第5話 新しい勇気
「…ちょっと待って!」
歩美が事務所のドアに手をかけた時、所長さんが歩美を呼び止めた。
「あの…何か…?」
所長さんは歩美をまじまじと見て言った。
「…その様子だと、キミは名探偵くんの正体を暴きに来たみたいだね。それで、正解にたどり着いて、紗由から名探偵くんになるまでの話を聞いたところかな?」
「…そうですけど…。あの、所長さん、ですよね。その…私…」
「まあまあ、立ち話ってのもなんだから、こっちで座って話そう?キミ、まだ時間大丈夫?」
「…はい…」
歩美は所長さんの言葉にうなずいて、ソファに座った。
「…それで、浮かない顔して、どうしたの?」
歩美は所長さんが入れてくれたお茶に目を落としながら言った。
「紗由が、私に過去のことを話してくれたのは嬉しいんですけど…まだ、何か心に引っかかるものがあって…」
所長さんは少し困った顔をした。
「ああ…紗由、全部話してくれなかったんだね。確か、そもそもキミは助手になりたかったんだよね?」
「はい…でも、断られて…」
「まあ、そうだろうね。もしかして、キミの心に引っかかっているものってそれなんじゃないかな。過去を話してくれたのはいいけど、それで助手を断る理由が分からない、といったところかな?」
「あの…所長さんは分かるんですか?その…紗由が助手を断る理由…」
歩美はうつむいたまま所長さんに訊いた。所長さんは小さくため息をついた。
「これは…助手を雇わないって決まりがあるわけじゃなくて…紗由の意思なんだよね。紗由は昔から人付き合いが苦手みたいでね…一人でいたことが多かったらしくて、今も…積極的に他人と関わろうとはしない。未だに他人と協力して何かをするっていうのが苦手なんだ。その気持ちから助手を雇うのを拒んでいるんだよ」
「…そうなんですか…」
所長さんは、うつむいたままの歩美の隣に座ると、そっと歩美の頭をなでた。
「…でも、紗由はキミに過去を話してくれたんでしょ?それって…紗由がキミを受け入れようとしているってことなんじゃないかな」
「…紗由、受け入れてくれてるんですか…?」
「…私は紗由じゃないから、紗由の本心は分からない。でも…あの子は確実に変わっている。前よりよく笑うようになったし、お友達と遊びに行くっていうのも、前にはなかったのよ。キミと出会ってから、紗由は周りに心を開き始めている。全部キミのおかげだよ、歩美ちゃん」
名前を呼ばれて顔を上げると、所長さんがにっこりと微笑んでいた。
「…なんで、私の名前…知っているんですか…?」
「紗由がよくキミの話をしてくれるから。紗由はキミのことをこう言ってた。『歩美ちゃんならきっと私が名探偵くんだって分かってくれる』って」
所長さんは歩美の頭から手を放して、立ち上がった。
「キミには感謝してもしきれないよ。紗由がここまで変わることができたんだから。歩美ちゃんさえよければ、紗由をこれからも友達として、支えてやって欲しいな。今はまだ何もかも一人でやって解決してしまうけれど…きっと、紗由にも受け皿が必要な時が来ると思うんだ」
歩美は思わず出てきた涙をぬぐって、所長さんを見た。その様子を見て少しほっとした所長さんは、自分の部屋のドアに手をかけてから、思い出したように歩美に言った。
「引き止めてごめんね。あ、そうだ。さっき帰った三人のうちの一人がキミのことを外で待っているって言ってたよ。またいつでもいらっしゃいね、歩美ちゃん」
所長さんはひらひらと手を振ると、自分の部屋に入っていった。
外に出ると、街灯の明かりがポツポツとつき始めていた。薄暗い中、事務所の前に真っ黒なリムジンがとまっていたのに気付いたのは、車の前方のライトがついてからだった。歩美が事務所の入り口に立ち尽くしていると、リムジンの窓から光が顔を出して、手招きをした。
「歩美ちゃん、ちょっと話したいことがあるんやけど、家まで送るから…ええかな?」
歩美はうなずいてリムジンに乗り込んだ。
「光、話って何?」
「歩美ちゃん、今日名探偵くんに用事があるって言って、川水探偵事務所に行ったやん?」
「うん。そうだけど…それがどうかしたの?」
「…名探偵くんの正体が紗由ちゃんやってことを確かめに行ったんやろ?」
「うん…え!?なんで知ってるの!?」
光はくすくすと笑った。
「歩美ちゃん、驚きすぎやて。ほら、ウチ、七不思議を全部解こうとしたって言ったやろ?その時に、名探偵くんの名字は『安条』で、ウチらとほぼ同い年っていうのは判明しとったんよ。紗由ちゃんが空雲小に転校してきて、もしかしてとは思ったんや。それで、歩美ちゃんで答え合わせしてみたんよ」
歩美はぷくっと頬をふくらませた。
「もう!答え合わせって何よ!それなら、光も自分で言いに行けばいいじゃん!」
