第2話:『15の悪魔』と犯人捜し

「ここに男と女と女がいる。残り男四人と女二人を集めろ。集めることができたら『15の悪魔』を召喚してやる。悪魔自身に尋ねるのが手っ取り早い」

 アクマは多目的室の机を次々と端に寄せていきながらそう言った。

「そういうものなの?」

「ああ。悪魔というのは”権能”だからな。『15の悪魔』と呼ばれる存在がいちいち呼ばれるたびに受肉して個体化しているわけではない。呼び出した悪魔が過去の契約者について知らないなんてことはない」

「ふぅん……」

「ただし、悪魔に質問をするのにも相応の対価が必要だ。もちろんそれはお前が払え」

「対価って、どのくらい?」

「それは悪魔に聞け。今の人間の身長相場が幾らかなんて俺は知らん。メートル法なのかヤードポンドなのか、古のままのキュビットディジットなのかもまったく分からん」

「身長相場って……。そういうものかな」

「そういうものだ。さあ急げ。放課後は有限だぞ」


 急かされるままに学校中を探し回って、三十分後。

「見つけてきたよ」

 ミオとチナミが連れてきたのは、

「何の集まりっすか」

 チナミの手芸部の後輩である田中ヤツハと、

「うわ、アクマがいる」

 ミオの風紀委員を通じての知り合いである戸田アゲハ。

「んでわしゃ何処掃除したらええの?」

 用務員の安原シロウ。

「佐伯アクマぁ! 髪を黒染めしてこんかい!」

 体育教師の”マッチョ”桜井ハヤト。

「あの、僕、ボール拾いしないとまずいんすけど……」

 通りがかりにさらってきたテニス部補欠の真白タカマルと、

「勘弁してや、次の局でまくらんと今日負け上がってまうやん」

 屋上で毎週金曜日に開催される”アプリ麻雀大会”の抜け番佐々木シンゴだった。


「ご苦労。にしても、おもしろみのないメンツだな。もっと悪魔じみたのはいなかったのか」

「いちおう、ミオとちょっとでも関係のあるメンツを揃えたんだよ」とチナミは答えた。

「ヤっちゃんは私の後輩でミオも交えてよくカラオケ行くし、戸田さんは風紀委員でミオとつるんでたの。安原さんは風紀委員と美化委員でやってた校内清掃計画のアドバイザーで、桜井先生は風紀委員の顧問。真白くんはミオと幼馴染で、小学校の頃は集団登校してた仲。で、佐々木くんは私らのクラスメイト。ひょっとしたらこの中に犯人が――『15の悪魔』との契約者がいるかもしれないでしょ」

「なるほどな。おもしろみのない風紀委員の知り合いにおもしろいメンツはいないか」とアクマは頷く。

「悪かったわね」とミオは腕を組んだ。

「無理言って来てもらってるんだから、さっさと始めましょう」

「そうだな。魔法陣はもう完成している」

 アクマが多目的室の床を指さす。机を寄せてできたスペースに、”3×3”の正方形の魔法陣がチョークで書き記されていた。

「うわ、掃除せな」と用務員の安原が言う。

「後にしろ。何処でもいいから適当な数字のマスに入れ。召喚するだけで契約するわけではないから、適当に頭数だけ合えばそれでいい」

「何を訳の分からんことを」と”マッチョ”桜井が言う。「おい芦原。お前が佐伯と話するから立ち会ってくれというから来たんだぞ」

「まあまあ桜井センセ。これ、割とミオの人生がかかってる大事な儀式なんです。身長が三センチ変わるかどうかで女性の着られる服のバリエーションって切実に変わるんです。ご理解ください。多様な社会、ダイバーシティ、女性活躍推進法」

 チナミがにゃごにゃごと適当な呪文を唱えると、「お、おう」と桜井はおとなしくなった。

「あの、その儀式って時間かかるんですか」とテニス部補欠の真白が言う。「まじでボール拾い戻らないとやばいんです」

「五分もかからん」とアクマは答える。

「汎用の悪魔言語を三通り試すだけだ。召喚呪文は短いし、お前らにしてもらうのも単純動作の繰り返しだ」

「単純動作?」

「スクワットだ」とアクマは事もなげに言った。「スパルタ式だからな」

「スクワットって、五分もスクワットするんすか?」とヤツハは天を仰いだ。「自信ないっす」

「ミオ、説得は自分でやれ」とアクマはミオに視線を向けた。「俺は『15の悪魔』の召喚に関しては古式の方法しか知らん。この薄情な女は除いて、自分のために五分スクワットしてくれる人間を集め直して来るのもいい」

「薄情って、いやいや私運動はほんと苦手で……」

「みなさん」

 ミオは一歩前に進み出ると、注目を集めるように数秒だけ目を閉じて溜めを作り、それからキッと見開いた。

「帰りにアイスおごります。三百円まで」

「やるっすー」とヤツハが手のひらを返した。

「ミオ……。元風紀委員のあなたが買い食いを提案するなんて」と風紀委員の戸田が眉をひそめる。

「戸田さん。ミオにはそこまでの”覚悟”があるということです」

 すかさずチナミが煽りを入れた。

「”恥”をしのんでのお願いなんです」

「……いいわ、分かった」「わし抹茶がいい」「早くしないとボール拾いがぁ」「南場終わってまう。はよして」「佐々木お前、南場って麻雀のことか。何処でやっとるんだこら」「あ、いえいえセンセ。それよりはよスクワットしましょ。えーっと、数字の枠の中に入ったらええんやな」


