片鱗

 輝夜に会うにあたって街へ行き、アオジは彼女の好きな練り菓子をいくらか買ってきた。陽菜はいじましくも菓子の包み紙をじぃっと見つめている。


「あとでな。輝夜様にお渡ししてからだ」


 輝夜の部屋は屋敷の上階にある。階段を上っていくと、部屋の前で見慣れた葉名を見つけた。


「すみれ……?」


 長子・宵待の葉名だった。十七、八の少女の姿で、うす青色の衣を凛と着こなし、いつも宵待のそばできびきびと働いている葉名だ。すみれは珍しくも困惑していたが、こちらに気づくと見惚れるほど見事な礼をした。


「アオジ様。輝夜様にご用でしょうか?」

「うん、まあ。宵待様が中に?」


 日をあらためるべきだろうか。横目で陽菜を睨むと、彼は思い出したようにぎこちないお辞儀をようやく返した。遅い。一拍遅れた醜態に、けれどすみれは安堵したように笑う。


「すこし待たれてはいかがでしょう。我が主(あるじ)はもう、行かねばなりませんので……私もどうすべきかと」


 宵待はやはり多忙であるらしい。輝夜との話が長引いて次の用事がせまり、すみれは困っているのだ。アオジは待つことにした。どうせこの後に重大な用もない。魂鎮祭に直接参加するわけでもないアオジは、他の面々に比べればまだ暇だった。


 陽菜に話しかけようとしたとき、中から陶器が割れる音がした。輝夜が叫ぶ声が聞こえる。とっさに戸を開け、アオジは中へ踏み入っていた。すみれと陽菜は互いに顔を見合わせて、そっと後ろからついてくる。部屋には、壁一面を開放できる大窓がある。それが今は全開で、青一色の空が壁紙のように見えていた。強風が室内に吹きこみ、手前の几帳のかけ布が激しくゆれている。あとひと息で倒れそうだ。磨かれた黒い木の床はつるりと光り、外の雲ひとつない青空を反射している。輝夜は床に蒼白な顔でへたりこんでいた。そばには割れた茶器が転がっている。


「輝夜! 落ちつきなさい」


 宵待が輝夜をかかえ、なだめていた。輝夜は荒く息をつき、目を極限まで見開いている。その焦点は合わず、虚空を見つめている。横でむらさきがひどく狼狽し、立ちすくんでいた。後から部屋に入ってきたすみれの方が落ちついてみえる。すみれはただならぬ雰囲気を見て、すぐに宵待のそばへ駆け寄っていった。けれど宵待はそれにも気づかないらしく、必死に輝夜に呼びかけていた。


「大丈夫だ。なにも怖いことはない」

「なにがっ、どうしてッ──」

「落ちつきなさい。ただ味が無くなっただけだ。お前はまだ、たいしたことないじゃないか」


 輝夜は愕然と宵待を見上げた。かすかに震えた口が、音にならない声を出そうとして失敗する。風がひゅうと強く鳴り、つられるように葉名の笑い声が部屋に響いた。


 けた、けたけたけた、けたけた──……


 暗がりの隅にいた、なずなとクロリだ。無邪気におかしいと笑う彼女たちは、場の空気を一瞬にして凍りつかせた。


「輝夜──!」


 宵待が焦り見る先で、輝夜は茫然となずなとクロリを見つめていた。


「止めてよ、笑わないで。笑わないでよ!」


 なずなとクロリは楽しそうに、輝夜を無視し、部屋を駆けまわる。幼いなずなと美女のクロリが、仲睦まじく鬼ごっこをしているようにも見えるが、そうではなかった。

 暴走している。そう思った。輝夜は葉名を扱いきれていないのだ。新しく作られた葉名たちは輝夜を無視し、言うことをきかない。


「止めなさい!」


 葉名は宵待の静止にも耳を貸さない。走り回るなずなが椅子を倒し、布を引き裂き、鏡台の上にある香瓶を割る。嵐のように走り回るなずなが、ぼんやりしていた陽菜にぶつかってきた。


「あっ」


 とっさにアオジが動く前に、陽菜はぶつかった反動で後ろにひっくり返った。無邪気に笑っていたなずなが、陽菜を見てゆるりと笑みをひっこめる。追いついたクロリも、茫洋とした顔で陽菜を見下ろしていた。陽菜はぼろぼろと泣いていた。零れ落ちるしずくが、幼いなずなの頬に落ちている。


「陽菜っ!」


 床にぺたりと腰を落とし、陽菜は声もなく泣きわめいた。子供が大声で泣くように顔をくしゃくしゃにして、けれど声を上げずに泣く陽菜の頭に、なずなが小さな手をのせた。そのまま宥めるように、ぎこちなく撫ぜている。なずなから陽菜を引き離すべきだろうか。悩んでいると、美女のクロリが申し訳なさそうにそばにきて言った。


