第10話 地獄姉妹(中編)

 自分の事を、ルチア・ドールは1つだけ思い出した。

 処女である。

 たくましいほど張りのある豊かな乳房も、むっちりと安産型に膨らんだ尻も、男に触れさせた事など1度もない。

 触れようとしてくる男たちは、ことごとく斬殺してきた。あるいは撲殺してきた。絞めて捻り殺した事もある。

 いくら殺しても、男たちはこうして寄って来る。たかって来る。そして死ぬ。

「死んだ後の男たちに……寄ってたかられるのは、初めてだな」

 とりあえず、ルチアは軽口を叩いてみた。

 男たちは応えない。

 女戦士の力強く魅惑的な裸身に、どんよりと濁った目を向けながら、浅い水中をのたのたと歩み進んで来る。

 散大した瞳からは、生前の滾るような劣情のぎらつきが完全に消え失せていた。

 7人の、男たち。あるいは7つの死体。死体に変えたのは、ルチア自身だ。

 のたのたと歩く死体たち。その首筋や後頭部に、長い針のようでもある小さな短剣が突き刺さっている。

 短剣に塗られた毒物が、この7つの屍を動かしているのだ。

「死人使い……」

 ルチアは呟いた。

 そう呼ばれていた人物を、自分は知っているような気がする。

 一瞬の沈思が、隙となった。

 無論この屍たちに、ルチアの隙を突くだけの俊敏さなど、あるはずもない。

 ルチアの隙を突いたのは、暗殺者の少女である。

 いつの間にかルチアの近くにいて、猫のように姿勢低く、短剣を構えている。

 何度か投擲されたもの、よりも大振りで厚みのある、それでいて鋭利極まる刃が、斜め下方から一閃してルチアを襲った。

 とっさに、ルチアは長剣で防御した。だが少女の斬撃の速度は、ルチアの想定を超えている。いくらか不充分な防御になってしまった。

 不充分な防御が、短剣の一閃によって打ち砕かれる。

 焦げ臭い火花を散らせながら、ルチアの長剣は高々と宙を舞い、湖の浅瀬に落下した。

 それほど遠い場所ではない。が、回収の暇などあるわけがなかった。

「悪いけどぉ、お姉さんに武器使われたら一瞬で終わっちゃう。実験になんないから……すっ裸の素手で、ちょっとこいつらの相手してね」

 暗殺者の少女に「こいつら」と呼ばれた屍7体が、一斉に襲いかかって来る。

 ルチアの方からも、踏み込んでいた。

 男たちの動く屍。その1体が、ゆらりと手を伸ばして女戦士の裸身を捕えようとする。

 捕われる前に、ルチアは捕えた。屍の腕を捻り上げながら、裸の全身を高速で翻す。

 投げ飛ばされた屍が、別の1体と激突し、グチャッと生々しい音を響かせた。動く屍が2つ、一緒くたに倒れて浅瀬に突っ伏し、水飛沫を跳ね上げる。

 その間、他の5体がルチアに飛びかかっていた。生前の乏しい身体能力を超えた勢いで、裸の女戦士に激しく群がる。

「く……っ」

 周囲で水飛沫が散り、背中が湖底にぶつかる。

 浅瀬の中に、ルチアは仰向けに押し倒されていた。

 5つの動く屍が、のしかかって来る。

「へ……へへ……このオンナぁ……」

 息荒く、声を漏らしながらだ。

「さんざん、やってくれたなぁ……おかえししてやンぜぇ、ここここのナマイキなカラダによぉお……」

「お、おれが、まっさきにブチこむぅー……」

「いいいいいきなりブチこもうと、してんじゃねぇーよ……ま、まず、もんだり、しゃぶったり、しゃぶらせたりぃい……」

 生気も欲望も失っていた彼らの眼球の中で、ギラギラと、劣情が再び燃え上がり始めている。

 1度死んだ、くらいでは、男という生き物の下半身の欲望を、完全に消去する事は出来ないのか。

「あたしの親父が、ね……いろいろ、教えてくれたんだ」

 訊いてもいない事を、暗殺者の少女は語った。

「人間を、生きたまま死体みたいにしちゃう毒。これを喰らった奴は、生きたまんま死ぬ。死体だから、ぶった斬られても痛みなんか感じないし、限界以上に馬鹿力が出せる。まさに無敵の兵隊……あたしはねえ、これを1歩進めて見たわけ。つまり死体を生きた人間みたく動かす毒! なんだけどぉ」

