9 聞き覚えのある男の声

「おい、あんた、起きろ」


 ラウロは目を開け、声の主を見ようとしたが、上から照りつける日差しのために黒い影としか見えなかった。


「どこにいるかわかってるか? おれの船で寝ないでくれ、仕事の邪魔だ」


 影はひょいと退き、替わって太陽が叩きつけてきた。


 宿を出て行けと言われて、そのとおりにしたが、行くあてがなかった。そこで海岸沿いに歩き、浜辺に並ぶ小舟にもぐりこんだ。目をつむっているうちに眠ってしまったらしい。


 先ほどの男は、空を飛ぶかもめの群れに小魚を投げ与えていた。さわやかな鳴き声が今はうっとうしく感じられる。頭が痛い。服は藻や砂だらけだ。


 浜に沿って歩き、石段を降り、壁と壁のあいだを歩いた。岬の西端で、市壁は唐突に途切れた。なだらかに傾斜した岩肌の向こうに海がひろがった。


 宿にいるあいだにくすねた金や財布はおおかた失っていた。早朝に叩き起こされたせいか、短剣は習慣で身につけたものの、金を部屋に置いたままでてきてしまった。今さら戻っても、追い払われるだけだ。


 この島では、おれはどうも運に見放されているらしい。奪われた指輪をこの街で取り戻すことができるかもしれない、といちどは考えたが、それもありそうにない。


 潮流は速く、南側のほうが北側よりも海面の色が濃い。遙か向こうに、うっすら青い大陸の姿がある。


 ラウロはこの地で「西の果て」という言葉をなんども耳にした。彼には、それが住人の狭い仲間意識のあらわれであるように思えてならない。ここ数日で、宿の亭主や常連客が、一種独特の話し方をすることに気づいていたからだ。まぶしさゆえなのか、太陽の下で見せる苦い笑顔は、決まってこう訴えかけてくる。


 ――なにせ、ここは西の果てだ。文句を言ったところで誰が聞く?


 それがあきらめなのか、ふてぶてしさからくるのかはわからない。

 

 それに、この岬は最果てではない。さらに西へ行けば、生まれ故郷のバルセロナがある。

 港を出た1隻の帆船が、風を受けてゆっくりと航行していく。


 島を出よう、と思った。ここの人間にも、太陽にもうんざりだ。


 恰幅のいい中年の男が大通りを歩いていた。暗がりに引っ張り込んで短剣を突きつけると、財布をばかりか靴まで脱いで差し出し命乞いをした。男は転びながら通りを逃げていった。


 太陽は天頂にかかったまま、動いていないように見える。腹が減り、喉が渇いていた。目の前に古びた建物があった。1階は飯屋のようだ。入り口は開いている。立ちあがり、なかをのぞいた。


 聞き覚えのある男の声が頭を殴りつけた。


 薄暗い部屋の中、大司教の墓を暴くときにルイジといっしょにきて、見張りに立っていた男が腰掛けにだらしなく座っていた。笑みを浮かべ、いちじくの実を口に運びながら、肌着1枚の女の腰に腕をまわしている。

 壁際のベンチには、どこへでも出入りするらしいオルランドが仰向けで寝そべっていた。こちらはいびきをかいている。


 ラウロは通りを渡り、教会の石段に腰を降ろした。数時間後、男がひとりで出てきた。口笛を吹きながら大通りを西に歩き出す。あいだをあけ、ラウロはかつての仲間のあとをつけた。


 ひとけのない路地で男を尾行するのは難しかった。もつれあう隘路を右に、左にと折れる男の足取りを追っていたのはわずかのあいだで、すぐに見失ってしまった。

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