「ごめんなさい。遊びすぎたわ」

「いや……」


 クロリが喋るところを初めて見た。輝夜を窺うと、なんとか平常心を取り戻せたようだった。唇は一文字にひき結ばれ、まだ青ざめてはいるが、もう大丈夫そうだ。


「アオジ。来てたのか」


 宵待に険しい顔で見られ、アオジは慌てて頭を下げた。


「申し訳ございません。かってに入って」

「いや、いい。逆に良かった。俺はもう行かなければ……すみれ」

「ここに」


 頷くすみれに、宵待はほっと息をつく。部屋を出る際に、宵待はささやくようにアオジへ言った。


「すまないが、輝夜をしばらく見ていてやってくれないか。どうにも体調が悪いらしいんだが、俺はもう行かないと」


 無言で頷くと、宵待は表情をゆるめる。足早に出て行く宵待をすみれが追い、彼らが起こした風がふわりと花の香りを運んできた。


「輝夜様、……」


 輝夜の顔色はひどいものだった。青を通りこして白く、疲労と恐怖が染みついている。呼びかけに応じた輝夜は顔を上げ、陽菜のもつ竪琴に目を留めた。


「練習、させてるの?」

「あ、はい。まだまだですが」

「魂鎮祭に出すつもりなのね」

「いや、そこまでは」

「聞かせて」


 輝夜の瞳は陽菜の竪琴から動こうとしない。むらさきは輝夜の隣へ座り、懇願するような視線になっていた。陽菜はまだ床にへたりこんでいる。幼い葉名のなずなに頭を撫でられ、目をこすっている。


「陽菜。大丈夫か?」


 しゃがみこんで聞くと、ぼんやり頷いた。急に泣き出したときには驚いたが、彼なりに異様な空気を感じて怖かったのだろう。竪琴をひけるかと問えば、彼はみるみるうちに顔を輝かせた。自分が泣いていたことも忘れてしまったらしい。陽菜は演奏の腕はいまいちだが、琴をたいそう気に入っている。ひいてくれと言われたのがうれしかったのか、いそいそと練習した曲を鳴らしはじめる。一音、二音と和音をかさねて途中まではよかったが、やはりすぐに間違えた。びよんと、情緒なく思い切りはずれた音に輝夜は微笑んだ。


「素敵ね。陽菜の音、わたしは好きよ」

「はあ。ありがとうございます」


 失敗しているのだから礼を言う場でもないが、アオジも同じ気持ちだった。絶妙に外れた音を陽菜は一生懸命かき鳴らしている。そのひた向きな姿勢が、なんともいえず人を癒すのだ。先ほどまでの騒ぎが嘘のように、輝夜は穏やかな表情になっていた。まったりした空気が流れている。いつの間にか、なずなはクロリの膝の上で船をこいでいた。春の風は柔らかで、澄みきった青空から桜の花びらが飛ばされてきた。輝夜がふと思いついたように言った。


「陽菜を魂鎮祭に出してみない?」

「え」


 無理だ、とてもこんな腕前では。一曲すらまともにひけないものが、他の葉名に混じっても恥をかくだけだ。思い切り首を横に振ると、輝夜はおかしそうに笑う。


「むらさきの舞の奏者を探してたの。大丈夫、ちょっとくらい間違えても」

「無理です! とても人前へ出せるものではありません」

「今から練習すれば間にあうわ。琴はむらさきも得意だから教えられるし──ねぇ?」


 水を向けられたむらさきは余裕の笑みだった。


「はい。陽菜さまは音感にすぐれていらっしゃいます。あとは指の動きをおぼえれば、訳ないかと」


 いつの間にか手をとめた陽菜は、話を興味津々で聞いていた。期待に満ちたその目を見て、アオジは言葉につまる。


 ──出たいんだな。


 これまで他の葉名たちが集団で音楽の練習をしている場に、陽菜を近づけないようにしてきた。陽菜は音楽や舞が好きだが、得意ではない。他の葉名のように祭に出るようにも言われなかった。嫌な思いをさせまいと気遣ってきたのに、肝心の陽菜はそこまで考えない。自分たちだけならそれでもまだいいが、輝夜の葉名の舞に合わせて曲を披露するとなれば、話は別だった。失敗すれば自分たちだけでなく、輝夜の顔にも泥をぬってしまう。


「大丈夫。陽菜だけが演奏するわけじゃないから。わたしの十四体の葉名の演奏に加えるだけだし、失敗しても目立たないわ」

「目立ちますよ」

「それも愛嬌」

「そんな……」


 ぐっとアオジは言葉をのみこんだ。輝夜はどうやら「これは決定」としてしまったらしい。こうなってしまうと、もう意見はくつがえらない。輝夜は優しいが、そういうところは月水に似て頑固だ。


「ではさっそく」と、むらさきが陽菜に竪琴を教えはじめる。ふたりで楽しげにやり取りをする様子は、年の離れた兄弟を見ているようで微笑ましい。満足そうな輝夜にアオジはつめていた息を吐いた。諦めるしかない。


「そうだ、これ。輝夜様のお好きな藤の練り切りです」


 忘れていたと菓子を差し出すと、輝夜は一瞬だけ固まったが、にっこりと笑った。


「ありがとう。いただくわ」


 白い紙箱のなかから行儀もそこそこに、輝夜は藤色の練り切りを口に含む。もそもそと確かめるように食べたあと、ひと口しか齧っていない菓子を降ろした。


「やっぱり、味がしない」

「え?」


 そんなはずはとひとつ食べてみれば、いつも通りに甘い。輝夜は菓子を数回にわけ、無理やりにのみこんでいるようだった。


「輝夜様、お体の調子がお悪いのですか?」

「そうね。疲れてるのかも」


 菓子の味もわからないなんてと、輝夜は苦笑する。その顔は無理をしているとひと目でわかるものだったが、何があったのかと直接聞くのははばかられた。聞けばいまにもその笑みが、暗い翳にまた引きずりこまれてしまう気がした。宵待に後で聞こう。彼なら、輝夜にあったことを知っているはずだ。できるだけ負担をかけないように、アオジはそっと輝夜のそばで様子を見守っていた。



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