 語りつつ、少女は頭を掻いた。

「駄目だねえ、生きてた時の欲望まで甦ってきちゃった。無敵の兵隊を作りたかったのに、単なる性犯罪者にしかならなかったよー」

 そんな話を、聞いている場合ではない。

 生前の劣情を取り戻しつつある屍の1つが、ルチアに覆い被さって来る。

「お、おれぁこのオッパイがあればよォー、ほかはオメエらにゆずるからよぉお」

 仰向けになって少しだけ伸び広がった、豊かな丘型の乳房。そこに、血色の失せた醜い顔面がハァハァと息荒く近付いて来る。

 とっさに、ルチアは左手で防いだ。劣情のぎらつきが蘇った男の両眼に、指を突っ込みながら。

 1人をそうやって防ぎながら、ルチアは下半身を躍動させた。

「この……ッ!」

 筋肉質の美脚が、飛び魚のように跳ね上がって、屍を1つ蹴り飛ばす。

 蹴り飛ばされた屍の、首がちぎれた。もともと頸骨が折れていたのだ。

 蹴り上がった右脚に、だがすぐに別の1体がしがみついて来る。左脚にはすでに、最も肥え太った屍がのしかかって来ている。

 その2体の首を、ルチアは両脚で、まとめて挟み込んだ。まるで蟻地獄の大顎のようにだ。

 むっちりと力強い左右の太股が、生気なくも劣情みなぎる2つの顔面を、一緒くたに圧迫し締め上げる。

 別の1体が、ルチアの頭の近くで屈み込んでいた。下腹部を、と言うより股間を、女戦士の美貌にずいと近付けようとしている。

 生前の劣情が凝縮したかの如く、おぞましく浅ましく勃起したものが、ルチアの眼前で震えた。

「し、しゃぶれよぉおぉ……」

「愚かな……己の弱点を敵に近付けるとはっ」

 それを、ルチアは右手で思いきり掴んだ。

 醜悪な肉塊が、女戦士の優美にして鋭利な五指に捕われてビクビクッ! と痙攣する。

 おぞましい感触に耐え、ルチアは握力を加えていった。

 握られた男が、表記不可能な絶叫を響かせる。

 動く屍4体に押さえつけられ、だがその4体を逆に拘束してもいるルチアを、暗殺者の少女が観察している。鑑賞している。

「お姉さん……その、おっぱいは反則だよ……駄目だよぉ……」

 可憐な唇から、死せる男たちに負けず劣らずの妄言が紡ぎ出される。

「あ、あたしね。見ての通り胸、ちっちゃくてぇ……大っきなオッパイって許せなくてえぇ……しかも何、おっぱいなのに筋肉でも詰まってんじゃないってくらい張りがあって……鍛えてるんだねえ、お姉さん……」

