真実
夏の家へ戻り、浴場へ向かえばすでに湯の準備がされていた。水簾は服を脱ぎ散らかし、あっという間にひとりで浴槽に浸かっている。
「ったく。ほら、いい加減にひとりで立てよ」
ここまで運んできてくれた沙琉婆は紐を解き、倒れないようにそっと降ろしてくれた。ひとりで立ったのを確認すると、清水の入った瓢箪を押しつけてくる。
「飲んどけ。……っ、風呂で倒れられても困るんだ!」
「あ、──ありがとう」
自然とこぼれた謝意に、沙琉婆が思い切り口をひん曲げる。
「早くしろ、うすノロ」
脱衣に手間取るアオジをさりげなく手伝い、沙琉婆は自分の脱衣もそこそこに、先にアオジを風呂場へ向かわせた。アオジがふらつき歩くのを、転ばないか背後からさりげなく見ている。歩くとき、なぜか不思議と体が右に傾いてしまうのだ。平衡感覚がうまくつかめないのは、疲弊や体力が落ちたせいだけではないだろう。
服を脱いだとき、アオジははじめて自らの左腕を直視した。左肩の付け根からすとんと見事に腕がなかった。それは輝夜に言われて陽菜をつくったとき、
「肩はつけるなよ。長湯もだめだ。……湯が汚れるからな」
アオジはぼんやり頷く。疲れていた。そっと体をひたすと、お湯は熱湯のように熱い。体が冷えきっていたのだろう。暖かさが身に染みる。水簾が不思議そうに沙琉婆を見やった。
「お前は入らないのか?」
「僕は忙しいんです。誰かとは違って」
「そうかい」
沙琉婆が肩をいからせ脱衣所へ向かうと、水簾がぽつりとこぼした。
「さっきは悪かったな。カッとなって、頭に血がのぼって……お前をあやうく殺すところだった」
大広間でのやり取りのことだ。根にもってはいないが、気になったこともあった。水簾が苦痛とともに吐き出した言葉だ。
──そんなでどうやって
「……日紅というのは?」
「葉名だ。俺の妹の。あの夜、お前は日紅の刀を持っていたと、そう紫陽羅から聞いた。お前が日紅を殺したんだろ?」
春が襲われたあの夜。宵待と戦っていたのが、どうやら日紅という葉名だったらしい。顔は白布で隠されていたし、アオジには相手が男か女かの記憶もない。ただ、日紅は宵待の葉名のすみれを殺した。そのせいで宵待は死に、さらに輝夜へその凶刃が向かおうとしていた。アオジが殺意をもったことを責められるいわれはない。むしろ夏の面々の行いこそ非道ではないか。そう思ったが、刃を突き刺した瞬間のことを思い出すと、全身が冷えていくようだ。無我夢中で刀を奪い殺した葉名──その相手にも名前があり、繋がる命があったのだ。
「お前を責める気はない。そんな権利もないしな。ただどうにも、感情が高ぶっちまった」
悪かったと、水簾は視線を遠くに向けている。
「どうしてみんなを……殺したんですか」
ようやく出せた問いは震えてしまった。水簾のことを完璧には赦せない。けれど、理由だけは知っておきたい。沈黙が落ちる。言いあぐねているのかと思ったら、水簾はぽかんと口を開けていた。
「お前、知らなかったのか?」
「なにを?」
しばらく視線をさまよわせて、水簾は「いや」と口を開く。
「どう思ってたか知らねぇが、なにも俺たちだって好きこのんであんなことをしたわけじゃねぇ。人や葉名を殺すなんて、本来なら恐ろしいことだ。ただ、お前も見たろう? 今日の舐目苦自を──あれと同じだ。世の中には、正されるべきこともある」
「同じ? 何がですか」
反射的に嫌悪感をおぼえていた。昼に見た舐目苦自を退治するのと、何の罪もない輝夜や陽菜を惨殺するのとでは、話が全然違う。許せなかった。たとえどんな理由があろうと、許されるものか。水簾はすこしの間、なにかを考えていたが、やがて苦く笑った。
「俺、そろそろ上がるわ。なぁ、沙琉婆。いつまでそこで様子見してるつもりだ?」
呼ばれて沙琉婆が気まずげにやってくる。
「もう行かれるんですか?」
「おう。後でこいつを俺の部屋までつれてきてくれ」
「そ、それは、さすがにまずいのでは……?」
「俺がいいって言ってんだから。続きはそこで話してやる」
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