れた相手が『羽化』していないことに、一先ず安堵する直登。だが、『羽化』が近いことは間違いない。

ならば、早く倒さなければ――厄介なことになる。


「……じゃあ、行きますか!」


 直登は『侵入者』との間合いをすり足で詰める。相手は地上に降り立ったばかりで状況を把握しきれていないようだ。この隙を使えば、戦闘が有利になる。

 だからこそ、待ち構えれるように急ぐのだ。

『侵入者』の間合いに入った所で、直登は、前に出してた左足を開き、脇に構えていた刀を横に振るった。


「……っ」


 直登の刀が当たる直前に、自身に向けられた殺意に気付いたのか。『侵入者』は鋭い爪で直登の攻撃を受けとめて、刀を弾いた。

耳が痛くなるような金切り声を上げて、直登に飛びついてくる。両手を使って直登を固定し、口を開けて直登を食らおうとする。

『侵入者』に両肩を押さえられ、身動きが取れない直登だったが、


「俺は美味くないっての」


 限られた可動範囲――手首を使って刀を垂直に立てた。開いていた口の中に刀が刺さる。自ら刀に向かって齧り付いた形だ。


「……食欲だけじゃ、世界は生きて行けないんだよ」


 口を押さえて後退した化け物に、直登は忠告する。人の言葉は通じないだろうが。

 『侵入者』の知能は低い。機転を利かせれば、ピンチを切り開くことは可能なのだ。『魔法少女』ではない直登は、そうやって生き延びてきたのだ。


「はぁっ!」


 左から右に向かって袈裟を切る。口内を貫かれた『侵入者』は、初撃を防いだ反応速度は見せずに、直登の斬撃を正面から受けた。

 力を込めずに『侵入者』を貫ける。

 切り裂いた体から、ドロリとした緑の血が流れ、息を荒げる『侵入者』。


「これなら、赤岬が来る前に倒せるかも知れないな……」


 直登にしては戦闘中に甘い考えを抱いたのが良くなかったのだろうか。直登が一番望んでいない状況にへと動いてしまう。

 直登が望まぬ方向にへと……。それは――、


「こいつ……戦闘中に『羽化』しやがった」


 傷から血が止まり、ひび割れていく。『侵入者』の体に亀裂が入る。それに合わせて頭についている羽毛が宙に舞う。

 美しい漆黒の羽が夜にとけ込む。

 まるで、『羽化』する姿を隠すように舞う黒羽。


「…………」


 直登は『羽化』した相手に一歩も動けなかった。

 いや、自分の意志で動かなかった。

 相手が『羽化』した以上、自分との実力の差は明確になるのだ。下手に突撃をしかける行為は自殺でしかない。

 それほどまでに、直登と『侵入者』のレベルは違った。

 『侵入者』の黒羽が地面に落ち、『侵入者』の姿が見える。烏を頭に付けた用なアンバランスさは無くなっていた。

 人間により近くなった姿。

 だが、それでも異形の姿であることには変わりがない。

 まるで――人間とカミキリムシが合わさったようだった。

 人間の目にあたる部分に生えた、昆虫のような触角は腰の高さまで伸びていた。

 濁った緑色の体色が月の光に映える。


「目の前で変化したのを見るのは、あれ以来か……」


 『侵入者』と戦い始めて、だいぶ年月が経つが、目の前で『羽化』を見るのは二度目だった。初めて目にしたのは、赤岬と初めて挑んだ時だった。直登が高校生で、赤岬が中学生か小学生だった頃だろう。

 それでも、あの時の『侵入者』の姿は、はっきりと覚えている。

 孔雀の尾のような羽を背に持った、鳥人のような姿をした化け物だった。

『羽化』前の『侵入者』の姿はどれも同じだが、『羽化』後はそれぞれ特有の形態に変化する。

 それ故に、この世界に攻め込んでくる『侵入者』は殆どが烏頭の姿だ。


「あの時は悔しい思いをしたからな……」


 『羽化』の光景が当時の悔しさをよみがえらせる。

 直登の攻撃は一切効かなかった。

 そして、直登が殺されそうになったときに――赤岬が『魔法少女』にへと『覚醒』したのだった。

 守るはずの少女に救われ、戦いを続けさせている現状は、決して直登が望んでいるものではない。


「……俺だって、強くなってるんだよ!」


 日々の鍛錬は一人でも『侵入者』を倒すためだ。

 成果を試すべく直登は、脇に構えた刀を、地を削りながら振り上げた。『侵入者』の体に当たるが――感触は固い。威力が足りないようだ。

 ならばと、直登は振り上げた刀を斜めに振り下ろした。足を地面に付けて力を込める。

 一撃ではなく連撃で倒す――!


