第4話
「ここか……」
直登は『気配』が強まる場所へと到着した。周囲を見渡すが人はいない。
気配を感じた場所は、海辺の近くにある倉庫であった。
普段、何に使われているのかわからないが、散乱とした一斗缶や、段ボール箱が積み重ねられてた。物置代わりとして使用されているのであろう。
貴重な物が置いていないからか、入口が開きっぱなしになっていた。
直登と赤岬は倉庫の中へと入った。
まだ、『気配』を感じるこの場所に、『侵入者』は現れていない。
出現したならば、直ぐに対応できるように、刀を抜き取る直登。後は現れるのを待つだけだと目を閉じて集中力を高める。
「うわ、見て、直登。この一斗缶、埃と油が固まってブヨブヨしてるよー」
赤岬は黙って待つということもできないのか。倉庫の中を歩き回り、段ボールの中を確認したり、一斗缶を転がしたりと暇つぶしに興じていた。
女子高生からすれば、汚い倉庫には抵抗があってもいいのだろうが、赤岬にそんな感情はなく、集中している直登にへと話しかける。
「……」
赤岬の言葉を無視する。
直登は相手がどれほどの強さだろうが、油断や楽観できるほどの力は持っていない。直登はあくまでも『魔女』から『祝福』を受けただけの一般人なのだから。
『魔女の祝福』――それは直登の祖父が付けた名前だ。『侵入者の気配』や『魔女の証』を感じることが出来る能力のことをそう呼んでいたのだ。
あくまでも『祝福』は感知することが出来るだけで在り――『魔女の証』と違って戦闘を優位に進められるものではない。
「……来るぞ!」
「うん!」
直登の言葉に赤岬が隣にへと戻ってきた。
赤岬は自身の短いスカートを摘まみ、直登は刀を握り直す。二人は来るべき衝動を覚悟する。
その直後、倉庫の中が一瞬にして色あせた。
視界が暗くなり景色が歪む。
ブラウン管のテレビにノイズが走るような景色の中に二人は立っていた。常人ならば、この歪な模様を作り上げる空間を見ただけで、意識を失ってしまう。
この景色を耐えられるのは『魔法少女』と、『魔女の祝福』を受けている直登だけだ。
意識を失うことなく、その場に立ち続ける。
二人が異形の景色の中で一点を見つめる。その先にあるのは――ノイズの中で協調されたようにして光る円(サークル)だった。
光の中から一体の影が這い出てきた――これこそ直登が待ち構えていた『侵入者』だった。
「やっぱ雑魚だったねー。どうする? 私やろうか?」
赤岬は現れた『侵入者(ばけもの)』の姿を確認して言った。
赤岬が雑魚と言うのは、最も出現する頻度が高い、烏(カラス)のような黒い羽毛を持った化け物だった。正確に人ほどの巨大な烏を頭に乗せたと言った方がふさわしだろう。
二足歩行に二つの腕。腕からは三本の鋭い爪が光を反射していた。
頭部は嘴のような形状であり、そこには白濁とした二個の瞳がある。
濁った眼で倉庫の中を見渡す。
直登と赤岬の姿を見つけると、興奮したように甲高い鳴き声を上げると、近くにあったドラム缶をいともたやすく切り裂いた。
人間にはおよそ不可能な行動だった。
切り裂かれたのが一斗缶でなく人間だったら、もっと簡単に二つに斬り分けられただろう。
その光景を見て、短く息を吐いた直登。
そして、
「……いや、ここは俺がやるよ。こういう時じゃないと役に立たないし」
自分が戦うと赤岬に答えた。
相手が雑魚だからこそ、自分が戦わなければ。毎度毎度、赤岬に頼むなど申し訳なさすぎる。直登は出来ることならば、赤岬に戦って欲しくないのだ。
自分よりも若い女子高生に『侵入者』と戦って欲しいなど――誰が思うのだろうか。
「……また赤岬には「男女差別だ」って、言われるだろうけどな」
隣に立つ赤岬に聞かれない様に一人呟く直登。刀を『侵入者』に構えて戦闘態勢に入る。
「うーん。私も戦いたいんだけどなー。でも、まあ、今回は我慢するよ……。今日はケーキ買ってきて貰ってるし……」
「そうか……。なら、買ってきて良かったよ」
赤岬は近くにあったドラム缶の埃を払ってその上に座ろうとする。
だが、想像以上に埃が溜まっていたのか、ふわりと赤岬の顔に泥くさい煙が舞い上がった。
「ごほっ……。うえー……」
むせ返った赤岬は、ドラム缶に腰を掛けるのをあきらめて、自分の脚で立つことにしたようだ。腕を組み、直登の戦いを見届けようとする。
『侵入者』がいるというのに何とも呑気な赤岬だった。
「……後ろで何やってんだよ。緊張感なさすぎだって」
「えー、しょうがないじゃん。直登は可愛い女の子に立ってろっていうわけ? 座りたいよー!」
「……自分のことを可愛いと言える人間は、そのくらいの汚れは大丈夫だ」
「やだなー、泥がついてもいい女ってこと? 照れるー!」
「褒めてないけどな……。さてと、いくら、俺が耐性あるからって、この空間に長時間いるのは辛いからな。さっさと勝負を着けさして貰うぜ」
意識を失わないからと云っても、好き好んでこの空間に居たいとは思わない。
異形の姿をした『侵入者』に直登の声が届いているのかは分からないが、直登はそう宣言した。
右斜め後ろに剣先を構えて『侵入者』にへと駆け出す。
直登の構えは、『脇構え』と呼ばれる剣道の型だった。正確には『脇構え』を元にして直登が自分なりに、実践的に改良したものではあるが。
「はぁっ!」
