8 二度とおれの前に姿を現すな

 ベッドから降りてよろよろ部屋を横切り、扉を開けると、両脇に大柄な料理人を従えた宿の亭主が立っていた。硬い表情だ。


「出て行ってもらおう」

「どうしてだ?」


 わけがわからなかった。亭主は、出て行けと繰り返すだけだった。

 服を身につけるあいだ、亭主も料理人も口を開かなかった。階段を降りると、食堂にいる数人が顔をあげた。誰も声をかけてこない。どの顔も亭主のそれと同じく強ばっている。

 寝ぼけた頭に夜明け前の空気は冷たかった。


「宿代なら、昨日払ったじゃないか」

「おまえの払う金など、うちでは受け取らん」


 足もとに銅貨が散らばった。ラウロが前の晩に払った宿代だった。返されたのだ。当惑して、しばらくぼんやり立ち尽くしていた。


 宿の向かいにある教会の石段に、レモが腰を降ろしていた。


「いったいどういうことだ?」


 薬種商は小瓶を選り分けて袋に入れたり、敷石に投げ捨てたりしていた。陶器の割れる音が響いた。


「昨日の晩、あの子供が来たぞ」

「子供? どの子供だ」

「宿で下働きしている子さ。おまえのことを心配して、指輪は見つかったのかって亭主にたずねてた」

「指輪?」

「ルビーだよ。ルビーの指輪。金貨5,000枚の値打ちがあるそうだな――なんだ、その顔は。倒れているあいだに、おまえはうわごとで言っていたらしいぞ。やつらに奪われた、と。なあ、おもしろい話じゃないか。盗掘にあったパレルモ大司教も同じ金貨5,000枚のルビーの指輪をはめていたというぞ」


 しらばっくれればいいとわかっていながら、なぜかできなかった。


「おれがそれを持ってると思うのか? とんでもない。仲間が奪って逃げたんだ。どこにあるかは知らない。おれにどうしろと――」

「そんなことはどうでもいい!」


 大声が通りに響き渡る。


「誰の手にあるかは関係ない。そいつがどう処分しようと勝手だ。言えるのはこれだけ――おまえは盗人で人殺しだ」


 薬種商の足もとに荷物がまとめて置かれているのに気づいて、ラウロは怪訝に思った。


「ここでなにをしてるんだ?」

「追い出されたんだよ。亭主にしてみれば、盗人を宿に運び込んだおれも盗人の一味ってわけだ。おまえを拾ったおかげでこのありさまだ。こんなことなら、助けるんじゃなかった。死ぬにまかせときゃよかった。そうすれば大司教と哀れな司祭に報いてやれただろうよ」


 遠くの塔や窓に黄色い光が差してきた。ラウロは教会の壁に黒っぽい染みがあるのを見つけた。葡萄酒か、古い血の痕か。


「行け。にどとおれの前に姿を現すんじゃない」


 逃げるようにその場を離れた。建物が両側から覆いかぶさってくるような狭い路地に入ったとき、夜明けの鐘が追ってきた。

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