「喰らえ!」


 胸の前で八の字を描くように刀を返し、『侵入者』の体を何度も切り付ける。

 直登は自身の愛刀を通じて伝わる確かな感触に、手ごたえを感じ、さらに攻撃する速度を加速させる。

 『侵入者』が後ろに半歩下がった。

 ダメージはあるようだと、更にギアを一つ上げようとするが――、


「なっ……」


 『侵入者』は直登の振るう刀を片手で受け止めた。

 防御でも何でもない。

 ただ、刀を掴んだのだった。

 呆然と刀を握ったままでいる直登。刀ごと直登を持ち上げた。刀の先端を掴んでだ。直登の体重分、重みが加わり、人間ならば、掴んだ手が刃で引き裂かれるだろうが――血の一滴も流さない。


「この……化け物め」


 刀から手を離した直登ではあるが、行動が遅すぎた。長い触覚を器用に動かすと、直登の体に巻き付いた。

 触覚の先端で何度か調べるように直登の体を探るが、特に興味を持たなかったようで、ゴミを捨てるような気軽さで直登を投げ捨てた。


「がっ……。はぁ」


 着地する瞬間に直登は受け身を取る。

 だが、ダメージを完全に殺せるわけではない。地面を転がる直登は、外に置かれていたクレーン車に当たって動きを止めた。


「くそ……」


 直登はまだ、諦めていない。震える手を地面について立ち上がる。そして、投げ飛ばされた衝撃で手放してしまった刀を探す。

 直登の刀は、『侵入者』から数メートルほどの位置で、月の光を反射していた。


「……っ!」


 直登はすぐに刀にへと走りだそうとするが――『侵入者』の動きに動作を中断させる。「かかかか」と不気味な声を発すると、『侵入者』が化け物じみた脚力で跳躍したのだ。


「……ははは」


 やはり、圧倒的な力の差に直登は自然と笑ってしまう。

 今まで倒していたのは、全て赤岬ではないか――。直登は自分が『羽化』した『侵入者』を一匹も倒せていないのだ。

 日々の鍛錬で埋めれる力(もの)ではなかった。

 直登の目の前に着地をした『侵入者』は、刀を掴んで腕で、今度は直登の首を掴もうとする。


「……けどな。勝てなくて諦めるほど、俺はいい人間じゃないんだよ!」


 どうせ端から時間稼ぎだ。

 鍛錬で埋められない差であると、直登だって分かっている。それでも――前に進む努力を怠らないからこそ――赤岬は信頼しているのだ。

 直登は、自分の首を目がけて伸ばされた手をいなす。

 ただの人間である直登と『侵入者』の腕力には天と地の差がある。『羽化』まえならば、武器で、腕力の差を誤魔化せる。だが、この『侵入者』には通じない。

 腕力差が直に戦闘能力の差になる。

 だからこそ、相手に捕まれない技術も、直登は身に着けていた。直登が得意とするのは剣だけではない。


「危なかった……。ま、今も危ないのは変わりないがな……」


 相手の力をいなして、直登は『侵入者』の脇を抜けた。そしてすぐさま刀を拾う。


「連続攻撃が効かないなら――他の方法を試すまでだ」


 直登はそう言って腰を深く落とした。

 刀を脇ではなく、自身の首に峰を載せるような構えである。両手で握った刀を最も振りやすく、力が込められる型だった。

 自ら動くのではなく、近づいてきた敵を迎え撃つ。

 後手必殺の構え。


「来いよ……」


 直登の構えが変わったことなど『侵入者』に取ってはどうでもいいのだろう。

 自分と目の前にいる人間には、覆せないほど力の差があることは、『侵入者』でも理解していた。『羽化』した『侵入者』は、初期状態よりは知能があるものの、人間には及ばない。その相手に舐められるほど直登は弱いと判断されたようだ。

 馬鹿にするように「きしししし」と声を出す。


「……それでいい」


 だが、直登にとって、それは好都合だ。確実に一撃を当てることができれば、『侵入者』に馬鹿にされようが耐えられる。

 下手なプライドで距離を狂わせぬように気持ちを抑える。

 力を抜きすぎず、込めすぎずに『侵入者』が近づくのを待つ。

 一歩。

 二歩。

 歩幅に呼吸を合わせる直登。


「今だ!」


 間合いに入った『侵入者』に、直登は弓から放たれた矢のごとく刀を振り下ろした。

 間合いも力の込め方も完璧だった。

 直登が現状もっている技術と力を全て引き出した攻撃は、『侵入者』の首に直撃する。


「……ハハっ」


 直登の刀は、『侵入者』の首に当たって止まっていた。手の内に残る残響が、虚しく震わせる。

『侵入者』の首を切り裂くことはなく、皮膚と肉を少し削っただけで――剣先が進まなくなった。直登は押すようにして力を込めるが、一度止まった刃は進まない。防がれたわけでも、避けられたわけでもない。

 何もしていないのに無傷だった。


「こんなところで死ねるか……」


 直登の首をへし折ろうと『侵入者』の手が伸びる。

 直登が『侵入者』に殺されそうになったのは、今回だけではない。死にかけるたびに思うのは――まだ、死ねない。

 そんな感情だった。

 直登の首に添えられた手に力が込められる。

 それでも――最後まで戦おうと、直登は闇雲に拳を振るう。命尽きるまで戦い抜く意志を――直登は持っていた。

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