13 誰がやったんだ

 黒い肌の男が扉から入ってきた。まだ若く、背はすらりと高い。


 ラウロはタペストリーの後ろで息をひそめていた。男が近づいてきた。ルイジは寝台の脇で身を屈めている。


 男は、木箱の上の水差しが床に移動しているのに気づかず、棚からなにかを取って出ていった。気づきはしても、主人の所有物にはむやみに触れないのだろう。


 肘になにかが触れた。タペストリーをかぶったまま、ラウロは屈んで見た。壁にくぼみがあり、手のひらにおさまるほど小さな聖画像が置かれている。


 穴の奥をのぞきこんだ。奥行きがあり、手前になにかがある――寄木細工の小箱。絵はそれを隠すように立てかけられている。


 動悸がはやくなった。箱は頻繁に取り出されるらしく、埃だらけのくぼみに置かれていたのに汚れもない。蓋はやや大きめで、蝶番と錠前で閉ざされている。顔の前で軽く振ってみた。小さな物がいっしょに動く音がする。


 ルイジが近づいてのぞき込んできたが、かまわずに短剣の柄を打ちつけて蓋を壊した。鎖や模造宝石が床に散らばった。


 思わず夕映えにかざした指先で、赤い指輪が黒い窓を背景にきらめいていた。



 *



 何日ぶりかで見る指輪をつぶさに眺めた。大司教の指からはずしたときよりも、その赤は色褪せたような気がする。表面も少し曇ったようだ。古い鎖と一緒にされていたせいだろう。磨けば問題はない。石にも台座にも傷がないのを確かめる。


 そういえば、この指輪をいちども自分の指にはめたことがない。


 右手の薬指の先に持っていき、ためらった。かなり大きく、男の指にもあまりそうだ。もとは誰のために作られたものなのか。輪の内側に指先が触れた。ラウロは身震いして拳を強く閉じた。


 宵闇が迫りつつある。


「おい、来てみろ」


 振り向いたラウロは、首を伸ばして続き部屋をのぞいているルイジを見た。


(こっちにも財宝があるぞ!)


 せわしなく手招きする姿に、絞首刑になった仲間の姿が重なった。


 隣は書斎だった。大理石の彫刻や壺が並び、中央にはまたも寝台が置かれている。


「実を言うとな、やつの腹に短剣を突き刺してやったんだ」

 ルイジが抑えた声で言った。ラウロにはなんのことだかわからなかった。

「やつ?」


 壁際に机がある。急に人が席を立ったように、椅子が斜めを向いている。仕事の書類や何やらを残して、パントゥルノは部屋を出て行ったらしい。


「おれの相棒だよ。逃げた、とさっきはおまえに言ったが、実は逃げるところを見たんだ。部屋に戻ると、ちょうど窓から飛び降りようとしてるとこだった。そこを横からぐさっとな。馬鹿め。脇腹から短剣の柄を生やしたまま走って行ったが、今頃はどこかで事切れてるだろうよ」


 美術品や書物が床に積まれている。向こう側に、人間の足首らしきものがある。


 尖った靴、衣服の裾、露出したふくらはぎが見えた。ラウロは骨董品の山を迂回した。昼の光の名残がパントゥルノの顔を照らしていた。仰向けで床に倒れている。


「手で掻きむしってる。毒殺だな」

 とルイジが言った。


 おのれの手で引き裂こうとするように、織物商ははだけた胸に爪を立てている。きつく閉じた口の端から血が流れ、頬を伝って首の生え際の髪を染めていた。


「誰がやったんだ」


 毒殺など、珍しくもない世の中だ。この館には大勢の人間がいる。しかし、ラウロは疑わなかった。キアラだ。あの娘がやったにちがいない。


 頭の中でレモの声がよみがえった。


 ――あの女、誰か殺るつもりだぞ。


 屋敷の中で叫び声があがっていた。殴られた娘が見つかったのだ。


 ラウロは織物商のそばに膝をついた。毒薬の容器がどこかにあるはずだ。だが、死体のまわりの床には何も落ちていない。


 階段をあがってくる複数の足音が聞こえる。


 机を見た。死の間際まで、パントゥルノはあそこに座っていた。

 上には書物と羊皮紙が置いてあり、放り出されて転がっている鵞ペンの横に小瓶があった。逆さにすると、透明な液体が1滴、こぼれ落ちた。


 金属の塊が空を切って飛んできた。

 避けようとして、ラウロは床に倒れた。


 指輪が手から離れて床を滑って行った。ルイジが鉄の燭台を投げ捨て、身を屈めて指輪を拾うのが見えた。


 小瓶もどこかへ飛んでいってしまった。ラウロは床を手当たり次第にさぐった。寝台の下に転がっている。手をいっぱいに伸ばした。

 パントゥルノを殺し、キアラを死刑に追いやることが可能なもの。


 扉の外で男が声を張りあげている。

「旦那様?」


 ルイジが大理石の像を押し倒した。像はまっぷたつになり、戸口をふさいだ。


 奥にあるもうひとつの扉が開いた。


 入ってきたのは、キアラだった。

 娘はふたりの盗人をまともに見たが、足もとに横たわっている織物商に気づくまで、声らしきものをあげなかった。


 悲鳴は、屋敷中に響き渡った。


 ルイジは娘を突き飛ばして走った。壁にぶつかり、滑り落ちながら、キアラは叫び続けた。

 使用人らが大理石の塊を押しのけて入ってきたときも、その絶叫は続いていた。

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