第1話
「あれ……、おっかしーな。さっきまで、ここで『気配』を感じてたんだけど、なにも感じなくなったな……」
井伊 直登(いい なおと)は、辺りを見回しながら呟く。
黒いスーツを身に着け、ネクタイを締めていた。社会人であればごく普通の格好なのだが、直登の姿はどこかアンバランスだった。
それは直登が童顔だからかも知れない。
21歳になった今も、未だに高校生だと思われることが多かった。社会に出て3年たったのに、まだ、新入社員のような頼りない雰囲気が消えていないこともあるのだろうが。
着ているスーツは、祖父が奮発し、それなりの値段がする高級なスーツをプレゼントしてくれたのだが――しかし、着る人間が頼りないとその価値は失われてしまうようだ。
直登が『気配』を辿ってきた場所は、
『繰間商店街(くりましょうてんがい)』
そう呼ばれる場所だった。
両脇をそれなりの階層をしたビル――といっても、精々、七、八階建てのビルではあるが(高さとしては微妙だ)。そんな中途半端な高さを持つビルに挟まれた通路に直登は立っていた。車両禁止を意味するオレンジの通路だ。
そこで足を止め、見失った『気配』の余韻を探すが、やはり感じることはできなかった。
「はぁ……。この察知する『祝福(ちから)』も完璧じゃないからな」
『気配』は、『魔法少女』になる前の少女が持つ『魔女の証』のことだ。かつて、世界を守ったとされる『魔女』が、後世に残した力でもある。
そんな『気配』を誤検知してしまうことは、今までにも何回もあった。そそもそも、『魔法少女』として覚醒する前なんて、あやふやなものだ。
現に直登は、これまでも、何度も『気配』を感じていたし、その度に現地に駆け付けるのだが、実際に出会えた『魔法少女』は一人。
何百と無駄な経験をしていた。
そんな『祝福(ちから)』を頼りにしている時点で、ナンセンスだと直登は自分でも思うのだが――その感覚に頼らなければいけないことも、また充分に理解していた。
「本当は俺も『魔法』が欲しいんだけどな」
久しぶりに商店街に来たのだから、買い物でもして行こうと、直登はのんびりと歩き始める。
魚屋、パン屋、肉屋と言った店舗があるが、どこも、羽振りは悪そうだ。
今のご時世、買い物は巨大なスーパーで買うのが当たり前になっている。直登が暮らすこの繰間市も、そこそこな田舎町だが、大きなスーパーが何店舗もあり、直登自身、その店にお世話になっているのだ。
商店街で買い物など、『気配』を追ってこなければ、直登はこれからも自分から進んで利用することはなかっただろう。
夕方だからか、仕事帰りの主婦や、学校帰りの学生が多く、自転車で通路を駆け抜けていった。
本来、この通路は自転車も通行は禁止で在り、通る場合は、自転車から降りて、押していかなければいけない。だが、そんな決まりを守っているのは数人の真面目な人間達だけである。
当然だ。
そのルールを破ったからと言って、実際に罰を受けている人間を見たことはないのだから。
人は自身の目で、肌で感じないと身近には思えないのだから。それが、『ルール』を守る人間が少ない原因の一つであろう。
直登は自転車にぶつからないよう、周囲に気を配りながら歩みを進めていく。
「……うん?」
どうすれば、小さなルールでも人々は守るようになるのかと、直登が分不相応に考え始めた所で、顔を両手で覆い、地面にしゃがんでいる一人の少女を発見した。おさげの髪が地面に着くのではないかというほどに、顔をうな垂れている。
その姿を誰もが見てはいるだろうが、自分のことに必死なのか、横目で視認はするが、話しかけることはしなかった。
それが普通の反応だろう。
だが、直登は例え自分に余裕がなくとも、少女が泣いているのであれば、助けたいと思う性格であり、その思いを実行に移す男であった。
もっとも、直登のそんな性格を、
「頭が固い癖に器は広い」
と、直登が出会った『魔法少女』は笑うのだが。
「どうしたの、大丈夫?」
直登は少女に問いかけた。
目線を合わそうと直登も少女と同じようにして膝を抱え、チョコンと座るが、少女の顔を覆う手は退けられなかった。
少女の隠された顔から、啜り声と共に小さな幼い声が聞こえてきた。
「お母さんが……、お母さんが」
お母さん、の後が中々出てこない。
だが、この状況でその後に続く言葉を察知できない程、直登は鈍感ではない。
「ああ、なるほどね」
この少女は迷子になったのだと、直ぐに理解した。
