「けものフレンズ」における境界線上で揺れる自己の発見について

いわしまいわし

かばんちゃんとは何者であるか

1、はじめに

 インターネットを通じて爆発的なヒットを記録したアニメ「けものフレンズ」。ヒットの要因には多面的な考察が必要であるが、ここでは物語としての「けものフレンズ」を考察したい。文学作品としてアニメを見ることで新しい発見が出来るのである。筆者はかばんちゃん(以下かばん)の心情に迫ることにする。わざわざ書くまでも無いとは思うが、アニメ全編視聴を前提として書いているのでご了承願いたい。


2、かばんが物語上で立つ位置

 このアニメ内では様々な境界、或いは中間が存在する。例えば、序盤でじゃんぐるちほーにある川の反対側にバスの運転席を運ぶ場面が描かれる。これは大きな川が陸地の端と端を遮る境界となっている。本来は結ぶことの出来ない二点をかばんが繋げることでヒトとしての知能の高さを印象づけて私達は見ることが出来るのである。

 そんな数ある境界の中で一番特徴的であるのが「フレンズ」の存在である。言うまでも無く動物とヒトの中間として描かれるフレンズ達は動物にもヒトにも属さない。サーバルちゃん(以下サーバル)と同じ動物も想像できないし、同じ特性(爪が発達している、小回りが利かない等)を持ったヒトが身の回りにいるはずもない。彼女らは動物にもヒトにも含まれないまさに境界線上に属しているのである。

 それではかばんはどうか。ハカセの台詞からかばんは「ヒトのフレンズ」と断定するのが良いだろう。これもまた中間的な存在である。かばんもまた十二話に至るまでヒトかと問われると難しい。完全にヒトだとは言い切れないのだ。少なくとも私達はセルリアンに食べられたらヒト化するわけではないだろう。するとかばんは完全なヒトでは無いのである。かといって純粋なフレンズでもない。かばんはヒトの知性を発揮し数々のフレンズを救ってきた。これらの所行は他のどのフレンズにも真似できる物では無く異質である。

 動物とヒトの境界にあるフレンズの存在。さらにフレンズとヒトの境界上にいるかばん。自分の立ち位置が二重の境界に包まれているかばんはファンタジーの中にさらに含まれたファンタジーのように異質な物として描かれるのである。


3不可思議なかばんの目的

 小説やアニメ等メディアを問わず物語の登場人物は基本的に目的を持っている。その目的が明快で分かりやすいほどより多くの人に楽しんでもらえる作品となる。少年漫画がその典型例と言えよう。

 それでは前述の通り主人公とも言うべきかばんが抱える目的とは何か。これは図書館を境に二つに分かれている。一つ目は「かばんが何の動物か教えてもらうこと」であり二つ目が「かばんと同じヒトが住むちほーまでたどり着くこと」である。しかしながらこの二つはかばんが主体的に決めたのでは無い。サーバルの提案に乗って目的を決めている。それ故にかばんもサーバルも(他人事であるからこちらは当然でもある)目的意識が非常に薄い。アニメを視聴していて「何でかばんとサーバルとボスは旅をしているんだっけ」と考えたのは筆者だけでは無いと信じたい。要は目的自体が薄いのである。実際に達成した目的は一つ目だけであるがハカセから実際に聞いた反応も薄く寧ろハカセ達がそれにビックリした場面もある。

 そもそもかばんがヒトだと分かったら何が変わるのだろうか。サーバルも他のフレンズも決してかばんに対して反応を変えない。しかし分からない故のデメリットも無い。さばんなちほーで生活していたとしても何も苦にはならないのかもしれない。


4、物語に描かれない目的

 それではかばんは何も目的を持たずに旅を続けたのだろうか。少なくとも何も目的も無く何処かへ向かうことは不可能である。本題のかばんの真の目的について考察する。

 前述の通りかばんは自分が何の動物であるか分からない所から物語が始まる。最初の目的を言い換えると「自分が何者であるか」を発見することである。しかしながらそれは単に動物を教えてもらうだけでは満足しない。もし私はどんな存在なのだろう?と疑問に思ったとしたら「貴方はヒトである」との解答は何の役に立つのだろうか。自己発見に対して分類上の名前など不要である。本当に必要な情報は誰でも無いかばん自身の個性なのだ。

 よって見える目的は見えない真の目的の方法としての役割を持つ。それが間違っているのがこの作品の特徴でもある。全く意味の無い方法へ向かう過程で本来の目的を達成していくのだ。具体的に説明すると間違った(意味の無い)目的で旅をしたかばんは様々なフレンズに出会う。そこで個性的なキャラクターから「見られる」のである。自己を認識するのはいつだって他者でありどの時代も変わらない。かばんは旅の途中で別々の特徴を持つフレンズと関わって自己像を形成していく。それが「けものフレンズ」の本当の主軸となっているのである。


5、まとめ

 アニメ「けものフレンズ」は自己発見を主題に描かれていると結論づけた。かばんは何者であってフレンズ達にどう見られるか。それは決して「ヒト」という一語には集約できない。たくさんの時間をかけて数多の他者に出会い、多方面から見られることで初めてかばんの自己像は完成するのである。だからこそかばんは旅を続けてきたしこれからも旅を続ける。目的はかばんと同じヒトに会うためにではない。自分と同じ動物からどう自分が見られるか確かめるためである。これからアニメはどこに進むのかは分からないが続きが公開されたとき、是非本当の主題に注目して見てもらいたい。

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「けものフレンズ」における境界線上で揺れる自己の発見について いわしまいわし @iwashi_nitsuke

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