蒲公英の種

 星輝が死んでしばらく沈んでいた空気は、風に薄まるように元通りになった。時間をかけて人はその死を消化し、少しずつ記憶にして置き残していく。


 夏との一件は、四家が一同に集う魂鎮祭たましずめのまつりで話し合うことに決まった。魂鎮祭とは、主上に一年の恵みを感謝し、舞や音楽をおさめる式典だった。会場は持ち回りで行われ、今年は春がほかの三家をもてなすことになっている。夏・秋・冬の当主たちが集まるので、春の家はその準備に現在、追われていた。葉名たちには歌を歌わせたり、楽を奏でさせたりするので、その準備も必要になる。舞のうまい葉名には踊りをしこみ、もてなしの宴席に備えなければならない。四家のなかでもとくに華やかといわれる春の魂鎮祭は、今年も盛大に行われる予定だった。


 ほぼすべての葉名が集まり外で歌を練習しているのを、アオジは陽菜と丘の上から眺めていた。やわらかな昼どきの風を受け、陽菜は眠そうにしている。最近おぼえたばかりの竪琴をぼんやりとつまびくかたわら、時々首が前後に揺れている。ほとんど眠りかけているようだった。陽菜が触っているのは横に寝かせる琴ではなく、縦にして持ち運べる簡易琴だ。重さもさほどなく、春の地でも外で使われる機会の多い楽器だ。びよん、ぼろん、と音が外れるが、アオジはしだいにそれにも慣れてきて、外れた音の方が好きになっていた。陽菜はこれでも真剣に練習しているのでくさすわけにもいかない。


「アオジ」


 低く後ろから呼ばれて、慌てて飛び起きた。月水がひとりで立っていた。


「どうだ、様子は?」

「ええ、まあ」


 言葉を濁した先で、陽菜が調子はずれの竪琴を夢中で鳴らしはじめる。


「なるほど。その葉名は陽菜と言ったか」


 月水は苦笑し、しばらくそれを眺めていた。やわらかな風が彼の銀色の髪を慰撫し、揺らしている。月水はここ数か月でかなりやつれた。頬はこけ、両手首は細くなり、目の下に消えそうにない隈をつけている。第二子である星輝が死んだことや、それからの多忙な日々に彼は相当参っているようだった。このままでは倒れてしまう──アオジ以外にも心配している者は多い。視線の意味を正しくとり、月水は肩をすくめた。


「なんだ、お前まで私を病人扱いか。家にいるとみな休めとうるさいから、こんなところまで出たというのに」

「お休みになられた方がいいですよ。倒れられては困ります」

「ふん。倒れるのは祭がすんでからだ。今はまったく、それどころではない……」


 月水のため息はながく、風にあわく溶けていく。


「最近、輝夜に会ったか?」


 ぽつりと出された名に、彼がこんなところまで来た本当の理由がわかった。輝夜にはここ数週間、会いにいっていない。


「いいえ……でも祭の準備で、お忙しいかと思って」

「まあそうだな。忙しいだろう。だが、お前と話すひと時くらい、あの子にもあるだろうよ」


 責めるような月水の瞳に、アオジはうつむいた。祭りの準備ですれ違うことが多く、それを言い訳に輝夜をなんとなく避けてきた。あの日以来だ──陽菜がはじめて塔へ向かい、大量の種子を持ち帰り、それを輝夜に手渡してから。アオジはそっと彼女から離れるようになっていた。理由は自分でもよくわからない。陽菜が持ち帰った種子を輝夜に渡したことは、アオジにとっても幸いだった。おかげで陽菜はまたいつも通り、塔へ上がることもなく平穏に暮らせている。輝夜はあの種子の責任を肩代わりしてくれたのだ。感謝しこそすれ、負の感情はない。だからそれが原因で避けているのではないが、では何故と考えてみると、──そういえば、怖かったからかもしれなかった。輝夜の新しい葉名たち、なずなとクロリだ。彼らに接する輝夜の雰囲気を、アオジはこれ以上見たくなかった。どこがどうとはいえないが、あの場に留まることで、自分と陽菜の関係までもが変わってしまいそうで、それがなんとなく嫌だったのだ。


「喧嘩でもしたか」


 月水は優しさと呆れを混ぜた視線をくれる。


「いえ、そんなことは。ただ何となく時があわなくて」

「ならいいが。たまに話してやってくれ。最近どうにも塞いでいる」


 月水はごまかしに気づいたようだが、深く追求はしてこなかった。基本的に彼は放任で、必要以上のことには介入しない。逆にいえば、月水に指摘されるほど自分と輝夜の不仲が目立ったことになる。


「すみません」

「謝る必要はない。なにも、──そうだ」


 これをと、月水はふと思い出したようにたもとから白い袋を取り出した。手渡されたそれが何かわからず、重さを確かめるようについ手のひらにのせてしまう。


「なんです?」

「開けてみなさい」


 袋の中を覗くと、黒くて細い何かが入っていた。種子だ。風にさらわれないように取り出してみる。細い針に似た形だった。陽菜を作った時のものとよく似ている。


「これは……?」

蒲公英たんぽぽの種子だ」


 月水の口調は柔らかく、吹き抜ける春風を思わせる。


「その葉名は、蒲公英の割れ種で生み出したのだと、そう輝夜から聞いた。そこにあるのは完全な欠けのない種だ。もしお前が、輝夜が割れ種を与えたことに怒っていたらと、そう思ってな。それを使いもう一度。もう一体、陽菜とそっくりな形の葉名を作ればいい」


 驚いて月水の顔を見た。月水は竪琴をひく陽菜をやさしい瞳で眺めている。慈しむようなその表情が、急にまったく別の意味を持つものに思えた。


「けっこうです。私には陽菜がいますから」


 月水は苦笑している。


「なにも陽菜を捨てろというわけではない。贄も払っているのだ。むしろそれを捨てるわけにはいくまい。ただもう一体、せめて声の出る葉名が必要だろうと思ったのだ。その形が気に入ったようだし、同じ種で作ってみればいい。似た形にはなるはずだ」

「……お返しします」


 突き返そうとした白い小袋を、月水は受け取らなかった。ただ苦笑いで両腕を組んでいる。


「わかった、好きにしなさい。ただし、それはもうお前のものだ。作らないにしても、保管してお前が持っておきなさい」


 なぜ──。まるでアオジがいつか、この種を使う日がくると言わんばかりだ。月水の言いようは、人形が壊れているから同じものを新しく買ってやると、そう言っている風に聞こえる。陽菜は物じゃないのに。声が出せないことも、物覚えが悪いことも全部、陽菜の良さだ。月水は疲れた笑みだけを置き残し、屋敷へ戻って行った。立ちすくむアオジの横では、陽菜が外れた音で琴を鳴らし続けている。春の家の者たちのように、大量に葉名を作るようになれば、また考えも変わるだろうか。葉名は人とは違うからと、まるで道具のように割り切ることができるだろうか?


「陽菜。輝夜様に会いに行こうか」


 何かがおかしかった。けれどそれが何なのかはわからない。輝夜なら正しい答えを教えてくれるだろう。いつだって輝夜は、困っているときに最後に頼れる存在なのだから。


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