10 〈蜜の館〉に興味があるか?

 やつらは行動を共にしていないのだ。

 船を降りた「ふたり組」をさがしても見つからないのは、単独で行動しているからだ。陸へ上がってすぐ、ルイジは連れと別れたのではないだろうか。


 大通りへ戻った。オルランドは、すでに店から姿を消していた。顔を出しそうな場所をのぞいてまわることにした。

 崩れかけた煉瓦の建物の前で、額に傷のある大工が逆さまの桶に腰掛けていた。宿で見かけた覚えがある男だ。近づいていくと、男は顔をあげたが、ラウロからは目をそらした。


「オルランドがどこにいるか知ってるか?」

「知らんね」


 目の前に立つ相手ではなく、地面に向けて答えたかのようだった。


 ラウロが宿を追い出された経緯は町中に知れ渡っているらしかった。2軒目の店の主人は、顔を見ただけで扉を閉めた。男どもは急によそよそしくなり、彼がその場にいないかのように振る舞い、わざと大きな声で隣の仲間に話しかけたりした。オルランドの居所については、最初の男と同じような返事が繰り返された。知っていても教えるつもりはないのだろう。


 名前をきいても、こいつらは「知らんね」と答えるにちがいない。


 1軒の居酒屋があった。船の絵が描かれた看板が下がっている。足を踏み入れると、胸の悪くなる臭いが押し寄せた。椅子やテーブルは見あたらず、皿を配って歩く給仕もいない。暗がりに目を凝らすうちに、悪臭の正体がわかった。肋骨が浮き出るほど痩せた老人が、大きな火鉢でヤギの臓物を焼いている。


 オルランドが奥の壁際によりかかっていた。ラウロの姿を見ると、いかさま用のサイコロをもてあそぶ手が止まった。


 こいつもほかの連中と同じように、小娘みたいにうつむくか、無視するつもりだな、とラウロは思った。

 オルランドはにやにや笑っていた。ラウロはたずねた。


「どうしてほかのやつらのようにしないんだ」

「おれが? なにをするんだ」

「あんたの仲間は、みんなおれを避けている」

 にやにや笑いが大きくなった。

「避けるって?」


 老人が臓物を食いはじめた。慣れてしまえば、それほどひどい臭いでもない。ルイジの相棒の居所を、脅してでも聞き出すつもりでいたラウロだったが、とぼけたような顔をされるとどうも調子が狂う。


「あんた、サルデーニャ島にいたんだろ?」


 唐突に、オルランドがたずねた。


「ああ」

「人間の女より羊が多いんだって?」

「女と男を合わせたよりも多いよ」

「そこの連中は、雌の羊とやるんだって?」

「どこでそんなことを聞いた?」

「ちょっと前に知りあったやつがそう言ってたんだよ。そいつもサルデーニャ島から出航してこの街にきたらしい」

「ぜひ、話を聞いてみたいな」

「〈蜜の館〉に、よくやつは顔を出す。興味があるか?」


名称からして、売春宿だろう。


「名前通りの場所かい?」


 オルランドは片目をつむり、サイコロを懐に突っ込んだ。

「ああ、名前通りの場所だよ」


 *


 夕暮れだった。人々は家の外に椅子を持ち出し、向かいの住人と話したり、チェス盤を並べて勝負の続きをしたりする。太陽が沈むのを待ちかねていたように。

 オルランドは路地の奥にある扉の前で止まった。叩くと、戸が内側から開き、年老いた女がふたりを中に入れた。広い中庭には、いくつもの人影があった。

 

 中央にある井戸の縁に男が腰掛け、膝にまたがらせた女の首筋に顔を押しつけていた。見れば、灯りの届かない回廊の奥にも、なにやらうごめく黒い物体がある。オルランドはそのいずれにも目をくれず、薄闇を横切って行く。


 ひとりしか通れないような狭い階段をのぼると、光、嬌声、含み笑いが四方から押し寄せた。吹き抜けになった2階の通路から、胸をあらわにした女が見おろしている。


「気に入った女がいたら言ってくれ」

 と、オルランドが言った。


 その名が示すごとく、蜜の館だった。

 蜂の巣の穴のように、無数の部屋が壁に穿たれている。扉をわざと開け放したまま男と睦み合う女や、解いた髪を裸の肩に散らし、壁に手を添えてあでやかに微笑みかける女もいる。


 いつのまにか、ひとりの娘のことを考えていた。結った黒髪を数本だけ乱し、オリエントの青い瞳で彼を見た娘。

 すぐに否定した。自分には向かない。そもそも幼すぎるのではないか。あの娘はいくつなのだろう?


 ささやき、まなざし、模造宝石、肘にそっと触れる手をやりすごし、上階へといざなう階段に足をかけて、ラウロはふと見あげた。


 天井の闇と地階の火がちょうど溶け合うあたりに、ルイジがいた。

 2階に降りる階段に一歩足を踏み出している。上半身は裸で、さらけ出された肩や腹は赤黒い。下穿きが半分ずり落ち、まだ日焼けしていない白い肌がはみだしていた。顔は上気し、目はうつろ。


 最初はどこも見ていないかのようだった。しかし、見られているのに気づき、相手が誰であるかがわかると、大きく目を見開いた。

 ラウロが階段に足をかけるのを見るや、ルイジは背中を向けて走り出した。

 


 

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