/3 紫陽花テキストの場合。
彼は知らない。その感情が何と呼ばれるのかを。
自然と身に付いたルーティン。何千回と繰り返されたモーション。放物線を描くバスケットボールが、乾いた音だけを
――その集中。プレイヤーが一点だけを見つめ、全霊をシュートに
「……まっ。ソレは今回の担当じゃねーし」
【電脳深海】に挑むにあたって必要なモノは三つ。
能力。技術。そして目的。
けれど。だから。彼は、否。彼ら二人は間違えていた。
「はー! ニンゲンってのはやっぱ難しいよな、
まだ紫陽花テキストの所属が、ミリオンダラーの【五番】の椅子に在った頃。ルナの六月と七月は【電脳深海】に挑むための装備を整えていた。
――アバターに搭載するツールを、かつて《妖精》に敗北を喫した時と同じに設定しながら思う。
「……挑むことが目的じゃ、ダメだったんだ。その先を明確に求めることこそが、情報圧に屈しないための最後のピースだった」
そう。生きることだけでは、生物は進化を行えないように。
何に対処するのか。生きる為に何を糧とするのか。目的無しに取捨選択はあり得ない。
本来は見出せたりなどしないモノ。深海に挑む理由に足る目的の提示。どこまで潜ったか、などという
レインコートを着込み、さらに傘を差したアバターが、降りしきる0と1の雨だけの仮想空間の中で、フードに隠れ、意図的――或いは本能的――に設定されなかった虚無の頭部で笑った。
『トイレとメシ済ませて来るっすわ。これ、リアルの辛いトコね』
《デリカシー! ボトルで済ませろよ魔術師》
《逆に訊くけど妖精サン、アンタできるの?》
《セクハラだぞそれー!》
などという日常的なやり取りを済ませ、一旦彼は現実へと帰還した。
――かつて暮らしたビルとは比べ物にならない3LDK。自室を出てトイレへ。用を足して、冷蔵庫を漁りにリビングに入ると先客がいた。
「ありゃディッセンさん。夜更かしっすか」
「おやテキスト。夜食ですか」
自室ではなく共同スペースのソファに座り、小説を読んでいたディッセン=アルマトールは何を思ったのか立ち上がる。
「ちょっと重めのクエ入っちゃったんで栄養補給っすね。ディッセンさんは?」
「私は……なんとなく、かな。珈琲でも淹れましょうか」
「カフェインによる利尿作用! あっでも頂きます。そいやディッセンさん」
「はい?」
まるでこうなることを予見していたかのように、既に温まった湯が入ったコーヒーケトルを持ち上げるディッセンに、冷蔵庫からエナジードリンクやらゼリー飲料やらを取り出しながら問う。
「そんな風に美味いコーヒー淹れられるってのに、なーんで
「テキスト」
「うっす」
「……あの業務内容にあって、ゆったりと一杯を注ぐような余裕、あったと思いますか?」
熱湯を注がれ、ドリッパーの中で膨らむコーヒー粉を見つめたまま、ディッセンは神妙な声色で答えた。
「ですよねー! 簡略化できる全てを簡略化したいっすよねー!」
「そういうことです。我々は多大な犠牲を払って、珈琲をドリップできる程度の安らぎというものを手に入れられたのです」
「……ディッセンさん。ホントはルナのメンバー嫌いだったんすか?」
「はは、まさか。彼らのことは今でも大事に想っていますとも」
そうした会話をしているうちに出来上がったコーヒーを、二人分の安物マグカップに注いでテーブルへ。先に座っていたテキストの対面の椅子に座ったディッセンは、何も言わずにまず一口。
「……実を言うと、嘘をつきました」
「マジでルナを軽視していたとかいう衝撃のカミングアウト」
「や、そうではなく。『なんとなく』と言いましたが、貴方を待っていたんですよ、テキスト」
「おん? メイちんとノーヴェっちには聞かれたくない内緒話ですか?」
「それほど重要なものでもないですね。ただ、こうして貴方とゆっくり珈琲を飲むという時間を、あまり得ていなかったなあ、と思いました」
「ルナだとブラック派あんまりいなかったっすよねそういや」
「ええ。今となっても
「ほーん? ……あのですね、ディッセンさん」
「はい?」
「自分のじゃなくてオレの死亡フラグ立てるのやめてくれねえ!? ……こほん。ご馳走様でした。やっぱ本格ドリップは違うっすわー。また淹れてくださいよ」
「……テキスト」
「はい?」
「死亡フラグ乙」
「ですよねー!」
「冗談はさておき、死なない程度に収めてくださいね」
「うっす。ま、今回のPTならデスペナ無しでイケるっしょ。報酬ぜんぜん無さそうなあたり笑えますけど」
そう言って紫陽花テキストはリビングから自室へ戻った。
空になったマグカップを見つめ、ディッセン=アルマトールはそっと呟く。
「……本当に、頼みますよテキスト。一人分淹れるのは、意外と難しいんですからね」
「だからそういうのを止めろって言ってンですけどォ!?」
軽率に自身の死を匂わせる家族にツッコミを入れるためだけにUターンを決める紫陽花テキストだった。
強盗童話/Ⅱ 冬春夏秋(とはるなつき) @natsukitoharu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。強盗童話/Ⅱの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます