第5話 

「兄貴! 何だよその格好は!」


 玄関口に立っていたのは、紛れもなく、俺の兄であるツトムだった。


「は、はじめ!? ど、どうしてここに!?」


「母さんから、兄貴と連絡が取れないって言われて、兄貴のアパートに行ったんだ。そこにこのキュウリの袋が落ちていて、それで......。っうか、何だよその格好! 河童のコスプレってか!?」


 全身緑色のタイツに、頭には百均で売っているような紙製の皿を乗せ、まるで会社の忘年会に着ていくような完成度の低いコスプレを見せられた俺は、恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。


「これは......」


 兄貴は下を向き、言葉を詰まらせる。

 弟にこのような醜態を晒したのだ。

 当然と言えば、当然の反応。


「良いから脱げよ! そんなタイツ! みっともない!」


 俺は、兄貴のタイツを脱がそうと兄貴の袖の部分を掴んだ。

 伸び縮みする素材であるタイツは脱がすのに時間が掛かる。

 兄貴には少し申し訳ないが、脱がすというよりもビリビリに引き裂いてしまった方が早い。

 俺は、兄貴のタイツを強引に引っ張った。


「いてぇ! やめろ!」


「畜生! どうして裂けないんだよ!?」


 本来、タイツに使われるような素材は捻じれなどの動作を加えたりすると簡単に引き裂く事が出来る。

 爪を立て、横や縦に引っ張ればびりびりと音を立てて裂けるはずなのだが、兄貴のタイツは一向に切れなかった。


「一君! 無駄だ! このタイツは一生、脱ぐことが出来ないんだ!」


「はぁ!? 何を言っているんだ!?」


 ムキになった俺を、止めるべく、下妻楓が俺を後ろから羽交い締めにし、兄貴から引きはがす。

 一生脱ぐことが出来ない?

 今、下妻楓はそう言ったのか?


「彼______君のお兄さんは河童になりつつある! もう、人間には戻れないんだよ!」


「だから! 何を言っているんだ!!!」


 下妻楓の頭がおかしい事は重々感じていた。

 しかし、大の大人がこうも人前で非現実的な事を言うと、恥ずかしさを通り越し、イライラしてしまう自分がいた。


「言っても分からないのか!? これだよ! この手を見ろ!」


 手?

 兄貴の手を見ると、人間には存在しないはずのある部位が存在した。


「み、水搔き? いや、でも、人間にはそんな部位があるはずが______」


 その時、下妻が言った事が理解出来、同時に「そんな事があるのか?」と急に寒気を感じた。

 本当に、兄貴は河童なんだろうか? と。


「下妻いい! これは俺の問題だ! 部外者であるお前が首を突っ込むな!」


 兄貴の攻撃的な目。

 そういえば、兄貴と面と向かって顔を合わせたのはいつぶりだっただろうか。



 ◇ ◇ ◇



 それから、下妻の家のリビングで兄貴は現在の状況と至った経緯を語り始めた。


「結局、俺は、漫画家として大成は出来なかった。描いている絵のタッチが劇画調だから今風にしてくれって言われるのも嫌で嫌で仕方がなかった。で、ネットで見付けた個人が主催している漫画賞に応募したら、それが評価されてよ。俺は嬉しくてさ」


「ちょっと、待て。その流れでどうやったら河童になった事に繋がるんだ?」


「今、言おうとしてたんだけど......」


「あ、そう......。ごめん。急かしすぎた」


「まぁ、いい。で、その漫画賞を主催していた人物が人間じゃないくて、河童だったってオチだ」


 いや、オチが急だな。

 ってか、それがオチじゃないくて、始まりだろ。

 絵のタッチがどうの。とか言ってるけど、兄貴が評価されなかったのは構成にも問題があったからじゃないか?


「で、何で兄貴が河童になったんだ? そこが重要だろ」


 兄貴に再度、要点をかいつまんで説明してもらおうと質問をすると、後ろから下妻楓が答えた。


「君のお兄さんは、河童の国に行った。そして、自身も河童になりたいと思ってしまったんだ」


「思ってしまった? そう思うだけで河童になっちまうのか?」


「あぁ。彼らは本来、こちら側の世界とは干渉しない存在なんだ。それに憧れるという事は彼等という存在を認める事になってしまう。君のお兄さんは、踏み入ってはいけない世界に関わってしまったという事だ」


「......随分詳しいんだな。お前、本当にキュウリ農家なのか?」


「あぁ。僕はただのキュウリ農家だ。ただ、そちら側の世界に少しだけ見識があるだけさ」


 下妻楓から出る言葉は気持ちが悪いものだった。

 話の内容が厨二くさいとか、話し方が気持ち悪いとかそういう類の感想ではない。

 ただ、なんとなく、気持ちが悪かった。


「元に戻す事は出来ないのか?」


「出来るよ。ただ、元に戻るという事に君のお兄さんは不満みたいだけどね」


 兄貴をチラリと見るが、まるで、親に怒られた後の悪ガキのような不貞腐れた表情を浮かべながらソッポを向いていた。


「まぁ、河童になったとしても急激に姿形が変わる訳でもない。河童という種族はそれほど悪い事をする訳でもないから心配する事はない」


「他人事だからって適当に物を言うんだな」


「まぁ、他人事だからね」


 ガタイが良いオッサンが言っていたように、下妻楓は変わり者だ。

 そして、性格が悪い。

 どうやら、俺とは馬が合わなそうだ。


「はぁ......。母さんに何て説明すればいいんだよ」


「そうだね。『キュウリ農家になりたいとキュウリ農家の家に修行に行っている』と言えばいいんじゃないかな?」


 まぁ、理由はともかく、本当の事を説明しても逆にそれで混乱させてしまうだろう。


「そう言うしかないか......。兄貴もそれでいいか?」


 兄貴は首を縦に大きく三度振った。


 まぁ、急に仲が良くない身内が説得しても、兄貴が人間に戻る事を承諾する事はない。

 これは長期戦になりそうだ。


「話が纏まったようだね。よし! 今日は二人とも僕の家で夕飯を食べて行きなよ」


「いいのか?」


「うん。今日は良いキュウリが取れたからね。ふんぱつするよ」


 またキュウリか......。


 人は生きている内に二度三度、理解が出来ない事が起きるというが今回はその一回目なのだろう。

 兄貴が河童になった。

 誰も信じてはくれない話だ。

 本当に、本当にバカらしい話だ。

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漫画を描いてたらカッパに脅された おっぱな @ottupana

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