 ミオまで含めた全員が魔法陣の中に収まると、最後にアクマが中央の”5”の枠の中に入った。


「では、今から召喚の儀を始める。お前らは思い思いにスクワットをするように。隣とペースを合わせる必要はない。ただ、サボるな。何度も言うがスパルタ式だ。サボるか枠からはみ出たら召喚は失敗する。では、よーい始め!」


 スクワットを十回もすると、ミオの左右の細いふとももはミシミシと悲鳴を上げ始めた。――最大五分の、スクワット。悪魔を呼び出すのは簡単じゃないなと心がくじけそうになったそのとき、


「――シュー、ゥイクシュー」

 すぐ後ろの”5”の枠から、喉の奥で唸るような不気味な声が聞こえてきた。

 これがアクマの言う”汎用の悪魔言語”とやらなのだろうか。薄気味悪いと思いながらも必死で脚を動かすうちに、徐々に、不思議と、体が楽になってくるのをミオは感じた。

 太ももの両側に心地よい熱を感じる。どんどんペースが上がってくる。苦しかった筋肉の叫びが、どんどんとむずがゆさに、そして快感に変わっていく。

 両隣のチナミとヤツハも同じように感じているらしく、互いをこっそり見合わせながら、お互いのスクワットの余りの速さに驚いている様子だった。叫び出したくなるような勇壮なやる気が胸の奥から湧き起こってくる。このまま鍛えに鍛え続けて、いずれはアテネを倒し、エーゲ海の覇権を握るのだ。友よ! 同志よ! 我々は衆愚に負けてはならん。やらせはしない。スパルタこそが永遠であるべきなのだ。

「テールモッピュラーイ!」と誰かが掛け声を上げる。「テールモッピュラーイ!!」とアクマを除く全員がそれに唱和する。駆けろ、駆けろ、マラトンの野を! 帆を張ればそこには美しい海が広がっている。このままみんなで飛び込もう! 一人はみんなのために、みんなは一人のために!


「――来たれ、『15の悪魔』よ!」


 アクマがひときわ高い声を上げると、教室中の机と椅子がガタガタと震えだし、ついでまばゆいばかりの閃光が視界を覆った。

 思わず目を閉じたミオが恐る恐るまぶたを開けると、

 そこには赤い半透明の煙が嵐のように激しく対流しながら宙に浮かんでいた。やがて煙は密度を増し、徐々に人型になり始めた。赤銅色の日焼けした肌をした、筋骨隆々の大男。オレンジ色の髪は燃えるように輝き、目鼻立ちの整い具合はまるで外国の俳優の如くだった。

「うわぁ、イケメンだ」「アポロンかな?」とチナミとヤツハが騒ぎ立てるのをさえぎるように、

「さあ、願いを言え、ミオ」とアクマがミオの背中からけしかける。

「悪魔を待たせるものではない」

「う、うん」

 ミオはほんとに悪魔だよ参ったな、なんか名前呼び捨てにされてるし、などの様々な雑念を振り払いながら、おっかなびっくり口を開いた。

「あの、私、身長が三センチ縮んじゃってて」


 『15の悪魔』には黒目がない。まばゆい白い光だけがまぶたの裏に輝いている。にもかかわらず、ミオはたしかに視線を感じた。大きくて怖いものに見つめられている、潰されそうな圧力があった。


「それで、その……。心当たりはないでしょうか……。その……」

「やれやれだな。俺が代弁する」とアクマがミオの後ろから割り込んだ。

「『15の悪魔』よ。古の儀式の制約に従い我が問いに答えられよ。我が眼前の”1の女”の身長を対価にし契約に臨んだものはこの九人の中にいるか」

 アクマの癖の強い日本語での問いに、


(然り)


 アクマは力強くそう答えた。それは明らかに日本語ではなく、耳から聞こえていないようにも思えたが、ミオの頭はその意味を理解することができた。

「こ、この中にいるの?」「適当に集めたのに?」「なんかすんごいことなってるな。マッチョ魔神や」「なんだと俺の方がマッチョだ」「なんかさっきから頭が変に……テルモピュライ?」「ボール拾いがぁ……」


「返答に感謝する。重ねて問おう。その名を明かす対価は幾らだ」


(15センチ)


 ――アクマの問いに、『15の悪魔』は残酷な即答を持って答えた。

「ほ、法外だよ!」とミオは叫ぶ。

「三センチのために十五センチも失うなんて割に合わない」

「黙れ素人。『15の悪魔』よ。それは、『五倍の報い』を受けるという意味に相違ないか」

 アクマの意味深な問いに、


(その問いに答えるのも15センチだ)


 『15の悪魔』はまたしても即答する。


「なるほどな、それで分かった」とアクマは頷く。

「返答に感謝する、『15の悪魔』よ。召喚の目的は果たされた。我ら儀式を遂行せずとも、この応答を持って汝の威容と権能を後世へと語り継ごう。早々に己が在り処に戻られるがよい」


(然り)と一声放ったあと、『15の悪魔』は突然、人間のように表情を緩め、温和な笑みを浮かべた。

(まさかこの時代にスパルタ式で呼び出されるとは思わなかった。”5の男”、名を名乗られよ)


「俺は人界での名を佐伯亜九魔と言う。まだ名を自得するほどのものではない」


(ならば汝に――――の称を送ろう。ところで諸君、まだ全員の意思を聞いていないが。身長が欲しければいくらでも与えてやるぞ?)


「さらば!」アクマはミオの肩を掴んで、強く前に押し出した。ミオが不意打ちに抵抗できずに枠の外に足を踏み出すと、

 『15の悪魔』は唐突に、まるで最初からそこに何もいなかったかのように、瞬きをする間に姿を消した。

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