 少女が、革の手袋を外した。

 愛らしく繊細な素手の五指が、嫌らしく蠢きながらルチアの胸に迫る。

「やめろ……」

 ルチアが声を発した、その時。

 派手に、水飛沫が跳ねた。

 先程ルチアに投げ飛ばされた男と、もう1人。ぶつかり合って一緒くたに水没していた屍2体が、暗殺者の少女に向かって跳ね起きたところだった。

「な、何……きゃあああああああッ!」

 不敵な猫のようだった少女が、初めて悲鳴をあげた。2体の動く屍に飛びかかられ、浅瀬に押し倒されている。

「……うへ……へへへへ、お、おれぁ、こっちのオンナの、ほうがよおぉ……」

「お、おっぱいは、デカいよりカワイイほうがイイよなあああ」

 死せる2人の男が、少女の細身を全身で押さえ付け、劣情を甦らせている。

 少女の悲鳴が、可愛らしく響き渡った。

「いっ嫌! やめろ、やめなさいよっ、やめ……やめてええええええ!」

 ほっそりとした両脚が、水飛沫を蹴って元気に暴れる。その様だけが、ルチアの視界に入った。

 卓越した毒使いと短剣使いの技量を有する、暗殺者の少女。とは言え、死人の馬鹿力に押さえ込まれてしまっては、どうにもならない。

 死せる男4人に押さえ付けられたまま、あるいは男4人を両手両脚で捕獲したまま、ルチアは思いきり裸身を捻った。

 ゴギッ……! と粉砕の衝撃が、股間に走った。

 ルチアの左手が、男の両眼を潰しながら顔面を引きちぎった。右手が、おぞましく勃起したものを掴み裂いた。

 むっちりと力強い両太股の間で、男2人の頸骨は砕けていた。劣情みなぎる2つの顔面が、女戦士の股間でだらりと妙な方向に曲がる。

 それらを軽く蹴って押しのけつつ、ルチアは浅い水中から起き上がった。

 周囲では、動く屍だった男たちが、弱々しく痙攣しながら、完全な屍に変わってゆく。変わってゆくと言うより、本来あるべき状態に戻りつつある。

「きゃあああああ! 嫌っ、いやいやいや絶対いやあああああああッッ!」

 泣き叫ぶ少女に、残る2体の動く屍が、しゃぶりつくようにのしかかっている。

 その2人の頭を、ルチアは掴んで起こした。死んでいながら劣情に狂う男たちを、少女から引き剥がしていた。

「お、おう、なんだテメエ、およびじゃねえんだよ、ムダにおっぱいがデケエだけのオンナがよおぉ」

「ンッだそのぶっといフトモモはよぉ、もうちっとやせやがれメスブタがああ」

 酷評された太股を、ルチアは思いきり跳ね上げた。

 膝蹴り。

 屍の股間で浅ましく膨らんでいた肉塊が、潰れてちぎれた。

「すでに死んでいる男どもを虐め殺すのは……あまり、気分が良くないな」

 もう1体の屍を、水面に突き出た岩に叩き付けながら、ルチアは呟く。

「……今ひとつ、受けないぞ」

 潰れた顔面を岩に貼り付けたまま、その屍は水中に沈んで動かなくなる。股間を潰された1体も同様だ。

 動く屍たちが、動かぬ屍に戻った。

 残っているのは、浅い水中に座り込んで泣きじゃくる、少女の姿だけである。

「うえぇ……ヒック……なっ何で、この毒にやられた奴が……あたしに逆らって、襲って来たりすんのよう……」

「改良の余地あり、という事ではないかな」

 ルチアは近くに屈み込んで、少女の乱れた革服を着せ直してやった。

「雑魚も同然の男どもがな、私を押し倒す……などという、生前では不可能な事をやってのけた。人間の能力の限界を解除する、という点においては意義のある事を、お前はしていると思う。心を折らずに、研究を続けてみてはどうだ」

「……ありがとう、助けてくれて」

「何の。死人使いの毒、私も興味がある」

 ずぶ濡れの少女の黒髪を、優しく撫でてやりながら、ルチアは見回した。屍に戻った男たちが散乱する、死屍累々と言うべき湖畔の風景を。

 死人使い。

 その単語には、やはり馴染みがある。耳にも、口にも。

 それはともかく。湖上の霧が、晴れつつあった。

 向こう岸……レミオル湖の北岸で、いくつもの人影が、何やら暴れているのが見える。こちら南岸と同じくらい、あるいはそれ以上の争乱が起こっているようだ。

 うっかり巻き込まれてしまう前に、ここを離れるべきだろう。そしてアスミラ王女の行方を追わなければならない。

 ルチアはもう1度、少女の黒髪を撫でた。

「家に、1人で帰れるか?」

「……家には帰りません。お姉様と、一緒に行きます」

「お姉様? って……お、おい」

 仔猫のような少女が、ルチアの大柄な裸身に、ぎゅっ……と抱きついてきた。女戦士の力強い両乳房の間に泣き顔を埋め、夢見心地な声を漏らす。

「あたしはリリィ・ジャンゴ……お側に置いて、可愛がって下さい。お姉様ぁ……」

「お前。私の妹になど、なったところで……」

 言いかけながら、ルチアは軽い頭痛を覚えた。

 このリリィ・ジャンゴと、さほど年齢の違わぬ少女の面影が、一瞬だけ脳裏に浮かんだ。

(誰……だ……)

