第105話 管理人

 ジャンニは武器を持って行くなと主張した。レンツォが警察関係者であることが分かったら事態がややこしくなる、というのがその理由だった。


「今さら素性を隠したって無意味だろ。農場の人はおれの顔を覚えてる。ラーポを殴った時、みんな見てたんだから」

「だったらなおさらだ。相手を脅えさせたら何も手に入らなくなる」

「護身のための武器は必要だ」

「そういうことにはならないよ」

「あんたは何も分かってない。あの辺には野盗もいる。それにあいつは死体を担いで大聖堂の天井から吊した男かもしれないんだぞ!」

「おれとミケランジェロが煙に巻かれていた時に扉を壊して飛び込んできた男でもある。分かってると思うけど、くれぐれも面倒を起こすんじゃないぞ」



 *



 結局はジャンニに従って正解だった。日暮れ時、門衛は特に親しくもない顔ぶれで、口うるさい連中が揃っていた。武器を持っていたら出入りが面倒になっていただろう。あとで門を開けてもらう必要があるので、レンツォは挨拶し、郊外の知人の家に行ってすぐ戻ってくると言った。それから夕暮れの中、北東に向かう道を急いだ。



 *



 サン・ドメニコの農園は昼間と変わっていないように見えた。教えられた家の戸を叩くと、長銃を持った年配の男が出て来た。短い足にずんぐりした胴体は、熊が後ろ足で立ち上がったところに似ている。


「あんたがミケーレ・ランド?」

「そうだ」


 ライモンド・ロットの妻が所有する農場の管理人だというこの男について、レンツォは強欲で狡賢い、高利貸しのような男を想像していた。実際に会ってみると、ミケーレは船乗りみたいに真っ赤に日焼けした大柄な農夫だった。


「お前も八人委員会か? 今度は何しに来た」


 道中、レンツォは頭の中で作り話をいろいろ考えていた。だが、この農夫には嘘も拳も通用しないだろう。


「八人委員会じゃない」

「だが、役人だ」

「警吏なんだ。手出しはしない。この農場にも興味はない。金細工師のジャンニ・モレッリの頼みで、ある男に会いに来た」


 武器を持っていないのを見てとり、農夫はひとまず言い分を飲み込んだようだった。しかし向けている銃は動かない。


「ジャンニなら知ってる。八人委員会から来たって言ってた。くそくらえだ。おれのいない間に、ここで奴らが何をしてったと思う。いきなりやってきて野盗を匿ってると難癖をつけ、扉を壊し、ものを食い荒らした。あいつに伝えろ、話すことなんかないってな。分かったらさっさと帰れ」


「ラーポはいつからこの農場にいる?」

「1年ほど前からだ。それがどうした」

「ラーポってのは偽名だ。本当の名前はレオナルドだ」


 ミケーレ・ランドは銃口を少しだけ下げた。

「何の話をしてるんだ?」


「彼はアントニオ・ラウジというフィレンツェの樽職人の息子だ。ここへ来る前はヴォルテッラにいたはずだ」


「あいつは自分のことをあまり話さないんだ。おかしな男でね。だが、ヴォルテッラにいたってのは聞いたことがある」


「そのことで、ジャンニが彼と話をしたがってるんだ。おれと一緒にフィレンツェに来るよう伝えてもらいたい。それが終われば、もうあんたをわずらわせたりしないよ」


「そうすりゃ、帰るんだな?」


 西の空はもう薄紫色だ。

 ついてくるように言い、ミケーレは歩き出した。思った通り、あの小屋に向かっていた。立ち枯れた松の木と煙突が見える。煙は上がっていない。


 改めて見ると奇妙な建物だ。2つある窓はどちらも板で塞がれている。扉は打ち壊されたままで、内側に向かって半分開いていた。残骸をミケーレが銃で示した。


「見ろ、あんたの仲間がやったことを」

「おれがやったんだ」

「フィレンツェにはまともなのがいないな、え?」


 農夫は工房に入ってラーポを呼んだ。返事はない。


「ついさっき入って行くのを見たんだが。どこへ行ったのかな」


 作男のブルーノが、へっぴり腰で戸口から中をのぞいていた。敷地を荒らした兵がまた来たと思ったようだ。


「ラーポはどこに行った?」

「さ、さあ。しばらく見かけとらんです」

「捜して来い!」


 ブルーノはすっ飛んで行った。


 工房の内部はどこも動かされた形跡がないように見えた。作業台の上に皿があり、小銭がいっぱい入っていた。溶けて、意匠が不鮮明になった銅貨が混じっている。ここに薬品が飛び散ったのだろう。


 作業台の下を照らした。床を引きずったような跡がある。不明瞭な2本の線だった。レンツォは人間のかかとを思い浮かべた。戸口から奥へと続き、踏みしだかれて途中で消えている。その先には木箱の山がある。


 グリフォーネがそこを通るときに難儀していたのを思い出した。なぜこんな邪魔な場所に箱が積んであるのか。箱をどけると、低い位置に戸があった。


「地下室があるのか?」

「葡萄酒の貯蔵庫だ。何年も前から使ってないよ」


 ブルーノが戻ってきて、ラーポはどこにもいなかったと言った。扉は小さく、屈まなければ入れない大きさだ。内部は真っ暗だが、火のついたロウソクの臭いがする。少し前に誰かが降りていったのだろうか。


 ミケーレが銃を持っているのが心強かった。

「ブルーノ、こっちが下にいる間にラーポが戻ったら、すぐ知らせろ。他の連中はここへ入れないでくれ」


 急な階段だった。先に立って降りると、最下段の先が見えてきた。薄明かりの向こうの床に何かが転がっている。人だ。両手を縛られ、うつ伏せで倒れている。ラーポではない。15、6歳の若者に見えた。


「誰だ、これは?」


 ミケーレが銃を放り出して駆け寄った。

「ジャンニと一緒に来た若者だ。一体どうなってるんだ」


 若者の顔は蒼白で、血まみれの髪が額にはりついている。細い縄で縛られており、手首の擦り傷から血が滲んでいる。


 2人がかりで縄をほどこうとした。しかし結び目が固すぎる。室内を見回した。壁際に大きな衣装箱があった。蓋は開けられ、内部に血がついている。


 反対側に通路がある。奥は暗くて見えない。


「運び出さないと。ここにいてくれ、他の連中を呼んでくる」

「あの奥には何がある?」


 声は聞こえていたはずだが、農夫は答えずにまた階段を上がって行った。

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