深海に咲く桜

吉岡梅

 マスター(といっても同級生のたけちゃん)が、グラスの底に桜の葉っぱ(塩漬け)を入れてバースプーンでぎゅうぎゅうと押し潰す。


「なにやってんのそれ」

「や、それっぽいかなって。モヒートみたいに香り出ればと思ってさ」

「名前言われてもわかんない」


 剛ちゃんは返事をせずにゴミを見る目つきで私を見ると、グラスに桜のリキュールとソーダと氷を入れてマドラーでくるくるとステアし、しばらく考えて一番上にも桜の葉っぱを置いた。


「よし、試作品1号完成。名付けて桜カクテルだ」


 コースターの上にどんと置かれたカクテルは、濃いべに色が目に鮮やかで綺麗だ。昼間のカウンターではちょっとくっきりし過ぎているけれど、夜の照明の下だったら、もっと綺麗できっと素敵。


「わーい! 全くときめかない名前ー! いただきまーす」


 何か言いたげな剛ちゃんを無視してグラスを手に取り、ごくりといただく。爽やかだけどすっぱい。私は口をすぼめて剛ちゃんを傷つけないように遠回しに伝えた。


「すっぱいがつよくておいしくない」

「マジか。あー、チェリーのリキュールとだいぶ違うんだな。香りは出てていいんだけどなあ。モヒートみたく粉砂糖パウダーシュガー入れてみるか」


 剛ちゃんは自分でもごくりと飲むと、ふむふむと頷いている。


「どうせ甘くするならさあ、クリーム入れてよ。ほら、いつも作ってくれる奴みたいに」

「いつもの……? あー、ミストのグラスホッパーか。そうか。いっその事それくらいやってみても面白いかもな。よし、ちょっと待ってろ」


 今度はシェーカーを取り出すと、シャカシャカと振り始める。シェーカーを振る剛ちゃんは控えめに言って格好良い。誤解の無いように言っておくと、リキュールとかの量を測る時に砂時計みたいなやつを指に挟んで真剣な目をしている時の剛ちゃんも格好良かった。

 クラッシュアイスを詰めたグラスに、シェーカーからトポトポとカクテルを入れ、くるりとかき混ぜる。クリームが入っているうえに、クラッシュアイスの中に入れたので、先ほどの紅色よりも淡い桜色に仕上がっていて、これはこれで綺麗だ。


「よし、できた。桜カクテル2号だ」


 剛ちゃんは、コースターの上にどんとグラスを置いた。私が手を伸ばそうとすると、ちょっと待ってと言って、バー用の茶色くて細いストローを2本差した。


「うん。こっちのがしっくり来るな」


 私は2本のストローをじっと見て、ぽっと頬を赤らめた。


「これって……その……相合あいあいストロー的な? もう、剛ちゃ……」

「マドラー替わりだ。かき混ぜる奴。1本だと折れる時あるから。もちろん吸って飲むのに使ってもいいけどな」

「そんな食い気味に言わなくても……」


 ふくれっ面のまま2号をちゅーっと2本のストローで飲む。おいしい。今度は舌ざわりも滑らかで、甘酸っぱくて飲みやすい。


「おいしい! 剛ちゃんこれいいよ!」

「お? そうか? どれどれ」


 剛ちゃんはストローを使わずに直接グラスに口を着ける。ちっ。


「うん。いけるな」

「ストロー使わないんだ……」

「ん? ミストだからクラッシュアイスと一緒に飲んでも楽しいんだぞ。シャリシャリでアイスみたいな感じでな」

「あーそうですか」


 私はむくれてグラスを受け取る。そして絶対に意地でも直接グラスに口を着けずにストローでちゅーちゅーカクテルを飲む。剛ちゃんはそんな私に構わずに、今のレシピをボードにメモをしていた。


「よし。今日の2つ目はこれでいいな。ありがとな」


 目を合わさないでストローを啜りあげ、ズズッと返事をする。

 実は最近、剛ちゃんは、カクテル教室の講師を始めたのだ。まだ25のくせに。

 生徒の皆さんに、毎回ひとつのテーマに沿ったカクテルを2種類教える。ひとつはスタンダードな物。もうひとつは、ちょっと変化球な物だ。


 でも、剛ちゃんはクソ真面目だから、この変化球を創るのが苦手だ。そこで登場したのがこのベストパートナーであるところの私。剛ちゃんの試作品を飲んだくれながら、ワーワー茶化してふたつめのカクテルを作らせるのが目下のところの私の使命。


