第5話

「今の……聞こえた?」


「ああ……」


 『なにか』が動いた音は、直登の耳にだけでなく後ろにいる赤岬にも聞こえた用だ。音の大きさから言って猫や犬ではない。

 人が動いたような音だ……。

 直登は音のした軽トラを見る。しゃがめば人が陰に隠れるくらいの大きさはある。

直登と赤岬は互いに顔を見合わせて、物音がした場所を確認しようと足を進める。このまま挟んでしまおうと直登は思っていたのだった。

 だが、直登の無言の合図(アイコンタク)の意味を勘違いした赤岬が、「誰かいるのー? いるなら出てきたほうがいいよー!」と、隠れている人間に向かって声を上げた。


「おまっ、馬鹿か!」


 どういう理由かは分からないが、姿を見せたくないから隠れているのだ。その相手に声が声をかけたからと言って、素直に出てくるわけもない。

 これで相手は、直登と赤岬が自分の存在に気付いたと察知してしまっただろう。

 かくれんぼをしたことのある人間ならば分かるが、鬼の位置は隠れた場所からは分からないものである。自分から声を出してヒントを与えれば、逃げ出すかもしれない。

 慌てて直登は振り向いて赤岬の口を塞ぎ、これ以上、余計なことをしないようにした。


「モガ、モガー!」


赤岬が直登の掌の中で口を動かして抗議するが、直登はパレットの陰に動きがないかに集中する。掌の中にある赤岬が、舌を使って舐めようとしていても気にしなかった。


「……」


 どうやら、動きはないようだと、取り敢えずは一安心をして、赤岬の口を解放した。


「ちょっと、何するの!」


「何するのはお前だ。いきなり刺激するようなことをするんじゃない」


「してないよー。だって、隠れてるんだから、いきなり現れるより、声かけたほうがいいでしょ?」


「だから、誰かわからないんだから、慎重にいかないと……」


「慎重ってさぁ。隠れてるんだよ? ってことはさ、さっきの直登がしたこと、見られてるんじゃないの? だったら、『魔法少女』じゃないの?」


 赤岬の言葉の意味を直登は頭の中で反芻するが、意味が伝わってこなかった。


「それは……どういうことだ?」


「直登は、井伊家として『侵入者』になれてるからさ、そういう常識がないんだよね……。普通に考えてみて。人間が『侵入者』――化け物を刀で突きさす姿を目撃してさ、ほいほいと女の子が出てくると思う?」


「それは……」


 赤岬の言うことも一理あった。

 もしも陰に隠れているのが人間ならば、『魔法少女』である所までは直登も考えていた。だが、自身のしたことについてどう思うかまで――想像できなかった。

 『侵入者』を殺す。

 直登にとっては当たり前だから。


「でも、そうと決まったわけじゃないだろ? もしかしたら『侵入者』を倒したことに気付いてないとかじゃないのか?」


 ただ、単純に異形の化け物に怯えているだけかもしれないと直登は言う。


「いーや。多分、直登に怯えてるんだよ。二十歳超えても彼女いたことないくせに、女の子の気持ちを決めるなんて、100年早いね……。つまり、直登は死ぬまで独り身ってことだね」


「おい! それとこれは関係ないだろう?」


「いーや、あるね。前から言おうと思ってたけど、直登は女性と話すのが苦手でしょ! 優しい私が話相手にならなきゃ、今でもきっと、女性に挨拶の一つもできないもんね!」


「挨拶くらいできるわ!」


「でも、彼女いたことないのは事実でしょ?」


「……」


 赤岬の言葉に直登は言葉に詰まる。

 直登の動きが固まったことを、陰にいる「なにか」は見逃さなかった。一瞬の内に軽トラの陰から飛び出すと、一目散に駆け出していく。


「あっ!」

 

 走る準備をしていなかった二人は、咄嗟のことに対応できなかった。幸いにして、相手の運動神経はそこまでいい訳ではないようだ。男の直登が全力で走れば距離を詰めることは可能である。

