まどろみ―2

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「なぜ、生かしておくのです?」


 紫陽羅の問いに水簾は嘆息する。


「お前らが言ったんだろ。あれが冬の者だって」

「ええ、その通りです。たしかに、冬の者を殺すと面倒だとは言いました。けれど、ここで生かしておかなくてもいいでしょう」


 紫陽羅の声は苛立ちを含んでいたが、水簾はあからさまに無視していた。ふたりが歩いているのは、渓谷の間にかけられた石橋だ。はるか下には川が流れ、橋の左には巨大な滝の瀑布がある。手を伸ばせば滝に触れられる──そんな距離にこの石橋はかけられている。当然、橋を渡るときには腹に響く轟音だけでなく、間近にたっぷりと水滴を浴びてしまう。湿気のせいで橋は苔むし、白い御影石の上にはいくつも水たまりができていた。水簾は濡れるのが嫌いだ。避けていたはずの水たまりを踏んでしまい、顔を歪めている。


「ああくそ、また濡れた!」

「水簾様! 話を聞いてください」


 紫陽羅が勢いよく前へ出て、水たまりから水が飛んだ。


「お前、わざとだな?」

「君主たるもの、憐れみの心が必要だとわかるでしょう」

「だからっ、俺はあいつをちゃんと生かしてるだろ」

「今の状態なら、まだ殺してやったほうがましです。どこかへ逃がしてやってもいい。あれではあまりに惨たらしい」


 水簾は鼻で笑う。


「はじめに殺すなと言っておいて、今度は殺せだ? 紫陽羅よ、お前は人の心のわかる葉名だと思ったが、やはり人とは違うらしい」


 勝手だと皮肉を言われた紫陽羅は、人らしく顔を歪める。


「──たしかに、私があのとき始末しておくべきでした。あなたがこれほど狭量だとは思いませんでしたので」

「なんだ。当主たる俺を愚弄する気か?」


 水簾は怒るかわりに、底知れない笑みを浮かべていた。紫陽羅は黙るしかない。その鋭い視線を避け、呆れたように水簾は肩をすくめる。


「まあ、そうかもな。あいつにはここで、めいっぱい苦しんでもらう」

「っ、あなたという人は……!」

「あいつが殺ったんだ」


 シスイを、と小さく聞こえた声に、紫陽羅はそれ以上なにも言えなくなった。春の家を襲った際に、夏の葉名がひとり殺された。その葉名を産み出した術者も同時に命を落としたが、それは当主・水簾の妹、梓水しすいだった。たったひとり、水簾が心から愛した者を、あの少年は手にかけたのだ。



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