 離れようとしないリリィの細身を、とりあえず軽く抱き締めてやりながら。

 ルチアは、この場にいない別の少女に、心の中で問いかけていた。

(誰だ、お前は……私の……何だ?)



 軍に入ったのは、徴兵されたからだ。

 国を守る志、のようなものが、あったわけではない。

 貧しい、にしても飢えて死ぬほどではない家に生まれ、畑仕事をやらされながら生きてきた。

 生まれてしまったから、仕方なく生きている。そんな日々であった。

 15歳の時、徴兵吏に連れ去られた。

 地方軍に配属され、過酷な訓練を受けた。軍にいたのは、新兵への虐待行為しか楽しみがない輩ばかりであった。

 ゲイル・サムは、奴隷も同然の扱いを受けた。上官も古参兵も、娯楽としてゲイルを殴り、蹴り転がした。

 国を守るため、お前たちは辛い訓練に耐えなければならない。地方軍の指揮官は、そんな事を言っていた。

 国を守る心など、育つわけがなかった。育ったのは憎しみだけだ。

 ある時。ゲイルの所属する地方軍の管轄内にある村が、オークの群れに襲われた。

 地方軍は、しかし動かなかった。

 助けに行かなければ、とゲイルは部隊長に訴えた。部隊長は、一笑に付した。

 ゲイルはその場で剣を抜き、部隊長の首を刎ねた。居合わせた数名の古参兵を、ついでに斬殺した。

 日頃の恨みは晴らした、という事になるのであろうか。

 ともかくゲイルはその足で、村へと向かった。オークを、2匹でも3匹でも斬り殺す。それしか考えられなかった。

 どの道、自分はもう生きてはいられない。軍に処刑されるか、オークの群れと戦って死ぬか、それだけだ。

 国を守る心など、育たなかった。民衆を守らなければ、などと考えたわけではない。

 自分にあるのは、この後クランシアという腐敗しきった国に対する憎しみだけだ。

 憎むべき者たちと、同じ存在にはなりたくない。だから戦うだけだ。

 そう思いながら、ゲイルは立ち止まった。

 オークの屍が、散乱していた。

 殺された、と言うよりは叩き潰された、粉砕された。オークの群れは1匹残らず、そんな死に様を晒していた。

 そして。その虐殺の光景の真っただ中に、男は佇んでいた。

 オークの返り血にまみれた全身甲冑。その上からでも、隆々たる筋肉の形が見て取れそうな巨体。

 兜と一体化した仮面が、ちらりと向けられてくる。右目の位置にだけ視界確保用の裂け目が入った、平らかな仮面。

 その裂け目から溢れ出す眼光が、ゲイルの身体を射すくめていた。

 仮面の下には、この世のどんな怪物よりも恐ろしい素顔があるに違いない。

 それだけを思いながら、ゲイルは動けなかった。

 男は言った。私は、見ての通り返り血を浴びている。だが貴様もそうだな。一体、誰を殺してきたのだ。

 ゲイルは、ありのままを答えた。上官を、先輩を殺してきた。自分は、このまま軍に処刑されるだろう。

 この仮面の男が王国軍関係者であるのなら、この場で処刑されてしまうのが手っ取り早い、とゲイルは思った。この男になら、殺されても仕方がない。自然に、そんな心境になっていた。刃向かったところで勝てるわけがない。逃げたところで、逃がしてもらえるわけもない。