 逃げ出した相手を追おうと直登も走る。

 しかし、数歩足を回転させたところで直ぐに止まる。

 直登が足を止めた理由。

 それは背後から、「絶対逃がさないんだからねー!」と、悪役じみたことをいう赤岬の声が聞こえたからだ。嫌な予感に動きを止めて赤岬へと振り向いた。

 赤岬は闇に逃げた少女を追うべく、クラウチングポーズを取る。


「馬鹿!」


 赤岬の使用としたことを事前に察した直登は、止めた足をずらして、赤岬のコースにへと身体を入れた。

その刹那に直登の体に巨大な弾丸がぶつかる。

 弾丸と化した赤岬。その速度は一流のアスリートでも出せないようなスタートダッシュだった。


「くっ……」


 自身の体を使って赤岬の動きを封じた直登は、当たる瞬間に腰を下ろして、自身に掛かる衝撃を受ける体制を取っていた。

 背中を打ち付けながらも受け身を取る。 


「ぐえっ!」


 だが、赤岬はまさか、直登に邪魔されるとは思っていなかったのだろう。受け身もなにもなしに直登にぶつかったのだ。いきなり現れた壁に反応できなかった赤岬は、カエルのような声をあげて、カエルのようにひっくり返る。


「うう……。ちょっと何すんのよ、童貞」


 両手両足を地面に投げて天を仰ぐ赤岬は、恨めしそうに直登へと文句を言う。


「そう言うことは人にはっきりと言うな。もっと、オブラートに包んで発言しろ」


「ふん。人の邪魔する人間には、何言っていいんだもん」


「いいわけあるか。ダメに決まってんだろ」


「いーや、いいね。……うっ!」


「どうした?」


 赤岬がひっくり返った姿勢のまま、鼻を押さえた。

 まさか、ぶつかったとき、顔から当たり、怪我をしてしまったのかと直登は心配する。

赤岬の怪我がどの程度なのかを確認しようと顔を近づけるが、「ふいっ」と、顔を背けてられてしまった。そして自身の鼻を摘んだ。鼻血でも出たのかとポケットからハンカチを取り出して、「大丈夫か」と 赤岬に渡そうとした。

 赤岬は差し出されたハンカチを鼻を摘まんでいない左手で弾くと、


「臭ぇ。こいつは童貞以下の臭いがプンプンするぜぇ!」


 と、更なる挑発をしたのだった。

 どうやら、鼻を摘まんだのは鼻血が出たからではなく、直登が匂うと現したかったらしい。


「…………」


 いや、そんな下らないことをする余裕があるのだったら、まず、女子として非常に恥ずかしい今の姿勢を治すことを優先しろ直登は赤岬に手を貸した。

 スカートが捲れて、下に履いているスパッツが丸見えである。

 スカートの中身が下着ではないからといっても、気にしなくていい理由にはならない。

 赤岬は直登の手を掴んで立ち上がった物の、摘まんでいる右手はそのままだった。一向にその手を退けようとしない。


「……あのなぁ。まず、童貞以下の臭いってなんだ? は? そもそも、お前は童貞かどうかを臭いで区別できるほど、経験豊富なのか? 上半身裸を見ただけで照れちゃうくせに? 知識だけは一人前なんだな」


 いつまでも馬鹿なことをするなと直登が手を離した。直登を童貞だと言うのであれば、赤岬だって誰かと付き合ったということを聞いたことがない。

 お互いにずっと『侵入者』との戦いを優先していたのだから。

 恋愛を知らないであろう赤岬。

 直登の言葉に引き攣った表情を浮かべた。


「うわー」


「なんだ?」


「絶賛ドン引き中」


「うるせえよ!」


 女子に対してデリカシーのない発言をする直登から三歩後ろに下がって距離を取る。

 赤岬のためを思って止めたのに、何故、ここまでされなければいけないのだろうか……。


「大体、お前が不必要な場所で、『魔法少女』の力を使おうとするから行けないんだろ?」


 ここに人はいないからいいが、それでも、万が一誰かに見られていたら、赤岬は目立ってしまうだろう。現実離れした速度で走れる『魔法少女』など――恰好のネタにされてしまう。

