7 あの女、誰か殺るつもりだぞ

「斧でやられたんだ」

「そりゃ、ひどい」

「誰だったのかはわからん。あたりは暗かった。家の前で、突然襲われた。で、このざまだ」


 沈んだ船に乗っていた男たちの行方は杳として知れなかった。ルイジとその相棒だという確証はない。そもそも、パレルモを無事に出られたかどうかも疑わしい。盗みが露見して捕らえられ、並んで縛り首になったのではないか・・・・・・


 宿の主人が壁の蝋燭に火を灯した。客が多い晩だけの贅沢だ。


「道をあけろよ。アラブの姫君のお通りだ」


 織物商の女奴隷キアラを、オルランドは決まってアラブの姫君と呼ぶ。キアラは受け取ったばかりの薬の包みを抱えていた。レモによれば、パントゥルノは「小うるさい爺さん」で、彼の注文には胃薬と咳止め薬に加え、下剤や媚薬も含まれる。


「なあ、お姫様、歌か踊りでも披露してくれよ」


 オルランドはいらいらして落ち着きがなく、誰かを笑いぐさにしたくて仕方がないようだった。その矛先がキアラに向けられた。

 女奴隷は無視して足早に通り過ぎようとした。オルランドは立ちあがり、彼女の腕をつかんだ。


「きれいな歌声で、ひとつ景気をつけてくれよ。なんなら、おれの膝に座ってもいいからさ」


 誰かが面白がって叫んだ。

「よせよせ、お嬢さん。孕まされるぞ!」


 キアラは振り返り、オルランドの頬を平手で殴った。目は怒りと屈辱に燃えている。

 酔っ払った客たちが喜んで拍手した。

 オルランドは驚いた顔で立ち尽くし、すぐに気を取りなおした。両目の瞳が妙に小さくなったように見えた。


「そうかい、なら思い知らせてやる」


 彼はキアラの腕をつかんで客のあいだを縫い、テーブルに散らばった瓶や皿を空いた手で払い落とした。そして娘を引き倒し、上からのしかかった。男どもが立ちあがってはやし立てた。

 ラウロは酔いが一気に醒めるのを感じた。立ちあがったが、遅すぎた。いくつもの背中にはばまれ、前に進むことができない。


 レモが酒場に現れた。騒ぎをまのあたりにするや、足が悪いとは思えない早さでテーブルに近づいた。そして数人を押しのけてオルランドの首を後ろからつかみ、その顔にワインを引っかけた。


「頭を冷やせ、馬鹿者」


 キアラは素早く転がってテーブルから降りた。買ったばかりの薬の包みは踏みつぶされていた。床から拾いあげるその手は震えている。


 レモに殴りかかろうとするオルランドを、客が数人がかりで押さえつけた。

 オルランドは荒い息をつき、薄笑いを浮かべてレモに指を突きつけた。


「よくもやってくれたな。あんたが隣村でなにをやってきたか、この場で言ってやろうか。農場主の息子に誤って毒薬を処方し、死なせたんだ」


 全員の視線が薬種商に集まった。レモは無表情だった。が、頬が赤く染まり、わずかに震えている。


「村にいられなくなったんだろう、え? それでパレルモへ逃げるつもりなんだ。だがな、どこへ行こうと同じことさ。人殺しめ」


 オルランドは襟をなでつけ、人垣を突き飛ばした。椅子を蹴り倒す音が響いた。ラウロは振り返ってキアラをさがした。が、娘の姿はどこにもなかった。

 声を抑えた会話がはじまった。落ちた皿を給仕が片づけている。


 ラウロはレモの隣に腰を降ろした。どちらも口はきかなかった。客は会話のあいまにちらちらと薬種商を見ている。


「金があればなあ」

 先ほどの出来事にもかかわらず、レモの声はのんびりしていた。

「おれも女奴隷のひとりくらい買うんだが」

「なんのために?」

「決まってるだろ」

「あんたみたいな爺さんが、悪賢い女につかまって一財産なくすんだぞ」

「それもいいな。教皇だって愛人をつくるご時世だ。陽気で色っぽくて、ちょっぴり危険な匂いのする愛人がおれも欲しい」


 オルランドの悪ふざけのせいで一部の客が立ち去り、亭主が料理人に愚痴をこぼしている。


「あの女、誰かを殺るつもりだぞ」


 その「女」がキアラを指していると気づくまで、しばらくかかった。


「なんだって?」

「ネズミ退治の毒薬があるんだ。人間に盛れば、恐ろしい死に方をする。あの女がさっき買っていった包みがそれなんだ」

「ネズミを殺すんだろう」

「わかるんだよ。本当にネズミ退治なのかどうか。まあ、頼まれれば売るのがおれの仕事だ」


 自分が毒殺されかけたのを思い出し、ラウロは気分が悪くなった。


「・・・・・・」

「どうしたんだ」

「なんでもない。パントゥルノのようなやつがいなくなれば、むしろせいせいする」

「え?」


 レモは戸惑った顔だ。


「あの女が自分の主人の殺害を企んでる、と言いたいのか」

「ほかに誰がいるんだ。やつは高慢ちきな成り上がりで高利貸しじゃないか」

「彼は地位も教養もある立派な男だ。自分がひどい暮らしをしてきたからって、誰のことでも悪く言うのはよせ」


 レモは杖をついて階段をあがっていった。

 翌朝、ドアが乱暴に叩かれる音で目が覚めた。


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