幼稚園児なのか、小学生低学年なのか、少女の見た目では分からないが、どちらにせよ、リュックやランドセルを持っていないところを見ると、遊びに出掛け、お母さんに迎えに来てもらった帰りに、商店街へと寄ってはぐれてしまったのだろうと、直登は推測する。
子供に取って、商店街の通路は似たような場所が多く、分からなくなってしまったのか。
お母さんも買い物に集中して、我が子を見失ってしまったのだろう。
「よし、じゃあ、お兄さんと一緒に探そうか。ここで泣いてても仕方ないしさ」
直登は少女の頭を撫でながら言う。
「でも……、逸れたら動くなって、お母さんが……」
「う……、まあ、そうなんだけど。でも、自分から動かないと。……泣いて待ってたら、嫌な思い出とし記憶に残るかも知れない。けど、頑張って、君がお母さんを見つけたら、良い記憶として残るよ!」
「いい記憶……?」
「そう。自分からお母さんを見つけたんだって記憶だ。そうやって、いい思い出をたくさんつくれば、これからの人生が、もっと素敵に笑えるさ」
覆っていた手を退け、涙をこすり落とし、鼻をすする少女。
そうして、立ち上がると、直登の手を取って、早く探しに行こうと促し始める。どうやら、自分の話が少しは伝わったようだ。直登は自分の思いが伝わったのが嬉しかったのか、頬がにやけている。
……周囲から見れば、女の子に手を握られて、不気味に笑う危険な男に取られているのだが、少なくとも 直登本人はちょっとした満足感に慕っていた。
自分の言葉が人に届くというのは嬉しいものだ。
あまり急いで探して、逆に見落としてしまうのは避けたいので、ゆっくりと、歩きながら、「お母さんはいませんかー」と直登は声を上げていく。
直登を真似してだろうか、少女も「お母さんー!」と、小さな体を精一杯使って商店街に声を響かせていた。
声を上げながら商店街を半分ほど歩いたところで、
「なぎさ!」
一人の女性が後ろから少女に向かって駆け寄ってきた。どうやら、この人が少女の母親らしい。手には野菜や肉の入った買い物袋をぶら下げ、その手で少女へと抱き着いた。
「良かった。心配したのよ……」
「お母さんー!」
親子が互いに抱き合うようにして再開を喜んでいた。
しばらく、抱き合っていた二人だが、「あの、ありがとうございました」と母親が直登に頭を下げた。少女も可愛らしい笑顔を浮かべて「お兄ちゃんありがとう」と手を振った。
「別に、俺は大したことしてないですよ。お母さんを探そうって決めたのはその子ですから……」
直登は少女の頭をポンポンと撫でながら、よく頑張ったと声をかける。やはり、何かを成し遂げた少女の笑顔は、やはり素敵なものだと直登は思う。
「じゃあね。今度は迷子にならないようにな!」
親子はもう一度揃って頭を下げると、今度は逸れないようにするためか、手を握って歩き始めた。その背中を見送った直登は一人呟いた。
「さて……。俺ももうちょっと頑張って探してみるか」
少女に勇気をもらった直登は、もう少し粘って、商店街を探してみることにしたのだった。
☆
少女と別れてから直登は一人で商店街を一時間ほど歩き回った。同じ通路を何度も何度も往復する直登を不思議そうな視線をぶつける人間もいた。その視線に耐えられなくなり始めた直登は、流石にもういないかと、区切りをつけて家に帰ろうとした。
その時だった。
直登のスマホに着信が入ってきた。
液晶に映し出された名前は、『赤岬 りょう』と表示されている。その名前を見て直登はあからさまに顔をしかめるが、電話に出ないほうが、後で面倒くさい。
嫌々ながらも画面を横にフリックして、応答した。
「もしもし、どうした?」
めんどくさがっていることを悟られない様に、なるべく感情を殺して声を出す。直登の狙い通り、電話先の相手――『赤岬(あかみさき) りょう』は気楽そうに声を出した。
「直登いなかったから、なにしてるのかなって……」
「……今、『気配』を探して、商店街に来てるよ」
「えー、今、商店街にいるの? じゃーさ、何か買ってきてよ!」
「まずは、『魔法少女』がいたか聞けよ……」
『気配』に触れずに自身のお腹具合を優先させる辺り、赤岬らしいと直登は呆れる。
「残念ながら、今の私は空腹が勝っているのさ。いいから、なにか買ってきてよー!」
「なにかってなんだよ……。大体、俺は赤岬のパシリじゃないし、商店街だからって、特別なものは売ってないよ」
「えー。でも、私お腹減っちゃてるんだよねー。こっち来たのに誰もいなくてさ、何食べていいか分からないんだもん」
お腹減ったから、適当なお菓子を買ってこいとの連絡に対し、直登はあくまでも冷静に対処していく。
