第2話
「嫌だな……」
直登は憂鬱な気分で『井伊工場』へと帰ってきた。これからゆっくりできるのであれば、直登も溜息などつかないのだが、ここには商店街で電話をしてきた相手――赤岬 りょうがいると思うと、自然と気分が重くなる。
それでも、いつまでも、こうしてはいられないと、覚悟を決めて敷地内の奥にへと進んでいた。
入り口のすぐ脇には工場がある。
就業時間は終わっているからか、社員たちはいなかった。
誰もいない工場の脇を抜けると、その先に大きな正方形をした建物がある。大きさは工場よりは一回り小さいが、それでも一軒家としては見劣りしない広大さである。
ここの建物は、『機関』と名付けられており、仕事とも生活とも違う目的で建てられた。故に社員は、この中に入ることは禁止されている。
透明な扉に手を掛ける直登。
扉に張り付けられたスモークフィルムが中を覗くことを許さない。
「帰ったよ……」
直登は中にいるであろう少女に帰ったことを告げる。
「ああ、お帰り……」
「うおっ……」
入り口のすぐ近くで体育座りをしている赤岬がいた。
明かりも付けずにいるのは、帰ってきた直登に対して、暗い雰囲気を味合わせようという単純な思惑だったのだが、そのことに直登は気付いていた。
だが、流石に玄関の前で体育座りをしているとは思わなかったようだ。赤岬に驚いて声を上げて、すぐに部屋に明かりを灯した。
玄関に光が灯り、赤岬の姿が露わになる。
赤岬は制服のまま体育座りをしていた。
スカートのままで。
下着が見えるのではないかと、直登は慌てて視線を反らしたが、よくよく考えれば、赤岬はスカートからはみ出すようにして、常にスパッツを履いていたことを思い出す。
スパッツとはいえ、ここまであからさまに見せるのでは、スカートを無理して履かなくていいのではないかと、直登は聞いてみたことがあるのだが、そこは女子の事情があるらしく、スカートは履きたいらしい。
複雑女子事情だ。
座っている赤岬を無視し、部屋に置かれているテーブル(白に金という配色により、無駄に豪華に見える。しかし、実際は赤岬の手作りである)に、厚紙を織り込んで作られた箱をそっと置いた。
「え、ちょっと……。それは、なにかな?」
置かれたものを視界に捕らえた赤岬が食い付いた。
地面からゆっくりと立ちあがると、チョコチョコと歩いてテーブル前に位置するソファに座る。流石にソファまでは手づくりできないので、これは市販のモノを使っていた。
値段は直登だったら絶対買わない金額だが、「私の作品(テーブル)にはこれくらいじゃないと釣り合わない」と赤岬が購入を決めたのだった。
高いだけあり座り心地は悪くない。
直登も赤岬の隣に座る。
「なにって、お前がなんか買って来いっていったんだろ。この時間じゃ、お前の好きなショートケーキは売ってなかったけど……、まあ、残っていたやつから、美味しそうものを選んでおいた」
言いながら、直登はケーキの箱を開いた。
開かれた中にはチョコレートケーキ、フルーツタルト、チーズケーキの三つが丁寧に並べられていた。
赤岬はケーキと直登を交互に眺めると、
「もう! 直登、大好き!」
と、ソファのスプリングを利用して直登に抱き着いてきた。
女子高校生の女の子特有の香りが鼻をくすぐる。
直登はその柔らかな感覚をしばらく味わいたいという感覚に陥るが、ブンブンと直ぐに気を正気に戻して、赤岬を引き離した。
「全く……。本当にお前は分かりやすいな」
ケーキ一つでここまで歓喜してもらえるならば、買ってきた身としては嬉しい限りだろう。
「大体、男に気軽に抱き着くな」
抱き着かれて一瞬、嬉しく思ってしまったことを悟られないように、罰が悪そうに顔を背ける直登。
感謝の言葉を伝えたことで直登に興味は無くなったのか、食い入るようにしてどれから食べようかと悩んでいる赤岬は、直登の顔も見ずに言う。
「えー。だって、別に直登って男じゃないじゃん?」
「お前なぁ……」
切り替えの早さに呆れてしまう。
それがこの少女の良い所でもあるのだが。
赤岬 りょう。
今風のコギャルといった制服の着こなしをした、学校では上位のカーストに入るであろうルックスの持ち主だった。もっとも、赤岬はカーストなどに興味はないようで、常に自由にふるまっているのだが……。
短いスカートから覗くスパッツや馴れ馴れしいスキンシップ。女子高生としての意識の低さに、直登は常にドキマギとしてしまう。
世の男達もそうだろう。
日頃から直登はことあるごとに注意してくるのだが、一向に直る気配はない。恐らくその場のノリで生きているだけだ。
現に今も、赤岬は直登に抱き着いたことを忘れ、早くケーキを食べたいと目を離さない。
「それはいいから、早くケーキ食べよ。フォーク出して、直登!」
「はいはい」
