第六話「デート」
待ち合わせは思い切って渋谷を選んだ。映画終わりにスイーツもあるし、109やらハンズやらなんやらとりあえず目の前の建物に飛び込めばなんらかのニーズは満たせるはずだ。LINEでもメールでもなく唯一の連絡手段がTwitterのDMとは心細い。ツールだけの親密度でいえばまだレベル1でしかない。
彼女はいったいどんな姿をしているのだろう。手掛かりはあのTwitterのアイコンだけだ。通りゆく人の首筋を気にしてしまう自分がいる。
『赤い服着て赤いリュックで待ってます』とDMに書き込んで、ハチ公横で待ってる、と送ったもののこれだけ多くの人がいるんじゃ僕を認識できるのだろうか。『わかりました』と返ってきても一方的に向こう側からしか認識できない不利な状況、これサバゲーだったら確実に死亡フラグ。
とん、とん、と僕のリュックを叩く誰か。恐る恐る振り返る…とそこに一人の女性がいた。まずなによりも首筋にある黒子を確認してしまった。…
「あの、お待たせしました、sakurakoです」
顔文字じゃない笑顔と、本物の声で、首筋黒子娘がそこに存在している。いえいえ、今来たところです! と頭で台詞が浮かんでも、それが言葉になって出てこない。おかしい、これは。一体全体なんでこんな綺麗な女性が、こんなところでこんな僕に笑っているんだ。いや、いいんだ。これは恋愛シミュレーション。失うものはなにもない。
「あ、あの、ありがとう! 来てくれてありがとう!」
少し眉毛がキリッと濃いのがそんなにコンプレックスなのか。それで鼻から上を隠していたのか。目元隠さないと誰だかわかってしまうんだからむしろそれは普通のことか。ポニーテールか。ちょっとした仕草でも大胆に揺れるその尻尾、実に見事だ。
ちょっと待てよ。これ恋愛シミュレーションとか思っているが、いったいどこが恋愛なんだ。ただお話がしたい、で、会うまで漕ぎ着けた。それ以外に何がある?
映画館に行ってポッコーンと飲み物を買う。ど派手なアクションシーンと恋愛もありのなかなか当たり障りのない映画をチョイスした。必要最低限のコミュニケーション以外、なにも言葉にならない。Twitterだと意気投合してやりとりできるものが、リアルになるとこうも違うものなのだろうか。柔軟なコミュニケーション能力を持たないものが人生で劣勢に立たされるのも無理はない。
内容はまったく入ってこなかった。ただポップコーンを絶え間無く摘みながら、不安を散らすしかできなかった。彼女は映画を観ている時もほとんど身じろぎせず、時々ゆっくりと、飲み物をとってストローで飲む。
すごくドキドキしているのが自分でもわかる。これ、こんな綺麗な人の隣にいることと、そしてよくわからん不安の両方が合わさって、ドキドキだけど、これ一人吊り橋効果に間違いないから僕だけがドキドキしているっ! ドキドキしているからなんか爆発シーンならなんやら映画のクライマックスシーンがよりドキドキするのか、しているのか。
なんだか泣けてきた。幸せなのと、このひと時が儚い現実として終わりに近づいていることと、映画がとても感動的なラストシーンの雰囲気なのと。
電気が明るくなり観客がぞろぞろと出て行く。僕は余韻に浸っているようで、ただなすすべなく動けないでいた。
「あの、行きましょうか」
と首筋黒子娘が先に言葉を発した。
僕たち二人と清掃員だけになってしまった劇場。何の思考も働かず、長考の末、何の策もない手を打ち続ける棋士だ。いいか、せめて将棋のルールは守ろう。間違っても黒子娘と呼んではいけない。勝手に恋愛関係と誤解してはいけない。僕はなんの獲得価値のない、ど底辺の男なんだ。駒なんて全部落ちている。ただ時間いっぱいあなたと対局できるだけ、それだけでいい。
「あ、あの厠に行っていいですか?」
やっと出た言葉。
「はい」
厠って! 丁寧な言葉遣いを気にするあまりトイレを俺は厠と言ったのか? あまりに緊張しすぎていて情けない。ただ、これは、流れを変えるチャンスだ。
お小水を出しながら思考よ働け! と鏡を見る。
一体こんな顔の男がなんであんなに綺麗な人と一緒に居られるのか。いや、冷静になれただ映画を一緒に見に言っただけ、それだけだ。ここで何か踏み込んだ発言をしたらおかしい。ここはもっと地に足のついた発言をするべきだ。
「あの、さっき僕、トイレのこと、厠って言いました?」
「言いました」
クスクス笑う彼女。
「なんでだろ、背伸びしすぎてしまいました」
もう、正直になることにしよう。勘ぐりすぎても疲れてしまう。ただ、急に告白するような中二病のような飛躍だけには気をつけよう。そう、それが冷静だ。
かと言って自然な会話なんか難しい。歩きながら綺麗だねー、可愛いねー、と眼に映るものの反射的に薄っぺらい感想をただつらつらと重ねた。
「ねぇ、ちょっと送らなきゃいけないメッセージがあるんで、いいかな?」
携帯を取り出し彼女の顔の前に見せる。彼女は少しだけ眉を上げて、ゆっくり小さく頷いた。
近くに腰をかけられそうな場所があったので少しだけ腰をかける。
『えーと、なんであなたのような綺麗な人が僕をフォローしてくれたの?』
ツイッターのDMに入れて送った。彼女も携帯を取り出して画面を見つめている、メッセージは届いただろうか。それを今確認しているのか、それは彼女にしかわからない。
「お待たせしました」
心の中を一人で整理した僕は彼女を促し歩いた。渋谷のスクランブル交差点、大量の人が行き交う。彼女は少し俯きながら慣れた手つきでメッセージを打っている。ふと、携帯にメッセージの通知が映った。
『あなたが好きだからです』
信号がいつまでもいつまでも点滅していた。
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