大豆の想い出

s286

第0話

「畑の肉?」

「おや……けいは聞いたことが無かったかね」

「お父さん、今の子供は知らないわよ」

 夏休み、母方の田舎に遊びに行ったその夜は必ず従兄弟たちとご馳走が待っていた。今で言うジビエというか……猪や鹿の肉が供される。

 子供たちは肉を夢中になって食べていたが、爺さんはそれを眺めて笑顔でビールを呑んでいた。ビールの傍らには枝豆か冷やした豆腐が置いてある。

 たまに肉も口に運ぶが、それは本当に稀なことで、爺さんは一口でも多く孫たちに肉を食べさせたい様子だった。

啓太けいた! お肉ばかり食べないで煮物もちゃんと食べなさい」

 母親が、そう嗜めるとすかさず年上の従兄弟たちが揃って応戦する。

「恵子おばさんは、そう言うけどさ~啓太こないと俺ら肉食えないじゃんか」

「そうだよ! 俺たち毎日煮物なんだぜ?」

 育ち盛りの僕たちの代表的な意見は、毎度、微塵に粉砕される。

「煮物が嫌なら啓太くん来たとき以外はご飯作ってやらないよ」

 無慈悲な伯母さんは、従兄弟たちの陳情を一蹴するが、育ち盛りの子供たちのこととて黙って受け入れるわけも無い。

「ヒデェぞ! 母ちゃん」

 子供たちはここぞとばかりに肉を食い、母親連合は、普段どおりに口を出す。爺さんは笑ってそれを眺めていて、頃合に口を挟む。

「まぁあれだ、豆……特に大豆は畑の肉と言われるほどに栄養が豊富なんだよなぁ。ワケは知らんが凄いと思わんかね?」

 そう言って爺さんは、美味そうに冷奴を口に運んだ。従兄弟はいつも身近にいる爺さんの口上とて聞いていない様子だが、僕はちょっと違った。 爺さんはそう言うけれど、畑の肉っていっても肉のほうが断然美味しいと思うのだ。後年、自然とわかったのだが、爺さんは農協の社員をしていたらしい。道理で詳しいわけだ。ただ、爺さんはそれ以上は語らなかった。飯に限らず、大きくなって僕が進路に迷ったときも自分の意見らしいことを聞いた記憶は一切無い。


 田舎にいる間は、墓参りをしたり従兄弟たちと遊びまわった。農業用の用水路でカブトエビの幼生を眺めるのすら楽しかった。少しだけ年上の従兄弟たちは色々な遊びを知っていて網を使った魚の取り方や食べられる野草の見分け方、大半は忘れてしまったそれら全ては、彼らから教わった……。

「啓太くーん、そろそろわかってるわよね?」

 四日目の朝は雨が降っていた。母親が自分を君付けで呼ぶときは必ず怒っている時だ。理由は大体、わかっている。

「自由研究でしょ? 今日は丁度、雨だからやるってばぁ」

 朝食の食卓に着くなり言わされてしまったが、一週間滞在だからそろそろやらないとまずいことはわかっている。

「あらそう? わかっているならいいけれど今年は何にするの?」

「うっ……それは……」

「去年は昆虫採集、一昨年は天体観測やってたわよね? で、今年は何をするつもりなのかしら? もちろん決めてあるのよね?」

 母親が、少し意地悪気に畳み掛けてきた。自由研究なんだから自由にすればいいとは思うものの少しは見栄えも考えてしまう。

 そんな時、爺さんの言葉を思い出す……。

「豆! 豆のことを調べてみるよ」

 味噌汁に箸をつけていた爺さんがおやという表情で顔を上げる。

「そうか……で、啓は豆の何を調べようと思っているんだい?」

 爺さんに訪ねられたが豆のことなんて何一つ知らなかったから行く場所はもう自分の中で決まっていた。

「爺ちゃん、図書館に行きたいんだけど……車、出してくれる?」

「もちろんさ。俺も一緒のほうがいいのかな?」

「んー、図書館の人に色々聞くから閉館の頃に迎えに来て欲しいんだけど。それとお婆ちゃんさ……」

 婆ちゃんは、もう箸を置いて台所に立っていた。

「お弁当だね? 簡単なものでいいんだろう?」

「うん。ありがとうッ」


 物の調べ方は、爺さんが教えてくれた。毎年の自由研究は、爺さんの控えめな提案に僕が飛びついた結果だったように思う。軒下に飛んできた虫の羽の美しさに見とれていれば、昆虫採集を勧められ夜空の美しさに口を開けて呆けていたときには天体観測を勧められた。

 天体観測や昆虫採集の時に教えてもらったのは、ただ集めるだけでは意味がないということ。体系を子供向けの易しい本で学んだら考えて、必要そうな本を選んで読むこと。だから僕は、昆虫採集のときは『玉虫色』の意味を知れたし『天体観測』のときは北極星は動かないことを知った。

 その年、豆について調べようと思ったきっかけをくれたのは爺さんだけど能動的に研究対象を決めたのは初めてだったはずだ。

 罫線が広目の真新しいノートと筆箱、それに弁当を詰めたカバンを持って爺さんに開館時間丁度に送り届けてもらった。

 手始めに年少向けの百科事典で『豆』を調べる。調べたところで自分の知っている豆なんて煮物やサラダに入っている「アレくらいだろう」と思っていたら墓参りに持っていくオハギにも豆は使われていた。まるで知らなかったわけではないけれど、思い出して合点がいった。

