第3話:『15の悪魔』と初恋の価値
「感慨無量だな」
呆然としている八人をしり目に、アクマはニヤニヤしながら多目的室を歩き回っている。
「やはりこの世ならざるものとの掛け合いは楽しい。不用意に問えぬことがもどかしくて仕方ないがな。奴は一体いつ頃からメートル法を採用したのだろうな。興味が尽きん」
「はい! はい! はい! はい!」
チナミが興奮しきった様子で手を挙げた。
「はいは一回だぞ芦原」
「すんごいいろいろ質問したいんだけど」
「順序を守れ。俺に質問するべきはまず、当事者であるミオだろう」
アクマは隅に寄せていた椅子を引っ張りだし、優雅に脚を組んで座った。
「じゃあ……聞くけど」ミオは混乱した頭を必死で落ち着かせながら、言葉を絞り出した。
「私から身長を奪ったのがこの九人の中にいるって、悪魔が言ってたけど。本当?」
「ああ。間違いない」とアクマは答える。「悪魔から情報を仕入れるコツは、個を特定するような問い方をしないことだ。奴らが対価を求めるのはいわゆるアグリッパのトリレンマにおける『断言』だからな」
「意味分かんないけど、とにかく間違いないってことでいいの?」
「ああ」
「だ、誰なの! この中に犯人がいるのね!」
ミオはゆっくりと隅の方に後ずさりながら、他の八人の顔を見回した。
「ってかアクマくんでしょ」「意表をついてチナミ先輩とか」「さっきから逃げたそうにしてるボール拾いくんちゃうんか、幼馴染なんやっけ? ありがちやん、幼馴染が犯人」「僕は違いますよ!」「あの、床掃除してええの?」「いえいえ安原さん、佐伯にやらせますからおかまいなく」
「犯人はお前だ」
アクマはすっと右手を持ち上げ、人差し指をある人物へと向けた。
「……え?」
人差し指の先にいたのは、
「お前自身だ、小島ミオ」
他の八人から距離を取った、ミオ本人だった。
「私……? うそ、そんなわけない! だって私が悪魔と契約なんてできるわけないし、やった記憶もないし……。そんなのありえるわけないよ!」
取り乱すミオに、
「だが事実だ」とアクマは冷静に答える。
「『15の悪魔』は名を明かす対価に一五センチを求めただろう。そしてお前が奪われた身長は三センチ。つまり五倍ということになる。これは『五倍の違約』に相違ない」
「何よその、五倍の違約って」
「平たく言えばキャンセル料だ。悪魔との契約を取り消す場合には、契約時の五倍の違約料が発生する。どの悪魔が決めたというわけでもない、なんとなくの人間と悪魔との相場感覚だな。かつてルシファーと個人契約を結んだ『暁の魔女』がその額で払っていたのが基準らしいが……。興味があるならデートのついでに悪魔歴史学の講義でもしてやろう」
「そんなの興味ない! それに、言ってることおかしいよ。この中の誰が契約者だとしても、私じゃなくても一五センチは一五センチでしょう? そいつは私から三センチちょろまかしてるんだから。キャンセル料だけで私と断定できる根拠はないよ!」
「――0×5はいくらだ?」
「え?」
「0×5いくらだと聞いているんだ」
「ぜ、ゼロだけど」
「それが答えだ」とアクマは告げた。「自分で対価を払っていないずるをした契約者は、そもそも違約できないのさ。だからもし、九人の中にずるをした契約者がいたとしたら、『15の悪魔』はこう答えたはずなんだ。――いくらもらっても教えられない、とな。この中で一五センチでの違約が成立するのは、実際に三センチ払った小島ミオ。お前ただ一人なんだ」
「……そ、んな。だったら私はなんで、そのことを覚えてないの?」
「お前が忘れたかったからだろう」とアクマは言い、哀れみの目をミオに向けた。「よくある話だ。辛い思い出を完全に忘れ去りたい人間が悪魔と契約したとき、その悪魔契約そのものの記憶も含めて忘れたいと悪魔に願う。思慮深い人間ほどそうするものさ。そうしなければ、私は悪魔に何を忘れさせられたんだろうと終生悩むことになるからな」
「し、んじないからね。信じないから。私は何も忘れてなんてないし」
「本当にそうか? なら、他の七人に尋ねてみようか。心当たりのある奴は答えてやれ。ミオはそうまでして何を忘れたかったんだ?」
「……」
七人は互いに顔を見合わせる。
「芦原チナミ、友人なら知ってるはずだな」「いやその、ミオがそうまでして忘れたかったんなら、言えないかな」
「田中ヤツハ、お前はどうだ」「チナミ先輩が黙ってるなら私が言えるわけもないっす」
「戸田アゲハ、貴様はさっきミオのことを元風紀委員と言ったな?」「そうね。小島さん、今年は立候補しなかったみたいだから。名簿に名前ないし」
「ミオ、何故風紀委員にならなかった」「え、だって、べつに、特にやる理由もなかったから」
「なら何故去年まで風紀委員を務めていた?」「えっとそれは……あれ、思い出せない」
「ならばそこに理由があるな。教師桜井、顧問として心当たりはないのか」「ない。あっても教えん」
