第11話 「わたし」(11)


 自転車で山道を上っていたわたしは中腹で木造の小屋を発見した。それが「ほこら」だった。わたしは適当な場所にコンビニで買ったロールケーキを置くと、粗末な木造の社殿に自己流の願掛けをした。


 願掛けを終えたわたしは、本殿に続く観音開きの扉がわずかに開いていることに気づいた。隙間の奥には闇がわだかまっており、そこから異界の風が吹きこんでくるように思われた。


 わたしは好奇心を覚え、扉に手をかけた。本殿の内部は比較的広く、首を突っ込んだわたしは、暗がりで何かが放っている気配を感じ取った。

 

 ――生き物?生き物がいる?


 濃密な闇の中から、しゅっという不気味な音とともに、むっとするような生臭い臭いが漂ってきた。次の瞬間、目の前に見たこともない奇怪な生き物の頭部が現れたのだった。

 わたしは驚きのあまり身を引こうとした。……が、頭部の両端から覗く豆粒のような赤い目に射すくめられ、動くことができなかった。


 ダレ……ミツグ?


 その場で固まっているわたしの目の前で、ふいに生き物が大きく口を開いた。突然現れた赤い穴と、びっしりと並んだ尖った歯にわたしはめまいを覚えた。そして長い舌が唾液をしたたらせながらうねるのを見た次の瞬間、世界がすっぽりと闇に飲み込まれた。


 あの時、ほこらを覗きこんだわたしは、ご神体である「サラ」の生贄となったのだった。


「山の東側に位置するこの街では、はるか以前から「ご神体」として僕が「サラ」と呼んでいる生き物……つまり君だ……を、祀ってきた。「ご神体」のおかげでこの町は大きな災厄に見舞われる事なく、穏やかな暮らしを営むことができている。僕の一族……仁江田にえだの者たちは、「ご神体」の世話をする一族なのだ」


 貢は厳かな口調で言った。つまり、わたしが監禁されたのにはそれなりの理由があったということらしい。


「仁江田家の長男は家は継がず、幼少期からひたすら「ご神体」の世話をして過ごす。「ご神体」は二十数年おきに成長をやめて幼体に戻るため、時期が来ると世話係は自分の子に「ご神体」の世話を託し、家を出る。僕の祖父も父も皆、そうしてきたらしい」


「「サラ」と言う名前も、代々受け継がれてきたの?」

 わたしが尋ねると、貢はかぶりを振った。


「「ご神体」の名前はその代の世話係がつけてよいことになっている。僕が「サラ」という名前をつけたのは、好きだった絵本のサラマンダーに似ていたからだ」


 貢はまるで家族との思い出を懐かしむかのように、遠い目をして語った。わたしは自分が元の自分でないことを少しづつではあるが、実感し始めていた。


「父がいなくなった後、五歳の僕は幼体に戻った「サラ」の世話を始めた。僕はたちまち「サラ」に夢中になった。中学に入ったばかりの頃、僕は「ご神体」のある特性を教えられた。それは「男の子から分泌されるある種のホルモンが「ご神体」の成長を促す」というものだった。僕は毎日、学校から帰宅すると服を脱ぎ、「沙良」に自分の身体を舐めさせた。「サラ」が僕の体液を吸収していると思うと、快感で気が狂いそうになった。このまま今の状況が永遠に続けばいいとさえ思った」


 貢はうっとりとした表情を浮かべ、歌うような口調で言った。わたしの中で、貢に対する恐怖心が急速にしぼんで行った。


「そうして成長した「サラ」はやがて、地下室には置いておけなくなった。僕と家族は、成長した「サラ」を山に連れてゆき、泣きながら暗い「ほこら」の内部へと封印したのだ」


 わたしは身体の奥で「サラ」が小さく身悶えするのを感じた。


「たまたま同じ名だったわたしは、「ご神体」にいたずらしたばっかりに食べられてしまったのね。……でもどうしてわたしと一体化した「サラ」をここへ連れてきたの」


 わたしは最大の疑問を口にした。よもや、食べられたわたしを「サラ」の身体から取り出そうと考えたわけでもあるまい。


「あの日僕は麻酔薬と注射器をトラックに積みこみほこらへと向かった。数日前から「サラ」の様子がおかしいと聞いていたからだ。「サラ」の具合が悪いのなら、場合によっては眠らせてトラックで町まで運ぼうと僕は考えた。トラックを停めてほこらに近づくと、本殿の扉から、ぐったりしたサラが顔をのぞかせていた。その姿を見て、僕は自分の目を疑った。サラの胴体から、人間の物としか思えない腕が二本、「生えて」いたからだ。その上、胸の肉の間から少女の物とおぼしき顔が、できもののように突き出ていた。僕は動揺しながらも、取りあえず女性の腕をロープで縛り、「サラ」をトラックの荷台に運び込んだ」


 わたしの脳裏に、トラックの運転席から降りてくる貢の姿が朧げながら蘇った。

 あの時わたしは胃液で溶かされながら、身体の所有者である「サラ」の声を聞いたのだ。


 ――マッテイタ。


 ――何?


 ――オマエミタイナイキモノヲ、マッテイタ。


 ――あなた、誰?


