『15の悪魔』と初恋の価値

のらきじ

第1話:『15の悪魔』とスパルタの魔方陣

「ミオって絶対身長縮んでるよね!」

 日差しの暖かな四月の放課後、小島ミオがさあ帰ろうと鞄にノートを詰め込んでいると、クラスメイトの芦原チナミが突然そんなことを言い出した。

「なに、いきなり」

「だっておかしいじゃん。去年私とミオ、身長きっかり同じだったよね。ちょうど一五〇センチで覚えやすいねって話してたじゃん。なのに、これ見てよこれ」

 チナミは手に持っているピンク色のプリントをミオに見せつけてきた。今日返ってきたばかりの身体測定の結果だ。

「私の身長、一年前からちっとも伸びてないんだよ? もう中三なのに一五〇センチで止まるなんてやなんだけど」

「かわいそうに、おちびちゃん。よしよししてあげよっか」

 ミオが右手をチナミのおでこに伸ばしながらそう言うと、

「だからミオの方がチビじゃん」とチナミはその手を跳ねのけた。

「明らかに私より背ぇ低いじゃん」

 チナミはミオの目の前に立ち、ミオの頭の上に手のひらを置いてからゆっくりと手前に引いた。手のひらはチナミのおでこの上の方に当たって止まる。

「ほら、どう見ても三センチは違うじゃん。絶対おかしいよ。私ずっと楽しみにしてたんだよ? ミオより三センチ高いってことは最低でも一五三センチあって、ミオだって背が伸びてるかもしれないからもっと伸びてるかもだったのに。こんなの絶対おかしいって。私が伸びてないってことは、ミオが三センチ身長縮んでるんだよ」

「落ち着きなよ」

 ミオは興奮するチナミの肩を抱き、ポンポン背中を叩きながらセーラー服の襟に顎を乗せた。さらさらとした黒髪がミオの頬をくすぐってくる。

「この成長期に身長が三センチも縮むなんて、そんなことあるはずないでしょ。錯覚だよ。チナは自分の身長が伸びない悲しみを私にぶつけてるだけなんだよ」

「……じゃあ、このプリント見せてよ。ミオの身体測定の結果表。持ってるでしょ、今日返ってきたばかりなんだから」

「はいはい。わがまま言わないでお家に帰ろうね。なんなら家来て一緒に宿題やる?」

「やるけどその前にプリント見せて」

「……やだ」

「拒否るってことは認めてるようなもんじゃん。いいから見せて」

 チナミは電光石火の早わざでミオのわき腹をくすぐり、ミオが身をよじって離れた隙に机の上の鞄を奪い取った。

「えーっと、あった。――ほら、やっぱり縮んでるじゃん。一四七センチ。ぴったり三センチ持っていかれてるじゃん」

 チナミがプリントを指で弾いてミオに見せつけると、ミオは観念したかのように大きく息を吐いた。

「はいはい。そうですとも。縮んでますよ」

「やっぱりだ。ひどいよ。ずっと身体測定を楽しみにしていた私の気持ちを踏みにじってさ」

「ごめんね。ぬか喜びさせて」

「――え? でもなんで縮んでんの?」

「私が聞きたいよ」

 ミオはうんざりした様子で肩を落とした。「なんで縮んでんの? 私って」



      ○


 チナミはミオを引き連れて、B棟の四階にある多目的室Bへと階段を上っていく。

「絶対普通じゃないよ。ミオはなんかに呪われてるんだと思う。呪いのビデオを見たりとか呪いの家に忍び込んだりとかしてさ」

「いや、してないからそんなこと」

「私を庇うために嘘言わなくてもいいんだよ。そういうときは詳しい人にヘルプミーするのが一番だからさ。今から会いに行くから、ちゃんと本音で話すんだよ」

「詳しい人って、誰よ」

「アクマくん」

「アクマくん……?」

「知らないの? 佐伯亜九魔だよ。背ぇ高くて、ほら、去年の生徒会長篠井雪子を悪魔の力で堕としたって有名になったじゃん。キラキラネームは伊達じゃなかったってさ」

「――ああ、佐伯くんのこと」

 ミオはぼんやりと佐伯アクマの人となりを思い出した。かなり頭のピーキーな不良で、脱色した銀色の髪を地毛と言い張っているせいでありとあらゆる先生から目を付けられている。去年まで風紀委員を務めていたミオは、タトゥーシールや靴下の色をめぐって何度かやりあったこともある間柄だった。

「アクマくんならきっと身長が縮んだ呪いのことも解決してくれるよ。それはもう間違いないよ」

「あの不良が? そんな役に立つ人間かな」

「私、中一で同じクラスだったから知ってるんだけどさ。アクマくんかなーりゴス入ってる感じの不良なんだよね。オカルトとか超絶詳しいの。人に呪いかけたりするのすんごい得意なんだって。あ、ってかさ。ミオに呪いかけたのアクマくんなんじゃない? そのものズバリ犯人なんだよ」

