14 親父を殺したのはおまえか
鉄格子の向こうを黒っぽい犬が通り過ぎた。
ここは静かだ。ラウロはにぎやかな音――居酒屋の喧噪や楽器の音を思い起こそうとした。しかし、目を閉じても、よみがえるのはキアラの叫び声だけだ。
最初に駆け込んできたのは、あの若い黒人奴隷だった。その彼が、泣き叫ぶ女奴隷と盗賊のどちらを先に取り押さえるべきか、判断に迷う有様だった。
女たちが駆け寄った。なだめられると、キアラは暴れ出した。手をはねのけ、骨董品の山に自ら体当たりし、書物や羊皮紙にまみれて倒れた。そして転がり、主人の死体に顔を押しつけていると知るや、飛びすさってまた喚き出したのだ。
ラウロまでが逃げるのを忘れ、目を剥いて娘を見守った。
するうちに男たちが現れ、彼をつかんで床から引き起こした。
最後に振り返ったとき、男や女が立ち尽くすなか、キアラは縮こまってすすり泣いていた。
ルイジは隣室の窓から街路に身を躍らせた。館の構造を、外から眺めて熟知していたらしい。
*
司法長官のもとへ連行される、との思惑ははずれた。
建物の前には守衛もいない。外観だけでは、誰の家なのか判断がつきかねた。背中を押され、石段を降りた。
思った通り、牢があった。
ひとつだけある四角い窓から外の世界が見えた。太い鉄棒が縦横に組み合わされ、腕を通すことはできるが、肩をくぐらせることはできない。手を出すと、土に触れた。半地下に作られた牢獄なのだ。壁にもたれて眺めると、地面が目の高さになる。
ときどき教会の鐘が鳴る。ここが酔っ払いや盗人が投獄される庁舎の牢獄なら、もっと多くの鐘が四方から聞こえてくるはずだ。窓の外には市壁がそびえている。ふだん人が通る場所ではないらしい。
扉をくりぬいてできた小窓からときおり腕が出てきて、木の椀が差し入れられる。中には澱んだ黒い液体が入っている。2日目になって、与えられるのはそれだけだとわかり、汚水溜めの水を飲む思いで喉に流し込んだ。
次は?
次は事態が変わるのを待つだけだ。
バルセロナの牢獄が脳裏によみがえった。なぜ投獄されていたかは思い出せない。天井に渡された梁から、どうやって使うのか見当がつかない器具が垂れ下がり、悲鳴やうめき声が反響していたあの牢獄。地面はぬかるんで悪臭が漂い、足枷をはめられた死体が転がっていた。ネズミが肉に忍び寄る音が今も聞こえてくる。
あそこに比べれば、ここの地面はだいぶましだ。
犬がまた通るかと思い、窓の外を眺めていた。
*
くぐもった声が聞こえる。
耳を澄ませた。閂が軋む。
「こいつがそうか?」
最初に入ってきた男が、肩越しに誰かに向かって言った。後ろのふたりがうなずく。
「ふたりだと聞いたぞ。もうひとりは?」
「今、さがさせているところだ」
ラウロは男をじっと見た。装飾のある丈の短いマントを羽織り、腰に剣を吊している。装身具は豪華で、ベルトに宝石がちりばめられている。絹のシャツを15枚くらい所有し、毎日着替えるような輩だろう。顔に見覚えがあるような気がした。日焼けした肌に太い眉、険しい目つき・・・・・・まだ若いが、パントゥルノにそっくりだ。この男は彼の息子か。
「親父を殺したのはおまえか?」
ラウロは口の中でつぶやいた。
(ちがうよ)
「おまえに聞いたんだ、こそ泥め」
(やったのは、あの馬鹿な女奴隷だ。薬種商から毒薬を買って、自分の主人に盛ったのさ)
「料理人はどうだ?」
「拷問にかけたが、なにも知らないらしい。料理に毒は入っていなかったと見ていいだろう」
(小瓶は靴に隠して持ち出し、窓の外の地面に埋めた。なんならそこを掘ってみな。犬に掘り返されていなければ出てくる。それをキアラに突きつければ白状する)
「こいつの服からなにが出てきた?」
「短剣と、金のぎっしりつまった財布。針金5本、チェスの駒、銅貨、釘・・・・・・」
ラウロは無関心に聞いていた。
織物商を殺したのは、キアラだ。しかし、最初の確信が、娘の狼狽ぶりを見て揺らいでいた。彼女は、床に横たわる主人を見て、うろたえた。侵入者に脅えたからではない。自分が殺害した男の死体を前にして、あれほど取り乱すわけがない。驚愕は本心からだった。演技ではありえない。
おれは思い違いをしていたのか。彼女が毒薬を買ったのはネズミ退治のためで、殺し目的ではない。織物商は別の人間にやられた。敵のひとりくらいはいただろう。
見たままを話せ。屋敷に侵入はしたが、指輪はルイジが持っている。パントゥルノを殺してもいない。なにもしていないんだ。解放してもらえるかもしれない。
それまで黙っていた若い男が前に出てきた。
「こいつはなにか知っているんだ。おれが白状させてやる」
男が近づいてきた。ラウロは相手に向かって力任せに突進した。男は後ろに倒れて尻をついた。
「やめろ!」
ふたりがかりで腕や体をつかまれ、うつぶせにされた。顔が、湿った床に押しつけられた。
「おまえの仲間はどこへ逃げた?」
今頃は船の上。
窓枠をまたいで、指輪を自分の太い指にはめようと手こずっていた姿が目に浮かぶ。あいつはおれよりもよほど狡猾だった。
ルイジが一財産を手に入れ、おれは失った。残りの宝石も、やつが持っている。おれをこづきまわしてもなにも出ないぞ。さあ、ここから出してくれ。
埋めたものについて話そうとしたが、なにかが舌を凍りつかせて言えなかった。
直感は、そうして黙っているのが正しいと告げている。
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