 ――ワタシハ「サラ」。オマエヲタベタ。ダガオマエハカワッタイキモノ。ワタシニカワッテ、コノカラダノアルジニナルチカラガアル。


 ――身体の主に?どういうこと?わたしは今、溶かされてるっていうのに。


 ――カラダハトケテモ、モノオモウチカラハノコル。ワタシハツカレタ。


 ――疲れた?……疲れたって、どういうこと?


 ――ソロソロ、カラダノフカイトコロデ、ユックリシタイ。オマエニワタシノカラダヲウゴカスチカラ、ヤル。ワタシノカワリニタベテ、チイサナカラダニモドレ。


 ――小さい身体に戻るって、いったいなんのこと?ねえ、教えて!


 ――ワタシハネムイ、アトハミツグニキイテ……


 手足がどろどろに溶かされ始めているというのに、不思議と不安は覚えなかった。むしろ大きく温かい何かに抱かれ、吸収されてゆく安心感があった。「サラ」の声を聞きながら、わたしは大きなうねりの中へと呑み込まれていった。


「僕は「サラ」をトラックで家まで連れてくると麻酔で眠らせ、「サラ」のために作られた地下室へと運び込んだ。食事は代々、「ご神体」の食事係を務める村木家が担った。泰三は東側の人脈を通じて、半日足らずで「サラ」を乗っ取った人間の好物を調べ上げた」


 そうか、泰三は元々、そういう役割を担う一族だったのか。どうりでわたしの好物がすぐに出てきたわけだ。


「「サラ」が「沙良」に支配されつつある事に気づいた時、僕の中に激しい憎悪が生まれた。子供の頃から大事に育ててきた、僕の愛する「サラ」が、西の町から興味本位でやってきた無知な女の子に乗っ取られたのだ」


「あなたはひとつだけ間違ってる」

 わたしは、半分以上、人間の物ではなくなった声で言った。


「わたしは「サラ」の身体を乗っ取っていない。わたしは、長く生きることにつかれた「サラ」に、この身体の主になってくれと頼まれただけ」


「どっちでもいい。今となっては。とにかく事態は僕の恐れていた方向へと傾き出した。成長限界に達した「サラ」が、若返りのための「生餌」を欲し始めたのだ」


「生餌?」


「元々「サラ」は昆虫などの小さな生き物しか食さない。だが「若返り」の時期が近づくと代謝機能を高めるため、大型の生き物を捕食する。主に、ネズミや鳥などの小動物だ」


「ネズミや鳥……じゃあ、あれが」

 わたしの脳裏に、内臓を食い散らかされた動物の死骸が蘇った。


「どこからか入りこんだそれらの動物を「サラ」が食べたと知った時、僕は激しい焦りを覚えた。このままでは「沙良」に支配された状態のまま、「若返り」が始まってしまう」


 わたしはさきほど庭で目撃した光景を思い出した。まさか……


「しかし、僕が危惧した時はすでに手遅れだった。「サラ」はついに村木が可愛がっていた犬「ウル」にまで食指を伸ばすようになっていた」


 ああ、やはりそうなのか。あの犬の死骸は……わたしは戦慄を覚えた。同時にわたしはそれがまぎれもない真実であることを本能的に悟っていた。


「ある晩、僕はついに決定的な時が訪れたことを知らされた。村木が「サラ」の口からある要求を聞き出したのだ。それは「ユウスケ、アイリ、タベル」というものだった。おそらく「サラ」の食欲と「沙良」の個人的な憎しみとが一つに溶けあい、次の「生餌」を名指ししたのだろう。調達係の村木は苦しげな顔をしていた」


「じゃあ、あの二人もわたしが……」


「ビデオを見ただろう。あれがすべての答えだよ」


 わたしは気が狂いそうだった。だがそのことが皮肉にも、わたしがまだかろうじて人間であることを示していた。


「死体は……どうしたの」


 わたしが問うと、貢は苦し気に目を閉じ、かぶりを振った。


「村木が始末した。だが運の悪いことに、死体を始末するところをたまたま、こちら側に用事で訪れていた西側の人間に見られてしまった。……責任を感じた村木は昨夜、「サラ」の「生餌」として自分自身をささげた」


 わたしは激しい動揺を覚えた。同時に、かろうじて残っていた「人間の心」が、わたしの中から急速に失われてゆくのを感じた。


「村木が「生餌」になった時、僕は気づいた。若返りに必要な、最後の「生餌」が何かという事に。僕の祖父も父も、その前の世話係も皆、家から去ったのではない。仁江田家の長男は世話を終えると最後の仕事――つまり「生餌」になることで使命を全うしたのだ」


「…………」


「僕にも生まれて間もない男の子がいる。……つまり、その時が来たという事だ」


 貢はふらふらとわたしの前にさまよい出た。その瞳は無垢な子供のように澄んでいた。


「サラ……僕は子供の頃から、いつか君が人の言葉を覚えて僕に「愛してる」と言ってくれることを夢見ていた。サラ、僕を食べる前に言ってくれないか」


 身体を投げ出すようにひざまずいた貢を、わたしは「沙良」の腕で抱きすくめた。


「サラ……言ってくれないのか、サラ……」


 わたしは「サラ」と「沙良」の二つの目で貢を見つめた。どちらの目にももはや貢は「餌」としてしか映らなかった。そのことを悟ったのか、貢はひどく悲し気な顔で目を閉じた。


 わたしは大きく開いた口に貢の頭部を収めると、勢いよく頭蓋骨を噛み砕いた。


                 〈了〉


 

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とらわれ 五速 梁 @run_doc

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