蒲公英の種
星輝が死んでしばらく沈んでいた空気は、風に薄まるように元通りになった。時間をかけて人はその死を消化し、少しずつ記憶にして置き残していく。
夏との一件は、四家が一同に集う
ほぼすべての葉名が集まり外で歌を練習しているのを、アオジは陽菜と丘の上から眺めていた。やわらかな昼どきの風を受け、陽菜は眠そうにしている。最近おぼえたばかりの竪琴をぼんやりとつまびくかたわら、時々首が前後に揺れている。ほとんど眠りかけているようだった。陽菜が触っているのは横に寝かせる琴ではなく、縦にして持ち運べる簡易琴だ。重さもさほどなく、春の地でも外で使われる機会の多い楽器だ。びよん、ぼろん、と音が外れるが、アオジはしだいにそれにも慣れてきて、外れた音の方が好きになっていた。陽菜はこれでも真剣に練習しているのでくさすわけにもいかない。
「アオジ」
低く後ろから呼ばれて、慌てて飛び起きた。月水がひとりで立っていた。
「どうだ、様子は?」
「ええ、まあ」
言葉を濁した先で、陽菜が調子はずれの竪琴を夢中で鳴らしはじめる。
「なるほど。その葉名は陽菜と言ったか」
月水は苦笑し、しばらくそれを眺めていた。やわらかな風が彼の銀色の髪を慰撫し、揺らしている。月水はここ数か月でかなりやつれた。頬はこけ、両手首は細くなり、目の下に消えそうにない隈をつけている。第二子である星輝が死んだことや、それからの多忙な日々に彼は相当参っているようだった。このままでは倒れてしまう──アオジ以外にも心配している者は多い。視線の意味を正しくとり、月水は肩をすくめた。
「なんだ、お前まで私を病人扱いか。家にいるとみな休めとうるさいから、こんなところまで出たというのに」
「お休みになられた方がいいですよ。倒れられては困ります」
「ふん。倒れるのは祭がすんでからだ。今はまったく、それどころではない……」
月水のため息はながく、風にあわく溶けていく。
「最近、輝夜に会ったか?」
ぽつりと出された名に、彼がこんなところまで来た本当の理由がわかった。輝夜にはここ数週間、会いにいっていない。
「いいえ……でも祭の準備で、お忙しいかと思って」
「まあそうだな。忙しいだろう。だが、お前と話すひと時くらい、あの子にもあるだろうよ」
責めるような月水の瞳に、アオジはうつむいた。祭りの準備ですれ違うことが多く、それを言い訳に輝夜をなんとなく避けてきた。あの日以来だ──陽菜がはじめて塔へ向かい、大量の種子を持ち帰り、それを輝夜に手渡してから。アオジはそっと彼女から離れるようになっていた。理由は自分でもよくわからない。陽菜が持ち帰った種子を輝夜に渡したことは、アオジにとっても幸いだった。おかげで陽菜はまたいつも通り、塔へ上がることもなく平穏に暮らせている。輝夜はあの種子の責任を肩代わりしてくれたのだ。感謝しこそすれ、負の感情はない。だからそれが原因で避けているのではないが、では何故と考えてみると、──そういえば、怖かったからかもしれなかった。輝夜の新しい葉名たち、なずなとクロリだ。彼らに接する輝夜の雰囲気を、アオジはこれ以上見たくなかった。どこがどうとはいえないが、あの場に留まることで、自分と陽菜の関係までもが変わってしまいそうで、それがなんとなく嫌だったのだ。
「喧嘩でもしたか」
月水は優しさと呆れを混ぜた視線をくれる。
「いえ、そんなことは。ただ何となく時があわなくて」
「ならいいが。たまに話してやってくれ。最近どうにも塞いでいる」
月水はごまかしに気づいたようだが、深く追求はしてこなかった。基本的に彼は放任で、必要以上のことには介入しない。逆にいえば、月水に指摘されるほど自分と輝夜の不仲が目立ったことになる。
「すみません」
「謝る必要はない。なにも、──そうだ」
これをと、月水はふと思い出したようにたもとから白い袋を取り出した。手渡されたそれが何かわからず、重さを確かめるようについ手のひらにのせてしまう。
「なんです?」
「開けてみなさい」
袋の中を覗くと、黒くて細い何かが入っていた。種子だ。風にさらわれないように取り出してみる。細い針に似た形だった。陽菜を作った時のものとよく似ている。
「これは……?」
「
月水の口調は柔らかく、吹き抜ける春風を思わせる。
「その葉名は、蒲公英の割れ種で生み出したのだと、そう輝夜から聞いた。そこにあるのは完全な欠けのない種だ。もしお前が、輝夜が割れ種を与えたことに怒っていたらと、そう思ってな。それを使いもう一度。もう一体、陽菜とそっくりな形の葉名を作ればいい」
驚いて月水の顔を見た。月水は竪琴をひく陽菜をやさしい瞳で眺めている。慈しむようなその表情が、急にまったく別の意味を持つものに思えた。
「けっこうです。私には陽菜がいますから」
月水は苦笑している。
「なにも陽菜を捨てろというわけではない。贄も払っているのだ。むしろそれを捨てるわけにはいくまい。ただもう一体、せめて声の出る葉名が必要だろうと思ったのだ。その形が気に入ったようだし、同じ種で作ってみればいい。似た形にはなるはずだ」
「……お返しします」
突き返そうとした白い小袋を、月水は受け取らなかった。ただ苦笑いで両腕を組んでいる。
「わかった、好きにしなさい。ただし、それはもうお前のものだ。作らないにしても、保管してお前が持っておきなさい」
なぜ──。まるでアオジがいつか、この種を使う日がくると言わんばかりだ。月水の言いようは、人形が壊れているから同じものを新しく買ってやると、そう言っている風に聞こえる。陽菜は物じゃないのに。声が出せないことも、物覚えが悪いことも全部、陽菜の良さだ。月水は疲れた笑みだけを置き残し、屋敷へ戻って行った。立ちすくむアオジの横では、陽菜が外れた音で琴を鳴らし続けている。春の家の者たちのように、大量に葉名を作るようになれば、また考えも変わるだろうか。葉名は人とは違うからと、まるで道具のように割り切ることができるだろうか?
「陽菜。輝夜様に会いに行こうか」
何かがおかしかった。けれどそれが何なのかはわからない。輝夜なら正しい答えを教えてくれるだろう。いつだって輝夜は、困っているときに最後に頼れる存在なのだから。
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