この時間、直登がいなくて電話をしてきたということは、恐らく赤岬は自分たちが活動する拠点――『機関』にいるのだろう。ならば、その場所には、お菓子や食料はストックされているし、わざわざ連絡しなくても、赤岬は普段は勝手に食べているはず。
赤岬が自分の空腹を満たす方法はいくらでもあるはずだ。
大体にして、直登がいるときは勝手に棚から何かしらを取り出して口に運んでいた。ひょっとすると、直登が見ているから、そこにあるものは食べていいという判断なのかも知れない。食べちゃダメな物ならば、止めてくるだろうと。
「あるものは食べていいってば……」
いつもならば、直登はこの時間には『機関』にいる。だが、今日は、気配を追って少し離れた商店街を訪れていた。そのため、赤岬は、誰もいない空間に寂しくなって電話してきたというのが――本当の所だろう。
「それに、最悪、工場に行けば、なにかしら貰えるよ。何故か、皆は、お前のことは気に入ってるからな……」
「うーん。とは言ってもさ、あのオジサン達、なんか私を、イヤラシイ目で見てくるんだよねー。それを言ったら、直登もそうなんだけどさ」
「おい! 俺はともかく、工場の皆を馬鹿にするな!」
「冗談だって。怒んないでよね。私をエロい目で見てくるのは、直登だけだよ!」
「俺も見てないよ……。はぁ……。要件はそれだけなら、切るよ」
「わー、ちょっと待った、ちょっと待った。一人で寂しいんだよー」
電話を切ろうとした動作を察知したのか、慌てた様子で電話の先にいる直登を引き留める。
寂しいのだと。
赤岬の要件はそれだけだった。
自分の気持ちをようやく素直に告げた赤岬は子供のように電話越しでごねる。これでは、先ほどの少女の方が、まだ、大人の対応だったと直登は首を振る。
「折角来たのに誰もいなくてさー、もう、いないならいないって言ってよ。暇だよー」
「だったら、いつ来るか教えとけって。俺はお前が思ってるほど暇じゃないんだからさ」
「またまたー。そんなこと言って。社会人なのに、家から出ないで引き籠ってるじゃん」
「待て! その言い方には語弊があるだろう? 俺の家が工場で、そこで働いていれば当然、家から出ないのは普通の事だ!」
直登の実家は小さな町工場である。
大手工場の下請けを仕事とする、鉄の加工を主にした工場だ。経営が順調とは言えないが、十人程度の社員で日々仕事をこなしていた。
工場と言っても本格的な建屋ではなく、倉庫のようなものだ。
その倉庫と勘違いされる狭い作業場から、少し離れた所に直登が生活する自宅があった。
そうなれば、当然、工場の敷地内に自宅があるのだから、井伊工場の敷地から出ることはない。工場も家だとするならば、赤岬の言う通りではある。
「いや、休日も家にいるじゃん」
「……そうなんだけどさ」
正直に言えば仕事も休みも関係ない直登であった。
直登が外に出る用事と言えば、精々、『魔女』からみのことである。
「家が職場っていいなー。いっつも暇そうにしてるじゃん。彼女もいないみたいだしさー」
赤岬は高校生だ。
学生の自由な時間は放課後と休日だけだ。その時間は直登も仕事を終えているので、赤岬より先に『機関』にいることが多いから勘違いしているようだ。
「暇じゃないし、別に彼女なんていらないな」
「はいはい。いらないんじゃなくて、できないんでしょ? もー、できない人間に限って皆否定したがるんだよねー。私の前では見栄張らなくてもいいんだよ!」
「じゃあ、お前は彼氏いるのかよ……。って、女子高生には愚問か。青春真っ只中なんだから、当然いるか……」
「え、いないよ?」
「居ないのかい!」
「当たり前じゃない。別に彼氏とか欲しくないしー」
「……お前、俺にさっきなんて言ったか、思い出してみたほうが良いんじゃないのか?」
「……私なんか言ったけ?」
明るい声が耳に聞こえて続けていた。気付かないうちに赤岬のペースに乗せられ、暇つぶしをされていた。
これ以上話しても、只の時間の無駄だと気付いた直登。スマホを耳元から離すと、赤く表示された通話終了と書かれたボタンを押して、赤岬の声をシャットダウンする。
電話をいきなり切られたことで、赤岬は怒りはするだろうが、まあ、最初に言っていた通りに何か買っていけば機嫌が良くなるだろう。
「はぁ……」
直登はため息とともに商店街にある洋菓子店にへと入っていった。
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