真実 2

 湯あみをすませ、沙琉婆に連れられて水簾の部屋へ向かった。途中、沙琉婆はひと言も喋らなかった。まるで口を開けば、災いの種がこぼれ落ちてしまうとでもいう風に。沙琉婆が部屋の戸を叩くと、紫陽羅が顔をのぞかせる。


「どうぞ。水簾様はまだ起きていらっしゃいます。──沙琉婆、後は私が」

「お願いします」


 糸のような黒目に凄まれると、とっさに身構えてしまう。紫陽羅はアオジを招き入れると、そのまま戸口のそばに控えている。


「来たな」


 向かいへ座るように言われ、水簾のいる卓の前へ腰を下ろした。豪華な食事の膳がふたり分用意されており、食べるようにと勧めてくる。


「お前が手をつけるまでは話さない」


 そう言われてしまえば、アオジも食べるしかない。焼き魚や煮物、刺身など、膳は品数も多く明らかに客人用だった。毬麩の浮く吸い物に手を伸ばしたとき、ようやく水簾は口をひらいた。


「発端は、主上が各地を巡らなくなったことだった」


 春から冬まで、主上は定期的に各地を訪れる。それがここ五年はずっと春の地に留まっていたと水簾は言う。数十年間絶えなかった主上の訪れが、春で何年も止まるのはおかしい。明らかに人の作為を感じると、夏・秋・冬の三家はそれぞれ話し合い、対策を考えた。


「主上が来ないと種がもらえない。春ほど豪勢な暮らしでなくとも、最低限の種は必要だからな」

「春が豪勢……?」


 水簾は幼子をみるような目になった。


「お前は春の地にいたから、わからなかったんだろう。あれは異様だった。降らせたいときに雨を種子で降らせ、作物を葉名の力で急速に育てていた。人の病も怪我もすべて、大量の種子で治していただろう? まっとうな人の暮らしじゃない」


 種子を使わずにできることは、時の経過や人の努力でやるべきだと、水簾はきっぱり言う。アオジにはよくわからなかった。便利なものを便利に使って何が悪いのだろう。たしかに、春の家ではあらゆることに種子を使い、暮らしを豊かにしていた。それで問題が起きたとは聞かないし、種子はあり余るほどにあったのだ。


「まず、それがおかしい」と、水簾は顔をしかめている。「各地でとれる種子は、ほぼ同じ量のはずだ。けれど春にだけ大量に種子があるのも、自然なことじゃない」


 猪口で酒をあおる水簾は、時々、アオジがちゃんと箸を進めているか確認してくる。食べていないと話をやめてしまうので、アオジは食べ続けるしかない。


「俺たち三家は話し合った。結果、ひとつの結論に至ったんだ──春の家は葉名を使って、外道な手段で主上を縛りつけている。そうして種子を独占しているのだと」

「待ってください。葉名で主上を縛る? そんなこと、本当にできるんですか?」


 どうやって、と言う前に水簾に睨まれてしまう。分からないのかと無言で詰問されている。


「葉名の数だよ」


 水簾が飲んでいるのはかなりきつい酒なのか、清酒の匂いがぷんと香ってくる。水のように杯をあおるのに、水簾には酔った風もない。明朗な声であっさり語る。


「春の当主は大量の葉名を作り、その重みで主上を繋ぎ止めていた。葉名の数が多いほど、主上との結びつきは強くなる。けれどそれだけのためにあんな数を作るなんて、ぞっとする」