「それで、名前はどうするの」

「うーん。桜ミスト」

「えー、夢が無いなー」

「わかりやすくていいだろ。桜のリキュールを使って、クラッシュアイスに入れるお酒だって」

「あのね。剛史たけふみくん。君はカクテルというものを何もわかっていない」

「ほう」


 剛ちゃんの目が険しくなる。やばい。カクテルを作る事に関しては、「カクテル道」とか「バーテン魂」とかいうノリで本気な人だったのを忘れていた。

 だが、ここで引き下がっては女がすたる。お酒の勢いも借りて強行突破するしかない。頑張れ私。


「いい? バーに来る皆は、カクテルの味だけを楽しみに来てるんじゃないの。もっとこう、ファンタジーを、幻想を求めて夜のバーなんかに来てるわけ。よく意味わかんないけど素敵。そういうのも欲しいの」

「ふむ」


 剛ちゃんは、ご飯を食べ終わったあとの猫ばりに気のない相槌をうってきたので、私はヒートアップした。負けてたまるか。

 手を伸ばして剛ちゃんからボードを取りあげると、そこに大きく「海月」と書いた。


「はいこれ! 何て読みますか?」

「クラゲだろ? 海の」

「せ……正解! でもね。こういう事なの。『クラゲ』って書くよりも『海月』の方が綺麗でしょ。海の中で、なんかゆらゆら光ってそう。幻想的。みたいな。そういう発想が大事って言ってるの」

「はいはい」

「もう! だからそのカクテルだってね。えーっとね。クラッシュアイスは樹氷から作りましたとか」

「嘘は駄目だろ」

「そうじゃなくてイメージ! こう、水の中に樹氷が……えーと、そう、水……海! 深い深い海の底に1本だけ生えている桜の木があって、その木が樹氷に覆われる程寒いんだけれども、それでもわずかに桜がほんのりと咲いている、そんな幻想的な風景をイメージして作りましたくらいのファンタジーで丁度いいの!」

「海の中で樹氷……? 咲く? そもそも暗くて見えないだろ」

「だったら海月が照らせばいいじゃん! ゆらゆらと! 照らすの! 電気クラゲ!」


 さすがに電気クラゲは関係無いかと思っていると、剛ちゃんがぷっと噴き出した。つられて私も笑う。そして私たちはしばらく2人で笑った。


「わかったわかった。俺の負けだよ。クラゲはともかくとして、確かに名前のセンスが無いのは認める。そうだなあ、じゃあこれでどうだ?」


 そう言って剛ちゃんがボードに書いたカクテルの名前は、「咲良ミスト」だった。


「これって……」

「ダメか? 咲良さくらに手伝ってもらったんだから、咲良ミストだ。さすがに単純すぎるか?」

「ううん。剛ちゃんにしてはいいんじゃないの。凄く」

「本当か? 何点?」

「70点」

「微妙じゃねーか。まあ、今回はこれで行くか」


 本当は10万70点出ているのだけれども、その事は黙っておく。


「にしても、毎回付き合わせて悪いな。今度1杯タダにするから」


 剛ちゃんがグラスを洗いながらそんな事を言い出すので、私はまたむくれる。そして酔いを味方につけて言ってやる。


「あのね、剛ちゃん、この際だから言っておきますけどね、なんで私が毎回付き合ってるか、教えてあげる」

「お……おう」


 私はびしっと剛ちゃんを指さし、高らかに宣言する。


「好きだからよ」

「は?」

「お酒が」

「……」

「……」

「知ってる」

「うん」

「じゃなきゃ頼まねーし」

「ご馳走様です。剛史マスター! もう一杯!」

「もう駄目だ! 夜に客として来い」

「そんなー」


 そして私はもうしばらくは、2杯目の女を続ける事にする。少なくとも、剛ちゃんの講師が終わるまでは。

 心の扉の鍵を開けるのは、酔いが醒めてからくらいが丁度いいのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

深海に咲く桜 吉岡梅 @uomasa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