それぐらい自分で動けと言いたくなるが、頼まれると動いてしまうのが直登の悪い癖である。工場でも一番下っ端だからか、指示を聞いてから動くことが多い。
直登は工場の所有者だが、自分が一番、経験がない事を良く知っている。
故に一番下の人間として出来ることを日々学んでいた。
優しい上司は、「もっと自由に動いていいよ、君の工場なんだから」と言ってくれるが、そうだとしても、自分が経験をしないで人にモノを言っても聞いて貰えない。
まずは自分が仕事を覚えなければならないと、直登は考えていた。
しかし、社会人の壁とでも言うべきなのか、最近になって、ひょっとして自分は、誰かに指示をされなければ動けない人間なんじゃないのかと悩んでいた。
その壁を壊すにしても、超えるにしても、まだまだ、先は長そうだ。
いつになったら自分は胸を張ってこの工場が自分のモノだと言い切れるようになるのか。
「やれやれ……」
『機関』の中には調理ができるようキッチンもある。脇に置かれた食器棚からフォークを取り出す。それだけの動作で気分を落ち込ませる自分に活を入れる。
テーブルで待つ赤岬にフォークを渡す直登。
「あれ? 直登は食べないの?」
直登は一つしか持ってこなかったことに気付いた。流石に一人で全部食べるのは申し訳ないと思ったのか、直登はどうするのかと確認する。
「あー。俺はいいや。今日、探索に向かっちゃたからさ、まだ、日課の修業が終わってないんだ」
終わっていない分は、これからやろうと思っていた。今、甘いものを食べたら動けなくなると直登は、三つとも赤岬が食べてくれと差し出した。
「いいの! やった!」
一度に三種類も一人で味わえることに感嘆すると、まずはチーズケーキに手を伸ばした。フォークで半分に切り分けると、半分を一気に口に入れた。
「ひあわせー!」
もごもごと口を動かす赤岬。
折角のケーキだなのだから紅茶でも入れてあげようと直登は席を立った。お湯を沸かし、カップにティーパックを入れる。
そうこうしている間にもう、チーズケーキを食べ終えた赤岬。
次はフルーツタルトに手を伸ばして直登に話しかける。
「探索ねー。で、いたの? 『魔女の証』を持った少女はさー」
「残念ながら……。いなかったよ、全然だめだった。『覚醒』してくれればすぐ見つかるんだけどな」
「『覚醒』したら、直登じゃなくても分かるでしょって。ま、そんなに慌てなくてもいいでしょ?
「ああ……そうだな」
直登はテーブルに紅茶のカップを置き、部屋の角――入り口とは反対の場所に位置する扉にへと足を進めた。
扉の脇に立てかけてあった竹刀袋を持ち上げる。
黒い竹刀袋から一本の刀を取り出した。中に入っていたのは竹刀ではなく――抜身の日本刀だった。一家代々に伝わる『魔女』の武器らしく、その刀は世代を超えても人を魅了する輝きがあった。
直登は刀を手に、扉を開けると中に入る。そこには地下へとつながる階段があった。白を基準とした一階から、地下に向かうにつれて段々と暗くなっていく。
「さてと……」
螺旋状に設置された階段を全て降りると再び扉が現れた。
直登は扉を開く。
するとそこには、剣道場のような開けたスペースが現れた。
『機関』の地下には体を動かすための訓練場が設けられており、直登は毎日ここで素振りや型の練習を繰り返していた。
幼少のころから毎日続けているが――今の技術で直登が満足したことはない。
更なる力を求めていた直登は訓練場の中心で刀を振るう。
「はっ、はっ!」
振り下ろすと同時に息を吐き出す。
本来ならば無心で剣を振るうのが理想なのだが、直登の頭の片隅から、『魔女の証』のことが離れなかった。
『魔女の証』とは、その昔、世界を救ったという『魔女』の遺した力のことだ。
とは言え、誰もが証を持つわけではない。
『魔女の証』は何故か少女にしか受け継がれなかった。そして力を持った少女は――『魔法少女』にへと変化する。
当然、男である直登はその力を持たない。
力を持っているのは、一階にいる赤岬だ。赤岬は『魔女の証』を受け継ぎ、力を『覚醒』させて――『魔法少女』となったのだ。
直登自身に力はなく、赤岬には戦う『魔法(ちから)』があった。
そのことが直登を悩ませる。
「くそっ! 余計なことを考えるな。今は修行に専念するんだ」
考えるのは後でもできる。
今やるべきことに集中しなければ、効率の悪い時間を過ごすことになる。無心になるように、一旦、日本刀を振るうのを辞めて直登は深く息を吸い込んだ。
空気が体全身を駆けまわる感覚に浸ると、脳の隅に引っかかっていた『魔女の証』と言う言葉が、段々と薄れていく。
「よしっ……!」
集中力が増した直登は、刀を握り直すと再び素振りを開始した。
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