「ごめんね。でも…」
光は歩美に真剣な
「…ウチが言いに行くより、歩美ちゃんが行ったほうがいいと思ったから…」
歩美はその言葉に少し疑問を抱いた。
「…なんで?」
「歩美ちゃんやないといかんよ。紗由ちゃんには歩美ちゃんがおらんとだめなんよ。ウチらやなくて。…ウチでも、杏ちゃんでも、日菜子ちゃんでもなくて」
「……」
歩美は何も言えなかった。なぜ、自分がそんなに特別扱いされているのか分からなかった。
しばらくして、リムジンのドアがゆっくり開いた。
「…着いたよ、歩美ちゃんの家」
「ありがとう、光。わざわざ送ってくれて」
「ええんよ。もともとウチが送るって言うたんやけ。…最後にもう一つだけ。結局どうするんや?…名探偵くんの助手に、本当になるん?」
歩美は少しの間、黙り込んだ。そして、リムジンから降りて、光に背を向けたまま言った。
「…今はまだ、いいや。紗由が本当に助手を必要とするまでは…。一回断られちゃったし…」
「…そう…。分かった。じゃあ、また明日、歩美ちゃん」
リムジンのドアがゆっくりと閉まって、そのまま走り去った。歩美はリムジンが見えなくなるまで、その場に立ち尽くしていたが、やがて、家の壁に寄りかかった。
「…これでいいの…これで。…本当は助手になりたいよ。…紗由が心配なんだもん。そばにいてあげたいもん。…でも、ムリにまた助手になりたいなんて言ったら…きっと紗由は…。もう、あんな目には遭いたくない…。人があんな顔をするところ…もう見たくない…っ!」
歩美のつぶやきが暗闇にかき消されたように、辺りはシーンとしていた。歩美はあふれてきた涙をぬぐって、家の中に駆け込むように入っていった。
次の日。
「…全然眠れなかった…」
歩美はぽつりと呟いて、暗い顔で家を出た。
(…あの時のこと…夢に出てきちゃった…。今までずっと、忘れようと思ってたのに…。多分…あの子が紗由に似ているから…かな…)
暗いままの顔で教室の中に入っていくと、紗由が走り寄ってきた。
「…あ、歩美ちゃん…っ!…ちょっと…っ!」
「え?紗由?わ、私、今から先生のところに行かなきゃいけないんだけど…」
「…す、すぐ終わるから…っ!こっち来て…!」
「え?ちょ…ちょっと!紗由ってばー!私の話聞いてたのーっ!?」
歩美は紗由に半ば引きずられるようにして、校舎の裏側へ連れてこられた。
「はあ…はあ…紗由、いったいどうしたの?」
紗由は無言のままメガネを取り出すと、そっとかけた。
「急にどうしたの、紗由…じゃなくて、名探偵くん」
「…別に紗由って呼んでもいいのに…」
「それだと、私たちの会話を誰かが聞いてたら、正体バレちゃうんじゃあ…」
「…それもそうか」
名探偵くんの状態の紗由は小さくうなずき、小さくコホンと咳払いをして話をきりだした。
「それで…ちょっと、折り入って頼みごとがあるんだ」
「…私に?」
「うん、歩美ちゃんに」
名探偵くんは真剣な目をしていた。歩美はかたずをのんで、次の言葉を待った。
「僕の助手になってくれないかな?」
「…って、えぇーーっ!?」
「しーっ!歩美ちゃん、声大きすぎ」
名探偵くんが口の前に人差し指を立てると、歩美はあわてて手で口をおさえた。
「…ご、ごめん。でも、どうして?助手なんて。前にきっぱり断られたのに」
「なんというか…心境の変化というか…。歩美ちゃんなら大丈夫な気がしてきて…」
歩美は目を輝かせて、名探偵くんを見た。
「私なんかでいいの?本当に、名探偵くんの助手になってもいいの!?」
「うん…」
名探偵くんは一言そう言って、メガネを外した。
紗由はメガネをしまうと、歩美に向かって少し微笑んだ。でも、その微笑みには、少し悲しそうな表情も含まれていた。
「…引き受けてくれてありがとう、歩美ちゃん。…短い間かもしれないけど、よろしくね…」
紗由は校舎の中に戻っていった。一人残された歩美はその場で少しの間立ち尽くしていた。驚きと嬉しさと少しの不安にゆれる歩美の周りで、突然強い風がびゅっと吹いて、芽吹いたばかりの桜の葉が何枚かひらひらと落ちた。
「…紗由…本当に…私なら大丈夫なの…?…短い間って…どういうこと?」
歩美は落ちたばかりの葉を一枚拾い上げて、ポケットの中にそっとしまい、校舎の中へ入った。
その日の放課後。歩美は紗由に連れられ、探偵事務所へ向かった。
道中、二人は無言のまま歩いていたが、紗由はふと立ち止まって、歩美を呼び止めた。
「…どうしたの?」
「…歩美ちゃん…もしかして、過去のことで…悩んでいるの?」
歩美は少しうつむいた。そして、ポケットの中の葉っぱを強くにぎりしめた。
名探偵くん! 宙野 実来 @mikurun
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