海辺の赤い屋根
リュウ
第1話 海辺の赤い屋根
桜庭隼人は、早朝の浜辺を歩いていた。
この時期の朝の浜辺は、空気がピリッとして気持ちが良い。
彼は、デザイン会社を早期退職をして、この浜辺にハンドメイドのアクセサリー店を構えていた。
彼は、この町で育ったが、実家は、もっと町の中心にあった。
この町には、高校を卒業するまで住んでいて、よくこの浜辺に遊びに来ていた。
高校卒業後は、この町を離れ、そのまま都会に住み着いた。
都会の早すぎる生活リズムは、この町や思い出を記憶から消し去り、流されるように年月を重ねた。
彼は、気が付いた時には、独り身のまま壮年を迎えていた。
老後は、海の見えるところで、誰にも気を使わずに、ゆっくりと自分の好きな事をして過ごすのが夢だった。
彼は、しばらく、浜辺を歩いて日の出を待った。
地平線が明るくなってきて、太陽が顔をチョコンと出す。
太陽が昇ってくる。
日の出は、意外と早いものだ。
回っているのは、地球の方だと考えると変な気持ちになる。
太陽が完全に海から上がるのを見守ると、彼は、また浜辺をぶらついた。
浜辺には、色々なものが打ち揚げられる。
貝殻、流木、浮き球、瓶とか、とにかく色々なモノが打ち揚げられる。
遠い海の向こうから、時を超えて、流されてここへやってくる。
何か宝物があるような気がして。
そう、宝物探し。
何かあるかもしれないという気持ちが楽しかった。
彼は、浜辺に打ち揚げられたモノで、アクセサリーを作っていた。
遥か彼方に白いカーデガンを着た女性が、ラブラドールレトリバーを散歩させているのが見えた。彼の方に向かってくる。
犬は海が好きらしく走っては止まり、匂いを嗅ぎ、また走ってを繰り返していた。
彼は、しゃがんでガラス石を手に取ると、袋に入れた。
ガラス石。
本当はなんていうかわからないけど、彼は勝手にそう呼んでいた。
ガラスのかけらが波に洗われ細かな石ころのような大きさになり、砂で曇りガラスのような優しい石になる。
気が付くと犬が彼のすぐ近くまで来ていて、彼の匂いを嗅ごうと近づいてきた。
「すみません」声が聞こえる。犬の首輪を持ち、彼から犬を引き離した。
それは、二十代後半の女性だった。
私は、その女性を見て言葉を失い見とれていた。
何て可愛らしく笑うのだろう。
彼女の身体の周り二三センチ位の空気の揺らぎが見えた。
オーラと呼ばれているモノなのだろうか。
それは、彼女の旺盛な生命力を象徴しているようだった。
彼は、自分の無くしたモノを見せつけられたようで、眩しすぎた。
「……大丈夫」と、言うのが精いっぱいだった。
恥ずかしいというか、照れ臭いというか、彼は、こういうのが苦手だった。
「何をしてるんですか?」
「ビーチコーミングです」ほらっと、桜庭は、手に持った袋を広げて見せた。
袋の中はには、ガラス石や貝殻が入っている。
「綺麗ですね」
「これで、アクセサリーとか作るんですよ」
彼は、袋の中から、緑色のガラス石を取り出し、左手の中指に当て、彼女に見せた。
「いいなぁ、もっと見てみたい」彼女は、目を輝かせていた。
「じゃ、帰りにでも寄っていって、僕のお店はあそこです」
海辺の小高い丘の赤い屋根のカントリー風の家を指さした。
彼女は、彼の指先を追って視線を移し、家を見つけた。
白い窓枠が印象的な家だった。
「あっ、あの家……あなたの家?」彼女は、目を丸くして言った。
彼は、ちょっと自慢気に頷いた。
「散歩が終わったら、お茶でもどうですか?待ってますよ」
いつの間にか誘っていた。
「それでは、後で……」
彼女は、微笑むと軽く会釈し、犬と一緒に通りすぎていった。
彼はしばらく彼女を見送っていた。
桜庭は、家に戻った。
二年前に、建てたばかりだった。
決して立派ではないが、とても気に入っていた。
彼は、ウッドデッキの洗い場に、浜辺で拾ったものを真水につけ、軽くブラシ掛けをし、汚れを取って、白い布の上に並べて乾かした。
彼は、お気に入りの椅子に座り、しばらく海に目を移した。
規則正しく繰り返される波の音が心地よい。
彼は、浜辺に腰かけて、絶え間なく繰り返す波を眺めていた。
彼の横に、女性が座っていた。
この女性は誰だ?