「なんで佐伯くんが私に呪いかけるのよ。同じクラスだったこともないし、あんまり接点ないよ」

「だからこそだよ。接点作るためにミオの身長奪って、お前の身長戻せるのは俺しかいねぇぞって脅しかけながら付き合おうって魂胆なんだよ。マッチポンプってやつ。まさにアクマだね。――たーのもう!」

 チナミが勢いよく多目的室のドアを開けると、

 佐伯アクマは机の上にだらしなく脚を投げ出して、虚ろな瞳を天井に向けているところだった。学ランの上をだらしなく床に脱ぎ捨てて、タンクトップ姿で筋肉質な二の腕をさらけ出している。

「アクマくん! あなたの悪行はまるっとお見通しだよ。ミオの身長を返してもらうからね」

「……ん?」

 首だけを動かしたアクマは、目を細めてチナミを、ついでその後ろのミオを見つめる。

「ずいぶん上滑りハイブロウなのが遊びに来たな。誰と誰だ?」

「忘れられてるし! 一年の頃同じクラスだった芦原チナミだよ。こっちは友達のミオ」

「そうか。で、何の用だ。俺は今平行世界との対話で忙しい」

 何よ平行世界ってとミオが呆れていると、

「対話できるなら平行世界じゃないじゃん」とチナミが斜め上のツッコミを入れた。

「明らか暇だったでしょ。話聞いてよ。ミオが身長奪われて大変なことになってるんだから」

「ほう、身長をな……」

 アクマは目を細めて、それから猫のように大きなあくびを一つした。

「まあ、相談があるなら話せ。適当に聞き流してやる」

「いやしっかり聞いてよ。ってか九割がたアクマくんが犯人なんだからね。ミオの身長戻さないと許さないからね」



      ○


「ああ、なるほどな。俺ではない。それはおそらく『15の悪魔』の仕業だな」

 チナミの脱線しがちな話を聞き終わったアクマは、眠そうに目元をこすりながらそう言った。

「15の悪魔?」

「ああ。身長を願いの対価に求める悪魔はだいたいそいつだ」

「15の悪魔……」

 ミオは頭の奥に疼くものを感じた。オカルトの趣味なんてないのに、何処かで聞き覚えがあるように思えた。

「それって何」

「ギリシャ時代、都市国家のスパルタで使役されていた悪魔のことだ」

「スパルタ……。スパルタ教育のスパルタ?」とチナミ。

「それだな。一個人、一兵士の質にこだわっていた都市国家だ。だからスパルタ由来の魔術、呪術はもっぱらステータスとスキルを上げるものばかりでな。『15の悪魔』もその系統だ」

「……ステータス。つまり、身長を上げるってこと?」

「そうだな」

「それって違うくない? むしろミオは身長奪われてるんだけど」とチナミが混ぜっ返すと、

「奪う悪魔でもあるんだよ」とアクマは退屈そうに首筋を掻きながら答えた。

「かったるいな。なんで俺がお前らに解説してやらないといけないんだ? いいものでもくれるのか?」

「帰りにコンビニで焼きプリン買ったげる」とチナミ。

「足りないな」

「じゃ、焼きプリン買ってあーんして食べさせてあげる。ミオが」

「私が?」ミオが慌てると、

「だってミオの頼み事だし」とチナミは肩をすくめる。「契約の対価はそれでいい? アクマくん」

 アクマはしばらく絶句しているミオの顔を眺めまわしていたが、

「いいだろう」とあっさり頷いた。「底に残った分まで丁寧に食べさせろよ」

「え、いやちょっと……」

「『15の悪魔』の”15”ってのは魔法陣のことだ」

 アクマはミオの抵抗をさえぎるように話を進めた。

「縦、横、斜めの和がそれぞれ15になる魔法陣のことは知っているな?」

「知らないし」とミオが言うと、アクマは紙とペンを要求した。ミオが不承不承にシャーペンとノートを差し出すと、アクマはそこに大きめの正四角形を描き、その中に縦二本、横二本の線を入れ、九つの小さな四角に区切った。

「ここにこのように一から九までの数字を入れる。左上から

 八、一、六

 三、五、七

 四、九、二の順だ。すると縦、横、斜めの和がそれぞれ15になる」

 アクマは言葉の通りに四角に数字を当てはめていく。

「8+1+6、1+5+9、6+5+4……。ほんとだ、全部”15”になるね」

 感心した様子のチナミとは対照的に、

「だから何?」ミオは口を尖らせる。

「スパルタ人はこの魔方陣を利用して悪魔の儀式を行ったんだ」とアクマは答えた。

「まず、九人の男女を用意して魔法陣の枠の中にそれぞれ立たせる。配列は左上から、

 男、女、男

 女 男、男

 女、男、女となる。

 次に『15の悪魔』を呼び出し、”中央の5の男を基準にせよ”と伝える。すると『15の悪魔』は、中心にいる5の男を挟んだ対角線上にいる男と女の身長を、それぞれの数字に従って加減するんだ」

「えーっと……」

 考え込むミオとチナミに、

「分かりやすく真ん中だけを取り出してやろう」とアクマは言った。

「女(1)