「安原、風紀委員のアドバイザーだったな。ミオについて覚えていることはあるか」「んー、一番やる気のある子じゃったな。委員長の柏原くんからの信頼も厚いようじゃったよ」
「柏原……。新しい名前が出てきたな。風紀委員長の柏原――。覚えがあるぞ。たしかテニス部の部長も務めていたな。俺の髪の色がどうだのと、小うるさい嫌な奴だった。おい、テニス部のボール拾い、何か心当たりはないのか」
「――あります」
真白タカマルは、降参するように両手を上げた。「ごめんね、ミオ姉ちゃん。まじでボール拾い行かないと殺されるから白状するけど、いい?」
「いいわ。気になるから」とミオは頷く。
「ミオ姉ちゃんは、去年卒業した柏原先輩のこと、ずっと好きだったんだよ。ミオ姉ちゃんって、けっこう開けっ広げに親になんでも相談するだろ。だから、ママ友の間でもその話は広まってたんだ。僕もママから聞いてそれを知ってた。――覚えてる? 柏原先輩のこと」
「――覚えて、ない」
ミオは膝から崩れ落ち、ぺたりと地面に座り込んだ。
「顔も思い出せない。ねぇ、ほんとにその柏原って人、去年の風紀委員長だったの?」
「そうよ……」アゲハが辛そうに唇を噛んだ。「ほんとに、忘れちゃったんだね……」
「答えは出たな」とアクマは言った。
「ミオ、お前はおそらく柏原に告白し、初恋を散らせたのだろう。そしてその辛い思い出を忘れるために、なんらかの方法で『15の悪魔』を召喚し、三センチの身長と引き換えに契約を成したのだ」
「……覚えて、ない」
袖で涙をぬぐって静かに嗚咽をこらえるミオに、
「ほんとに覚えてないの!」とチナミは瞳をうるませ投げかけた。「あんなに好きだったのに。――卒業式で告白するって――でも、柏原先輩の第二ボタンはもう……もう……」
「あ、思い出した。卒業式のビッグカップル成立や」と、傍観していた佐々木シンゴが突然声を上げた。「元生徒会長篠井雪子が元テニス部部長の柏原に告白して見事成立! みんながほっこりしたええ話やったやんけ」
「え? え?」ミオは動揺して唇を震わせる。「え? 篠井会長って、アクマくんが堕としたとかなんとか、チナミ言ってなかった?」
「俺と篠井は知己だが、あいつの恋愛相談に乗ってやっていただけだぞ」とアクマは首を傾げた。「――ん、ああそうか、思い出した。篠井が好きだったのはたしかに柏原だったな。ははは、すまんなミオ。俺がブードゥー系の秘術を使って成就させてやったのをすっかり忘れていた。篠井と柏原は今も好き好き好き同士だ」
「だから覚えてないんだってば!」
ミオは涙声で叫んだ。
「覚えてない! なんにも! 好きだったことも! 誰よ柏原先輩って! 知らない! そんな人、私の人生の辞書には載ってない!」
「自分で消したからだろうが」とアクマは残酷に断言した。
「知らない……知らない……」
ミオはとうとう泣き崩れてしまった。
「哀れな娘や」とシンゴが小さくため息をついた。「三センチの身長だけやのうて、初恋の思い出まで失ってしもたんか」
「言い過ぎっすよ。ってかなんであんたがまとめるっすか」とヤツハがシンゴのわき腹をつついたが、時すでに遅く、ミオはますます小さくなって床に突っ伏してしまった。
「そうしょげるな」
アクマは素早くミオの元へと歩み寄り、その肩に手を置いた。
「別れがあれば出会いもある。まずは俺との契約を果たせ。コンビニデートでプリンを奢れ。――卒業式の失恋から、たった一カ月足らずで悪魔を召喚した手段と才能に興味がある。お前は初恋を失ったのではない。初恋をやり直す権利を、三センチで悪魔から買ったのだと考えろ」
「……」
「それとも、さらに一五センチを失って、過去の男に拘るか?」
ミオは涙を拭いながらゆっくりと顔を上げる。
そこには、まるで『15の悪魔』のようにぎらぎらと光るアクマの瞳があった。
その瞳を見て、ミオは自分への深い執着を感じると共に、頭の奥で閃いた。
――失恋から一カ月足らずで悪魔を召喚できた理由? 決まっている。目の前のこの悪魔使いが手を引いたんだ。古式の方法でしか『15の悪魔』を召喚できないなんてきっと嘘だ。他の男が好きだった私の記憶を完膚なきまでに奪い去って、そのこと自体も忘れさせて、今も空とぼけているんだ。
「この、アクマ……。私の心を――つけ狙ってるのね」
「何のことだ?」
「とぼけても無駄だから。あんたに奪われたもの、絶対、全部、五倍にして、取り戻してやるから」
「なんて女だ。俺から一五センチも奪う気か」
ミオは、楽しげに笑うアクマの姿に、
「絶対、ぜぇったい許さないんだから!」
不思議と何処か憎めないものを感じて、ミオは慌てて言いつくろった。
『15の悪魔』と初恋の価値 のらきじ @torakijiA
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