『サキ』。そう、『立花 咲』だ。中学校の時の彼女だ。
彼が、中学校入学時から気になっていた娘だった。
肌が白く細身の身体に似合わず、とても明るい娘で、笑顔が素敵な子だった。
彼は、好きになってしまった。
彼は、勇気を振り絞って、ラブレターを渡した。ラブレターと言ってもメモ書きみたいなものだった。
二人は、高校を卒業するまで、付き合っていた。
「どうしても、この町を離れるの?」
「ああ、咲は、どうするの?」
「隼人がいないなら、私もどこか行こうかな」
お互いに二人の未来を考えていた。
「これやるよ」
彼は、ポイっと、咲に渡した。
それは、ガラス石で出来たイルカのペンダントだった。
「何これ、キレイ。作ったの?」
「ガラス石、イルカに似てたから作ってみたんだ」
「よく出来てるわ」
「穴あけが、大変だったんだ。僕の作品1号さ」
「ありがと」
咲は、ペンダントを目の高さまで上げて、太陽に空かして見ていた。
嬉しそうな笑顔が、たまらなく可愛かった。
「変な話していい?」
「うん」
「年を取ってお婆さんになった時の話なんだけど」
「お婆さん……」
「もし、私が、一人だったら結婚してくれる?」
「いいよ。待ってるよ」
「そうねぇ。ここに、赤い屋根の家を建てて」
「俺が、家を建てるの?」彼は、思わず確認した。
「お店、やって。こんなのいっぱい作ってさ」
咲は、ペンダントを見詰めた。
「そう、私、家を目印にして行くわ。私と一緒なら、きっと幸せよ」
「何だよ、その根拠のない自信は?」
「私だから、幸せになれるのぉ」
彼女は、本当に幸せそうに笑った。
その時、犬の吠える声が遠くから聞こえてきて、目が覚めた。居眠りしていたようだ。
彼は、まるで好きな娘と会う中学生のように、慌てて顔を鏡でチェックし、家の前で彼女を待った。
彼は、彼女を見たから、こんな夢を見たようだ。
何年もいや、何十年も前のことだ。
咲は、どうしているだろうか?
元気だろうか?
君の笑顔は、あの時のままだろうか?
あれから、何十年も時が経ったのだから、咲の身の上に色々なことが起こっただろう。
そんな時、支えてくれる、いい人に巡り合っただろうか?
彼女が、家の前に来ていた。
「そこに、繋いで」と、家の前の柵を指さした。
彼女が、リードを繋ぎ終えた時、彼が、犬のために水を持ってきた。
「あ、ありがとうございます」彼女は、お礼を言うと、家を見渡した。
「先程は、どうも。やっぱり、素敵な家ですね」
「こちらへ」彼は、ウッドデッキに案内した。
ウッドデッキのテーブルには、今朝、浜辺で拾ったモノが並べられていた。
「綺麗ですね」
「これを作品にします」といい、店の中に案内した。
店の中には、貝殻と砂が入った青い小瓶。
ガラス石の連ねたチョーカー。
ガラス石のランプシェード。
貝殻を削ったカモメ形のブローチ。
モビールやリースが、所せましと並べられたいた。
奥には、硝子で仕切られた工房があった。
彼女は、少女のように目を輝かせて、作品を見ていた。
彼もその様子を見て、うれしかった。
「飲み物は、何がいい?紅茶?コーヒー?」
「……紅茶で、お願いします」
彼は紅茶を用意し、窓の傍のテーブルに置いた。
「こちらで、どうぞ」
二人は、テーブルに着いた。
「素敵なモノばかりで、目移りしてしまいます」
「それは、よかった」
「私も一つだけ、海のアクセサリーを持っているんです」
と言って、ガラス石のイルカの形をしたペンダントを取り出した。
彼は、ペンダントに見覚えがあった。
それは、ある女性にプレゼントしたモノだった。
『咲』だ。
「どうして、これを?」彼は、彼女に問いかけた。
「これは、私の母がある人から頂いたモノです」
「母?」
「まだ、名前を言ってなかったですね」
「『立花美咲』と言います」
「私は……」
「桜庭隼人さんですね」美咲が、割り込んだ。
「そうです。あなたのお母さんって、咲さん?」美咲は深く頷いた。
「お母さんが、このペンダントを見せなさいって」
そして、バックから手紙を取り出した。
驚いている彼を見ながら、美咲がいった。
「これを渡すようにと、頼まれました」
それは、手紙だった。
隼人さんへ。
お久しぶりです。お元気でしょうか?
私は、元気で暮らしています。
娘を授かり、幸せに暮らしています。
何年か前に、この浜辺を訪れた時、貴方との約束を思い出したのです。
私が、お婆ちゃんになった頃、この海辺の赤い屋根の家を尋ねるって約束。
まさかとは、思うけど、あなたは、この浜辺に居るの?
赤い屋根の家を建てた?
私は、日本を離れていて、しばらく帰ることができません。
赤い屋根の家に、行けません。
ごめんなさい。
「咲さんは、今、何処に?」
「母は、日本に居ないんです。」
「そうですか」
彼は、手紙の文字から目を離すことが出来なかった。
「約束の話は、母から訊いています。貴方が好きだったことも」
「咲さんは、幸せだったのですか?」
「私が子供だったので、幸せでした」と美咲は、いたずらっぽく笑った。
笑顔と自信のある言葉は、咲に似ていた。
「それは……それは、良かったです」
彼は、顔を上げ美咲を見詰めた。
「貴方は、お母さんにそっくりです」
彼は、美咲にお母さんと付き合っていた頃の話をした。
近くに来た時は、お店に寄る様にと別れた。
「お母さん、桜庭さん、浜辺に居たわよ。
とても、素敵な方ね。綺麗に歳を取っていたわ。
お母さん、娘を生んでよかったでしょ。
初恋の人に手紙を渡すなんて、誰にも頼めないものね。
愛されていたのね。
お母さん、ちょっと、うらやましいわ」
美咲は、母の墓に来ていた。
母は、五年前に亡くなっていた。
亡くなる前、母は、二つの願いがあると言った。
一つは、桜庭さんに手紙を届ける事。
後、一つは、この場所に墓を作ってほしいということだった。
美咲は、しゃがんで墓に線香をあげ、両手をあわせた。
「お母さん、またね」
と、立ち上がると、太陽で輝いた青い海が見えた。
そして、あの赤い屋根の家も。
「お母さんたら……」
美咲は、笑った。
海辺の赤い屋根 リュウ @ryu_labo
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