 そんなわけで小豆にしようかとも思ったけれど結構、種類がある。そして僕が見つけたのは、「畑の肉」と爺さんが言っていた大豆だった。

「へえぇぇぇぇ……」

 図書館にいる間、僕は驚いてばかりだったと思う。調味料としての大豆、家畜の餌としての大豆、そして食品としての大豆には発酵食品としてのジャンルもあることを知るに至って、僕は婆ちゃんの用意してくれた弁当を食べるのも忘れてひたすら書き写した。

 書いて書いて、書き写して後は爺ちゃんの家に戻ってから別の帳面に清書をすればいい。そんな勢いで大豆についての色々な本を書き写し、受付のお姉さんに何を読んでいいのかアドバイスを請うた……。


「太……啓太……」

 気がつけば爺さんが、僕をゆすって起こしていた。

「……あれ?」

 寝惚け眼の僕に爺さんは、笑っていった。

「すまなかったな、少し遅くなった。だけども啓よ……寝るくらいなら電話でもしてくれれば良かったのに」

「……ごめん、いつの間にか寝ちゃってた」

「調べ物はもういいのかい?」

「うん。調べ終わってもいろいろ知りたくってさ」

「……はいよ」

 帰りの車内、軽自動車を運転する爺さんになんとなーく質問した。

「ねぇ爺ちゃん」

「なんだ? 啓」

「今日、勉強して大豆が凄いのはよくわかった。たしかに大豆は畑の肉なんだよなぁって僕も思ったんだけれど……」

「……ほうほう、それで?」

「味噌も醤油も大豆で出来てるのにさ爺ちゃん食べないよね?」

 爺さんは、一瞬意外な顔をしたが、その後はいつもの通り笑って言った。

「アハハ……医者に塩気のものは控えるように言われているのさ。でも味噌汁も飲むし豆腐にゃ醤油も少しはかけるよ………よく調べたな」

 爺さんに思わず褒められて、嬉しいやら照れくさいやら尻がムズムズしたのを今でも覚えている。そして僕はこう言った。

「あのさ爺ちゃん……」

「どした啓?」

「もうすぐ僕、帰るじゃん?」

「……まぁなぁ」

「最後の日の朝、お婆ちゃんのウドンが食べたいんだけど……だめ?」

 爺ちゃんは、奇妙な顔をした。まぁ、当然の反応だろう。座っていれば勝手に食事が出てくる子供時代に肉のリクエストならともかくウドンなのだから。

「あぁ、わかった。婆ちゃんには言っとくよ」

 家が近づいて細い道が増えたので、二人ともそれきり、黙った。


 最終日、爺さんは約束通り婆ちゃんにウドンを湯がくように言ってくれていた。だから僕は、爺さんの粋に応えるべく小さな研究発表をした。

「……研究……発表?」

「そう! いつも爺ちゃんに自由研究のヒントを貰っていたけど何の報告もしていなかったからさ」

「ほう……そいつはウドンに関係するのかな?」

「うどんそのもの……じゃないかな。郷土料理を調べていて思いついたんだけど大豆料理の一つに呉汁っていうのがあってね」

 朝食はワリと好評を得、日焼けするだけ日焼けして父の待つ実家へと戻った。


「啓先輩、前置きが長いですよー」

 昔話を長々と語ったのは認めるが、それが人の家にお泊りした許婚のセリフかな? という言葉をグッと飲み込んで僕は調理を続ける。

「乾麺湯がいている、ほんの数分でしょうが。あと、先輩は止めなさい。再来月には君の旦那になるんだから他の呼び方にして」

 時計を横目に蕎麦の乾麺を茹でながら僕は、穏やかにするが聞いちゃいない。

「んで先輩は結局、どんなものを作ったんです?」

 人の話を聞いちゃいないと嘆息するが、訪ねられて得意になる

「まぁ、いま作ってるのがそれの上位版なんだけどね……豆腐一丁をゴリゴリ潰して納豆一人前と生卵を一つ投入して混ぜるのさ」

「ふむふむ……それで?」

「ちょっと蕎麦ツユを入れて混ぜたら出来上がり。あの時はウドンだったけど、今は冷たくシメた蕎麦に凝ってるんだ」

 頃合を見計らって茹でた蕎麦をザルにあけ、二つの丼に等しく分ける。普通は、女性には少なめに盛り付けるけどこればかりは別格だ。

「きたきたぁ! ……って先ぁ輩……恋人同士のランチにこんなんだしますぅ? うぇ、納豆のビジュアルがちょっとアレじゃないですかぁ」

 この娘と再来月結婚するのかと思うとちょっと躊躇するが、ごり押しして食べるように促すと思った通りの賞賛が返ってきた。

「えっ? 納豆っぽくないッ! なに? トロロじゃないですか? 何でどうしてこうなったんですか?」

 僕は、あの時の爺さんと同じ反応をする未来の嫁に少し得意気に言った。今はもういない爺さんだが、あのときほど褒められたことは僕史上、記憶には無い。

「実は、納豆キナーゼというのは非常に熱に弱くて……ねぇ、聞いてよ」

 彼女はまるで聞いていない。一心不乱に蕎麦を手繰っている。だけど今日は休日。部屋デート。ここからが本番なのだ。冷水にカツオブシを入れただけの出し汁と隠れるように刻んだ輪切りのキュウリ。そして密かに炊いたご飯が彼女を待っているのだ……。

 二段仕掛け三段仕掛けが大好きになったのは、祖父の驚く顔が見たかったのが最初の記憶だった様に思う。俺も爺さんみたいにユルユルと人を自然と導けるような大人になりたいと思ったのはいつの頃だったろうか?

 ただ、それは、また別のお話になる。

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