第7話「告白」

大きなクラクションの音にハッとなり我に気づけば渋谷のスクランブル交差点のど真ん中で二人佇んでいる。

「走りましょう!」

ここでパッと手を繋いで走るべきなのだろうけど、勇気ゲージがそれほど溜まっていない。

二人で走り交差点の対岸に着く。


ベストエンディングが来た。これは、もうラストの告白シーンである。


『僕の方が好きだよ! 好きだ、大好きだ!』


歩きスマホを注意する人もずいぶん少ない時代になった。逆に老人が歩きスマホをしながら歩く時代である。

今の僕は、本当に本当に周りが何にも見えていない。歩きスマホの最上級だ。


『君とツイッターのやり取りをするようになってから、実はもうずっとずっと、好きでした。だけれども、顔も知らない君を好いて、僕はいったいなんなのだろう、と日々、憂鬱になったりしてました』


二人でスマホを見ながら歩き続ける。黒子娘さんは僕のメッセージを見ているのだろう。


「あの!」


急に話しかけてくるからビクりと身体が震えてしまった。彼女は眼に涙を浮かべている。僕は喉がなるのが聞こえるくらいに大きな音で唾を飲み込んだ。


「私、整形してるんです」


ん? なになに。瞬間が永遠になるように時が止まっている。今、誰がボールを持っているんだ。このキャッチボールはどういった仕様なのでしょうか。


「5年前、あなたがTwitterで整形した女性について呟いていて、勇気をもらいました!」


緊張で震える声音。剛速球が飛んでくるけど受けられないから身体で止める。そんな感じだ。


 そういえば、昔Twitterで整形して美人になった女性について語り合うので炎上したことがある。Twitterから2ちゃんねるの掲示板に舞台を移して『魂を愛したソクラテスのように僕は整形美女を愛せる!』 と啖呵を切った。


「あなたは私の神様でした!」


今にも泣きそうな顔で彼女は声を絞り出した。

 確かに、そう言われると整形した顔のように見える。美人は美人なのだけれども、なんだか急にフィルターがかかったように認識してしまう。いくらだろう? いくらの整形を、どこでしたのだろう? 整形前はどんな顔だったんだろう? 俺はあの時ツイッターでどんな大言壮語を吐いていたっけ? 神様? 言葉が遅れて認識される。僕は神様なのだろうか。

「あの、」


これ以上の間があったらおかしい。なにか、なにか喋るんだ。

「歩きましょう」


俺は最低だ。相手の勇気に対してなにも応えてあげられなかった。気持ちが急に冷めていることにも幻滅する。なにも言えなかった。彼女の告白の直後に『好きだ』と送った僕の『好きだ』ほど軽薄なものはない。

これがオチかー、と思っている自分はなんなのだろう。オチってなに?

確か整形疑惑のタレントがニュースになった時だった。整形前の画像が貼られる祭りがTwitterで盛り上がっていた時に、整形のなにが悪いんだ! と擁護した僕は一斉に叩かれた。『魂を愛したソクラテスのように、魂を愛せばいい!』 と哲学の関連本で覚えたエピソードを叫んだんだと思う。整形することで自信が持てるなら整形すればいい。その度合いの線引きはどこかにあるかも知れないけれど、その怯えと勇気と、戸惑いを、全部含めて僕は愛す! それが魂を愛するということだ!

と、僕は言っていた。


 整形、と言われた瞬間からもう、なにか彼女の顔が変質してしまった。急速にリアリティを欠いてしまった。こんなことで簡単に失われる認識とはなんなのだろう。僕たちの認識はルアーフィッシングで疑似餌に食らいつく魚となにが違うのだろう。画像加工アプリで加工して、いやその前にお化粧で誤魔化して、いや、でもお化粧を否定してしまったら人の心のわびとさびを否定してしまう気がする。大切なものは目に見えない、というが言葉だけなら簡単だ。それがどれほど恐ろしいことか。世界を一変させるだけの力を持つ言葉だということか…。教えてくれよ星の王子様。大切なものってなんなんだ。大切なものが目に見えないんだったらこの世は暗黒に他ならないんじゃないか。大切なペヤングソース焼きそばもミニストップのソフトクリームも目に見えるよ。太っていた人が頑張って痩せた体の形は目に見えるよ。頑張れない自分を棚に上げて他人への不満を愚痴る呟き。頑張れない他人を攻撃して頑張りの同調圧力をかける世間。始めることを支えられない狭い了見。

 美人とはなんだろう?

 長くて30年しか持たない若さと美貌にどれほどの価値があるのだろう。儚いから希少価値がある、という客観性はわかるけれど、それを主体的に愛する場合そこにどれほどの価値があるだろう。芸能人が結婚しても浮気、離婚、なにが幸せか。

 僕は首筋黒子娘くびすじほくろこを愛していた。ときめいていた。人は切り取った瞬間だけを生きるしかできないのだから、30年の美貌に目がくらむように僕も儚いアイコンに目がくらんでいたんだ。

 例えば美人の彼女がトップAV女優だとして、なにかが変質するだろうか。彼女の内面が最低の人間で他人を平気で見下したり、ロールプレイングゲームの会話を全部飛ばすような人だったとして、なにか変質するだろうか。

 犬も歩けば棒に当たるくらいに、人は歩けば不満に当たる。なに完璧を目指している。

 美女と野獣が結婚したら、この幸せもんが!と男は言われるだろうけど、女性は、ご愁傷様、でよいのだろうか。女性がどこかで、他の男がよかったなーと思っていたら、これ幸せものか?

 美男美女ならめでたしめでたし、同じ見た目の価値観を基準にするものとして、それはおめでたい。結局、人は多様である限り、その価値基準だけでものごとを測るならば、僕たちはもっと柔軟な物差しを持たねばならないのは明白。いや、必要なのはものさしなのか? 切り取った瞬間を生きることが大切なのなら、大事なのはハサミなのか? 俗世間のくだらない価値基準を切り離すハサミ、僕と彼女を引き寄せた…。


 隣を歩く彼女は大粒の涙を流していた。泣きながら、歩いていた。僕が立ち止まると彼女も立ち止まった。

 僕は愛した15センチにそっと口づけをした。

 現実がゆっくりと変質していた。


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釣りのアイコン、生ける仲達を走らす ウェルダン穂積 @welldoneh

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