月の贈りもの
見る子
第1話
月の贈りもの
ロメオは不幸な人間です。
なぜ不幸なのか?
彼の家は貧乏で日々食べるものに困っていましたし、なにより彼自身の目がよく見えません。
それをなぜ? とは彼は思いませんでした。
生まれた時からそうだったので、疑問に思いませんでした。そのせいで人々に意地悪されるのもおかしいと思ったことはありません。
そう……不幸な彼は、自分のことを不幸と思ってはいなかったのです。
ぼんやりと擦れた世界、敵意を向ける他人。そんなどうしようもない日々でも、彼には楽しみがあり幸せがあったのです。
そして親愛する人もいました。
二日に一度ほど母親が図書館で借りてきた本の物語を読んで聞かせてくれるのが、彼の唯一の楽しみだったのです。
世界が見えない彼には、空想の物語に心を躍らしました。そしてこの世でただ一人、優しい声で語ってくれる母親を心から愛していました。
だから幼いロメオは自分のことを不幸と考えたことはなかったのです。
しかし時間は残酷です。
いつしかロメオも子供から青年に変わり、大好きな母親も幾分年老いたのです。
ロメオの生活は相変わらずです。人々の嘲笑や蔑みまたは罵倒に晒されながら、母親が朗読してくれる物語だけを楽しむそんな日々。
しかし変わったこともあります。それはロメオの心でした。
なぜ? と思わなかった彼の心にはなぜ? が溢れていました。
なぜ自分の目はほとんど見えないのか? なぜみんなは自分にイジワルするのか? なぜ自分は母さんの役に立てないのか? なぜ父親がいなく貧乏なのか?
夜が来るたびになぜ? が増えていきました。
そんなロメオはさらに不幸になっていくのです。
年老いた母親は具合が悪く、なかなか働きに行けません。ロメオが替わりに働こうにも、人々に迷惑を掛けて怒らしてばかり。
家には毎日誰かが母親を叱りに来るのです。
いつしか母親の朗読はなくなり、泣きながら謝る声しか聞こえなくなります。
ある日、母親が部屋の隅から動かなくなったのです。声をかけても仕事に行く時間になっても母親は何も言わず立ち尽くしたままです。
ぼんやりと背が高くなった母親に触れるが、ブラブラと揺れるだけでした。もちろんあの優しい声で本を読んでくれることもありません。
毎日叱りにくる嫌な大人が驚いて大騒ぎになりました。
しばらくして彼は家を追い出されました。
食べるものも寝る場所もありません。
なんとか町外れの川へたどり着き、畔の岩に腰かけます。
することがありません。
ただ母親のことを思い出しては、静かに涙を流しました。
すると霞んだ視界は暗くなっていました。そう……辺りに夜が訪れたのです。
ロメオにとって家以外の夜は初めてでした。
真っ暗な世界の中で、ずっと高い所にぼんやりと光を感じます。
誰もいない世界で感じられる唯一の存在でした。まるで本当に誰かがそこに居るみたいに思え、少しだけ心が暖かくなりました。
その存在が月という名前だと気づき、話しかけてみます。
こんばんは、もちろん挨拶は返ってきません。
しかしそんなことロメオにはどうでもよくて、ひたすらに悲しい気持ちと悔しさと苦しみを語りました。
月はもちろん何も答えませんでしたが、ただ静かにそれを聞いてくれているようで、長い夜をロメオは語り続けました。
もう話すことがなくなったとき、ロメオの嫌な気落ちは溶けてなくなっていました。久しぶりに彼は安らかな気持ちで寝ることができました。
ロメオはその場所にずっと居ます。どこかに行こうと思えばできたかもしれませんが、できたとしても彼にはすることがありません。
空腹で苦しくとも目の前の川で、手で掬った水で渇きを癒すくらいです。
そして夜になると月相手に語る日々が続きます。
もう苦しくて悲しい話ではありません。何も持ってない自分の宝物、母親に聞かせてもらった大好きな物話を月に語りました。
何日目の夜。相も変わらず月は何も口にしてくれませんが、一つの話を終えたあと何か小さい物が高い音を立てそばに落ちました。
ロメオは月からの贈りものだと喜びました。
薄っぺらく丸い形の金属でできたもの、それがお金だとロメオは気づきました。
母親と買い物に行ったときに触ったことがあるからです。朝になりロメオは町に戻り、近くの良い匂いするお店でパンとミルクを買いました。
久しぶりの食事は本当に美味しくて、その日の夜ロメオは感謝を込めていっそう心を籠めて物語を語りました。
するとまた月から贈りものです。
ロメオの座る岩の下にコインの落ちる音がします。
ぼんやりと上に輝く光にお礼を言います。もちろん返事はありませんが、ロメオは本当に感謝して、また町へパンとミルクだけを買いにいきました。
そんな日々が続きました。
いつのまにか月の贈りものが増えています。今では一晩の話が終わるころ、コインは十枚以上ロメオの足下に転がります。
不思議に思いましたが、どうにもできなくてお金は溜まっていきました。
彼は一日に一食だけパンとミルクを買って食べ、そして夜には月相手に語るそんな生活が続きました。
彼は幸せを感じていました。
世界がボヤけていようが、パンとミルクの味がします。川のせせらぎが聞こえます。草木の匂いを感じます。そして月が自分を見てくれています。
恩返しと思い、ひたすらに思いを込めて物語を語ります。
そしてある夜、コインだけではなく。パチパチといつもとは違う音が、雨のように降りました。
いくつもの数えられない音です。
自分を囲うように、しかし肌には雨を感じません。
驚きに茫然としていると、言葉が聞こえました。それは素晴らしいであったり、面白かったなど、誰かを褒めている言葉。
それは雨ではなく、賞賛の拍手なのでした。
月の贈りもの 見る子 @mirukosm3
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