 赤岬の全速を受けたら、骨の一本や二本じゃ済まない。速度が上がる前に腰をかがめて止めたからこそ、直登は無傷で済んだのだ。


「だーかーら。さっき逃げた相手も絶対『魔法少女』だって! スカート履いてたの――直登も見たでしょ?」


「ああ」


 確かに逃げた相手はスカートを履いていた。全身黒のシンプルな服装は、あれは恐らく制服だろう。ならば、赤岬と同じ年くらいかという所まで、直登は当たりを付けていた。

 家に帰れば、より正確に答えを導き出せる。


「なら、別にいいじゃん」


 相手も『魔法少女』なんだから、力を使ってもいいというのが赤岬の言い分であるようだった。


「でも、『魔法少女』って決まったわけじゃない。『覚醒』もしていないし、『気配』も感じない……。何者か分からない以上、無理はしないほうがいいさ」


 『気配』を感じない。

 直登が『魔法少女』と断定できない理由はそこにあった。ならば最悪な状況を想定して動くのが直登である。

 考えらる想定は二つ。

 逃げた少女が『魔法少女』にへと『覚醒』していなくて、直登の『気配』探知が正常に作動していない場合。

 これが一番可能性が高い。

 そしてもう一つ。

 相手が『侵入者』を倒してから、近くにきた場合だ。その可能性も一つ目よりも可能性は薄いが、割合で言えば7:3。

 決して低い数字ではない。


「あのな。女子がこんな暗い場所で、怪しげな人影を見たら怖くなって隠れてもおかしくない。『侵入者(ばけもの)』を見て、冷静に身を隠せると思うか? 普通叫ぶ声の一つくらい上げるだろ?」


「それは、そうかも知れないけど」


「ほらな。普通の人間なら別にみられても悪いことはしてないんだし、仮にあの少女が『魔女の証』を持っているなら、いずれまた会える。慌てることはない」


 話を聞けたのならばそれに越したことはないが、『魔法少女』の力を使ってまですることではないと直登を赤岬にへと言う。

 『侵入者』を退治しただけ。

 何もやましいことはないと直登は両手を広げた。


「ふーん。悪いことねぇ。だけどさ――」


 意地悪く微笑んだ赤岬がそう切り出した。そして、直登が肩に欠けている竹刀袋を指差して言葉を続けた。


「直登が持ってる竹刀袋ってさ、中、見られたらまずくない?」


「……なんでだ?」


 直登は赤岬が何を言いたいのかわからずに、赤岬が指差した竹刀袋を肩から下した。

そして、中にある愛刀を取り出す。


「どこからどう見ても、『侵入者』と戦うための武器だ」


 何もマズイことはないと赤岬に見せるが、自身の言いたいことが伝わらない直登に対して大袈裟にため息を吐いてみせた。

 そして、ゆっくりと間を持たせていう。


「でも、それ、日本刀じゃん」


 赤岬の言葉に直登は、「はっ」と口を開けると、開いた口を閉じる前に赤岬の名を呼んだ。


「……赤岬」


「どうしたの?」


「『魔法少女』の力を使って、さっきの女性を捕まえるんだ!」


「了解!」


 言うや否や、赤岬はスマホを取り出すと、大仰にして直登に見せつけた。

 返事とは裏腹に、赤岬が走り出す素振りは見せない。


「……?」


『魔法少女』の力は、どこぞの戦隊ヒーローや、少女向けアニメのように、力を使うためにアイテムが必要というわけではない。

 赤岬その意図が分からずに、操作している画面をのぞいてみると、「110」と表示された画面が直登の目に飛び込んできた。

どうやら警察(110)にへと連絡するつもりらしかった。


「おい! なにやってんだよ、お前は!」


「いや、善良な市民として、銃刀法違反者がいるって連絡を……」


 直登は咄嗟に、赤岬の手からスマホを奪い取った。

 必死な直登の表情を面白そうに見つめていた。


「冗談だよ、冗談。本気でかけるわけないじゃん。悪戯で警察に電話するのはダメなんだよ? 知らなかったの?」


「んなことは分かってるけど、お前の行動がわからないんだよ! お前ならば本気で遣り兼ねないからな……」


 間違って、通話開始のボタンを押さないように、慎重に電源を切ってから赤岬に投げ返した。


「もう、反応が可愛いなー。さっきまで『侵入者』と戦ってた人と同じだとは思えないよね!」


「はぁ……。お前がそんなだから、さっきの少女に逃げられるんだよ……」


「なに? 人のせいにする気? うわー、最低……」


「それはこっちの台詞だ」


 二人は互いに責任を押し付けながら、『侵入者』が現れた倉庫を後にした。

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