「な、なぜです? 葉名を大量に作ると、なにかあるんですか?」

「お前本当に……春でどうやって生活してきた?」


 呆れた視線にアオジは唇をかむ。ずっと春の地で暮らしてきた自分より、水簾の方が事情をよく知っているのだ。水簾は猪口をこちらへ寄越した。


「飲めよ。傷にさわるか?」


 アオジは無言で酒の入った猪口を受け取り、あおった。飲まなければやっていられない。口もとを拭い空の猪口をおし返すと、水簾は苦笑している。また並々と手酌で酒をつぐ。


「お前は運がよかったんだな。他の奴らみたいに何体も葉名を作っていたら、無事じゃ済まなかった。葉名ってのは──」


 ちらりと紫陽羅を見て、水簾は言葉を濁した。紫陽羅はいつも通りに無表情で、静かに戸口付近に控えている。


「ひとりにつき一体しか作れない。正しい作り方以外、すべて外法となる。術者の命を極端に縮めてしまうんだ」


 必要となる贄は心臓のみ。それ以外で作られた葉名は、すべて失敗作だという。


「じゃあ春の葉名はみんな、失敗作……?」

「そういうことだ。そもそも、女の葉名ばかりだったのもおかしいだろう?」


 正しい方法なら葉名の男女比は半々になるという。微妙な沈黙が流れた。なんと言葉をつげばいいのかわからない。背後から紫陽羅がそっと口をはさんできた。


「春ではそれを、わかってやっていたのでしょう。半端なまがい物でも数さえあれば、主上への重しにはなる。だから誤った方法で、人の体をすみずみまで使い、あんな穢らわしい化け物を作り続けていたのです。あの舐目苦自と同じです。穢れた葉名のまがい物ばかりを」

「っ、あなたに、そんなことを言われたくない」


 思わず紫陽羅を睨みつけると、水簾が「はあ~ぁ」と息をついた。


「紫陽羅よ、お前は気づかいを欠くから黙ってろ」

「申し訳ございません」


 淡々と謝る紫陽羅には反省した様子もないが、とりあえずは言われた通りに口をつぐんだ。春の葉名たちは失敗作だったのか? 月水はそれをわかって、輝夜や自分に葉名を作れと言っていたのか。どうして……主上を春の地へ引き止めるために? 月水はたしか、葉名を調べていると言っていた。そのために数を増やすのだと……それは嘘だったのか。


「俺たちには確信がなかった。人にそれだけの数の葉名が作れるのか、やってみたこともなかったからな。なにせ贄に心臓以外を使うなんて、普通は考えもしない。誤った方法で葉名を作っても、せいぜいその数は二体、ひどくて三、四体だと思っていた」


 アオジは怪訝と話を聞いていた。春ではひとりにつき何十体も葉名を作っていた。


「だから俺たちは秋・冬と話し合い、試してみることにしたんだ」


 春の当主・月水と、その二子・星輝が夏の領地へ来たときのことだ。

異様な数の葉名を引きつれて現れた星輝を、水簾たちは試し切りした。星輝が月水と離れた隙をつき、その葉名を端から斬ったのだ。葉名を斬れば、術者は大なり小なり傷つけられる。損傷の仕方でどうやって葉名を作ったのかわかるという。だから斬ったという話に、アオジは顔を歪める。淡々と語られる内容はあまりにむごい。水簾はやんわりとした笑みを浮かべた。


「わかってるさ、これがどういうことか。けれどうちに被害も出てたし、もし春が無実だとわかれば、俺も責任をとるつもりだった」


 しかし、実際そうはならなかった。夏の家の言う「正しい方法」で葉名が作られていれば、葉名が斬られた時点で星輝は心臓を失い、即死するはずだった。あるいは、贄とした体の一部が損傷するはずだったのだ。


「葉名を三体斬っても星輝は無傷だった。四体めでようやく息絶えたが、その遺体に欠けたところはなかった。あれを見たとき、心底ぞっとしたよ。春の行いがどういうことか、そのときようやくわかったんだ」


 星輝の遺体は外傷もなく綺麗なものだった。アオジもそう記憶している。葉名を失えば、贄として捧げた肉体は失われる。遺体に外傷がないのは、星輝が自身の内臓や血肉を捧げたのだろうと思っていたが、そうではなかったのか。