 男(5)

 男(9)

 ――中央の”5の男”を基準にすると、”1の女”はマイナス4、つまり身長が四センチ引かれる。これに対して”9の男”はプラス4。つまり身長が四センチ足される。まあ、厳密にいうなら当時の長さの単位はセンチではなくディジットなのだがな」

「あー、あー、分かった!」とチナミが叫んだ。

「上と下、左と右、斜めと斜めと斜めと斜めで帳尻を合わせてるんだ」

「そういうことだ。身長の総和は変わらないが、儀式を行うのが女と男であること、プラスの側にいるのが男であることにより、結果としてスパルタ人の男の身長は高くなる。戦争の前に兵士一人一人の質を上げるため、スパルタ人は頻繁にこの儀式を行っていたようだ」

「男尊女卑だね」とチナミが憤る。

「そう言ってやるな。殺し合うのは男だ」とアクマは苦笑いをした。

「時代が下るにつれて――男の身長が戦争にとって重要なファクターではなくなるにつれて『15の悪魔』の儀式は廃れていった。『15の悪魔』自身も”戦争の儀式としての自分”を捨てて、個人の身長を対価に個人の願いを叶える、ある意味単純な悪魔になったらしい。かつての都市国家の守護悪魔が、コツコツ一人一人と契約せねばならんようになるとは、世知辛いものだな」

「あのね……」

 全然話が前に進んでないじゃないとミオは呆れた。

「その『15の悪魔』が『15の悪魔』って呼ばれる経緯は分かったけど、それが何なの。私はなんで身長を三センチも奪われたのよ」

「お前自身が『15の悪魔』と契約したからじゃないのか」

「そんなのしてるはずないでしょ。そもそも悪魔の存在なんて信じてないし」

「そうか。――なるほどな。ならば、可能性は二つだ」とアクマはVサインをミオに向けた。

「一つ、誰かがお前の身長を三センチ減らすように悪魔に頼んだ」

「そんなのあるわけな……」ない、と言い切ろうとして、ミオはふと考え込み、疑いのまなざしをチナミに向けた。

「ちょ、私じゃないって!」

「私との身長差をだいぶ気にしてたみたいだけど」

「そんなことしないってば。ミオの身長を三センチ減らすくらいだったら自分の身長を三センチ伸ばした方がいいじゃん。それでも身長差は同じでしょ」

「それもそうね……。なら、ないね」

「ならば二つ目の可能性だ。お前は誰かの身代わりに、契約の対価として身長を三センチ奪われたのだ」

「身代わりに……?」

「悪魔にとっては、要するに、契約の対価として身長が三センチ手に入ればそれでいいわけだ。誰の身長かは問題ではない。契約者Xは、本来なら自分の身長を対価にして『15の悪魔』と契約しなければならないところを、お前を身代わりに差し出して、デメリットなしで契約し、望みを叶えたということになる。――デメリットがないというのは言い過ぎだがな。いわゆる『五倍の違約』は支払えなくなるわけだが」

「『五倍の違約』……?」

「対価を支払ったものが悪魔との契約を曲げたり解消したりする権利のことだが、今は関係ないから聞き流しておけ。ともかく、一言でまとめてやろう。お前は勝手に”悪魔契約の連帯保証人にされた”んだ」

「……そんな、まさか……」

 ミオは力なく俯き、目を泳がせる。

「無知の代償だ。悪魔を信じない愚か者は、悪魔を信じて力を得る勇者の餌みたいなものだ」とアクマはうそぶく。

「泣き寝入りはしないよ!」チナミはミオの手を握る。

「ずるっこした奴を探してとっちめようよ。アクマくんも協力してくれるって言ってるし」

「待て。言ってないだろう」

「無事に身長を取り戻したあかつきには一週間くらいコンビニデートに付き合ってあげるって、ミオが」

「一週間か……。悩みどころだな」

「んなこと言ってない」ミオは顔を上げて、チナミとアクマを順にねめつけた。

「……でも、もしそのずるした契約者を探す方法があるんなら、お願い。私、その人に恨まれてるか、舐められてるってことだよね。あいつなら三センチくらいいいやって、思われてるんでしょ」

「そういうことになるな」とアクマは愉快気に視線を返した。

「だったら、お願い。身長が返ってくるかどうかは分からないけど、一言言ってやらないと気が済まないから」

「――いいだろう」

 アクマは口角をつり上げ、机の上に投げ出していた脚を下ろして立ち上がった。

「勝気な女は嫌いじゃない。焼きプリンのあーんと一週間のコンビニデートと遊園地デート一回で手を打ってやろう」

「ありがとう。――って遊園地?」

「言っておくが割り勘だからな」

「うわぁ、悪魔だ」とチナミは怯えた様子でミオに寄り添った。「自分で条件釣り上げといてしかも割り勘だなんて、悪魔だよ!」

「褒め言葉だな」とアクマはにやつく。

 こいつのノリに放課後一週間と休日一日付き合うのは、けっこうきついなとミオは苦々しく思った。



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