 ゼイヴァー・アルデバロン。

 男は、そう名乗った。そしてゲイルを殺さず、連れて行った。

 ゲイルは、ゼイヴァー・アルデバロンの私兵となった。

 同じような若い兵士たちと共にゲイルは、ゼイヴァー自身によって徹底的に鍛え直された。

 例えるならばゼイヴァーは鍛冶屋で、ゲイルたちは屑鉄だった。灼き溶かされ、ひたすら叩かれる。運が良ければ、いくらかはましな剣に生まれ変わる事が出来る。

 比べれば、地方軍で受けた虐待同然の戦闘訓練など、遊びでしかなかった。

 何人もの兵士が、命を落とした。

 どうにか生き残った者たちの中に、ヒューゼル・ネイオンという若者がいた。

 ゲイルと同い年で、貴族階級出身。ゲイルの知る限り、ゼイヴァーの私兵の中では最も腕の立つ剣士である。

 やがてヒューゼルは、ガレード市の守備兵長となり、ゲイルはその下に配属された。

 ゼイヴァー・アルデバロンが、王国軍においてどれほどの権力者であるのかは未だにわからない。だが兵の人事に関わる程度の力は、持っているようであった。

 このヒューゼルというのが、また放ってはおけない男であった。

 基本的には善人なのだが、すぐ頭に血が昇る。そして人を殺す。まるで軍を脱走した時のゲイルのようにだ。

 だから強くたしなめる事は出来ぬまま、この若い隊長の暴走を可能な限り抑えつつ、ゲイルはガレード市の守備兵の1人として過ごした。

 この国は腐っている。だから立て直さねばならぬ。

 酒を飲んでいる時も、素面の時にも、ヒューゼルは恥じる事なく、そんな言葉を口にしていたものだ。

 ゼイヴァー卿こそが、それを成し遂げて下さる御方だ、とも。

 そのゼイヴァー・アルデバロンが、動いている。気配は、ゲイルのような末端の兵士にも伝わって来る。

 あの男が、何を考えているのかはわからない。明らかな事は、ただ1つ。

 自分は、ゼイヴァー・アルデバロンという鍛冶屋によって屑鉄から鍛え直された、剣の1本に過ぎない。

 その剣を振るっているのは、このヒューゼル・ネイオンという剣士なのだ。

「てめ……やるじゃあねーかァこの野郎があああああッッ!」

 牙を剥き、吼えながら、ヒューゼルが長剣を叩き付けてゆく。レギトとかいう流れ者の剣士にだ。

 枯れ葉であれば発火しかねないほどの火花が散り、金属的な焦げ臭さが漂った。

 レギトの長剣が、ヒューゼルの斬撃を弾き返したのだ。

 その防御が、即座に攻撃となった。刺突と斬撃の中間のような形に、レギトが剣を繰り出してゆく。

 襲いくる切っ先を、ヒューゼルはかわした。いくらか逃走に近い回避になってしまった。秀麗な貴公子の顔が、獰猛に牙を剥きながらも、微かな狼狽の表情を浮かべている。

 そこへ、レギトは踏み込んで行く。放たれた斬撃を、ヒューゼルは今度は剣で受けた。焦げ臭い火花が、3つ咲いた。1度の斬撃と1度の防御、に見えて、刃と刃のぶつかり合いは3度起こっていた。

 剣の技量はほぼ互角、とゲイルは見た。このレギトという青年、油断のならぬ手練れである。

 そして、ヒューゼルの動きには焦りが見られる。焦燥が、功名心が、この貴族出身の若き剣士から、本来の鋭さを奪っている。ゲイルは、そう見た。

(動きが雑だぜヒューゼル隊長。ゼイヴァー卿に認められたいってのはわかるが……それじゃあ、ゼイヴァー卿は認めてくれないぞ)

