4 なんだ、同種の人間じゃないか

 トラーパニの町は三日月型の岬に位置している。晴れた日なら、家々の屋根や教会の塔を三日月の弧に沿って一望できる。周囲には塩田や明礬の採掘地がひろがり、北側の岩礁には小舟がたくさん停泊している。


 町に至る街道はひとつしかない。泥と小石がまざりあっているその悪路を、荷車が1台、がたがた揺れながら進んでいた。御者台にはふたりの男が座っている。どちらも退屈していた。


 道がふたつに分かれるところで、彼らは馬を止めた。進む方向がわからなくなったのではない。道の真ん中に驢馬が一頭いて、行く手を遮っているのだ。


 ふたりは顔を見あわせた。どちらも葡萄酒商人で、荷台に積んである葡萄酒の樽をこの先にあるトラーパニに運ぶところだ。

 驢馬は盗まれたものらしく、ちぎれた引き綱が地面に垂れ下がっている。


「こいつはいい値で売れるぞ」

「そうだな・・・・・・おい、あそこを見ろ」


 近くの草むらに人が倒れている。


 男だった。マントもはおらず、両足をひろげて、半ば目を見開いたまま死んでいた。

 金目のものがあれば、驢馬といっしょに売れる。ところが、衣服からは銅貨1枚出てこない。

 ひとりが地面と死体のあいだに足を入れてひっくり返そうとした。すると死体がいきなり起き上がり、その足につかみかかってきた。


 男たちの悲鳴を、荷台に腰掛けていたひとりの薬種商人が聞いた。

 パレルモに向かう船に乗るために、彼はこの先の港町に行く途中だった。隣村でワイン樽を積み込んでいるふたりの商人を見かけ、のせてもらうことにしたのだ。丸1日の行程に、話し相手ができた。しかし、太った体を樽と樽のあいだに押し込み、明け方に出発したはいいものの、道はひどかった。すぐに尻が痛くなった。太陽はまだ高いし、夕暮れまでには町に到着できるだろう。しかし、ぐずぐずしていると強盗に遭うかもしれない。彼としてははやく出発したかった。


 薬種商人は荷台から降りて、足をひきずりながら近づいていった。


 息を吹き返した死人はいびきをかいていた。体のどこにも怪我はなく、流行性の悪疫の兆候も見られない。指でまぶたを開くと、目が充血していた。暗殺によく使われる毒を盛られ、同じような症状を呈して死んだ別の男を見たことがある。

 この男の場合は分量が少なすぎたか、毒薬が期待した効力を及ぼさなかったかのどちらかだろう。


「ここでようすを見ている時間はない。連れて行こう」

「けど、もう荷台がいっぱいでして」

「樽を積み直せばいいじゃないか」


 3人は男を荷台に引っぱりあげた。再び出発する頃には、太陽も傾いていた。

「さあ行った、行った」




 ラウロはがたがた揺れる荷台の底に頭を打ちつけられていた。宿のベッドよりもひどい寝心地だ。静かな暗闇で寝ていたのに、突然手足をつかまれてこんなところに引きずりあげられたのだ。怒鳴り声をあげたかった。だが、声は出ず、体は動かない。頭上で鼻歌がはじまった。ひどい声だった。声の主を恨みながら、また眠りに落ちた。




 3人は男を市内にある宿に運ばせた。薬種商は寝ずの看病は不要と判断した。そして酒と少量の丸薬を与え、あとは何日も眠るにまかせた。宿で下働きをしている子供に金を払い、世話をさせたが、与えた指示は窓を閉めて光を入れるな、というひと言だけだった。




 子供が部屋に入って、窓をあけた。病人はすでに目を覚ましていた。ベッドにうつぶせのまま、子供がカップにワインを注ぐのをただじっと眺めていたが、ここはどこかとようやくたずねた。

 子供はとんまな質問にも慣れていると見えた。

「西の果てだよ」

 窓は開け放たれていた。

「あそこにアフリカがある」




 宿は路地裏にある。大通りの喧噪からは遠いが、魚市場に近く、朝はかもめの鳴き声が絶えることがない。客は船乗りが多く、彼らが海とタールの臭いを体にまとわりつかせて女と睦み合うのもここだった。扉は西向きだが、日よけの布をくぐれば、中は暗く涼しい。




 ラウロは食堂の椅子に座った。

 客は全員、興味をそそられたようにちらちら見た。

 見慣れない男だ。行き倒れていたところを商人の馬車に拾われ、この宿に運び込まれたらしい。何日も寝込んでいたので、たちの悪い病気にかかっているという噂があった。しかし、見たところ顔色が悪いのを除けば元気そうで、妙な腫れ物もない。

 なら恐れなくとももよい。身ぐるみを剥ぐのに格好の相手だ。




 ラウロはパレルモからどうやって逃げてきたのか覚えていなかった。壁につながれている驢馬を見つけたところで記憶が途切れている。

 目を覚ましたときには、宿のベッドに寝かされていた。窓は閉ざされていたが、戸の隙間から入ってくる光で、太陽の動きを知ることができた。何日も過ぎたらしい。ぐっすり眠るのはほんとうに久しぶりだった。

 衣服や靴は木箱の上に置いてあった。汗臭いシャツにまた袖を通しながら、誰が自分をここへ運んだのだろうと思った。


 窓の外をぼんやり眺めていると、呼びかける声が聞こえた。宿の客たちが数人、開いた椅子を示して手招きしている。テーブルにはサイコロと、山積みの銅貨。世間知らずを引っかけるつもりだろうが、サイコロの細工はもう少しうまくやるべきだ、とラウロは考えた。一カ所を重くして狙い通りの目が出るように仕組まれているが、いちど分解してつなぎあわせたのがすぐにわかる。


 ラウロは笑った。すると男たちも笑った。なんだ、こいつもおれたちと同種の人間じゃないか。


 そのとき、外で轟音がした。

 宿の客は顔を見あわせた。雷鳴の音に似ているが、ずっと近い。港のほうからだった。

 

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