「葉名を斬られても肉体は傷つかない。どころか、術者が無傷でいられる──これはあり得ない。つまり星輝が贄としたのは自身の体ですらない。人の目に見えない部分まで……人として欠くからざる根幹を使っていたのさ」


 人の心、あるいは魂と呼ばれる部位を。感情、感覚、記憶や思想の類。人としてもっとも繊細かつ貴重で、絶対になくしてはならない命脈の多くを星輝は贄としていた。


「本当に、そんなことが……?」


 問う声は震えてしまった。思い当たる節は……あった。輝夜は菓子を食べても味がしないと言っていた。以前は気に入っていた甘味を差し入れたとき、不可思議なものを口に入れたような彼女の顔をよく憶えている。味がないと言っていた輝夜は、あのときすでに味覚を失っていた。それに春の当主・月水は、いつの間にか目が見えなくなっていた。アオジの内心を察し、水簾の声は優しくなる。


「魂を使えばいくらでも葉名を産み出せる。核となる葉名さえ失わなければ、他の葉名が死んでも術者は生きていられる。生身の肉体を贄とする方法とは、元から作り方が違うんだ」


 外法だと水簾は鼻を鳴らした。紫陽羅が春の葉名を見下したときと同じ言いように、アオジはつい批難の目を向けてしまう。


「ッ、だからって、殺す必要があったんですか。あんな風に無抵抗の者まで。僕は──陽菜は、なにも知らなかったのに」


 陽菜はなにもしていない。ただ生きていただけだ。輝夜だって宵待だって、彼らに産み出された葉名たちにだって命があった。たとえ不完全なものだったとしても、みんな生きていた。それなのに──水簾はぼんやりと猪口に注いだ酒を眺めている。沈黙を破ったのは、尖った紫陽羅の声だった。


「……まるで一方的にこちらが悪いような言い方をされるが、そうではありません。春のせいで種子が得られなくなり、我らがどれほどの被害をこうむったか」

「紫陽羅」


 黙れと水簾が小さく名を呼ぶが、紫陽羅の眼光は鋭いままだ。アオジも黙っていられなくなった。


「種子がないことくらい、なんだっていうんです。それが人の命を奪うほどのことですか。罪のない人たちを殺しておいて、よくも」

「種子さえあれば親方様たちは助かった。水簾様のお身内を殺したのは、種子不足で綻びた結界から出た舐目苦自だ──春のやつばらが、我らの領主を殺したのだ!」

「紫陽羅!」


 水簾に猪口を投げられ、紫陽羅はそれをまともに頬で受けた。陶器が割れる音が夜に響き、破片が部屋中に飛び散る。アオジは茫然と、床に転がる割れた陶器の欠片を眺めていた。荒く息をつく水簾は、必死に怒りを鎮めようとしているようだった。


「……悪い、今日は。駄目だな俺は」


 ははっと、力なく笑う水簾は背をむけ、ぽつりとこぼした。


「すこし、休ませてくれ。ふたりとも、出てけ」


 紫陽羅はぐっと下唇をかみ、無言で静かに部屋を出て行く。ふらつく足取りでアオジも後に続いた。信じたくなかった。今聞いたこと、そのすべてが嘘ならよかったのに。春が葉名を濫造したのは、主上を引き止めるため。そのせいで夏の領主、水簾の肉親は死んだ──。


 与えられた部屋に戻り、寝具にそのまま倒れこむ。ふと、胸元にかけたままにしていた小袋のことを思い出した。月水からもらった種子が入っている袋だ。葉名を作れと言われたときの月水の顔を思い出そうとしたが、できなかった。代わりのように陽菜の笑顔を思い出した。かってに涙が溢れてきた。なにも知らなかった──葉名を産み出すことの意味も、輝夜の戸惑いの影に隠れた真実も、月水の考えも。知らないままただ、のうのうと生きてきた。目を閉じてみる。真っ暗になった視界で小袋を握りしめる。手のひらにある小さな欠片に、守れなかったもののすべてがつまっている気がした。


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