 そんな言葉を投げたところで、今のヒューゼルには届かない。

 ゲイルを含めて13人の兵士が、隊長ヒューゼルと流れ者剣士レギトの戦いを取り囲み、見守っている。1対1の戦い。加勢も介入も、ヒューゼルを激怒させるだけだろう。

 湖畔で行われている、もう1つの戦いに、だからゲイルは視線を投げた。

「さあ、さあさあゴッヘル将軍! 生意気な小娘を燃えカスに変えてしまいなさぁあああい!」

 下着かドレスか判然としないものを着用した1人の女が、楽しげに喚きながら杖を振り回している。

 流星を思わせる火の玉が無数、女の周囲に生じては飛翔した。

 黒魔法使いメビィラ・バレス。一応はヒューゼルやゲイルと同じく、ゼイヴァー・アルデバロンに忠誠を誓う同志の1人という事になるのだろうか。外見は美しいが、美しくない何かが内面から滲み出している女だ、とゲイルは常々思っている。

 そのメビィラが、1人の少女に向かって、ひたすら火球を乱射しているのだ。

「ゴッヘル将軍を……独り占めでも、してるつもり?」

 同じく杖を振るう少女の周囲で、炎が生じ渦を巻く。紅蓮の大渦が、メビィラの火球をことごとく薙ぎ払う。

 火の粉が、大量に際限なく飛び散り続けた。

 襲い来る火球を防ぎ砕きながらも、少女はいくらか後退りを強いられているように見える。

 任務でさえなければ、メビィラ・バレスなどではなく彼女に加勢してやりたい。そう思えるほど可憐な美少女であった。

 ゲイルのそんな思いを読んだわけではないだろうが、メビィラは明らかに苛立っていた。

「小娘が……いつまで粘る!」

 狙いが、乱れている。

 ひたすら撃ち出される火球の、いくつかは湖に落下して大量の蒸気を噴出させた。いくつかは、こちらに飛んで来た。

「男女差別をする気は無いが……駄目だな、こりゃあ」

 小声で呆れながら、ゲイルは槍を振るった。掴んだ長柄から穂先へと、気力を流し行き渡らせながら。

 魔力には、気力で対抗する。ゼイヴァー・アルデバロンの教えである。

 気を漲らせた槍が回転し、火球を2つ3つと粉砕する。

 この程度の事は、他12人の兵士にも出来る。

 その12人に、ゲイルは静かに号令を下した。

「女同士の戦いに、男が割り込むもんじゃあない……やるぞ、みんな」

 金属と金属のぶつかり合う音が、高らかに響き渡った。

 レギトの激烈な斬撃が、ヒューゼルの防御に叩き付けられたところである。防御の形に長剣を構えたまま、ヒューゼルがよろめいている。

 ゲイルは踏み込んだ。

 ヒューゼルに、さらなる一撃を叩き込む……事には固執せず、レギトは後方へと跳んでゲイルの槍をかわしていた。

「ゲイル! てめえ……」

 激昂しかけたヒューゼルに、ゲイルは言った。

「これだけの人数ぞろぞろ引き連れて来た時点でなあ、正々堂々もクソもないんだよヒューゼル隊長。そうだろ?」

 怒り狂う隊長を、背後に庇う格好となった。

「あんたが戦ってる間、俺たちにボーッと突っ立ってろとでも言うのかい。そんな事したらゼイヴァー卿に殺されちまう」

「…………」

 ヒューゼルは、いくらかは冷静さを取り戻したようである。

 その間にも、12人の兵士たちは動いていたが、レギトも動いていた。12本の槍に取り囲まれぬよう走り回っている。一見、無様に逃げ回っているようでもある。

 そう見えた時にはしかしレギトは、湖岸の大岩に素早く飛び乗っていた。剽悍な、獣の動きだ。

 湖に向かって、突き出た巨岩である。後方へ回り込むなら、水中に入らなければならない。

 腕が立つ、だけではない。多数の敵と戦うのに最も適した場所を、瞬時に探し当てる。

(ゼイヴァー卿が、欲しがりそうな人材だぜ……)