刀が届く正確な間合いで直登は足を止め、下から上に向かって、刀身を振り上げる。駆け出した勢いと踏み込む力を加えた斬撃。
この一撃で終われば御の字だったのだが、赤岬に雑魚と評される『侵入者』でも、これくらいの攻撃は避けられるようであった。赤岬にとっては雑魚で会っても直登には違う。
烏のような頭を後ろに反らして直登の攻撃を躱す。
「せいっ!」
自身の攻撃が躱されたと分かると、直登は即座に次の行動に移った。
振り上げたことで、顔の前まで掲げられた手首を、頭の上で捻る。
刀を半円を描いて剣先が地面と斜めになる。
その状態で一歩踏み込みながら、刀を再び振り上げた。刀身は『侵入者』の顔であろう部分を切り裂く。直登の斬撃は嘴の下の部分にへと当たる。
『侵入者』としてもそこは口に当たる部分らしく、悲痛な声を上げて口を開いた。嘴の中にはびっしりと鋭い蛇のような牙が生えていた。
『侵入者』は両手で口を押えると、直登に背を向けて丸くなるする。このタイプの『侵入者』の背中――烏の羽に値する部位は、他の部位よりは頑丈であることを直登は知っている。
この行為は『侵入者』の最後の手段であり――最大の防御だった。
「……ふぅ」
だが、戦いにおいて、相手に背を向けることは非常に危険である。
こういった行為も赤岬が雑魚と呼ぶ理由の一つであろう。
何度も『侵入者』と戦うことで積み重ねられた経験値は、確かに直登と赤岬に蓄積されているのだった。
直登は背を向けた『侵入者』を踏みつけて、動けないように固定する。そして、「はっ!」と声を出して、刀を背中から突きさした。
直登の刀は、『侵入者』の背を軽々と突き破る。
手に残る感触は殆どない。
「ふんっ!」
直登はそんな声とともに刀を『侵入者』の体から引き抜くと、その剣先には血の一滴も付いていなかった。『侵入者』の体のメカニズムは、直登達にも分かっていない。解明しようとしても、普通の人間では、この空間に耐えられないので、解剖や研究は行えないでいた。
直登も別に、『侵入者』の体の細部なんて興味もない。
倒せることが分かっていれば、それで充分だった。
「流石、直登ー。あの雑魚じゃあ、相手にならないねー。お疲れさま」
勝負がついたからか、赤岬が直登の肩を叩いて労った。
「いや。そうでもないさ。『侵入者』との戦いは、いつも神経を使ってるよ」
直登は日本刀を竹刀袋にしまいながら答える。
まだ、『侵入者』の命は完全に消滅した訳ではないのか、フルフルと小刻みに震えていた。
それにシンクロするようにと、空間が段々と明るくなりノイズが収まっていく。発生源である『侵入者』が消滅している証拠だ。
このまま放っておいても死ぬだろう。
動けない相手をいたぶる趣味は直登にはない。
「そうかなー? 余裕だったじゃん。ま、私だったら最初の一撃で決めてたけどねー」
「……俺はお前と違って『祝福』を引き継いでいるだけの人間だからな。どう足掻いたって『魔法少女』には勝てないさ。赤岬が強いのは俺が一番知ってるさ」
「……馬鹿にしてる?」
「なんでそうなる!? 今度はしっかり褒めてるんだよ!」
二人がそんな会話を交わしている間に、『侵入者』の力は尽きたのだろうか。
『侵入者』の体が光の粒子となり消えていった。
倉庫の中の風景は、元の乱雑とした只の汚い倉庫に戻っていた。
『侵入者』が完全に消滅したことを確認した直登は、倉庫から出ようとする。
「そうだ! 『機関』に戻るついでに、何かおやつでも買ってこうよ」
「おやつって……、もうそんな時間じゃないだろ?」
直登は携帯で時間を確認する。
時刻は夜の9時。
普通の家庭ならば、おやつどころか夕飯を終えている時間帯である。『魔女の証』の探索、帰ってからの日課の修行、そして、『侵入者』の討伐を行ったのだ。
当然の時間も過ぎていく。
「ええー……。よしっ。じゃあ、夕飯をおやつにしよっ!」
名案を思い付いたとでも言いたそうに手を叩くが何が「よしっ」なのか直登には理解できなかった。
「ごめん。言ってる意味が分からない」
夕飯は夕飯で、おやつはおやつだ。
それなのに、この女子高生は何を言っているのだと、直登は肩を竦めた。そもそも、ここに来る前に、直登が買っていったケーキを食べていたはずなのだが、あれは「おやつ」ではなかったのか。
「あれは……うん。ほら、ケーキは別腹っていうじゃない」
「夕食食べる前だけど、それは別腹なのか……?」
別腹は普通、食事を終えた後に言うのではないのだろうか。食べる前から別腹に入るのであれば、それはただ単に大食いなだけだ。
「いいから、真っ直ぐ帰るぞ」
「えー、直登のケチ!」
「なんとでも言えよ」
直登は「おやつ、おやつー」と喚く赤岬を置いて倉庫から出た。来るときは『気配』で焦っていたために気付かなかったが、汚いのは倉庫の中だけではなかった。
外も昔使われていたのだろうか、正方形のパレットやバケツ、さび付いた軽トラが置かれていた。
「私、やっぱりショートケーキが食べたいな! でも、餡子もいいなー。どら焼きとか。悩むー。直登はなにがいい?」
直登に続いて赤岬が倉庫から出てきた。
帰りに何を勝っていこうかと直登に聞いてくるが、赤岬の言葉には応じずに黙って帰ろうとする。
その時だった。
前方にあった軽トラの陰から、何かが擦れる音がした。
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