第3話

次の日、ボクは15分休みをひどく憂鬱に感じた。図書室に行って、彼女に会ってどんな顔をすればいいのか分からなかった。昨日のことでひどく怒っているかもしれない。もしかしたら、彼女はもう図書室のあの席に座っていないかもしれない。そんな不安や恐れがボクの心にかつてない苦しさを味あわせた。 二限目終了の五分前、ボクはひたすら彼女に何を言うべきかを頭の中で巡らせていた。

チャイムが二限目の終了を告げた。ボクはいつもより数倍重い足取りで教室を出ると、大きく深呼吸をした。廊下を歩く他の生徒がボクを不思議そうに見る。しかしそんな視線も気にならないほど心は彼女のことで埋め尽くされ、頭の中もいっぱいだった。呼吸を整えてやや遅めに図書室へと向かう。

目の前まで来て、ドアがここまで重厚なものだったかと思うほど重たく見えた。手をかけ、ゆっくりと引く。ガラガラガラという音が廊下と静まり返った図書室に響いた。恐る恐る中に入ると、そこに彼女の後ろ姿があった。そのことに安心し、しかし同時に彼女とどう接したらいいのかという不安が襲いかかる。ボクの入室に気がついた彼女がいつものように振り返り、いつもと違うぎこちない笑顔を見せた。ボクも下手くそな作り笑顔を返した。


「あの、昨日は本当にごめんなさい」

ボクが座るなり、彼女は体をこちらに向けて頭を下げた。ボクが慌てて頭をあげるように促すと、彼女はゆっくりとその申し訳なさそうな表情の顔を上げた。

「私は……人に触れられるのが苦手、なんです。きっとあなたのことも傷つけてしまう。だから触って欲しくなかったんです」

よく分からなかった。どうしてボクが傷つくことになるのか。今一番傷ついているのは彼女自身じゃないのか。ボクは大きく首を振ってまっすぐ彼女を見た。

「いいえ、そんなことないです! ボクにも非はあるし、あなたは人を傷つけるような人じゃない。これだけ話をしていれば分かります」

不器用ながらに慰めようとなんとか言葉をひねり出して彼女にぶつけた。どんな顔をするだろうと彼女の様子を伺うと、ボクは驚いた。彼女の目から涙がこぼれ始めた。

「え、あ、ボクなにかいけないこと言っちゃいましたか……」

「ち、ちがいます……その、うれしくて、わたし……」

目の前で女性が泣き出すなんてボクの人生で一度もない出来事で、何をすることもできずに一人慌てていると彼女はゴシゴシ涙を拭って顔を上げた。

「すみません、お見苦しいところを……。この時間は笑顔でいる時間、でしたよね」

赤く泣き腫れた目で、いつも通りの笑顔を見せた。ボクもつられて笑顔になると、さっきまで冷たく刺々しかったこの部屋が途端に暖かく包み込むように柔らかくなった。

「ボク、女の人とこうやって二人きりでお話するっていう経験が無かったんです。だから昨日のことで傷つけてしまったのなら、ボクが浮かれてしまっていたからかなって思ってました。……そう言えば、お互い名前も名乗ってないし、これくらいのことで仲良くなったというのは烏滸がましいですかね」

言葉の通り、ただでさえ友達の少ない僕は女の子で二人きりになるような関係の人は一人もいなかった。だからこうして彼女と過ごす時間はボクにとって一生に一度のことかもしれない、そんなことを考えていた。実は名前も知らない彼女のことを、ボクは、好きになっていた。だからこそ恐ろしかった。彼女にあんな顔をさせてしまったことが。彼女とここで会えなくなることが。

「……私も、友達は少なかったんです」

暫く黙り込んでいた彼女が話し始めた。

「だから図書室にいる時間はとても心が楽でした。人とあまり関わらないで、じっとしていても心地よい時間が流れていって、図書室でなら素の私でいられた。だからあなたがここに来てただ時間に身を任せているのを見た時に、私と同じだって、そう思いました。きっとお話すれば楽しい時間が過ごせる。それは、間違いなかったです。私は確かにかあなたとここで話す時間が、大切になっているんですよ」

すごく優しい声で、優しい笑顔で、彼女はボクを見て言った。赤面を抑えられず咄嗟に顔を伏せ、たどたどしくありがとうと呟いた。自分との時間を大切に思ってくれている、そんな彼女の言葉はこの世のどんな愛の言葉よりも嬉しかった。

「ボクも、あなたとここにいる時間が大切で、大切で、仕方が無いです。好き以上に、大切です」

「……はい、私もです」

その時見せた彼女の笑顔は、今までのどの笑顔よりも綺麗で愛おしかった。

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