 ゲイルは、そう思うしかなかった。

 それほどの剣士が、しかし巨岩の上に立ったまま、長剣を鞘に収めている。

 穂先が届くかどうかわからぬ岩の上に向かって、槍を繰り出すのか、あるいは跳躍を試みるのか。素早く岩を登る事は可能か。兵士たちは一瞬、迷ったようである。

 その一瞬の間にレギトは、剣ではない武器を構えていた。

 空気の裂ける音が、激しく響き渡った。

 兵士の1人が、のけ反って倒れた。

 頭部が爆ぜて原形をなくし、頭蓋骨の中身が地面にぶちまけられる。

 脳漿にまみれた矢が、地面に突き刺さっていた。

 レギトは岩の上で、長弓を引いている。2本目の矢が、つがえられている。

 兵士たちが、固まった。

 固まらず、勇気を振り絞って岩に飛び乗ろうとした1人が、跳躍と同時に絶命した。

 首から上が、消え失せていた。

 放たれた矢が、大木の幹に突き刺さる。兵士の生首が1つ、串刺しになっていた。

 その時には、もう1人の兵士が跳躍していた。兵士と言うか、部隊長だ。

 ヒューゼルである。こちらも、獣の跳躍であった。肉食獣の猛襲そのものの斬撃が、レギトを襲う。

 3本目の矢が、つがえられている。

 それが放たれるよりも若干早く、ヒューゼルの長剣がレギトに叩き込まれる。ゲイルは、そう見て取った。

 その剣が、しかし弾き返されていた。火花が散った。

 レギトは、弓を引きかけた姿勢のままだ。ヒューゼルの高速襲撃を防御する術などない。

 目に見えない何かが、レギトの周囲に生じていた。不可視の防壁。ヒューゼルの剣は、そこにぶつかったのだ。

「レギトさんは、ボクが守ります!」

 湖畔の木立ちで、1人の少年が杖を振りかざしている。唯一神教会の、聖杖。

 声で、辛うじて少年とわかる。胸に詰め物でもすれば、そのまま美少女になってしまいそうな少年である。

「頑健なるアルゴランディの、護りの力でボクが! レギトさんを」

「……なあ坊や。遠くから小細工が出来るなら、黙って隠れてなきゃ駄目だぜ」

 ゲイルがそう言って槍を動かす、までもなく3人の兵士が、その少年に向かって踏み込んで行く。3本の槍が、容赦なく少年を襲う。

 空気が裂けた。立て続けに、3度。

 レギトが矢を放っていた。矢をつがえて弓を引き、弦を手放す。それが凄まじい速度で3度、行われていた。

 兵士の1人が、近くの樹木に激突し、そのまま絶命した。背中から入った矢が、鎧も肉体も貫いて幹に突き刺さっている。

 他2人は、首から上を失って倒れ伏す。片方の生首は、矢が突き刺さった状態で転がっている。片方の頭部は砕け散っていた。

 少年は青ざめ、立ち竦んでいる。自分が助かった事に、気付いているのかいないのか。

 ともかくゲイルは、

「甘いな、お兄さん。こういう時、仲間ってのは……見捨てるもんだぜ!」

 3人の仲間が射殺されている間、巨岩に飛び乗っていた。半ば跳躍に等しい登攀。それと同時に、槍を突き込む。

 4本目の矢をつがえようとしていたレギトが、間に合わぬと見て弓を手放し、ゲイルの槍を掴み止める。

 構わずゲイルは、そのままレギトにぶつかって行った。目的は、この青年を突き殺す事ではない。

 彼の、鎧の懐にあるものを奪う。入手する。ヒューゼルが果たして今、その目的を失念していないかどうか。

 レギトもろとも、ゲイルは大岩から転げ落ちた。

 ゼイヴァー・アルデバロンによって、様々な戦技を叩き込まれた。

 水中での組み打ちも、容赦なくやらされたものだ。何人もの溺死者が出るほどの戦闘訓練だった。

 地上戦では、このレギトという戦士には勝てない。剣でも、弓でも。恐らくは徒手空拳の戦いでも。

(だがなぁ……水の中なら!)

 ゲイルとレギトは、掴み合ったまま湖中へと落下していた。

 

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悪竜王国 小湊拓也 @takuyakominato

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