今日もまた、図書室で。
ミコトバ
第1話
ボクは友達を作るのが苦手だった。
高校に入ってから中学校まで一緒だった友人ともクラスが離れ離れになり、見知った顔のいないクラスで人見知りのボクが誰かに話しかけられるはずもなく、一人席に座って本を読んで時間を潰しているような毎日だった。周りは皆気の合う者同士で楽し気に話をしたり、昼休みには弁当を一緒に食べたりしていた。ボクはいつも一人だった。
二限目と三限目の間に15分間の休み時間があった。早々次の授業の準備を終えたボクは一人教室を出て図書室へ向かう。人の話し声でにぎわう廊下をやや早足で通り過ぎ、図書室のある校舎奥に来ると世界を裏返したかのような静けさに包まれている。ゆっくりドアを開け、中の様子を確認しつつ入っていく。誰もいない。ドアを閉め、ボクはいつも座っている席にやや荒っぽく腰を下ろした。誰の話し声もしない、掛け時計の時間を刻む音だけが響くこの空間が大好きだった。本を読みに来たわけではない、ただこの静けさに身を委ねているのが楽だったから。ボクはだらりと体を背もたれに預け、普段教室なら絶対にしない脱力した姿勢で虚空を見つめた。
「……あの」
突然聞こえてきた声に体がビクッと反応し、首を痛めそうな速さで振り返った。慌てて姿勢を直すと、図書室の入り口に一人の女の子が立っていた。この時間、ここに人が来たことなんて一度たりともなかったから、ボクは彼女を目を丸くしたまま見つめていた。おどおどした様子でいた彼女は、やがてゆっくりとこちらへ近づいてくる。何用なのかと構えていたが、彼女はボクの横の席を指差して言った。
「と、隣に座っても、いいですか」
思わず横の空いた席を見た。半ば混乱した頭でこの状況を整理し、ようやく我に返ってボクは慌てて立ち上がった。
「あ、えええ、えっとどうぞ! その、ボクはすぐ帰りますんで! 」
自分の座っていた席を引っ込め彼女に譲ろうとした。すると彼女もまた慌てた様子で言った。
「えと、違います! 一緒に……隣で」
「え……? 」
またしても思考が停止し、彼女と見つめ合う形で時間が静止した。
一緒に……というのは、ボクと一緒にということなのだろうか。彼女は棒立ちのボクの横の席まで歩いてきて、ボクが今さっき引っ込めた椅子を再び引き出した。
「あの、座ってください。私も、座るので」
「あ、はい……ありがとう、ございます」
ぎこちなくお礼を言って、彼女に促されるがまま席に座りなおした。彼女はボクの隣の席に座った。ボクは彼女のことを見られず、とりあえず視界に入った本の背表紙をひたすらに読んでいた。なんとなく彼女の視線がこちらにあることを察してチラッと隣を見ると、目をキョロキョロさせながらもどかしそうにしていた。少し顔を横に向けて彼女の表情を見ていたら彼女も気が付いたようで、恥ずかしそうに顔を伏せた。耳が真っ赤になっているのが分かった。
埒があかないと思い、思い切ってボクから話しかけた。
「あの! ……ボクになにか」
「え、あ、その……よくここに来てますよね、この時間」
「あ、はい。ていうか毎日来てます」
「そ、そうですよね。よく見かけるから……」
「そうなんですか」
よく見かけると彼女は言ったが、ボクには心当たりが全く無かった。もちろん図書室の中で人と会うことなんて無かったし、入る時も出る時もこんな校舎の奥で人を見かけたら印象に残るはずで、ボクは今まで一回も見かけたことなどなかった。よく考えれば彼女の顔を僕は知らなかった。少なくとも同じ学年でないことは確かだった。
「本は読まないんですか」
「あの、変かもしれないけど、こうしてだらっとしているのが気持ちよくて」
「いえ、いいと思います! ここ静かだし、いいですよね」
「あ、はい……」
初対面で、しかもどうやらお互い会話慣れしていない者同士が話すとどうしてもこうなる。何を話せばいいのか、どこまで話せばいいのか、ボクには到底分かりえないことだった。なぜかって人と話す機会が最近あまりに少なかったからだ。しかしボクには大きな疑問が残っていた。
「あの、一つ聞きたいんですけど」
「え、なんですか」
「どうして、ボクと話そうだなんて思ったんですか」
「あ、それはその……図書室に来て本も読まずにどこか一点を見つめてて、何してるのかなぁって」
「え! 」
思わず声を上げた。
「あの、もしかして……今までずっと図書室にいて見てたんですか? その、ボクがこういうことしてるの」
「……あの、はい。見てました」
「ど、どこで! 」
「え、えとえと、どこって言われても…………あ、そうです! 本棚の陰から! 」
「ほ、ほんだな……」
図書室の奥にある幾つもの本棚。確かにその一番奥までははっきりと見渡せられるわけではない。そこに隠れていたとすれば気が付かない……こともあるのだろうか。ボクはこれまでのことを思い返して無性に恥ずかしくなった。頭を抱えて頬を赤らめ、もうここには絶対来ないと胸の中で誓う。恐る恐る彼女の様子を見ると、申し訳なさそうな困った顔をしている。どうにも彼女には人に元気づけさせる何かを持っている。ボクは慌ててフォローした。
「あ、いやいや、それはボクが勝手にしたことで別にキミを責めたりなんかしないよ! 」
「そ、そうですか……あの、これからも続けますよね」
「え、えーっとそれは……」
「もう来ないんですか!? 」
思いきり詰め寄られて言葉が詰まる。なぜに彼女がここまでボクが図書室に来ることが気になるのだろう。人とのコミュニケーションが欠乏し過ぎた今のボクには相手の本心を汲み取ることなどまるで出来なかった。彼女は眉毛を八の字に、目はこちらに訴えかけるように、切なそうな表情でボクの返事を待っている。うっかり抱きしめてしまいそうになるくらい、彼女の表情は愛くるしかった。
「ええと、来ない……なんてことはなくて、来ます。だってもう習慣みたいなもので……」
「よかった! それじゃあこれからもここで会えますね! 」
「え? 」
嬉しそうに体を揺らす彼女の目はキラキラと輝いていた。満面の笑みを浮かべ、彼女は言った。
「私も明日からあなたの隣に来ます! また会いましょう! 」
とんでもないことを約束されてしまった。何か言おうとしたところで休み時間終了をチャイムが図書室に響き渡る。あっという間に過ぎた15分間でボクは、初めて出会った女の子に毎日ここで会おうという約束を取り付けられてしまった。
「もう時間です、早く戻らないと」
「え、ああ、うん……」
彼女が立ち上がり、ボクを教室へ戻るよう促す。ボクは図書室を出ようとドアに手をかけ、彼女を方を振り返った。ボクの座っていた椅子を引っ込めて、ボクに手を振っている。軽くそれに答えて図書室を出、ドアを閉めると同時にふと、彼女は戻らなくていいのだろうかという疑問が頭のどこかで生まれた。キツネにつままれたような、ふわふわした足取りでボクは教室へと向かっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます