第2話

次の日から、ボクが15分休みの時間に図書室に行くと彼女は必ず、ボクがいつも座る席の隣で待っていた。図書室に入ってボクに気がついた彼女が嬉しそうに微笑んで手を振る。ボクも照れくさいながらも小さく手を振って返した。彼女の隣に座ってぼうっと目の前の窓から見える景色を眺めて、暫くこの静寂を感じたあとに彼女が話題を切り出す。これがボクと彼女の恒例の流れになっていた。

「今日はそこの窓から外を眺めていたら、真下に見える水飲み場で体育終わりの人たちがふざけて遊んでいたんです。蛇口のところを指で抑えてそのまま水を出して、ピューって飛ばしあってて」

「あー、ボクも昔はやってたなあ。水鉄砲みたく飛んでいって、びしょ濡れになってたよ」

「はい、それでその人たちもびっしょりに濡れてて……笑いあっているところに体育の先生がやってきて」

「怒られたの? 」

「それも、乾くまでそこに立ってろ、なんて大声で怒鳴りつけてました。遊んでた人たちはみんな日向で仲良く棒立ちして乾かしてましたよ」

「なかなかシュールだなぁ」

こんな風に彼女が見つけた、聞いた出来事を話してもらう。話は面白いし、彼女の楽しそうな様子はボクも嬉しくさせた。けれど、どうしてか彼女の話はいつも図書室からの景色ばかりだった。よく図書室に来ているからかもしれない。そんな風に、大して気にもせずにいた。


また別の日。

彼女は図書室に入ってきたボクに、やや興奮気味に語り始めた。今日は静寂に浸る時間さえ惜しかったようで、ボクが席に着くなり揚々と話し始めた。

「あの、実はさっき二限目が始まってすぐにここ人が来たんです! 」

「ええ、授業中に? 」

「はい、二人の男女だったんですが……その二人、入ってくるなり突然その……き、きききキスをし始めて!! 」

「なっ……き、キス!? こんなところで……」

「それはもうアツいアツいキスでした! もう私ビックリしちゃって、思わず本棚の本を落としてしまって」

「き、気づかれたんですか」

「あ、いえ、それは無いんですけど。ビックリして二人とも逃げていきました」

「あ、そうなんだ……」

話の内容が凄くて、その時は気にならなかった。

なぜ、授業中のそんな出来事を彼女が図書室にいて目撃していたのだろうか。


小さな疑問は解消されないまま、けれど気にならないままボクの頭の隅に残り続けた。それが無視出来ない大きさに膨らんだのは、晴れ続きだった一週間で唯一、雨の降った日のことだった。

図書室に入ると日が出ていないせいかやや薄暗く、蛍光灯の光もいつもより寂しげだった。彼女は相変わらずいつもの席に座って、ボクが入ってきたことに気がつくと振り返って微笑んだ。ボクは彼女の隣に座ろうとしたところで、髪の毛に埃が絡まりついているのを見つけた。

「あ、埃が……」

そっと摘みとろうと彼女の黒く長い艶のある髪の毛に手を伸ばす。もう少しで埃に触れるかという、その時だった。

「やめて!!! 」

今まで聞いたことのない大きな、拒絶の感情を込めた声をあげた。思わず手を止め、素早く引っ込める。

「ご、ごめん。髪の毛に埃がついていたから……」

「あ……え、ええと、その、ありがとうございます…………ごめんなさい、大きな声を出してしまって」

「いや、ボクの方こそ勝手に触ろうとしてしまってごめん」

「……触るのは、ダメなんです」

彼女は寂しい声で言った。目を伏せ、瞳はどこか輝きを失ったように見えた。魂が抜けたように、冷たい表情をしていた。彼女はゆっくりこちらを見ると、ボクの困惑した顔を見て、そのまま下に視線をずらした。二人の座る椅子の間、小さく空いた隙間。およそ15センチほどのその距離を彼女は虚ろに見つめ、ボソリと呟いた。

「私とあなたは、これ以上近づけないんです」

ボクは何も言えなかった。彼女のその言葉を聞きながら、二人の間を隔てるその15センチの隙間をじっと見つめることしか出来なかった。チャイムが鳴るまでの図書室の静寂が、初めてボクの体に痛く刺さった。

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